#12 あのっすね、信頼ってのは一番大事だって道徳の授業でですね……
鈴木
具体的にはバールを担いで、スマホを片手に仲間の連絡を待っていた。
「………………ぱっとしねえなぁ…………」
画面を見つめながら、口からは思わず本音が漏れる。待てどもスマートフォンは動かないので、それを手近な机に置き、鈴木は右手でがしがしと髪をすいた。真っ青な髪は腰まで伸びていて、暑くなってくるとかなり熱がこもる。誰もいない教室は、既に冷房も切られていた。たまにこうして髪に空気を入れないと、とてもやっていられない。魔法少女と言えば世間の聞こえはいいが、表に出ない時は大抵こんなものだ。
自分達だけかもしれないが。
そもそも数ヶ月前までは、こんな髪などではなかったのだ――再び持ち上げた液晶画面に自分の顔が映りこんで、鈴木はふとそんなことを考える。ショートカットの似合う活発な女の子、というのが小学校時代の評価だったはずだ。
当然、髪も染まっていなかった。
「この手の仕事が入る度に思うけどよー……お偉方はなんでこう、邪魔者は消せ! とかいうバカみてーな指令しか出せねえんだろーな? 権力にしろ
なぁ亜莉沙? と鈴木は、後ろの勅使河原を見上げる。
同時に鈴木のスマートフォンが、小さく電子音を吐いた。勅使河原の返事も待たずに視線を戻すと、LINEの画面が更新されている。仲間からの合図だ。
そこにはこうある。
『突撃するわよ。行ってくるにゃん☆』
「…………メチャクチャじゃねえか」
鈴木は思わず、スマートフォンを机に投げ出して溜め息をつく。一応これだって仕事なのだ。にゃん☆とか言ってる場合じゃない。しかも今回、標的は殺してもいいとまで言われている。なおさらにゃん☆ではない。人が死ぬかもしれないのだ。
かもしれない――というのは、止めを刺す役の鈴木に全くその気がないからだが。
「でもなぁー……バールじゃあな、事故も起こりかねねえよなぁ」
「……
「来たぜ、行ってくるにゃん
鈴木は振り返らずにそう吐き捨てたが、対して勅使河原は静かに返した。
「
「んだよ」
「降ろせ」
いかにも面倒臭そうに振り返ると、そこには少女がロープで吊るされていた。とんだ変態だ。手足を背後で束ねたロープはそのまま天井へ繋がり、少女が身動きしようとするたびに軋む音を立てていた。
ロープをアロンアルファで天井に接着したのは誰か、というのはこの場合愚問である。
「うーん、もう一度言うっすよー、降ろせコラ。ほらほら亜莉沙ちゃん今なら怒らないっすからとっとと降ろしやがれってんですよこのアマてめえいい加減にしないとコンビニのおでんでむぐご!?」
接着剤の空容器を勅使河原の口に詰めて黙らせ、鈴木はまたスマートフォンを弄る。今度は特に目的はなかった。ただ適当に、LINEに来ていたお茶の誘いを蹴っていく。 これも都心テレビのルールなのかは知らないが、魔法少女に就くことが決まった瞬間に鈴木は、一年間の期限付きで豊島区内のセレブな中学校に転入させられた。芸能人やら皇族やらがこぞって入学するレベルの所である。だからかどうか、周りの生徒はいつも呼吸をするようにお茶をする。非常に理解できない生態だった。
他のメンバーも同じような境遇なのかは聞かされていないが、三人の性格を見る限りではおそらく同じ転入させられた組だろう。自分が言えたことではないかもしれないが、あれはどう考えてもセレブの性格ではない。
つまりはおそらく来春には、このメンバーとも――縁が切れる。
「そんな一年間なのによぉ……人なんか殺して何になるってんだよバカ」
「ふごぐ――――!! むぐ――――!! む、ぐ――!! んぐ――――!!」
ちょっとしんみりしていたら突然邪魔をされた。ゴミを見るような目でまた振り返ると、
「……それで実際お金が入っちまうあたり、日本ってイカれてるよな……別にいいけど」
「大体っすねえ!」
だが勅使河原は、鈴木のとんでもない陰謀に気付くこともなく、口角泡を飛ばして叫ぶ。
「人なんか殺してどうすんだってのは同意ですけどね、流々歌が待田をぶっ殺そうとさえしてなけりゃ私達だってここまでの作戦はしなくてよかったんすよ!?」
「えー……? 殺そうとなんかしたっけか私」
「待田言ってましたよ、ビームで頭狙われたって!」
「頭ぁ? いやいや私は狙ってねーぜ。なんかめっちゃキレられたと思ったらそういうことだったんだな……私はただちょっと、アイツの膝でも砕いてやろうかと思っただけでよぉ」
「だからそれがもうおかしいんですってば。なんで戦っちまうんですか……」
呆れ果てたように言って、勅使河原はうなだれた。首の力が限界を迎えたらしい。だがそのままだと首が絞まるので、苦しそうに首を持ち上げてみたり、また力尽きたりを繰り返す。
勅使河原としては軽く命の危機だったわけだが、鈴木はもうそちらを見てすらいなかった。左手でバールの感触を確認しながらスマホを操作する。
しかしどうにも、スマホの方には身が入らない。バールを握る汗ばんだ手に、意識が行ってしまう。
もうすぐ二度目の合図が来るが――人なんか、殺せるか。鈴木は声に出さずにそう呟いて、左手にぎゅっと力を込めた。
(こんなクソみてぇな悲劇を止めるために――私は魔法少女になったんだ)
「ぐぇー……あ、の、流々歌。お、降ろして、くれません、かねえ。ちょ、死ぬ」
「うっせえな今シリアスなとこなんだ、大人しくしてやがれ」
「ぐ、ぅ…………な、何なんすかこの仕打ちは……」
鈴木は答えなかった。ただスマホの上で指を往復させ、適当なアプリを無為に開いたり閉じたりする。その手も少しだけ震えていた。癪なことだが、緊張しているのが自分でもわかっていた。
そして同時に――勅使河原の呻き声に混じって、ドアの外から二つの足音が聞こえてきた。
連絡通路の方へ向かってくるのだろう、今はマリオだかルイージだかを名乗っているドイツ人ハーフの相川舞と――おそらく古沢恭一だ。
「…………ったく、しゃーねーな。吊っときたいけど『合図』が来たから解放してやんよ感謝しろバーカ」
「……理不尽っすよこれ………………あーいや解放はしてくださいよ頼むから」
実際のところ勅使河原への仕打ちは、幼稚園の職員室で縛られていた鈴木にただ一人放置プレイをかましたことへの罰だった。彼女が言うことには、「ステッキでいきなり頭を狙うほどヒートアップしていた」鈴木を落ち着かせるためだとかだったが、鈴木がそれで納得できるはずもない。
だが、作戦が次の段階に移った以上、ここで吊っておくわけにもいかない。勅使河原には勅使河原の役割分担があるのだ。スマホを傍らの鞄に投げ入れ、鈴木は呼吸を整える。
バールを左手でくるりと一回転させ、彼女は適当な調子で、
「じゃー私はもう行くから、てめーは打ち合わせ通り、待田が邪魔しに来ないように見張り頼むわ」
そう告げてからバールを一閃させた。
刃物でも何でもない、ただの釘抜きの一撃。しかし普通の女子中学生を凌駕する不可視の速度で放たれたそれは、勅使河原を吊り下げるロープに命中すると、さも当然のように腕の太さもある縄を切断し――
――切断しない。
「ぐ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!?」
「あっれ、アニメだとこれで切れたんだけどな。マジか」
ロープが揺られて関節がさらに不自然な方向に軋み、勅使河原が断末魔の叫びを上げる。しかし鈴木は大して動じもしなかった。面倒臭そうに舌打ちしてバールを置き、右手と左手から手際よくロープを解いていく。上半身が先に床に落ちて勅使河原はほぼ逆立ちの姿勢になり、短いスカートが大変なことになったが、鈴木の知ったことではない。見苦しいのでさっさと両足のロープも解いて、べちゃりと落ちる勅使河原を尻目にバールを握って教室のドアを開ける。
バールを右手に持ち替えながら彼女は、床に倒れ伏す勅使河原を振り返り、一言だけ告げた。
「………………頼むぞ」
返事はない。
鈴木は前に向き直って、今度はもう振り返ることはなかった。ドアを閉める音が響いて、鈴木はたっ、と廊下を踏み出す。
次の瞬間、連絡通路から鈍い音が響いた。
紛れもなく、例のメイド服を着た仲間の足が発した音だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「あいつまじ殺す……」
机を支えにして何とか立ち上がりながら、誰もいなくなった教室で、勅使河原は呟いた。
だがそうしてみても、体の痛みや鈴木への殺意よりも先に、妙な虚脱感が彼女を支配していた。
作戦を考えたのは勅使河原本人だ。適材を適所に配置して、こちらなりには万全の状態を整えたはずだった。待田の見張りという勅使河原のポジションも、もしもの時にメンバーの統制がとれる人物を残しておくことに加え、一度まともに会話をしているということが考慮されている。
わずかでも敵のことを知っているというのは、実戦ではそれなりに大切な要素になってくるのだ。
だが――やはり、これでよかったのかという思いは拭えない。結局は左京の掌の上で、仲間を危険に晒してしまっただけなのではないか。
仲間――とも言うが、まず府中が負ける前提の作戦など、勅使河原としても本当はとりたくなかった。仲間というのは、信じるものではなかったか。
さらに悪いことに、鈴木が出て行ってからこれで一分以上が経った。作戦通りに行けば古沢は一瞬で沈むはずなので、既に筋書き通りにはいかなかったということになる。
それでも、始まってしまったものは仕方がない。
もうそろそろ府中も負けた頃かと思って、悲鳴を上げる体を引きずるように、勅使河原はやっとのことでドアに手をかけ、
そこで、轟音を聞いた。
廊下の奥で、まるで教室の机や椅子をまとめてぐちゃぐちゃに投げつけたような鋼鉄の嵐が吹き荒んでいた。
「ひっ――――――――――――――――――!?」
思わず顔が引きつって、ドアにかかった手が凍る。
このフロアで教室の中にいるのは、ここにいる勅使河原を除けば、連絡通路と階段を挟んだ向こう側で戦っている府中と待田だけのはずだ。そしていくら府中にステッキがあるといっても、あんなデタラメな暴力は再現できない。
待田が何をやった――そして府中はどうなった!? それを考えるだけで、悪寒が走る。痛みなど忘れているのに、体が動かなかった。
……何秒間そうしていたか、あるいは分単位だったかもしれない。
音は止んでいたが、状況は改善していないに違いない。しかし外に出るしかないと思い直して、勅使河原はドアを一気に開ける。府中達のいる教室へとダッシュで向かうためだ。場合によっては作戦を放り捨てて、助けなければいけない。
しかし、その動きも途中で止められる。
その行く手を遮るように――黒いナース服をきた女が、杖をついて立っていたからだ。
面食らって思わず立ち止まる勅使河原に、眼帯をつけた黒ナースの女がつっと近づいてくる。
いや、立ち止まっている場合じゃない。勅使河原はすぐにそう思い直したが、その時にはもう金縛りにあったように、指一本も動かすことができなかった。
そして女は、息をすることもままならない勅使河原の耳元まで寄って――短く一言何か呟き、一つパチンと指を鳴らす。
次の瞬間、勅使河原の頭の中から、府中微睡の名前は消えた。
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