4-1

 瑞穂が小さくため息をつき、ハンドバックを取りに道を引き返したちょうどそのころ、彼女から数区画はなれた路地に、一人の少女が顔をのぞかせた。きょろきょろと左右を確認し、人がいないのを確認。電柱裏に施してあった術式迷彩を解除する。隠してあったリュックサックから黒のウィンドブレーカーを取り出して、セーターにジーパンという動きやすさ重視の服装に羽織る。


「ねえブル、まだ来てないのかな?」

「いや、いるぜ」


 被っていたキャスケット帽を小脇に抱えて心配そうに言った彼女に、答えたのは抱えられたキャスケット帽。


「ほら、あそこだ」

「あ、ホントだ!」


 少女の顔が、ほころぶ。彼女の視線の先にあるのは、夜闇の中をふわふわと浮かぶ数個の光。予備知識がなければ人魂にしか見えないだろうその正体が、人ではなく狐であることを彼女たちは知っている。しばしじゃれあっていた怪光は突如忠実な飼い犬のごとく、地面に置かれた竹管に殺到。光が収まった管を、巫女装束の少女が大切そうに取り上げる。管を懐にそっとしまい、周囲を心細げに見回した彼女は、


「ミナ!」


 と背後から掛けられた声に、文字どおり小さく跳びあがった。


「ひゃぃッ――……え、ぇぇえ? ――――――きゃっ!」


 跳びあがった、だけならまだよかったのであるが、着地の拍子に巫女衣裳の袴を踏んで、躓き、そのまま倒れこむ。


「……ミナ姉、大丈夫?」

「は……はい」

 地面に打ち付けた顔をあげ、巫女装束の少女――柿崎かきざき美那みなは気丈に応じる……が、その目元は微かに涙ぐんでいる。


「ったく、だらしねぇ」

「ブル!」


 呆れたようにため息をついた自身の含思型魔力増幅器を、ウィンドブレーカーを羽織った少女――町村きりが叱り付ける。けれども当の美那本人は、


「いいんです、事実ですから」


 と、赤く腫らした鼻を擦りつつ、むしろ申し訳なさそうに言う。


「ごめんなさい、こんなことで大声上げちゃって。それにさっきも、憑依獣のほかに高位呪術者が二人もいたのに全然気付けなかったなんて……」

「もー、それはお互い様でしょ。他にも呪術者がいる可能性なんてこと、私もブルもこれっぽっちも考えてなかったんだから」


 目に浮かんだ涙をそっと拭う美那を睨みつつ、霧絵は頬をプウと膨らませた。


「そうやってすぐ謝るのは、ミナ姉の悪い癖だよ」

「ご、ごめんなさい」

「カッカカ、まーた謝ってやがる」

「――あッ!」


 慌てて口元を押さえる美那に、おかしそうに笑い声を立てる増幅器ブル。彼を頭に被った霧絵も、しかめっ面に笑顔を混じらせる。自分より五つも年上の、近所のお姉さん――にもかかわらずどこか頼りなさげな柿崎美那という人間が、霧絵もまた嫌いではない。それに彼女は頼りなさげであっても、頼りにならないわけではない。先ほどのも含めたここ一週間ほどの経験で、霧絵はそれを知っていた。



 美那の様子がおかしいことに霧絵が気付いたのは、先週の日曜日。彼女の家でもある稲荷神社に遊びに行ったときのことだ。はじめは誤魔化そうとした美那だったが生来の迂闊なところを霧絵に付け込まれ、自分が関与しているコトの全容を白状。その内容は――オカルト好きのクラスメイトによって偶然喚び出された「ナニカ」が教師や生徒に取り憑いたという、学校で発生する呪術トラブルとしてはごくありふれたものだった。

 喚び出された「モノ」の数は全部で十三、うち三つは既に封印済み……美那の話を聞いて手伝いを申し出た当初、霧絵もこれをよくある簡単な事件だと考えていた。それが間違いだと気付いたのは翌日の夜、教師に憑いた「ナニカ」が顕現した瞬間だった。

 その時、霧絵は足がすくんだ。気圧され、震え、自分の身体が石と化したかと思った。現世に認識を固定化させた憑獣の存在は、それほどまでに彼女のことを圧倒した。

 一歩も動けなくなった霧絵が自分自身を取り戻せたのは、間違いなく一緒にいた美那のせいだった。彼女はいつもと少しも変わることなく、守護霊に挨拶するときと同様の手際で術式を形成し、発動させた。彼女の度胸に唖然とした霧絵は、しかし次の瞬間、真実を把握した。

 美那はただ、理解わかっていないだけだった。自分たちが置かれた立場がどれだけ危険なものなのか、自分たちが対峙しているバケモノがどれだけ異常なものなのか、そして当然、バケモノに気圧けおされた霧絵が恐怖で動けなくなっていることにも、美那は気付いていなかった。想像を絶する美那の鈍さに思わず溜め息をついた霧絵は、呆れで恐怖を忘れかけている自分に気付き、次いで憑獣に怯えるのが馬鹿らしくなった。だから昔は母親が使っていたという含思型魔力増幅器を頭に被り、記憶されていた気創闘衣を転送した。

 増幅器により強化された霧絵の光弾、美那の使役する管狐たち、そして増幅器ブルによる、戦闘指揮。これら三つの組み合わせは、圧倒的に思えた憑獣によってすら、打ち破ることは不可能だった。容易だったとは決していえないが、霧絵たちは顕現体を調伏し、その大元である「ナニカ」の封印もやり遂げた。その後も三つの憑物の封印に成功し、残っているのは今夜のものを含めて六つ――つまり喚び出されたものの半分以上を、処理し終えたことになる。


 だがこの現状を、霧絵は決して楽観していなかった。根拠は、自分が関わった四体の憑獣の調伏過程。戦闘経験の豊富なブルによれば、自分たちの手際は数をこなすごとにあがっている。にもかかわらず、調伏の難度に変化は無い。それが示唆するのは憑獣の能力自体が時とともに上昇している可能性であるが、偶然に喚び出された憑獣がそのような性質を持つことは考え難い。

 自分たちが相手取っている憑獣を、強化操作しているものがいるかもしれない。『憑獣が偶然喚び出された』というのも、そのものの偽装である可能性が高い。では、なぜ偽装する必要があったのか? もし憑獣の召喚者が愉快犯であるとすれば、その目的――大きな騒ぎを起こして目立つ――と偽装という行為は矛盾する。召喚者の行動に合理性が生じるのは、憑獣召喚が単なる手段に過ぎない場合。つまり手段を用いて追求すべき目的が、別個に存在している場合だ。

 霧絵の考えていることが事実だとすれば、これは少女二人と増幅器一台が担える範疇を明らかに超えている。あれだけ強力な憑獣の、召喚を偽装してまで隠す必要のある目的。そんなの、ろくでもない代物に決まっている。常識的に考えれば、大人にまかせるのが一番いい方法だ。普通なら信じてもらえそうもない話でも、霧絵なら相談先に困ることはない。彼女の母親は警魔庁職員、こういった件の専門家だ。だが逆にその事実こそが、霧絵が事件を抱え込む理由となっていた。

 ただでさえ忙しい母の仕事を、これ以上増やしたくない。それが独り善がりではた迷惑な思いやりだということは分かっている。このまま憑獣と対峙し続けることがどれだけ危険なのかも、理解しているつもりだ。それでも霧絵は母親に、事件のことを話さないことにした。自分たちだけで、事件を解決すると決めた。

 もしも事件に対するのが自分だけだったら、決めることはできなかったと思う。ひとりでどんなに足掻いても、絶対どうにもならないから。でも、自分ひとりじゃ絶対ダメでも、それでもミナ姉と一緒なら――きっと、なんとかなるような気がする。

 ミナ姉なら、絶対なんとかしてくれると、何の根拠もないことを自覚しつつもそう思う。自分は、彼女に頼りきっている。彼女によって守られている。はじめに『手伝い』を申し出たのは自分のほうであるはずなのに、いつの間にか町村霧絵は柿崎美那に依存している。それでもいいのかもしれないという思いが自分の中に在ることを、霧絵は戸惑いながらもいつの間にか受け入れていた。

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