Ⅱ.2017年11月15日 昼

1-1

【武蔵ヶ原再開発計画

 遷都に伴う人口分布変動(旧首都圏、関東地区から他地域への人口流出)に

 対応するため、武蔵ヶ原における旧工業団地計画跡地を整備、

 一大ベッドタウンを建設する。


 《計画概要》

 第一期:三ヶ年、200億円規模

        ・駅前施設、商店街の整備

 第二期:四ヶ年、300億円規模

        ・付随する住宅団地の建設

        ・旧工業団地跡を利用した各種文化施設及び大学施設の建設

 《進捗状況》

   二〇一六年六月  第一期工事を施工開始

   二〇一六年八月  予定の工期・費用内での施工を困難とする事由(※1)の

            発生に伴い工事を一時中止

        九月  見込まれる工期・費用の増大を考慮し、

            計画の再評価を決定

        十月  汐瑠間調査研究所による開発地域について再調査開始


   ※1: 施工を困難とする事由

     ①地盤不良       二地点

     ②浸水         三ヶ所

     ③不審火        三十八件

     ④重機に関係する事故  二十六件

      (うち六件は、大型重機の大破を含む重大事故)

     ⑤…………        

                                    】



「しかも『①地盤不良』以外の明確な原因は不明。

 再発性はいずれも認められず、って」


 始業時刻の十分前。汐瑠間調査研究所第四調査チームが先週から入居している賃貸オフィスで、実島宏美は社給のパソコンに溜め息を吹き掛けた。


「おう、ヒロちゃん。そりゃ現状の調査報告かい?」


 掛けられたダミ声に、慌てて振り向く。


「あ、ごめさん。おはようございます」

「おはよーさん、っとな」


 畏まった宏美に、逆座りで椅子に靠れたごめゆうが右手のマグカップを小さく掲げた。


「朝からそんな辛気臭い顔してっと、ツキが逃げちまうぜ」


 組織犯罪対策課の刑事を定年退職後にヘッドハントされた彼は、研究所における最年長者。確かな調査能力と『昔のツテ』による情報収集能力で、皆から一目置かれている。


「そう、雄さんは言うけれど?」「ですがなかなか難しいと思いますわ」


 そんな田込へ挑むように、掛けられる二つの声。宏美と同期の姉妹である光澤ひかりざわこよみと光澤こよりが、鏡に映したかのように同じ顔を並べている。


「建設計画を阻害する、重機のトラブル・火災・事件」

「相互関連が見出せない以上、偶然で再発性は無いとするのが妥当ですが、」

「偶然の一言で片づけるにはいくらなんでも出来過ぎている、か――」


 一卵性の双子である彼女たちの掛け合いを、チームリーダーである夏端玲冶なつはれいじが引き継いだ。


「だが『偶然とは思えない』なんて所感に拠っただけの見解を、依頼者に報告するわけにはいかないよ」


 どこか冷たい感じのする夏端の声は、壁に響いて部屋を伝う。その音吐に促され、コピー機の横で閑話していた久間瑞穂と琴樹こときおりも顔を見合わせ席に着く。無作為に配置された事務机八台が一つを除き埋められて、そのまま朝の会議に移るのが第四チームのやり方だ。



 しお調査研究所は、創業三年目の若い会社である。とはいえ所長のしお理絵りえを含め、所員のほとんどはヨツバ生命『予備調査室』時代からのメンバー。保険商品についてのリスク評価をおこなっていた経験を活かし、大規模プロジェクトなどの事前調査を代行する、という業務は今のところ上手くいっている。

 宏美の所属する第四調査チームが示す業績も、その例外ではない。製薬会社による新薬開発、大企業が計画する新規事業参入、地方政府が行う大規模公共事業……受け持った調査は種々様々。その全て、とは言えないがほとんどで、妥当な調査結果を依頼主に提供できた――特に某上場企業に提出した報告は、首都移転による需要変動を正確に反映できたと宏美は密かに自負している。

 だが現在担当している案件は、順調とはお世辞にも言い難い。武蔵ヶ原で頻発した不可解事故の間には関連が見いだせず、よって今後も起こるかどうかの判断を下せないまま調査期間だけが伸びていた。



「明確な証拠がないからって、こんなに事故が重なってる状況を『偶然』とするのはまずいと思うわ」


 チームのサブリーダーである久間瑞穂が、夏端へ釘を差すように言う。彼女に半分頷いた宏美は、残り半分の首を傾げた。

 一見威勢良い瑞穂の物言いは、だが彼女にしては酷く弱気――末尾に付いた『と思う』の語が、瑞穂個人の意見に過ぎないことを無意識のうちに主張している。そういえば昨日は帰る途中でハンドバックを失くしたっていうし、ここのところのミズさんの不調はまだまだ続いているようだ。


「もちろん、承知しているよ。久間さんが調べて来てくれた通り、十年ほど前に計画された工業団地建設計画も同じような『偶然の事故』の頻発で頓挫しているしね」

「ちなみに工業団地計画時における事故は不審火と機械トラブルが大半で、今回のような重機を破壊するようなケースは見られませんでした」


 瑞穂に応じた夏端の言葉を、補足する琴樹奈織。今年入社した新人で田込の指導下に置かれている彼女は、パソコン音痴の田込の補佐役を務めることで、情報の整理分析役として頭角を現してきている。


「それに今回は、甲栢こうはく組といっ桟会さんかいの対立の件もありますし。確か先週だけでも十件近くの発砲事件があったはずです」


 思わぬ成長ぶりを見せている後輩に張り合うように、宏美も慌てて発言する。1960年代の『頂上決戦』で警察が敗北したために暴力団が強い影響力を保持している日本でも、確かにこれだけの発砲沙汰が頻発する事態は珍しい。もしも『新潟代理戦争』のような大規模抗争に発展すれば、再開発計画に重大な影響を与えることになるが――


「そりゃ逆だぜ、ヒロちゃん。再開発計画がゴタゴタしてっから、計画のケツ持ちしてた甲栢組がゴネだしたんだ。それに抗争のほうは、もう決着が付いてるはずだぜ」

「えっ、ホントですか⁉」

「ああ。確か、あー……奈織!」

「本日の午前十一時から駅前のホテルで、甲栢組と一桟会の手打ち式が予定されています」


 田込の指示を受けた奈織が素早くパソコンを操作、事前に纏められていたのだろう情報を読み上げる。


「一桟会の上部組織である柴佳しばよし組若頭が仲介人なので、式が流れる可能性はほぼ無いかと」

「だとすると、抗争リスクはかなり低くなるか――さすが田込さん、情報が早いね」

「チョイと、昔のツテを辿ったからな」


 目を丸くする宏美を傍目に、やり取りを交わす田込と夏端。他の所員たちも皆、それを当たり前のように受け止めていて、取り残された感のある宏美は小さくしょぼくれた。

 所長の右腕である夏端や切れ者として評判高い瑞穂は言わずもがな、光澤こよみ・こよりにしても、ペアを組めば二人で仕事を回すだけの力量は持っている。調査ノウハウと裏社会へのツテを備えた田込は替えようの無い人材だし、彼を補佐する奈織もデータの整理分析役として研究所へ十全に貢献している。それに比べてわたしは、と考え、実島宏美は再び溜息。何か特別に秀でた点があるわけじゃないし、普段の仕事も周りの足を引っ張っている半人前。指導を受けているミズさんの調子が最近悪いのも、わたしが足手まといになってるせいかもしれなくて――まあそれでもと、宏美は空いている事務机へと目を向ける。

 第四チームの最後の一人、まだ出社していないかり郁人いくと。あんなチンピラ男には負けたくないと考えて、


「……そういえば、苅野さんは今日お休みですか?」

「いや、あいつは現場に直行させた」


 首を傾げた宏美に、夏端が答えた。


「現場って、今朝報告した事故現場か?」

「うん、そうだよ」


 怪訝気な表情の田込に、夏端があっさりと頷く。


「今朝、何かあったんですか?」


 二人のやり取りの意味を解せぬ所員たちを、代表して宏美が問うた。


「声掛けといた刑事時代の後輩から早朝に連絡が入ってよ。重機事故に似た感じの騒動が昨夜また起こったらしいって知らせてくれたんで、玲冶さんにゃ報告しといたんだ」


 夏端に促された田込が経緯を説明する。それで事故の発生場所は、とパソコン上で示そうとして――カチャカチャ、ポチポチ、とマウスとキーボードを、カチャポチカチャポチ、カチャポチポチ、繰り返し執拗に弄って、


「ありゃ、これで、ええと、りゃりゃりゃりゃ、こなくそ、」

「……無理をしないでください」


 小さく肩を竦めた奈織が、田込の机に駆け寄った。

 ポチポチ、ポチリと、たった数クリックの操作で奈織が自席に戻った後、自慢気あるいは照れ臭気に田込がパソコンを皆に示す。いつも通りのそのやり取りには誰も反応を示さずに、ただ表示された地図上で矢印が示している場所に、宏美がアラと声を上げた。


「どうかしたのか?」

「あ、いえ。借りてるマンションの近くだったので。ミズさん、これってちょうど昨日分かれた辺りでしたよね」


 胸中の驚きをそのまま表出する宏美に、けれど瑞穂は浮かない顔で、そうね、と曖昧に頷くのみ。彼女の落ち着いた反応と自身の浮き立ちを比較して、宏美は頬を赤く染める。


「なあ玲冶さん。事故が新たに起きたっても、俺たちがそいつを分析できるのは警察が事故原因をきちんと発表した後だ。いきなり苅野の奴を現場にやるのは、早急すぎるんじゃねえか?」


 先ほどからの怪訝気な態度で疑問を示した田込に、夏端は首を横に振る。


「いや、今日からは調査方法自体を少し変える。詳しくは――」

「私から説明するわ」


 まるで出番待ちしていたかのような絶好タイミングで、オフィス入口の扉が開かれた。


「へ……って、所長⁉」「汐瑠間さん!」「遅いですよ、理絵さん」


 驚きあがる所員の言葉に、夏端の呆れ声が混じる。


「ごめんごめん、チョイ迷った」


 入室した女性は腰まで伸びた髪を颯爽となびかせて、いつの間にか脱いでいたコートを放るように夏端へ手渡す。


 自分がこの場の中心だという自覚に基づいた自己演出。

 そんな振る舞いが、此処で許されるのはただ一人――三年前、当時三十代にして調査研究所をヨツバ生命『予備調査室』から独立させたオーナー所長、汐瑠間理絵である。

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