3-1

 かつて武蔵ヶ原は、弥嶽家のものだった。


 もともとは大内裏での怪しげな儀式に携わっていた弥嶽家が一度目の繁栄期を迎えたのは、一六世紀。武家としての道を選択した当主・長隆ながたかは、神憑きと噂されるほどの卓越した戦術眼により、ちょっとした大名と呼べる地位を築き上げた。だが関ヶ原で西軍に付くという選択が、彼の栄光に頓挫を強いる。取り潰しこそ免れ得たもの、武蔵ヶ原への転封を命じられたのだ。

 大幅な減知を伴うこの処置に長隆は怒り狂い、晩年は床に伏せながらも徳川家への呪詛を吐き続けたという。だが彼の息子であるむねなが、およびその後継たちによる武蔵ヶ原の統治は、概ね良好なものだったようだ。『ようだ』と推定形で表したのは、江戸時代における武蔵ヶ原の記述がほとんど見つけられないため。だが徳川の世二五〇年において大規模な一揆・打ちこわしの記録が一つもみられないとなれば、それだけで領主を評価するには十分であろう。

 とはいえそのことをもって、武蔵ヶ原が弥嶽家のモノであるとはさすがに言えない。武蔵ヶ原における弥嶽家の力が絶対的なものとなるのは、むしろ明治以降。秩禄処分で秩禄公債と引き換えに纏まった金を得た弥嶽庵宗いおむねが、紡績・鉄道さらには金融と多方面で事業展開を行い、弥嶽家に二度目の繁栄期をもたらしたのだ。彼が作り出した企業連合体は武蔵ヶ原を一つの経済単位として機能させ、その内部で富を循環させた。一九二七年の金融恐慌時においてさえ、この地域の失業率にほとんど上昇が見られなかった、というのは、戦前における弥嶽家、しいては武蔵ヶ原の繁栄を示す有名な逸話である。

 だが恐慌には打ち勝てた弥嶽家も、敗戦には――正確には、敗戦により成立したGHQの占領政策には勝てなかった。農地改革、財閥解体、その他民主化を目指しての各種政策は、弥嶽家の力を削り落とし、擦り減らした。それでも並みの億万長者とは比すまでもない程度の財は残っていたのだが――一九年前の『震災』が、没落を決定的なものとした。

『震災』による直接的影響は、実のところたいしたことはなかった。弥嶽ほどの家ともなれば、掛けている各種保険により被害のほとんどは補える。だが当主の地位にあった弥嶽庵里いおりは、自家だけでなく武蔵ヶ原全域の復興のため、文字通り私財を投げ出した。結果、順調に進んだ復興と引き換えに弥嶽家の台所具合は中流レベルにまで零落したが……庵里自身はそのことを、むしろ好ましく思っていたようだ。一人娘と共に過ごした彼女の晩年は、とても穏やかなものであったと伝えられている。




 警魔庁の捜査員である古樫ふるがしきりつぐなおが訪れたのは、そんな弥嶽家の繁栄の残骸、かつては『別邸』と呼ばれていた、厳めしいつくりの屋敷だった。


 重々しい音を立てて、門扉が閉じる。見送りに出ていた着物姿の女性と二人の間を分け隔つ。


「とんだ無駄足でしたね」


 どこか他人事のように言った切継を、直奈は睨みつけた。


「――こりゃ、失敬」


 おどけて頭を掻いてみせる切継は、優れた体躯を仕着せのスーツが引き立てて、ドラマか何かの画面から俳優が抜け出してきたように見える。肩に掛けているバットケースも、洗練された身のこなしに隠されて本来の違和感を与えることはない。

 一般人からの情報収集において、彼の第一印象は有力な武器だ。だが、決してそれ以上にはなり得ない。通常捜査時の彼にはどこか真剣みが感じられない。警魔庁の仕事など、この男にとってはやはり何処までも他人事でしかないのだろう。


「捜査を続けるのです」


 発した声は、意図していたよりもキツイものとなった。むろん切継は、応えた様子など微塵も見せずに彼女に続く。


「でも、予測しとくべきだったかもしれませんね。『武蔵ヶ原の魔女』のことくらい」


 厭味でもなんでもなく、ただ思い浮かんだことを言っただけ。それゆえに切継の言葉は、直奈の内心を波立てる。


「分かってるのですよ」


 苦虫を潰したかのような声に、滲む悔しさ。捜査は自分の役割だ、と強く自負しているゆえに、切継により不備を指摘された自分を直奈は許すことができなかった。



 昨夜発覚した憑獣の顕在化は、『武蔵ヶ原憑獣事件』と命名された。現場を調べた鑑識班は、そこに『連続』の二文字が加わるのはほぼ確実だろうと予測している。顕在化した憑獣のタイプや確認された魔法少女の戦い慣れた様子から、憑獣の顕在化は昨夜初めて起こった物とは考え難い。それは逆に言えば、これからも顕在化現象が続く可能性が高いことを意味していた。

 鑑識による報告を受け、捜査班は人員を二つの仕事に割り振った。一つは昨夜打ち倒された憑獣の被憑者の特定による完全封印。もう一つは、未だ顕在化していない新たな憑獣の捜索である。後者を受け持った直奈たちは聞き込みと霊素濃度調査を開始し、途中で遭遇した憑獣らしき影を追って辿り付いたのが弥嶽邸だった。

 結果から言えばそれは、切継の言う通り完全な無駄足だった。憑獣と見間違えたのは、人造の幻獣。造り手である弥嶽邸の主は、『武蔵ヶ原の魔女』と呼ばれる高位魔導師だった。警魔庁にも魔具を卸している彼女の素性は、確認するまでもなく確かなものだった。

 事件の発生場所を聞いた時点で、彼女が付近に棲むだろうことは予想可能だったはず――にもかかわらず、幻獣の影と霊素濃度異常だけで勇み足を踏んだ自分の判断を、直奈は恥じていた。とはいえ、仕方のない面もある。警魔庁の捜査水準は、極めて稚拙。現場周囲を適当にぶらつくか計器をばら撒いて、霊素濃度異常や魔力反応を感知する、という単純な方法がその過半を占めている。先祖代々警魔庁に仕えて来た直奈のような人間にとっては忌まわしいことに、この傾向は近年ますます強まりつつある。魔法少女系職員の増加が、その原因だった。


 警魔庁の職員は、二種類に大別することができる。

 技能伝承者系と魔法少女系――もっともこの分類が意味を持つようになったのは、ここ十年ほどのことだ。少なくとも二十世紀が終わる頃までは、職員の大半は呪術と関わりを持つ旧家出身の技能伝承者だった。

 だが世紀が変わる少し前に発生した魔具の技術革新が、その事情を変えた。国宝クラスと同性能の魔具が高級外車程度にまで値を落とし、大量流通するようになった魔具は呪術事件を多発させた。その事件に巻き込まれることで呪術能力を獲得した少年少女たちのうち、少なからぬ数は警魔庁に就職し、現在では庁内でもかなりの影響力を保有するようになっている。

 増大した魔法少女系職員(余談だがこの呼称は、児童期に呪術事件と遭遇することで呪術能力を獲得した少年少女全般を指す。ではなぜ『少女』系なのかと問われると……日本独自の文化である、としか答えようがないが)は、警魔庁における派閥勢力図を一変させた。魔法・魔術・魔導という使用呪術の種類による区別が意味を成さなくなる一方で、呪術能力獲得過程による区分と対立は深刻化した。魔法少女系職員の多くが潜在的に持つ被害者意識、『自分たちの呪術能力は事件に巻き込まれたために獲得したものだ』という考えは、対立をさらに熾烈なものにした。自分たちのような存在をこれ以上増やしてはならない、と考えた彼等が組織改革を声高に叫び、伝統を重視する技能伝承者系の反発を呼んだからだ。

 典型的な技能伝承者系である直奈もまた、魔法少女系の唱える組織改革に違和感を覚えている一人だ。特にその方向性、呪術戦闘の重視には、危惧に近いものを抱いている。

 戦闘技能を向上させても、呪術事件に対する効果は限定的。むしろ発生した事件に適正な捜査職員を割り振るためのシステム作り、あるいは各人の経験頼みとなっている捜査方法のマニュアル化といった有り触れた改善努力のほうが、よほどの効果を期待できる。魔法少女系職員全員が切継のような呪術戦闘にしか興味のない馬鹿バトルマニアというわけではないから、この事実に気付いているものも当然存在するはずだ。にもかかわらず呪術力への偏重が続いているのは、そこに派閥の論理が存在しているためだろう。

 巻き込まれた呪術事件で、突如手にした『力』――それは魔法少女系職員にとって、特別なものに視えるらしい。よって呪術力を前面に押し出した組織改革は、魔法少女系の受けがいい。反面、技能伝承者系の反応は緩慢……代々警魔庁に仕えてきた術者の家では、呪術とは御役目を果たすための道具に過ぎない、という教育が徹底されているからだ。結果、改革は技能伝承者系を排除して進められ、魔法少女系職員を一つの閥として纏める機能を果たしている――まるでそれこそが、本当の目的であるかのように。



「どっちが強いんですかねえ」

「は?」


 能天気な切継の言葉が、直奈を思考から引き戻した。


「いえ、だから俺と『武蔵ヶ原の魔女』ですよ」

「相手になるわけがないです。彼女は高位の魔導師なのですよ」

「でも、戦闘向きじゃない。もちろん、あの屋敷の中でじゃどうしようもありませんが」


 楽しそうに言う切継を、直奈は改めて見直す。弥嶽邸の庭や家に設置されていた、結界と術式トラップ。かなり巧妙に隠匿されていたはずだが、切継もそれに気付いていたわけだ。


「外に引っ張り出して、引き連れている幻獣が臨戦体勢に入る前にしかければ……ヤりようはあるかもしれない」

「殺りよう、ですか」


 切継が口にした言葉の意味を、直奈は誤解しなかった。


「私たちは警魔庁、目指すの対象の殺害ではなく確保なのです」

「でも、できますか? 現実問題として」

「むぅ……」


 切継の反論に、言葉を詰まらせる。『魔女』の能力が開発方向に特化しているとはいえ、真っ向からぶつかるには地力の差が大きすぎる。相手の準備が整う前の第一撃で全て終わらせる、という切継の判断は戦術的には正しいが――


「強行捜査班に連絡して、到着までなんとかして時間を稼ぐのですよ」


 どう『なんとか』すればいいのかという具体策を持たぬまま、直奈は対案を提示する。半ば以上、意地になっての行為――だが直奈には、切継の発想をそのまま認めることができない。切継の思考のベースにあるのは警魔庁という組織ではなく、切継という呪術者個人。それは組織の一員としての自分を強く意識する直奈にとって、受け入れがたい発想だ。


「『強捜』、ですか」


 強行捜査班――警魔庁の中で荒事を専門に取り扱っている武装集団。その略称を、切継は憧憬と共に口にする。


「なるほど、たしかにあそこの人たちなら確保も可能かもしれませんね。選抜された精鋭のみで構成される、調伏のエキスパート集団――」

「行ってみたのですか?」

「そりゃ、行けるんなら。エリート中のエリートですから」

「無理ではないと、思うのですよ」

「え――?」


 振り向いた切継の顔は、豆鉄砲を食らった鳩のよう。もとが整っているだけに、その表情は直奈にもおかしみを与える。


「呪術技能だけを見るなら、あなたの腕は警魔庁内でもかなり上位に入っています。強行捜査班に入っても、おそらくなんの遜色もない。なのにあなたがこんなところで燻ぶっている原因は、技能以外の部分……あなたも、分かってるはずなのですよ」

「心構え、ですか? 警魔庁職員としての。でも俺、そーゆーの苦手なんですよね」

「そんなんじゃ、いつまでたっても今のまま……」

「なら、それでいいっすよ。『強捜』に入りたいっていうのも事実ですけど、義務とか責任とかいう重苦しいのは御免、ってのもホントです。だから俺には、先輩の下でテキトーにやっているのが似合ってるんです」


 直奈が並べかけた小言を、切継は慣れた様子で躱す。気勢を削がれた直奈に対しにっこり笑って追い討ちをかけ、直奈が反撃の態勢を立て直す前に素早く離脱を計る。


「飲み物買ってきますけど、なんにします?」

「――……水。六甲なのです」

「なかったら南アルプスでもいいですよね」


 颯爽と掛けていく切継に、直奈は財布を出しつつ溜息。それはいい加減な態度を崩さない切継に対してと同時に、彼に嘘を付いた自分自身にも向けられていた。

 強行捜査班が心身両面でのエリート部隊だったのは、もう五年以上前の話だ。第九班『武田組』、第十班『機動大隊』が新設された頃からは、登用基準も大幅に変更されているらしい。特に銃火器の大量採用に踏み切った『武田組』では、完全な実力本位主義が取られているという噂である。

 呪術技能こそが全てであり、思想信条や心構えなど何の意味も持たない世界――それは力ある魔法少女系職員にとって、理想的な職場環境だ。聞き込み捜査や書類整理に忙殺される通常捜査職よりも、彼等の能力をよほど有意義に発揮できる。さらに切継にとっては、自分のような口うるさい先輩がいなくなる、という利点もそこに加わるだろう。

 にもかかわらず直奈は、切継を強行捜査班に転属させるつもりは無い。その背景にあるのは、伝統という名の手綱こそが暴走しがちな警魔庁職員を御してきた、という彼女自身の歴史認識だ。

 呪術が使える――ただそれだけのことで、自分が特別だと思い上がる人間の数はことのほか多い。特別な人間は特別でない人間を犠牲にすることが許される、という思考に彼等が到達し、それを実行に移すことで呪術事件は発生する。

 事件の捜査に当たる警魔庁職員、彼等には各種特権が与えられている。今回も住民への聞き込みで使った偽造警察手帳の提示や、戦闘系呪術使用時における器物破損罪の適用除外等。つまり警魔庁職員は、特別だと思い上がりやすい呪術者の中でも更に特殊な存在なのだ。

 ならば、もし彼等が『自分たちは特別な存在である』と思い上がった場合には? 組織化された彼等によって引き起こされるだろう呪術事件は、世界の流れすら左右しかねないほどの規模。事実、その種の事件は過去に幾度か発生し、歪曲されつつも歴史上に記録されているものすらある。このような過ちを繰り返さぬため、日本呪術界が造り出した戒めこそが、『伝統』という名の鎖。そしてこれは、少なくともここ数百年ほどの間有効に機能し続けている。

 直奈自身もまた、この鎖に強く縛られている一人だ。ものごころ付く前から施されてきた呪術継承者としての教育は、自らの存在を警魔庁職員として厳格に規定する。有する呪術能力について思考する場合にも、それが社会秩序を維持するための手段である、という前提を崩すことはない。だが魔法少女系職員は、これらの束縛とは全く無縁の場所にある。

 切継と共に在るようになってから、直奈を襲うようになった不安。それは恐らく、魔法少女系職員が目指す先にあるものへの懸念だ。伝統という鎖から解き放たれ、代わりに纏った急進主義。自らの理想を実現する手段という名目で、際限なく追い求められている呪術技能。彼等が行き着くだろう場所が望ましいものであるとは、直奈には思えない。むしろ三年前に発生した『一.一六事件』――歴史ある術者間互助扶助組織だった『打ち棄てられたギルド・スクラップ呪術者連盟ド・マギーズ』が国際テロ集団に堕したあの騒動を、繰り返そうとしている気がしてならない。だから、遠ざける――改革の急先鋒となりつつある強行捜査班から、不真面目でいい加減な自らのパートナーを。警魔庁を覆う風潮を変える力は持たないが、その程度のことならば私にもできる。


 基本的に聡い人間の部類に入る御乃津直奈は、もちろん気付いていた。その上で、気付いていないふりをしていた。


 個人的な好みによって部下の処遇を決定するというのは、単なる警魔庁職員としての職務から完全に逸脱した行為。恒常化したこの種の行為は、派閥形成・拡大の原動力となる。

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