#13 心臓の位置を、過たず(1)

 ゴッ!! と、連絡通路に鈍い衝撃音が響く。

 メイド服を纏った少女の足が――無人の床を踏み砕いた音だった。


 床材の粉塵が舞う中、空振りの格好になったマリーがバランスを崩す。全てを読み切って背後に回った古沢は、すかさずその襟首を掴もうとした。だがマリーは崩れるように斜め前へ転がり、僅差でそれを回避する。


 倒れた平塚姫妃を挟む形で、二人は間を取って睨み合う。


「………………流石、だね」

 数秒の沈黙を、先に破ったのはマリーだった。

 左手で胸元のフリルを苦しげにぎゅっと掴み、右手の甲で口元を押さえつけ、少女は半ば無理矢理に呼吸を落ち着けていく。


「ぶっちゃけ私らも、アンタのことは過小評価してたよ……『一般人』ぐらい、これで殺せると思ったんだけどね」

「殺しに来たんだな。俺を」


 古沢は確認するように、そうとだけ口に出した。

 それだけわかれば十分だった。物騒な奴にはとっとと退場してもらわねばなるまい――区の平和だ何だ以前に、特に死にたがりでもない一高校生の感覚として、古沢はもう殴ったほうが早いと瞬時に判断していた。しかし横たわる平塚の体が邪魔で、踏み出すタイミングを一瞬計りかねる。その隙へ滑り込ませるように、マリーがまた言葉を挟んできた。


「どうしてわかったの? 演技は上手い方だって、私よく言われるのに」


 息を切らしながらの台詞だったが、その表情は不適に笑っているようにも、単に引きつっているようにもとれた。

 平塚を踏んで突撃するわけにもいかないし、かといって彼女を避けてステップを踏めばそれだけタイムロスが出る。ここでは状況を動かせないと悟った古沢は、相手に隙が出るのを待つことにして言葉を返した。


「…………怪物にやられたと言っていたが、その時目の前にいた『そいつ』の特徴を、お前は一つも言わなかった。その目で見たとすれば、覚えていないはずもないのに――だ。見たところ怪物らしき痕跡もないしな」

「へえ……?」

「それにマリー・ルイーズ・ネッセルローデだったか。尋ねてもいないのに、あの場面でフルネームなんか普通は名乗らないだろう。どれもこれも怪しがられないようにという策だったんだろうが――役になり切れていないんだよ、お前は」

「ふーん、役にねえ」

「役だ」

「それもよく――言われる、にゃんっ!」


 奇妙な語尾と共にマリーは身を屈め、次の瞬間、古沢は目を疑った。


 彼女は古沢に向かって、勢いよく踏み込んだのだ――平塚の体を、踏みつけて。


 侮辱的な光景だった。軸足を平塚の左腕に乗せたまま、少女が右のローキックを放つ。古沢はそれを避けながらメイド服の襟に手をかけ、軸足を払いにかかる。だがマリーもすぐに右足を踏ん張り、古沢の学生服の襟を掴み返す。二人の殺意と敵意が、息の触れる距離でぶつかった。対峙はしかし、一秒も続かない。視線はマリーと合わせたまま、古沢がその右足を踏みつける。マリーの表情が苦痛に歪み、襟の拘束が一瞬緩む。それを振り払った勢いのままに、古沢はマリーの襟から手を離し、その肩を押した。マリーの右足は固定され、軸にした左足も不安定な足場にある。それゆえバランスがとれずに、マリーは目を見開いたまま後ろへ倒れる。


 あとはとどめを刺すため、古沢はそこに覆いかぶさるように身を屈めた。

 だが後頭部を打つ直前、少女は右手を床につき、腕をばねにして古沢にヘッドバットをぶつける。


 予想外の動きだった。鈍い音と痛みに眩む思考の中、何が起こったか正確に把握するのには時間がかかった。少女はなおも古沢を逆に押し倒そうとするが、半ば本能的に体を横に逸らして回避し、ヘッドバットで飛んだ学生帽を拾いながら改めて立ち上がる。なおも少女が爆発的な脚力をもって踏み込み、その手と足で古沢の全身を狙ってくる。腕を、脛を、顔を、腹を、ガードする度に腕が悲鳴を上げた。


 一度飛び退き、平塚を挟む位置で間合いを取りながら、古沢は呼吸を整える。


 右腕の力だけで自分の体重を受け止め、跳ね上げる――そんな芸当は、古沢にもできるまい。どんなに筋肉を駆使しても、さっきの動きは生身の人間には不可能だろう。それが中学生ぐらいの少女となればなおさらだ。


 となると、少なくとも腕――おそらくは脚にも、何かが仕込まれているはずだ。でなければ足を振り下ろした程度で、床は砕けない。


 背後に音を聞きながら、古沢は口を開いた。


「パワードスーツだな。それも極限までコンパクトに、関節の強化に特化したものだ」

「ご名答」


 メイド服の袖をまくりながら、マリーは不敵に笑って答える。そこには細い棒が二本、腕に沿うように貼りついていた。

 のっぺりした青白い光沢は、樹脂のものに見える。マリーは同じ色をした肘関節のパーツを動かしつつ、続けた。


「我らがシュテーンフェルト社の試作品だけどね。バッテリーを含めて軽量化、それでいて強力化に努めた新機構よ」

「どこだそれは…………まあそれはいい、バッテリーはそんなに軽くなったのか」

「そりゃもう、ここに貼っつけるだけでいいんだから! すごいでしょ? うちの社ならじきにシャープとか東芝なんかも手中に収めるわ」


 マリーはそう言って、スカートの上から右の内腿を指し示す。その得意気な笑顔は、いっそ戦闘のことも忘れてしまったかのようだった。シャープと東芝はシュテーンフェルトが手を下すまでもない経営状態なのだが、古沢は黙っておく。そこからマリーは「蛍光灯から戦闘機まで」がコンセプトというシュテーンフェルト社のプレゼンを始めたのだが、当然古沢はほとんど聞いていなかった。


 その隙を突くこともできたのだが、活気溢れるマリーの目線が一瞬後ろに流れたのを彼は見逃さない。後ろにがあるという証拠だ。

 そして。


「すでに最近ではNASAとかに技術協力しててね。シュテーンフェルトの目線はもう宇宙に向いてるのよ。小惑星探査から地球外生命体もそうだし、趣向を変えればアメリカの軍事衛星まで。特にアメリカのはすごいよ、その気になればレーザーで、モスクワを一瞬で」

「一ついいか」

「灰に……にゃ?」

「話が長い」


 不自然なんだよ、お前は――そう冷たく言い放って、古沢は半歩だけ右に動く。


 その瞬間、彼がもといた座標をバールがすり抜けた。


 バールの持ち主とマリーが一瞬虚を突かれる。だがもう遅かった。殺しの速度で放たれたバールは止まらない。鋭利な先端がマリーの胸部を軽く抉った。


「いっ……たああああああああぁぁぁぁぁぁ!?」

「は? 舞? 何で?」


 胸元を押さえてうずくまるメイド服の少女――本名は舞というらしい――を前に、バールを手にした青い長髪の少女は混乱を解けずにいた。


 彼女が着ていたのは勅使河原と同じ制服で、メイド服の少女との連携具合からしても全員都心テレビの関係者とみてよさそうだ――そんなことを分析しながらも、古沢は次の行動に出ていた。青の少女の懐に潜り込みつつバールを奪い取る。


 そこで我に返ったか、少女は慌ててバールを取り返そうと手を伸ばす。だが古沢は片手でその手を掴み、背負い込むように体を回転させてその体躯を投げ飛ばした。


 目がけるは、ようやく顔を上げたメイド服の少女。

 胸の傷を抑えつつも、舞という少女は機械の脚力で何とか後ずさってそれを回避する。青の少女が床に落ちるが、古沢はそれには目を向けなかった。


 必死の形相でなおも退こうとする彼女を、古沢はバールを投げるフェイントで牽制。一瞬だけ硬直した舞に、古沢は容赦なくバールを振り下ろした。


 スカート越しに、右内腿のバッテリーが砕ける。


 彼女にしてみれば、いきなり手足の関節を止められたに等しかった。稼動しなければ、パワードスーツもただの拘束具だ。

 飛びかかってくる青の少女をいなして、古沢は恐怖に顔を歪める舞の側頭部をがつんと蹴る。その一撃で、舞の意識は飛んだ。


 クラスメイトを足蹴にされた意趣返し――を狙ったつもりもなかったが。不自然に黒く煤けた上履きを見つつ、古沢は小さく息を吐く。明るい茶色だと思っていたのは、どうやら暗いオレンジだったようだ。


 しかしゆっくりしている暇などない。一方の青い少女は歯噛みしながら後退し、同時にスカートのポケットから何かを取り出し投擲する。咄嗟に手で払いのけるが、それはただの生徒手帳だった。しかしそのわずかなタイムロスを使い、青の少女は舞の足から一本、パワードスーツを構成していた樹脂の棒を一本取り外していた。


 一瞬の静寂の後――両者はどちらからともなく踏み込む。樹脂と金属が交差する鈍い音が響く。倒れている二人を踏まないように古沢が誘導しつつ、コンマ数秒の感覚で打ち合う。攻守も入り乱れてがっ、がっ、がっとくぐもった衝撃音が鳴り続ける。だがそれも、思わぬ形で中断された。


 鋼鉄の嵐。

 机と椅子をまとめてぐちゃぐちゃに放り投げた轟音が、廊下の奥から校舎を震わせたのだ。


 廊下で北宮と話していた時のものとは、比べ物にならない。鼓膜が千切れるほどの大音響に、さしもの古沢も思わず硬直した。

 このフロアで人がいるのは、待田と府中のいるあそこだけだ――そのはずだ。二人が戦いになるのは想定内だったが、ここまで大きな音が出るほどとはさすがに思っていない。

 音は数秒で止まったが、どう考えても向こうで異常事態が起こっている。


 ただ、今はこっちを片付けるのが先だ――古沢は何とか、そう思考を切り替える。根拠は薄いが、待田のことだ。大きな下手は踏まないに違いない。

 そして後ろを向いたまま固まっている青の少女の手から、古沢はバールを使って樹脂の棒を叩き落とす。


 少女はまたも、古沢によって我に返らされた。歯を食いしばりつつ何とか振り返る彼女だったが、その手が無意識に床の棒へ伸びてしまう。

 それが決定的だった。

 結果として中途半端な姿勢になった彼女の鳩尾目がけ、古沢は死なない程度の蹴りを叩き込んだ。少女の体躯が床を滑り、二度ほどバウンドしてぐったりと倒れる。


 咳き込む彼女に、古沢はバールを持ってなおも近付いた。

 だが青の少女はそれを見て、寝そべったままで両手を挙げた。


「……………………………………げほっ……いや、これ以上は、無理だ。げほっ、やめてくれ……………………死にたくは、ない」

 目を閉じてそう頼む彼女の声は、もはやぐったりとして、力のないものだった。

 古沢はバールを構えたまま、彼女を見下ろす。 そして彼は――


 ゆっくりとバールを、床に置いた。


 殺しに来た相手の命乞いを呑むのも妙な話ではあるが、そもそも古沢自身、人を殺せるほどには狂っていない。咳も演技ではないだろうし、このまま退いてくれるならそれに越したことはないのだ。

 それを薄目で見ながら、朦朧とした少女は続ける。


「…………待田に、げほ、メール、送っとけ。無事だ、ってな」

「どうしてだ。今か」

「今、だ。でないと、待田が……げほっ、止まらねえ。いいから送れ、…………死人が出る」

「……………………」

 先ほどの轟音が、知らず思い起こされる。

 あれさえなければ気にも留めない発言だったが、実際あの時、死人が出てもおかしくないような音が響いたのは事実だ。


 逡巡の末であったが、古沢はひとまず言うとおりに携帯を取り出し、簡潔にメールを送る。致命的な罠であるとも思えないし、送るだけなら何も損はないのだ。それで人命が救われるというならなおさらだ。

 ……何がどうなって人命が救われるのかはわからないが、それは後で確かめればいい。

 そうして古沢が携帯をしまったのを見ると、青の少女は脱力したように、


「そこの…………封筒、ちゃんと、取ってけよ?」

 そうとだけ言い残して、意識を手放した。


 封筒――というのは当然、平塚のそばに置いてあるものだろう。あながち罠でもなかったというわけだ。しかし、中身を確認している暇はない。学帽の位置を直しつつそれを拾い上げて、手を踏まれてもついに起きなかった平塚に目をやり、待田の様子を確かめるべく古沢は駆けようとした――だが、その足はそこで止まる。


 その行く手を阻むように。

 ピンク色のツインテール――――勅使河原亜莉沙が立っていたからだ。


 再び、戦場の空気がじわりと濃くなっていく。

 特徴的すぎるその髪型さえなければ、古沢はそれが勅使河原だとはわからなかったろう。それほどまでに彼女の瞳は暗かった。

 光のない双眸で古沢を刺し――全身から怒りを滲み出させていた。


 考えてみれば当然だ。そこには仲間二人が倒れているのだ。一人に至っては出血まであり、パワードスーツの一部が剥がされて落ちているのである。

 実は出血もパワードスーツも青の少女がやったことなのだが、勅使河原の知ったことではないだろう。


「…………やってくれたっすね」

「……気絶させただけだ。俺は殺されようとしていたんだ、お釣りが来るだろう」

「ナメやがって…………お望みならここで清算してやるっすよ!!」


 勅使河原の怒鳴り声が、低く空気を震わせる。古沢は帽子を目深に押さえ直して、その奥から冷たい視線をぶつける。

 それでも視線を動かさず、彼女はブラウスのポケットからピンク色のカードを取り出した。

 白線でハートマークが書かれただけのシンプルな代物だったが、それは。

 これ以上の対話は要らないという――魔法少女の、宣戦布告だった。

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