3-2

 

「…………おかしいなぁ」


 自販機の前で足を止めた切継は戸惑い顔で呟いた。

 肩に掛けていたバットケースを下ろす。十字路の角であるこの場所は、直奈の視界から外れている――それを確認してから、ゴン、と頭を自販機に預ける。そのまま首を傾げると、ショーケースに映し出された顔もまた傾いた。

 戸惑った表情を浮かべてなお、切継の顔立ちは端整なまま。その柔らかな造形は均整の取れた肢体と相まって、どんなに頑なな相手の心にも自然体のまま入り込む。自らの容姿が持つ特性を、切継は正確に把握している。そして、積極的に活用してもいる――主に、携帯のアドレス欄を異性の名で埋め尽くす、といった方向で。


 魔術師であるよりも前に、戦闘狂であると同時に、古樫切継の本質は無類なまでの女好き。齢二十足らずながら、交際を結んだ異性の数は既に両手両足の指の数を超えている。はじめて告白されたのが小学校高学年の頃だから、それからの増加率は平均して半年に一人以上になる。

 とはいえここ一年ほどは、特定の相手を持っていない。その異常事態の原因は、上司である古樫直奈。旧家に生まれた技能伝承者である彼女は、しかしその枠に捕らわれることなく多様な術式を自在に操る。技量のみならず呪術に対する姿勢にも、見習うべき部分はたくさんある――から、とりあえずモーションを掛けたのが、彼女の部下となって三日目のこと。以降直接、間接を問わず様々なアプローチを試みているのだが、一年以上たった今も未だ落とせていない。


 ――というか、そもそもオトコ扱いされてない?

「まさかね」


 と、笑顔で否定したものの、思い当たる節は無いでもない。『打ち棄てられた魔術者連盟』の幹部尾行中、降られた雨に濡れ下着が透けても、恥らう素振りすら見せなかった彼女。そういえば祖霊再封印のためにロッジで一週間共同生活を強いられたときも、風呂上りにバスタオル一枚で部屋の中をうろつかれた。

 基本的に仕事人間の直奈は、自らが持つオンナとしての部位に無自覚なところがあるにはあるが……限度、というものもあろう。にもかかわらずここまで無防備な態勢を貫かれているということは、やはり自分のようなガキはオトコの範疇に含まれない、ということだろうか?


「歳はそんなに違わないはずなんだけど――」


 ならいっそ、自分を確実に意識させるべく多少強引に迫ってみるか?


「でも、キャラじゃないしなぁ」


 切継による女の誑しかたは、終始一貫して自然体。相手にとってそばにいることが当たり前の存在となり、意識する前に惚れさせて、その事実を気付かせる。強引なやり方は専門外だし、趣味でもない。


「それに、失敗してるってわけじゃないっすからね」


 負け惜しみではない。男として見られているかどうかは別として、直奈が切継に示す態度はコンビを組みたての頃と比べて明らかに柔らかくなっている。理由の分からない敵愾心を持たれていた当初と比較すれば当たり前かもしれないが、下手にことを急いだせいで再び警戒されるのは避けたいところである。


「長期戦、かなぁ」


 自販機に小銭を入れつつ、導き出された選択肢を呟く。正直めんどくさいけど、ここは忍耐が必要な場面。相手の近くに入れ込めてはいるのだから、あとは徐々に異性として意識させるだけ。慌てず慎重にことを進めれば今までどおりうまく行くはず、と過去の女歴を振り返り――『富士の天然水』のボタンを押したままの姿勢で眉をしかめる。

 思い浮かんだ名は羽田はたつぐ――切継が今まで付き合った中で、もっとも手間取った女性である。彼女は自らを女誑しの同性愛者と規定していて、実は両性愛者だと気付かせるのに五ヶ月ほども費やした。彼女とは異なり、直奈に同性愛的傾向は無い。だが身近な存在となった自分を、恋愛の対象外としている点では同様だ。

 筑美がそうであったのは、女性を恋愛対象としていたから。ならば直奈も自分以外の何か――誰かを、既に恋愛対象としているのではないか?


 ガゴンという鈍い音と共に、ペットボトルが落下する。拾い上げ、レモンティーのボタンを押し、「冷た~い」ではなく「温か~い」を選択してしまったことに気付く。


 昨晩の現場であった男――自分は初対面だったが、直奈は顔見知りの様子だった。どういう関係なのだろう。直奈は男を、男は直奈を、どう思っているのだろう。そしてそこに、自分が割り込める余地は現時点でどれほどだろう。


 紅茶缶のプルトップを開け、一口分だけ喉に流し込む。甘ったるい味が口内に広がり、熱さが食道から胃へと伝わる。同時にそれとは別種の熱が、体内に湧くことも自覚する。

 色恋沙汰は、障害が多いほど面白い。特に、既に想い人がいる女を振り向かせるのは、切継の最も好むところである。相手の中で自分の存在が徐々に大きくなっていき、既に在る男の存在と拮抗した瞬間に生じる戸惑い。それを諌め、心を溶き解すことで育まれた信頼は、複数の候補者から自ら選択したという事実と相まって、愛慕の情をより強固なものにする。


「あ、先輩。六甲も南アルプスもなかったんで、富士でもいいですか?」


 角から姿を現した上司に、切継は瞬時に表情を改める。戻るのが遅れたことを詫び、希望とは異なる天然水のペットボトルを投げ渡す。


「いいも何も、買ってしまったのなら仕方がないのです」


 片手で受け取った直奈は、親指と人差し指だけで器用にボトルの蓋を開ける。中身の四半分ほどを一気に咽下する彼女の喉が揺れ動く様子を眺めつつ、切継は紅茶味の残る舌で上唇をぺろりと舐めた。


「そういえば、昨晩の現場にいた男性職員」

「……アレが、どうかしたのですか?」


 無意識に選択したであろう代名詞――『アレ』。そこに込められた意味を確認するために、切継が選択した手段はなんの捻りも無い直球。


「直奈先輩って、あの人と付き合っているんですか?」

「――は? そ、そんなこと、あるわけがないのです!」


 珍しく語調を乱しながら、直奈が返した答えは否定。僅かに紅い顔と、混乱と怒気が入り混じった口調――それらが意味するところの全てを、切継に理解できるわけではない。だがおそらく、理解できていないのは直奈も同じ。切継の質問が彼女にもたらしたのは、本人にも理由が把握できない動揺。


「だいたいあいつは……いまごろ目当ての女のあとをつけまわしているところなのですよ」


 乱暴に付け足された直奈の言葉から、切継が読み取ったのは明確な羨望の感情だった。

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