#4 流転するルール
待田はさして表情を変えず、短く礼を言って勅使河原に背を向ける。古沢もそちらを見ると、そこにはあの机が倒れていた。
口の中で何か呟きながら歩き出した待田に、古沢も背後の勅使河原を何度も振り返りながら従っていく。勅使河原は抉るような目つきでこちらを睨みながら、しかしゆっくりとステッキを下ろした。
「……戦いになるっすよ」
振り向いた古沢に、勅使河原は視線をぶつけて低い声を放った。
「
「……潰しに、ね」
ろくに応えず、古沢はまた向き直る。
増援だと自称していたのは嘘だろうなとわかっていたが、まさか宣戦布告をされるとは思っていなかった。ただ古沢も、そしてすぐそこで聞こえているであろう待田も、全く気にする素振りは見せなかった。古沢はこれまで極限まで弱い敵としか戦っていないのでいまいちピンと来なかったし、それにこれは待田が以前言っていたことだが、その辺の不良なんかに喧嘩をふっかけられることなど魔法少女をやっていればしょっちゅうらしい。今回は不良でこそなかったが、待田からすれば大体同じようなことなのだろうと古沢は納得した。
次に振り返った時には、もう勅使河原はこちらを向いておらず、どこかへ電話を掛けていた。同時に丈が短すぎるピンクの衣装が光を発し、首元から順に、ベージュが基調のベストへと変わっていく。おそらく中学校の制服だろう。その割に緑のスカートは衣装と変わらない丈だったし、髪の色も戻っていないが……そういう校風なのだろうと古沢は勝手に思考を切り上げて、また前へ歩く。
案外、不良で合っているのかもしれない。
待田は机のあちこちを点検しているようだったが、見た感じでは目立った傷はどこにもない。学校の机はどうやら、教室内でのあらゆるトラブルに耐えうる強度になっているようだ。それこそ殴ったり蹴ったり、光線を撃たれたり。
「…………」
古沢はそこへ近寄って、天板を見てみる。やはり、光線が直撃して撃墜されたというのに――
――そこには傷一つなかった。
「しかし……なんだか嫌われているのだなあ、私は」
机の細かい土埃を払いながら、待田は不満げな表情でふと呟いた。
「何だか悪いことしただろうか。折角戦っていた所を一瞬で倒してしまったりとか」
「……いや、あいつの
「それもそうだな――どちらにせよ、有馬さんには報告しておいた方がよさそうだ……よし、できた」
「飛ぶのか」
「いや、念のためということもあるので都電で帰ろう。ああ運賃は大丈夫だ、私の顔パスで行ける」
そう言って待田は、やっと制服の土を払いながら、綺麗になった机を二、三センチほど浮かせた。
中学生に頼まれて即帰する先駆部隊といい、待田とはいえ都電が顔パスで通ることといい……もしかするとこの区にはそれなりに、安全が脅かされる要素が揃っている。
それが平和の裏返しであることも、頭のどこかで理解しつつ――古沢は何か釈然としないながらも待田についていく。彼女は彼女で、中途半端に色々あったせいで今一つ気分が晴れきらないようだった。
そんな様子を横目に見て、幼稚園の門を抜けながら、古沢は何となしに口を開く。
「そういえば待田」
「何だ古沢」
「都電で学校の最寄まで行くとして、歩くのを含めて何分ぐらいかかるんだ」
「うーむ、そうだな……十五分ぐらいだろうか」
「…………しりとりでも、するか」
数瞬二人は、どちらからともなく顔を見合わせた。
穏やかに風が吹き、向かい合う待田の銀髪を揺らす。そして待田は溶けるように、思わず頬を緩めた。
「……撃墜される前も、地味にしりとりで喋ってくれていたよな。古沢は」
「わかっていたのか、やっぱり」
「うむ! ――うむ、やはり優しいのだな、古沢は」
なぜか心底嬉しそうに笑う待田を見て、古沢は短く息を吐きながら帽子を押さえた。
こいつはしりとりにどんな思い入れがあったんだ、と呆れる思いと――もう一つ。
古沢が待田を知らないことを、待田は多分、知らないのである。
「……………………ワイマール」
帽子を改めて深く、深く押さえて、古沢は呟くように言った。
待田はわずかに虚を突かれたような表情になったが、すぐに笑顔を取り戻して、
「ルアーブル」
少し悪戯っぽく、そう返した。
その様子を目に、何だあいつらイチャイチャしやがってと脳内で散弾銃を放ちながら、勅使河原亜莉沙は苦虫を咀嚼するような顔で電話口に向かっていた。
「だーかーらー、ここで起こったことは以上になりますけど、要するに全然何にも歯が立たなかったんですってば。なーにが『待田はインフルの件を突けばメンタル的に折れる』っすか、清々しいまでにそんなことはなかったんすけどこれどうしてくれるんすか? まさか今回の撮影失敗が私達の責任だなんてザケたことは言ってくれないっすよねー? おっさん。え?」
『いやあ、そう言われましてもねえ。流石にあなた達の責任とは言いませんが、待田さんのメンタルは正直粉末レベルの脆さだと思っていたので想定外でした。あと上司に向かっておっさんとは何ですか、私はまだ二七です』
その電話の声――東京都心テレビに勤める左京敬作は、そこまで緊張感のない声を発している。
例えるなら、大椅子の上で足を組んでそこに乗せた猫でも撫でていそうな、そういう声だった。札束で顔を扇いでいれば完璧だ。ふざけんなよお前のせいだろうがと思わず叫びそうになるが、勅使河原はぐっと堪える。その代わりに苦虫を吐瀉する顔で、
「それでどうすんすか、これから。また私達でアイツと戦えと? 正直本当に営業妨害で潰したいなら、適当に
『いやあ違うんですよ、生け捕りじゃないと意味がね……。それにしても……待田さんがインフルエンザの話題を突いても顔色一つ変えずにむしろ逆襲してきたとは。あの三年前の惨状から、どう立ち直ったんだか。全ては有馬さえいなければですねえ……』
「電話口で独り言やんないでください」
勅使河原は吐き捨てる。携帯電話を持つ右手から、何かが小さく砕ける音がした。
いらつくあまり、軽く電話を握り潰しそうになっているのが自分でもわかる。
「当然この電話代は経費から落とすっすよ」
『失礼、それとお金ならそれなりにあるので経費はじゃんじゃん使ってください』
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