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「所長、何で来たんですか?」

「うん、新幹線」

「いえ、そういう意味ではなくて――」

「じゃあ、このままだと調査に進展が無さそうだから?」


 小首を傾げて疑問形で答え、理絵はぐるりと部屋を見回す。微笑交じりのその眼差しは所員たちの居住まいを正させて、特に不用意に発言した宏美は大きく息を呑みこんだ。


 理絵の瞳に含まれた不満と叱責は、第四調査チームの現状に向けられたもの。収入の中心を案件ごとの成果報酬に置いている汐瑠間研究所では、調査期間の延長は期間単位の収入低下へ直結するからだ。支出の中心である人件費(つまり宏美たちの給料)を変えることは出来ないので、そのラインを収入が下回れば赤字が発生してしまう。よって結論を出せないままズルズル調査を続けているというチーム状態は、経営者でもある理絵にとって当然許容できないのだ。


 声は一切荒げずに、どころか非難すら明言はせず、ただ一瞥を以てして問題を悟らせる。それで沈黙した周囲には構うような振りすら見せず、立て掛けてあったパイプ椅子を開いてストンと腰掛ける。徹底的な、独尊ぶり――に見えるこの振る舞いも、彼女独自の計算から導き出されたものだろう。委縮しかけた部屋の空気から己が役目を正確に認識し、夏端は呆れ混じりの溜息と共に口を開く。


「昨夜所長と話した結果、今日からは調査方針を変えようと思う。はっきりさせなきゃいけないのは、武蔵ヶ原で多発している『事故』の正確な原因だ。だから事故件数や共通点、傾向についての調査は中断し、個別の事故がどんなふうに発生しているのかを徹底的に洗い上げる」


 理絵の一瞥を模倣して、部屋を見回す――もちろん彼女ほどの威厳を纏うことは能わないが。


「まずは今朝発生した事件についてを全員で調査する。起きたばっかりの事件のほうが、すでに日数が立ってるものよりは調べやすいからね」

「おいおい夏ちゃん、そりゃ調査っつーよりも捜査だぜ」

「べつにその認識でかまわないわよ」


 夏端が提示した方針を各々が咀嚼する中、いち早く反応を示した元私服警官へ理絵は当たり前のように告げる。


「そういえば、こういった調査なら雄さんの専門よね。じゃあ指揮の半分は、雄さんにやってもらおうかしら」


 ふと思いついた、というふうに口にされた彼女の言葉は、それまでとは全く別種の作用を第四調査チームにもたらした。


 夏端を含めた所員たちの、呑んだ息が部屋の空気を揺らす。即座に収束したそのざわめきの、後に残された沈黙にもどこか張り詰めたものが漂う。


「チームのサブリーダーを、瑞穂から雄さんに交代……とりあえず今のところは、このプロジェクト限定の暫定処置ね」


 チームの動揺に全く気付いていないかのごとく、理絵はにこやかに言葉を続ける。もちろん気付いていないはずがないと、宏美は確信とともに決め付けた。


 いいかげんに見える振る舞いに反し、理絵は決して思いつきで重要事を決める人間ではない。むしろあらゆる可能性を想定し、その中から最適解を慎重に選び取るタイプ。そんな彼女がいま口にした内容は、久間瑞穂に対する降格処分。つまりは行き詰っている現在のプロジェクトに対して、明確に責任を求めるという意思表示。後任とされた田込にしても、贖罪羊でないという保証はない。ならば次は自分かと、チームの人間が思うは必然。つまり彼女の狙いは、このプロジェクト全体の恐怖による引き締めだ。


 考えすぎ、という頭に浮かんだ一案は、即座に取り消す。この程度の術数など、理絵は片手間でやってのける。そうでなければそもそも現在、調査研究所は存在していない。ヨツバ生命から予備調査室を独立させた際に彼女が示した手腕を、宏美は自らの瞳で見知っていた。


「わかりました」


 動揺を押し殺した、瑞穂の声。反射的に振り返り、宏美が目にした瑞穂の姿は固く思い詰めたもの。ただでさえ生真面目な彼女のことだ、『降格処分』というかたちでの叱責は、ことのほか応えているに違いない。直の上司のその姿は当然宏美にも動揺を強いるが、同時に彼女は少し納得してもいた。


 叱責や処罰に対して人が起こす反応は、大きく分けて二通り。反省と、反発だ。たとえ叱責理由が納得できるものであった場合でも、前者だけが顕れることは少ない。体面やプライドといった要素が、人に後者を示すことを強いる。だが宏美の見るところ、瑞穂はその例外だ。

 常に自身を卑下しているようなところが、瑞穂にはある。自分がどうしようもない、叱られて当然の存在であると、彼女は硬く信じ込んでいる。だから常人ならば必ず示す、叱責への反発が彼女にはない。にもかかわらず向上心――反省し対策を立て、より良くなろうとする意思には、決して不足することがない。

 ゆえに彼女は、たとえ理不尽な理由であっても咎めを受ければ反省する。しかもその反省を、大抵は成果に繋げてしまう。チーム全体を引き締める、という目的のための叱責対象として、まさに最適の人材であった。


 とはいえ、と、同時に宏美は考える。だからってこんな公然で、降格処分を発表していいのかしら? いくら引き締めが目的でも、理絵さん自ら口頭で……つまりミズさんへの処分の一言一句を、チーム全員に共有させる形で。

 この行為による生じる反発を、理絵は全く恐れていない。他者が受けた叱責で生じる程度の反発など、どうにでもなると思っているのだろう。そして真に恐るべきは、実際どうにかなるだろうと宏美も思ってしまうところだ。下手に反発したならば、即座にしっぺ返しを喰らう――そう思わせるだけの実力と実績が、彼女には確かにある。

 あるいはそれらを含めた全てが、恐怖で引き締め支配するということなのかもしれない。現にこうして様々な考えを巡らせている宏美自身も、考えることのことごとくを理絵への畏怖に繋げてしまう。そして彼女に失望されたり見捨てられたりしないために、気を引き締めなければと思ってしまう――それこそが、理絵の狙いだと確信しつつ。


 理絵に対する宏美の考察は、おおむねにおいて正しかった。いささか考えすぎている部分もなくはなかったが、その考えすぎるという部分こそ、理絵が(あるいはこの場合、調査研究所が) 宏美に求めている資質であった。だが直接の上司に対する認識には、明確な間違いが一つあった。


 久間瑞穂に生じた動揺は、降格処分だけが原因ではなかった。

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