第4話 VS派遣社員の長谷川さん

「はぁ……はぁ、はっ、シ、シルヴィア! あいつらどうにかしてくれよ! 何だってんだ……っ!」


タツヒコが叫ぶ。 今、シルヴィア達は警察数人に追われている。 あのシルヴィアの大規模な技が原因で通報されたらしかった。

初めは応戦していたが、応援を呼ばれた為これ以上時間は割けないとの事で逃走を図ったのだった。


「……もう息切れ? だらしないなぁタツヒコ君は」


タツヒコは息を切らしながら走っているというのにシルヴィアは息切れの一つも見せずに走っていた。一体どこにそんなスタミナがあるのか謎だった。


「……ま、確かに警察は鬱陶しいね。どれ、処理をしてあげよう。 "クラウディア"」


シルヴィアが警察の方に振り向くと、右手を空高く上げ、一瞬の間を置いて横に薙いだ。

すると、地面に巨大な魔法陣が出現し、発光し始めた。地を揺るがす巨大な咆哮と共に現れたのは規格外の巨軀を持ったケロベロスだった。 三つ頭のソレは涎を撒き散らしながら頭を振り回し、口々に吠え始める。

吠える度に大気をビリビリと震わす。


「うわぁ!?」


「何だこの化け物はっ!?」


警察達も初めて見る得体の知れない化け物に恐れをなし怯えていた。 しかし腰を引かしながらも懐から銃を取り出し数発発砲する。

が、巨大な爪で弾き飛ばされ、発砲した警察の横に着弾する。


「ひっ!! うわあああああああ!!」


尻餅をつき、真昼間だというのに影で覆われる。見上げると、涎を滝のように垂らしながら山のような大きさのケロベロスがいた。

警察の一人は恐怖のあまり絶叫し、失禁した。


「あ〜あ……あの人失禁しちゃったよ。ま、無理もないかもね。 五メートルもある三つ頭のケロベロスが自分を捕食しようってんだから」


シルヴィアが足を止めて楽しむように様子を見る。ふと、ケロベロスがシルヴィアの方を見やる。シルヴィアは合図のように片手を軽く上げた。それを確認したケロベロスは腕を振り上げるとその巨大な爪で警察官の上半身を抉るように切り裂いた。血肉が辺りに散りばり、同時に血溜まりが出来た。


「なっ……」


「タツヒコ君、もう一度言うけど君の甘い考えは捨てた方が良い。これは勝負じゃない───殺し合いだ。だから温情も同情も情けも必要ない。その辺を理解しないと次に死ぬのは君だよ」


それにどうしかしてくれと頼んだのは君だよ、と付け足すシルヴィア。 タツヒコはシルヴィアの言葉に何も言い返せず、俯いていた。

シルヴィアの視界の端に、逃げていく警察官達が映る。シルヴィアはそれを一瞥した後、ケロベロスに手を出して合図を送る。


「また応援を呼ばれたら面倒だな……きっちり始末しておかないと……。長谷川さん以外はあまり強くないって聞いてるしなぁ」


警察官の断末魔と銃声が木霊する中、シルヴィアはその光景を楽しむように見つめながら呟く。


「なぁ……お前さっきクラウディアって言ってたけどまさかアレがクラウディアさんなんて言わねーよな?」


タツヒコが震える指で警察官を蹂躙するケロベロスを指しながらシルヴィアに問い掛ける。その問いにシルヴィアは一瞬、間の抜けた顔をしたがすぐに笑顔をタツヒコに向けてきた。


「んー、流石に鋭いね。そのまさかだよ」


「いぃっ!?」


シルヴィアの即答に驚きを隠せず、少しオーバー気味にリアクションをとる。シルヴィアはタツヒコの反応が新鮮なのかクスクスと笑って言葉を続けた。


「あはは。何その反応? まぁ面白いから良いんだけど。 さて、もうそろそろ良いかな……クラウディア!!」


シルヴィアが呼びかけるとケロベロス、クラウディアが跳躍をしてシルヴィア達の元へ来た。着地の衝撃で地面がグラつき、ヒビ割れが起きる。クラウディアはシルヴィアの顔をひたすら舐めており、シルヴィアもくすぐったそうにしていた。


「ちょっとクラウディア、やめなって……あはは、……えい!」


「あ……シ、シルヴィア様……!」


とシルヴィアと抱き合う形でメイド服姿のクラウディアが現れた。クラウディアはその事に気がつくとすぐさまシルヴィアの身体から離れた。若干顔を赤らめて挙動不審だった。

シルヴィアは嘆息すると腰に手を当てながらクラウディアを一瞥する。


「お疲れクラウディア。 わざわざ召喚させてごめんね? あといつもの口調で良いよ」


「あ……ならそうさせてもらおうかな。

もう、シルちゃんの馬鹿! 人化ならまだしも何でケロベロスにするのよ〜!」


クラウディアが可愛らしい動作でシルヴィアをポコポコ殴っていた。


「分かった分かった! 落ち着こうクラウディア。ごめんごめん〜」


当分シルヴィア一行はそこから動けなかった。



「さて、あそこの馬鹿でかい建物のすぐ真ん前に人影が見えるね……恐らく派遣社員の長谷川さんだろう。じゃ、行こうか」


「……ん? 何だお前ら」


スーツを着て、短めに整えられた髪型に、吊り目が特徴的な中年の男性は、突如現れたシルヴィア達に大した反応は見せないものの、明らかに警戒してるようだった。


「あなたが派遣社員の長谷川さんで宜しいですね? 唐突で申し訳ないが、あなたの実力を測らせてもらう!」


シルヴィアが一歩前に進み、長谷川にそう宣言する。長谷川は何かを察したのか落ち着いた口調でこう言った。


「……そうか。お前らが異世界から来た奴らか。 情報は届いてるぜ。 魔王シルヴィアに勇者タツヒコ……とそこの女は見ないな」


「この子はクラウディア。私達の仲間よ」


クラウディアが長谷川に軽くお辞儀をする。

長谷川はマジマジと三人を見やると疲れ切ったような溜息をついた。


「俺は今、会社で派遣切りにあってな。

最高に絶望してるところなんだ。 お前らにも俺の絶望を味あわせてやる!」


長谷川から殺気が放たれ、赤色のオーラを纏う。それをいち早く察したシルヴィアとクラウディアはその場から離れ、タツヒコ一人が残された。


「はっ、はぁ!? ちょ、シルヴィア!? クラウディアさん!?」


「余所見してる暇はないぞガキィ!」


「うおっ!?」


不意打ち気味に放たれた右ストレートを上体を反らして回避する。しかし一撃で終わるはずもなく連続で放たれる。


「くっ……!」


何とか紙一重で躱し続けるタツヒコ。スーツ姿なのにやけに速い攻撃を放つ長谷川は、的確にタツヒコの顔面付近に狙いを定めていた。しかしタツヒコも負けじと躱し、カウンターで一瞬の隙を突いて鳩尾に肘を入れた。


「ぐおっ!? がはぁっ!!」


身体をくの字に曲げ、鳩尾に手を当てる。表情は苦悶に満ちていた。タツヒコは動きが止まった長谷川に追撃を掛けるように無防備の顔面に蹴りを浴びせた。骨の折れる嫌な感触がし、同時に夥しい量の血を鼻から噴き出し、長谷川は地面に背中から倒れる。


「唯の人間と俺じゃあ身体能力に差があり過ぎる。分かったろう? あんたじゃ俺には勝てない……長谷川さん」


それだけ言い残し、その場を立ち去ろうとするタツヒコだったが長谷川の指が微かに動いたのを見逃さなかった。


「く、くくく……唯の人間? あの主婦の能力を見て、何故唯の人間だと言い切れる? そして何故俺が能力を持っていないと言い切れる? 知らないのなら教えてやる……この世界は能力者を集めた世界……そして能力はその人間の職業や人柄に大きく左右される。

言いたい事は分かるな?」


ユラリ、と立ち上がった長谷川がひしゃげた鼻から血を垂れ流しながら薄笑いを浮かべてタツヒコに言い放った。タツヒコは剣を顕現させるとしっかりと握り締める。


「俺らはただの人間じゃない! 少し特殊能力を使える存在なんだよ! こっからが本番だ!」


長谷川も剣を出現させるとタツヒコに斬りかかる。 長谷川は考える時間を与えさせない為に先程と同じように猛攻を仕掛ける。タツヒコもその猛攻を防ぎきる。 お互いの剣が交わるたびに金属音が響き渡る。


「おおおおおおおおおお!!!」


長谷川の咆哮が轟き、今まで一番強力な攻撃がタツヒコの剣を折らんばかりに軋ませる。


「ぐっ、 くっ……!」


タツヒコは今の衝撃で両腕が痺れてしまい、上手く力が入らなかった。


「これで終わりだ勇者タツヒコ!! 絶望を味わえ!! "能力・派遣斬り"!!」


長谷川が叫び、剣を振り上げるとタツヒコの右腕を掠めるように斬った。右腕がほんの少し切れ、血が滲んでいた。 わざと掠めるように斬ったのか分からないが長谷川は斬った後はタツヒコを観察していた。

タツヒコは目を見開きながらその場で静止していた。


「う……ぐっ、き、貴様、一体俺の身体に何を……」


と絞り出すような声量で視線を長谷川に向けながら言葉を吐き出す。長谷川は勝ち誇ったように口角を吊り上げた。


「俺の能力、派遣斬りは俺が今まで体験してきた負の感情を切り口から流し込んで相手の動きを止める、もしくは遅くする……その様子だと動けないらしい。頭の中が負の感情で一杯一杯だろ? こうなったらもう俺の勝ちだ!! おらぁ!」


そう言い終わると無防備のタツヒコの顔面を思い切り殴りつけた。防御も儘ならないタツヒコは無様にも吹っ飛ばされ、ビルに背中から叩きつけられた。


「ごっ!? ぐぅ、身体が……くそっ!」


タツヒコは身体を動かそうにも指が微かに動くだけで他は全く動かなかった。長谷川がゆっくりとタツヒコとの距離を詰めていく。


「そこまでよ。 だらしないなぁタツヒコ君は……。せめて気絶くらいさせてくれるのかと思ってたんだけどなぁ。 さて長谷川さん、次は私と相手をしてくれるかしら?」


タイミングを見計らったかのようにシルヴィアがタツヒコと長谷川の間に割って入り、長谷川に微笑みかけながら現れた。


「ぐっ……シルヴィア、気を付けろ、そいつは」


「大丈夫。全部話は聞いてたから。全く、ベラベラ能力の事喋ってくれるのは良いんだけど、自分の手の内明かしてどうするのよ」


シルヴィアが呆れたように肩を竦めてみせる。その態度が癪に障ったのか長谷川が斬り込んでくる。 斬り上げ、袈裟斬りを仕掛けるがシルヴィアは難なくそれらを躱す。


「良い斬り込みだ。 でも私を倒すにはまだまだだね。 あと、隙が多過ぎ……よっと!」


シルヴィアは長谷川の背後に回り込んで首筋に当て身を喰らわす。


「なっ……」


膝から崩れ落ちる長谷川にシルヴィアは瞬間移動をし、顔面に強烈な右ストーレートを喰らわした。それを喰らった長谷川は面白いように飛んで行き、勢いを殺す事なくビルに突っ込んだ。ビル全体が地震でも起こったかのように激しく揺れた。


「ぐっ……"能力・生命保険"」


砂塵が巻き上がる中、長谷川が呻くように言葉を発する。長谷川が一方踏み出そうとした瞬間、シルヴィアの細い腕が長谷川の胸倉を掴み、ビルの壁に勢い良く叩き付けた。


「がはぁ!!」


コンクリートの壁が陥没し、長谷川が吐血する。


「まだやるの? もう止めときなよ。絶望絶望言ってるけど、あなたのソレは絶望じゃない。ただの八つ当たりよ」


「なっ!? てめぇ……」


シルヴィアの言葉に怒りを露わにする長谷川だがシルヴィアの実力がこの短い時間で分かってしまった為、どうする事も出来なかった。


「本当に絶望してる人なら私達に殺してくれって言ってるかもね。絶望の中にほんの少しでも希望を見出せれるのなら諦めない事。

希望のある絶望はまだやり直せる……。そして今、私達はあなたを必要としている……私達の仲間になってくれないかしら?」


そう問いかけるシルヴィアに長谷川は観念したのか、項垂れる。そして次に口を開いた。


「ああ……お前の言う通りかも知れねぇな。まだ俺が絶望を口にするには早いのかもな。

お前らといた方が楽しそうだし、喜んでお前らの仲間になろう」


顔を上げた長谷川は今までで一番清々しい顔をしていた。


「よし決まり! 宜しくね長谷川さん!」


こうして一人、シルヴィアの元に仲間が増えたのであった。

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