第3話 彼の執着

 ポケットを探り、鍵を手に取った僕は鍵穴に差し込んだ。艶やかな木の玄関が僕を出迎える。セキュリティの欠片もない前時代的な施錠だ。そろそろ買い替えるかとも思うけれどけれど、この家には盗めそうな物も何もない。そもそもこの第五層ではこのようなセキュリティの家も多い。事件など起こらない長閑な場所なのだ。

 その鈴本春一の趣味で、この家は日本家屋をモチーフとした造りとなっている。ぎしりぎしりと踏むたびに丁寧に軋む床を通り、僕は真っすぐに風呂場へと向かった。途中で替えの服とタオルを引き出しから取ってくるのも忘れない。

 隙間風が吹き抜ける脱衣所で服を脱ぎ、風呂場へと足を踏み入れる。この時代には珍しく五右衛門風呂があるのだが、残念ながらここに来てから僕は一度も使っていない。対してシャワーのノズルは真っ白で現代風なので、昔ながらの趣があるお風呂場の中で妙な主張をしており、少し不自然に思える。タイル上に僅かに残った水が冷え切っていて、僕は思わず竦み上がった。すぐに熱いシャワーを頭からふりかける。

 シャワーを浴びながらふと、どうしてこんな場所に家を建てたのだろうと疑問に思った。確かにここは自然に囲まれていて空気も良い。だけれど何故ここまで第一層ではなく、この自然・農耕エリアに位置する第五層にこだわったのだろうか。シャンプーで頭を洗いながら僕は考えた。

 聞くところによれば、鈴本春一は「箱庭計画」を提唱しそれが実行に移され落ち着いた後、ここで余生を過ごしたらしい。野山を巡り、植物や野生動物、風景などをスケッチしていたのだと言う。彼の描いたものは、数百にも及びそのいくつかはこの家にまだ残っている。確かに第一層でずっと暮らしていれば、この第五層にあるすべてのものが珍しく見えるだろうけれど、彼は地上で暮らしたこともあるのでそういったものを目にする機会は何度かあったであろう。

 彼はここに執着した。そしてこの地下世界を「箱庭の楽園」とまで言った。

 僕が温室で使っていた実験器具のいくつかは昔からこの家にあったもので、彼以降この場所を研究室のように扱った人物はいないから、彼のものであると特定できる。彼はこの場所でもまた研究紛いのことをしていたのだ。

 彼には第一層で過ごすという選択もそこにはあったはずだ。ここよりも遥かに良い実験器具に恵まれているし、何より第一層での生活を手放す理由が分からない。あの階層は、太陽の光を浴びることが出来る唯一の階層で、彼の生きた時代にもそこで暮らすことにはそれなりの値打ちがあったはずなのだ。だけれど彼はそれを拒んだ。どうしてなのだろうか。どうして彼は、ここで余生を過ごしたのか。何もかもが人の手で形作られたこの場所をなぜ楽園とまで言い切ったのか。

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