一幕:鬼さんこちら


 夏の暑い時期のことだ。辺りで所関わらずセミが鳴き喚き、少しでも刺激を与えようものなら羽音をぶんぶん言わせながら顔面に向かって飛んでくる、そんな頃のことだった。

「……あっちー」

 最高気温31度、湿度は60パーセントをゆうに超える。これだから日本の夏は嫌いだ、と僕は独り言つ。汗を拭い、ひたすら坂道を自転車で上る僕は今年高校二年生になる。そして僕は人には大っぴらには言えない秘密がある。それはいつから出来たことなのかは分からない。しかし僕が物心つくころにはもう、周りには存在していた。僕自身、それは誰にでも出来るものだと思って疑わなかったのだが、小学校低学年の時だったかに気が付いてしまったのだ。あそこにお侍さんがいるね、血にまみれて怖いなあ。何言ってるの、何もいないのに。といった具合に露見してしまった。そう、僕は俗にいう“幽霊”を見ることが出来るのだ。

 ただそこに居るだけの幽霊ならば問題ない。しかしたまに彼らの中には生きている人間、此岸側に居る者を彼岸側に誘おうとする者もいる。大抵の者は誘われないが、心に闇を抱えていたりこの世に飽き飽きしていたりする者はたまに誘われてしまうこともある。幽霊が見えるせいなのかは分からないけれど、僕はそんな場面に数多く遭遇してきた。本当に不本意だけれど。

 そのことは置いておいて、僕がどうして汗水を垂らしてこの坂道を上っているのかと言えば、その小学校の時にポロリと言ってしまった友達に肝試し兼百物語しようぜ、と誘われたからである。もちろん彼の誘いを最初は断った。幽霊を見ることが出来る僕にとって肝試しや百物語など自殺行為だ。そんな場所に望んで行くほど僕は馬鹿な頭をしていない。しかし彼も諦めなかった。もし来なかったらお前がたまに授業サボって保健室に行ってることお前の父親にばらすぞ、と脅されたのだ。本当になぜか分からないが、彼とうちの父親は仲がとても良い。そして父さんは学業関係となると非常に口うるさくなる。バレたら面倒なことになるぞ、と本能的に察知した僕は渋々了承したというわけだ。神崎許さん。

「そもそもっ、お墓行くとかっ、罰当たりすぎるッ」

 この先の山の上にはお寺、――神崎のおじいちゃんが住職をしている、がある。最近はめっきり減ったがお寺の掃除をよく頼まれていた。神崎からおじいちゃんの腰が悪くなったと聞いていたので、まあそれも兼ねての肝試しや百物語なのだろう。ちょうどお盆も近いし、あの広大なお寺を掃除するのは大変なのは身に染みて分かっている。

 黒のアスファルトが強烈な太陽光を反射していて、非常に熱い。ミンミンと煩く鳴くセミの音が鼓膜に突き刺さる。まだまだ頂上には距離がある。そして日影が極端に少ないのだ。このままじゃあ体力が保たない。そういえばもう少し行くとトンネルがあったはずだ。そこで少し休憩しよう、と熱で茹だった頭でぼんやり考える。

 ひたすら足を動かし、何度か汗を拭ったあたりでようやく例のトンネルについた。カーブ注意、速度を規制する看板が古めかしいコンクリートに張り付いている。入口に入ったあたりから風が涼しい。僕は自転車をいったん降り、大きく息を吸う。喉に冷たい空気が当たって気持ちいい。壁に沿って背をつけていると、遠くの方でぼんやりとした白い人影が揺れたのが見えた。誰かいるのだろうか。そんな疑問を持ちながら、僕は奥へと進んでゆく。

 トンネルの内部には少しの電灯があるだけで、普段車通りも滅多にないことからとても静かだった。暗闇に慣れた目が、徐々に近づいていく人影を捕える。ボブで黒髪の女の子。夏らしいワンピースを着て両手を後ろで交差した女の子は、僕が近づいてくるのを見ると瞳を輝かせた。

「こんなところでどうしたの? 迷子かな?」

 女の子の所まであと五メートルといったところか。僕がそう切り出すと女の子は楽しそうに笑いながら駆けだした。おいおい鬼ごっこをしているわけじゃないんだぞ、と僕は自転車を引きずってその女の子を追った。というのもこの山は地形的に迷いやすく、過去に何度かこの女の子のような年頃の子が迷ってしまったという事件があるのだ。鬱蒼と茂る山林が視界や足を邪魔する。子供の体力はそれほど無い。それに加えてこの女の子は水筒などを持ってきていないようだ。もし迷ったならすぐに衰弱してしまうだろう。しかもこの年頃の子がこんな所に一人でいるのはおかしい。きっと親とはぐれてしまったのだ。きっと彼女の親も心配しているだろう、送り届けるか連絡をしなければ、という妙なお節介心が僕にはあった。

 トンネルの出口が見えてきた。女の子がそのほど近くでにこにこ微笑みながら待っている。もう少しだ、トンネルを抜けるとむわり、と夏の青っぽい草の匂いと熱気が体を包み込んだ。

 ああ眩しい、太陽の光を片手で遮る。同じ日の中に立ち、再び彼女を見て僕はようやく理解した。大音量で鳴き喚くセミの音がずっと遠くで鳴っているような感覚にとらわれる。夏の溶けるような暑さも感じない。今僕は確かに、外界から固く拒絶されている気がした。

 不自然にそこだけ真新しいガードレール。そこにはまだ萎れていない花や封がなされたままのお菓子が丁寧に供えてある。そしてそこに佇む彼女は半透明で、先が透けて見えた。

 彼女は僕の腕を引っ掴み、ガードレールの方へ向かう。もちろん実体などないのだから、本当の意味で持つことは出来ないのだけれど。それで彼女の気が晴れるのなら、と僕はついていった。確か数年前にここで事故があったと不意に思い出す。変則的なカーブのこの場所で、ドライバーは安全確認を怠ってガードレールに衝突。ドライバーは無事だったものの、同車の助手席に座っていた七歳の女児は死亡。ニュースでは即死であったと言っていた。

 女の子は僕の袖を引っ張り、その崖の下を眺め見る。ここだよ、こことでも言うように指さす。そして手を筒状にして、まるで秘め事を言うかのように恥ずかしげにその言葉を囁いたのだ。ねえ、一緒にいこう、と。

僕はその切り立った崖を再び見る。剥き出しの岩肌に、細長い木や背の低い木が所々生えている。一瞬吸い込まれそうになるも、はっと我に返り首を横に振る。

「ごめんね、君とは一緒にいけないんだ」

 最後に、半透明な彼女の頭を撫でて僕は自転車に跨る。一気に夏の煩さがぶり返してきた。感覚が戻って、ああ生きている、僕はそう素直に思えた。

 次のカーブに差し掛かる、その時ちらりと後ろを見てみた。その空間には不自然に新しいガードレールと、花とお菓子があるだけ。あの白いワンピースの女の子は忽然と消えていた。


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