#9 敵がいる場所を戦場と呼ぶ

「それじゃ、始める……? その、ガールズトー」

「そうだな。だがもう少し人数が欲しい」


 同刻。

 突き放すような待田の声と共に、府中の背後から高速で椅子が滑ってきた。勢いよく膝を折られる形になって、府中はわけもわからず、教室用の椅子に叩きつけるように座らされる。


 その目を少し見開いて、府中は何か問おうとした。

 しかし、それより先に待田が足を踏み込む。瞬時にその傍らへ立つと同時、待田は府中の首元にそっと右の手刀を添える。


「……………………なに?」


 それでも「少し呆気にとられた」程度の表情で、府中は小首を傾げた。首元の手を嫌がるような仕草にも見える。しかしそれだけだった。不意打ちで身動きをとれなくされたのに、その事実に対して何の反応も見せない。


 感情が見えない――そのことに本能的な不安感を覚えながらも、待田は努めて冷静に返した。


「……すまない、府中さん」

「ぅにゅ?」

「…………私も穏便に済ませるつもりだったのだが、こうしてあなたたちから襲いに来られると、私としても話が変わってくるのだ。府中さん達ではなく上層部うえの意思なのかもしれないが、こうするより他ないことはわかってくれ」

「こうする…………って?」


 府中は首を傾けたまま、眠たげな声で尋ねる。

 本当に状況が呑めていないのか? という疑問が口をついて出そうになるのを飲み込んで、待田は答える代わりにドアの方を向いた。


 手刀を添えたまま、声を張り上げる。


「そこにいるのだろう? 勅使河原さん達! 今なら間に合うから出てきてほしい。拒否するならこの右手で『魔法』を発動する。言っておくが、首の怪我は治るまでに時間がかかるぞ!」


 待田としてもこういう、卑怯とも言える手段は取りたくなかったが――実際に勅使河原から「潰しに行く」とまで言われ、身の危険が差し迫っていると判断せざるをえないのが現状だ。今は手段など選んでいられないのだ。


 それでも、返ってくるのは沈黙だけ。


 待田は一度歯噛みしたが、気を取り直してもう一回、まだ見えない敵に告げる。


「幼稚園でも頭を狙われた。おおかた今度は四人がかりで? 三週間前のウイルスの一件といい、私に殺される覚えはないが、あなた達にその意思があるなら仕方がない。対抗させてもらう」


 そこで一旦言葉を切るが、やはり誰からも、何からも言葉は返ってこなかった。

 府中がただ、冷めた半眼で待田を見ていた。その視線に、待田はまた不安を覚える。もしかして読みを外したのか。古沢に別働隊が向かっているのか。そう思ったが、現に古沢は、武器を持った勅使河原と正面から対峙しても何もされなかった。大丈夫だ、狙いは私のはずだ――そう呼吸を落ち着けて、改めて口を開く。


「古沢を遠ざけさせたということは、あなた達も無駄な血が流れることは望んでいないのだろう? なら――」

「………………ごめん。その、全部違う」


 突然言葉を遮られ、ぎょっとした時にはもう既に、右手首を片手で強く掴まれていた。

 すぐに左手でその手を離そうとするが、その手も逆の手で掴まれて、状況は完全に膠着する。


 次の一手が全く出せないほどに、待田は混乱していた。大前提として、府中は「待田が魔法を使える」ということを知っているはずだ。なのに脅しが効かなかった理由が、一つも思い浮かばない。


 いや、こうなる前兆はあったのか。手刀を添えた時、府中は肌を密着させられたことに対して嫌がるだけで、身の危険を察している様子はなかった。それは待田が、府中の首に何らかの攻撃をすると仄めかした後も変わっていなかったのだ。しかしなぜ。府中は何を考えている。どうして彼女は、手ごと掴むという蛮行に及んだのだ。待田の「魔法」があればその手の安全も保障されないと、そう思うのが自然な流れではないのか。考えれば考えるほどに思考がもつれ、目の焦点がずれていく。


 しかし府中は対照的だった。

 ただまっすぐに待田の目を見て、淡々とその回答を述べる。


「……ドラマとか、そういうの見てても思うんだけど、……人質って、一人じゃ効果ないと思うの。だってもし犯人がそいつを殺しちゃったら、警察は突撃し放題になるでしょ? …………だから犯人は絶対に、人質を安全にしておかないといけない。……でも、人質が安全だってわかってたら、やっぱり警察は突撃し放題になるの」

「…………え、いや、でも……そう簡単にはいかないだろう、府中さん。突撃されて自暴自棄になった犯人が人質を殺すことだってある。そうしたら警察の責任問題だ」

「うん。だから今のは建前」

「建前って…………」


 こうしている間も「突撃」されないか常に気をつけながら、待田は慎重に次の言葉を待つ。


 古沢ならここでさっさと手を振り払って殴り倒すのだろうが、自分の作戦が通用しなかった理由を、待田は知りたかった。三年やってきたという自負が、なおさらそうさせたのかもしれない。府中はそんな待田の目を見たまま、口だけを動かして「ほんとはね」と続ける。


「待田さんの『魔法』の条件を……その、知ってるから。亜莉沙から聞いたの」

「あ、亜莉沙……勅使河原さんから、『条件』を!?」


 そこで明らかに取り乱した待田に対し、府中はいっそ冷酷なほどに冷静に、

「正確には左京から、亜莉沙経由で、だけど。待田さんの魔法は、その……人相手に、使えない。人に魔法で直接……その、吹き飛ばしたりするのはもちろん、魔法で飛ばしたものを直接ぶつけることも……できないはず」


 待田は答えなかった。


 しかし思わず唾を飲んで、その音がやけに大きく響く。それがもう万の回答に値していた。身動きのとれない待田に、府中はさしたる感慨もなく畳み掛ける。


「だから……その、このぐらいじゃ亜莉沙達は来ない。まずは、その、私が相手する」


 言い終わるのと同時、府中は椅子を蹴って立ち上がった。そのまま両手に力を込め、待田を引き倒しにかかる。しかし待田は反射的にその手首を掴み返し、両腕を交差させるようにして府中の腕を捻り上げる。


 あれこれ考えるのは後だ。左京がどうして「条件」を――待田が自らに課した条件を知っているのか、それは後で聞き出せばいい。


 まずは、ここを切り抜けなければ。

 わずかに顔をしかめた府中が、強引に手を振り払って一旦距離をとる。その隙に待田は、ちらりと後ろを振り返ってカーテンの位置を確認する。狙撃を防ぐために、窓は塞がなければいけない。意識が逸れたと見なした府中がタックルを仕掛けてくる。それをいなして、待田は「魔法」で一気にカーテンを閉めた。カーテンレールが遠くで悲鳴を上げる。そのままよろける府中を押さえようとするが、府中は並んだ机の隙間を上手く転がり離脱。立ち上がるや否や手元の椅子を掴み、待田に向かって放り投げた。待田は難なく、身じろぎもせずに横へ払う。だが意識がわずかに椅子へ向いた瞬間を狙って、府中がもう一度飛び込んできた。


「――――ッ!?」


 反応が遅れた、と気付いた時には右足を踏まれていた。待田が呻く暇もなく、府中は追撃の右拳を鳩尾へと繰り出す。しかし寸前でそれを横から掴み、待田は反対の手で府中の右肘を砕きにいく。だが府中はまた左手で待田の動きを止める。同時に待田が「魔法」で周りの机を吹き飛ばしながら府中へ足払いをかけ、木と金属がぶつかり合う不快な轟音と共に、府中の矮躯が机のなくなったスペースに倒れこむ。待田はすぐその首元を掴もうとしたが、腕をバネにして府中は紙一重で回避する。待田のリーチの外まで転がった府中は立ち上がると、一旦スカートの埃を払った。


(………………埒が明かないな)


 机三つ分の距離で睨み合いながら、待田はそう踏んでいた。見た目のイメージとは裏腹に、力がある。


 古沢恭一は身体能力に任せている感があるが、待田の戦い方は本来こうではない。戦闘するには足りないスペックを、魔法で補っているにすぎないのだ。


 たとえば、足下に台を置く。その台を高速で動かせば、そこに乗っている待田も自然、高速で動くことになる。そうやって加速してから、最後は拳を叩き込む。そういう戦い方をしてきたからこそ、近接戦闘が長引くのは得意ではない。


 ならば、と。


 府中がもう一度駆けてきたタイミングで、待田は傍らの机に飛び乗った。またもかわされる形となった府中は上目遣いにそちらを見たが、行動を起こす前に待田は机ごと跳ね上がる。そして空中で反転して机を蹴り、重力加速度と共に真下の府中へ突っ込む。銀に輝く長髪が、耳元で風を切る。府中は一瞬だけ少し目を見開いたが、しかし冷静に、一歩だけ後ろに避けた。


 しかし、それは待田の計算内。


 着地の直前にくるりと向きを変え、府中の方を向くと同時に後ろから別の机を高速でぶつけ、カタパルトとする。垂直から平行。ベクトルを変えた待田は、府中の動体視力を超える速度で彼女に飛び込んだ。転瞬、待田に抱えられ、府中は机を次々なぎ倒しながら床上を飛ぶ。金属バットで殴打されるような音と衝撃、そして急激にかかった加速度。それらが一気に府中を襲う。


 最初に待田を跳ね上げた机が落ちてくると同時、二人は廊下側の壁にぶち当たり、やっと悪趣味な低空飛行は止まった。


 府中はぐったりとうなだれ、動かない。その頭からは一条、血が流れていた。


 自分自身も吐きそうになりながら、悪いことしたかな、と待田は罪悪感を覚えていた。戦いとはいえ、あまり血を流すようなことはしたくなかった。


 それは――よくないことだ。


 だが、ともかく済んだことは仕方がない。待田は膝をついたまま、スカートのポケットに手を入れて、「有事用」に常備している結束バンドを取り出す。力なく投げ出された府中の手を取って、背の後ろへ回し、結束バンドを取り付けようとして、


 また、その手を掴まれる。


 意識は断ち切ったと思い込んでいたため、待田は咄嗟に反応できなかった。その隙を突いて府中は、待田の頭に勢いよくヘッドバットを食らわせる。目の前に火花が散り、待田は思わずよろける。次の瞬間には長い髪を掴まれ、力任せに強く引っ張られた。激痛に反射して、待田は髪を掴む腕を両手で掴み、無我夢中で蹴り上げた。拘束が緩み、後退して離れる。蹴られた腕のダメージもあってか、それ以上の追撃はなかった。府中は背を向け、待田から離れた窓際へと、若干よたつきながらも駆けていく。


(………………どうして私は、苦戦している)


 頭を押さえながら、待田は自問する。


 実際、劣勢というわけではないだろう。むしろ、近接戦闘をしたがっていた府中に、二度も「距離を取る」という選択を取らせたのだ。押していると言ってもいい。


 だが違う。押す押さないではなく、ここまで戦闘が長引いたこと自体が、この三年で初めてなのだ。


(あれか……今までこういう、頭を使ってくる敵が現れてこなかったのだな。三年間やってきてどうも敵が弱いのばっかりだとは思っていたが、なるほど世界は広い――インフルエンザで死にかけた一件といい、都心テレビには色々と勉強させられるものだ)


 区民には見せられない姿だが、これも試練だと思えば悪くない。


 そう整理して、混乱を徐々に闘争心へと戻していく。待田は次の一手のために、側にあった机をふわりと浮かせて手に取った。

 だが、


「………………………………『歌の輝き』」


 呟くように発せられた府中の声に、待田の動きは止まった。


 歌の輝き――その言葉の意味を理解する前に、事態は進む。窓際の府中は何かを天に掲げていた。名刺大の、紫色のカードだ。中央に白線で音符マークが書かれているだけの、簡素な樹脂製のもの。


 たったそれだけの動きだったが、紫のカードと府中の体が同時に薄く光っているのがわかる。


 何が起こっているのかわからず、待田は反射的に身構えた。そんな彼女の目を半眼で見つめながら、府中は淡々と――感情のない声で。


「みんなの歌で、世界を救う」


 そう続けた瞬間、府中の体が激烈な光を発した。

 太陽を直視したかのように目を焼かれ、待田は思わず目を背ける。頭まで痛くなるような光量だった。目を開けられない中、待田は必死に状況を整理する。しかし何が起こったのかは、何一つわからなかった。


 だが、今の動き――何かを唱えてから、突然光る。これには心当たりがある。

 待田もよく知らないが、テレビ局で魔法少女と来れば――――


「――――歌の戦士、ブリリアントパープル」

(『変身』、か…………!)


 府中の声が聞こえて、待田は徐々に目を開ける。視界はまだ混乱し、隅々まで色が乱舞していた。それが収まるのを待って、窓際の府中の姿を見る。

 そこには、予想通りの姿があった。


 すなわち――気味が悪いほど鮮やかな、紫色の衣装。一見するとフリル満載のドレスのようだが、スカートの丈はやけに短い。


 右手に現れたステッキを、府中は短剣のように構える。


 待田は改めて机を構えつつ、目線を府中に固定し、息を整える。

 体にダメージはほぼない。あるとすれば、府中を吹き飛ばした時の急加速ぐらいだ。まだ若干頭が痛んでいるが、支障があるほどではなかった。


 だが、今からはどうか。


 力のぶつけ合いでどうにかできたのは、府中の戦法がほとんどタックル一辺倒だったからだ。少しでも彼女に格闘技の心得があれば、待田とてどうなっていたかわからない。そんなことでどうして今まで三年間もやってこられたのか、という疑問も湧いてくる。しかし今、問題なのは自分の話ではない。


 あのステッキから飛び出る光線攻撃は、どう対処すればいいのか。

 近接戦闘と組み合わせられた場合はどうなのか。


「……………………世界を救う、か……」


 この段階で何を計算しても仕方ないと踏んだのか、待田は気付けば、全く関係ないことを口に出していた。


「果たしてそのためには、私は倒されないといけないのだろうか」


 府中は微動だにしなかった。

 ただ半眼のままで、見つめるでも睨むでもなく――待田のことを、見ていた。

 そして、時間にすれば数秒の沈黙の後、最後に息を一つ吐き、府中が唇を開いた。


 ごめん、と。


「その辺は、その……私にもよくわからないの」


 変わらぬ声色と共に、府中はステッキを構える。先端の紫色の音符がふっと光る。次の瞬間、待田の視界は光に灼かれ、体は重力を失っていた。


 奇妙な浮遊感――だがそれも一瞬。丸太で突かれたような鈍痛が腹部を掻き回し、背中から壁に叩きつけられる。咳と共に唾液が零れ落ち、胸骨が嫌な音を立てて軋んだ。


 園庭上空で撃墜された、あの時に感じた衝撃が直接やってきたのだ。その事実を飲み込むまでに、待田は数秒を要した。


(……こ、のまま、では…………追撃される)


 そう念じて何とか手足に力を込めるが、すぐには体重を支えられない。吐き気を堪え、呼吸を止めないように努める。酸素を取り込むにつれ、白く焼けた視界に、徐々に色彩が戻ってくる。まずは状況を把握しようと、待田は首を上げて、


 そこでやっと、府中の爪先が眼前に迫っていたことに気付いた。

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