第3話『覚めない夢』

「ごめんなさい。誰が悪いわけじゃないの」


私が、弱いだけなの。


そう言って彼女は短くなって跳ねた茶髪をそっと撫でて、刀を手に取った。


『魔剣』

優しいの矢の鏃からできた刃を持つ一族に伝わるその武器は時代とともに姿を変えた。

鏃から魔剣へ、断頭台の刃へ、妖刀へ。

その刃は痛みを感じるまもなく死を与える。




「……ごめんなさい」


俺は死を覚悟して目を閉じる。しかしいつまでも死は訪れない。


恐る恐る目を開けると目の前には死に身をゆだねた彼女の姿。その首筋はメスによって切り裂かれて血を辺りに撒き散らしている。


「どうして……」



変わり果てた彼女の姿に口元を抑えて目を背けた。

どうしてなんだ。

死にたかったのは俺だ。

俺なのに!


「クソッ!」


拳を握って、地面を殴りつけた。


「なんてつまらない結末だろうねえ」


その広間に響く男の声。

彼こそが彼女を殺した張本人だった。


「なんで、殺した」


「呪いを無くした彼女に価値は無いだろう?」


さあ、君の望みを叶えてあげようか。と男が俺に笑いかける。



彼はこの場の主だった。

人々が神と仰ぐその人が、今の俺には悪魔のように見える。俺の希望は最初から一つだけ。


「俺よりも彼女に生きて欲しかった」


男の実験と称した殺し合いのゲームはこうして幕を閉じた。













鳴り響くチャイムは定時を指す。


「……お先に失礼します」


「お疲れ様です、鎖薙先生」


俺は荷物をまとめ、帰路をたどる。


自室の机の上に置かれた古ぼけた木箱のオルゴール。

蓋を開けば、所々音の飛んだジムノペディがのんびりと流れてくる。


『生き残れた君へのご褒美だよ』


あの男が俺に渡したのは、アイツお得意の夢を操る魔術だった。目を閉じてジムノペディに耳を傾けて、夢の世界へと堕ちていく。


夢の中に、1件の喫茶店がある。

人気のない通りの、目立たない喫茶店。


そこに彼女はいきている。

全くの別人として、生きている。


カランコロンと鳴ったドアベルに彼女が駆け寄ってきて、俺を見つめる。

赤いバンダナの下には短くなって跳ねた茶髪が覗く。

彼女は何も変わっていない。

無邪気に笑うその顔が俺は大好きだった。


「いらっしゃいませ、幸登さん」


「いつもの、お願いします」


「かしこまりました」


注文をして彼女の良く見える席を選んで、彼女の仕事を見ている。

店内に流れるBGMは所々音の飛んだジムノペディ。


やがて運ばれてくるのはいつもショートケーキと真っ赤な紅茶だった。


それを運ぶ彼女の首筋には、真っ黒な彼岸花の所有印。

名前を奪い。記憶を糧として生かすその姿をもはや人とは呼ばない。吸血鬼の眷属。


そう、彼女は……俺の記憶を糧に生きる人形。




「ココロさん」


「はい」


「こっちにおいで」


この夢は永久に覚めない。

彼女は今日も夢の中で生き続ける。


「名前を奪い支配する。その名前を返してはいけないよ。返せば彼女はすぐにでも朽ち果ててしまうだろうからね」


男はそう言って笑った。

昔の呪いと同じで、名前を奪って支配する。それが眷属を作る呪い。アイツはこの街を嫌うくせに、魔術はこの街のやり方を使う。




「ココロさん、ほら口開けて?」



『ほら、口開けて?』

実家の近くに生えている甘いイチゴのキャンディを隣に座る彼女の口に運ぶのが俺の昔からの癖だった事を思いだす。


目を少し見開いて、彼女がぎこちなく首を傾げる。

その瞳の光が次第に増して、所有印が薄れた。


「…違う…私の名前は、」


「君はココロだよ」


ショートケーキの上の真っ赤な苺をフォークに刺して、彼女の口に放り込む。

危なかった。


「……甘い」


彼女が頬を染めて、小さくそう呟いて微笑む。


「本当に?」


微笑みかえして、俺は彼女に口付ける。

甘酸っぱくて甘い苺の味は何年経っても変わらない。


ただ、少しずつBGMのジムノペディの音が飛んで歪んでいる。


あの悪魔のような彼が帰ってきたら、直してくれるだろうか?


どうかこのままジムノペディが止まりませんように。

彼女が、消えてしまいませんように。

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