#6 罪を犯したことがない者だけが「る」を投げよ

「――――前言撤回だ……全然優しくないぞ古沢」

「それとも手加減しろって言うのか。それはそれで違うだろう」

「っ…………ふむ、そっちがその気なら『ルクソール』でどうだ」


 校門をくぐりながら、古沢と待田の陰険なしりとりは続いていた。


 そもそも最初の「ワイマール」「ルアーブル」がよくなかった。その後しばらく平和にしりとりは進んだが、途中から古沢が思い出したように「る」攻めに転じて今に至る。


 もはや二人は戦士の顔であった。

 辞書を引けばわかるが、「る」で始まる言葉は「る」で終わる言葉よりも圧倒的に少ない。「る」攻めは精神的にも物理的にも相手を追い詰めていく最悪に有効な手段の一つなのだ。


 古沢はしばし考えてから、

「ルクソールか……ルジャンドル」

「…………ルーテルブール」

「ルコンド・ド・リール」


 娯楽を排した応酬はまだ続く。

 少し間があって、昇降口から入って靴箱に辿り着いた所で待田が「ルフェーブル・デタープル」と答えた。古沢はそれを受けて、靴を替えながらまた返しの言葉を探す。

 何だろう私の知っているしりとりではない……と待田が呟いた気がしたが、古沢はとりあえずスルーして階段に足を掛け、一言「ルミノール」と返した。


 密度の高い沈黙と共に、二人は並んで階段を上り始める。古沢がふと振り返ると、例の机もちゃんとついてきていた。これにも相当神経を使っているはずなのだが、それでもなお「る返し」の言葉を必死に探しているあたり待田もさるものだ。


 というか表情が必死すぎた。


 歩を進めながらも歯を食いしばり、目を見開いて冷や汗を流している。園庭での勅使河原よりもむしろ深刻だ。古沢としてはこれからその勅使河原達をどうするかについて話し合いたいとも思うのだが、さすがにこの状態では気が引ける。しりとりなんか始める前にそっちをやっておくべきだったと少し後悔するが、もはや何もかも遅い。ただし――


 踊り場を過ぎて、最後の一段を上りきる。二階のフロアに足を着けた所で、待田がようやく口を開いた。


「…………………………ルチル」

「ルーゴン・マッカール」


 ただし、始めてしまったものは取り返すつもりもなかった。

 そこに一切の容赦はない。


「うーむ………………あ、これまだ出ていなかっただろう、ルシフェルだルシフェル!」

「ルッツジャンプ」

「え、ちょ………………『ぷ』!? ここへ来ていきなりの『ぷ』なのか!?」

「頭が『る』で一杯だっただろう、そういう時に効くんだよこういうのは」


 教室の場所は、階段を上がったすぐそこだった。古沢は頭を抱えて呻く待田を横目に、古沢はドアに手を掛けてガラリと開ける。


 放課からは、だいぶ時間が過ぎていた。中庭にあるよくわからない樹が、窓の外で静かに揺れていた。


 もう教室にクラスメイトは一人も残っていなかった。学校内に古沢と待田以外の生徒がいるかどうかも怪しい。教室の中は完全にがらんとして、ただ教卓にちょっと女の子が横たわっているだけだった。


 ショートカットの髪を紫色に染めた、中学生ぐらいの女の子が仰向けに。


「……………………………………………………………………………………」


 古沢は一つ息を吐いて、とりあえず待田がずっと浮かせている机を手に取った。今の状態で机を浮かせ続けるのはさすがに苦行が過ぎるだろうということで、元あった場所へそっと置く。持ち主には無断で空を飛ばしまくった上に天板の裏を土足で踏みつけていた気もするが、多分黙っていればわからないだろう。


 古沢はもう一度教卓を見た。

 状況は変わっていなかった。


 ――いや、正確には一つ、良からぬ事実に気付く。それは紫の少女の服装だ。白いブラウスと緑のリボンの上には、ベージュを基調としたベスト。そしてリボンと同じ色にチェック模様の、やたらと丈が短いスカート。つい二十分近く前、幼稚園の園庭で見てきたデザインだ。


『即刻潰しにいくことになります』――園庭での、勅使河原の声が蘇る。


 少女は半分だけ目を開けていたが、教室に入ってきた二人に対しては特に反応を見せていなかった。だが油断はできない。待田といい勅使河原といい、魔法少女はなぜだか髪を突飛な色に染めたがる傾向があるらしい。そしてそれはこの少女も同じであった。


 東京都心テレビの刺客――そう見るのが妥当である。

 古沢は振り返らずに、ドア近くの壁に額を打ち付け続ける待田に声を掛けた。


「おい待田」

「ああああ」

「ちょっと落ち着け待田」

「あううううう何だ古沢」

「敵だ」


 その一言で、待田の動きが止まって教室から音が消える。呼吸すら止まるような戦場の空気が、瞬時に場を支配する。だが、教卓の敵はまだ動かなかった。手足を力なく投げ出して、今に眠りに落ちてもおかしくない。


 そのまま、肝心の敵だけがだらりとしているまま、数十秒が空転した。

 紫の少女の先制攻撃に備えていた古沢だったが、そこでたまらず声を出す。


「…………おい」

「……………………んぅ」


 小さく呻いて、少女は鬱陶しそうに教卓の上で顔を背けた。

 まるで寝起きのような仕草だった。今から無言で肘を叩き込んだらそれでもう倒せるんじゃないかとも思ったが、万一誤認だと大変なことになるので、とりあえず古沢はなおも話しかける。


「おい、お前のことだ。起きろ」

「ぅぅ…………えぅ? 私?」

「お前だ」

「ぅーん……あれ、奥にいるのは待田さん……ということは、あなたが、古沢さん」

「そうだ。そしてお前は東京都心テレビから来たのか」


 会話のテンポの遅さに辟易するのを抑え、古沢は慎重に続けた。しかし紫の少女はそれには答えず、足からゆっくり教卓を降りるとだるそうにスカートを直す。目は眠たそうに半分だけ開いたまま、少女は一歩、古沢へ近付いた。


 古沢は帽子を押さえ、少女の目を見据える。

 身長差は三十センチ程あったが、少女も紫色の前髪の奥から、古沢の目を見返してきた。


 時間が止まる。待田も一歩、二歩と踏み出して、古沢の横少し前に並んだ。

 いつからでも始められる、と意思表示するかのように。


 そして、その姿を見上げて――――紫の少女は口を開いた。


「待田さん……おでこから血が出てる」

「うむ、まあ名誉の負傷なのだ」

 待田はさらりと頷き、続けた。


「ところであなたは幼稚園で見かけた人だな、マド……と呼ばれていたっけか」

「…………うん、そう。本名は府中微睡まどろみ。都心テレビで働いてる」


 そんな事を何事もなく答えて、少女――府中微睡はぺこりと頭を下げた。

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