第10話「壁将のカイル」


 瞼が重く開かない。

 

 体は金縛りにあったかのように身動き一つできず、指先が何かに触れるたびに激痛が体中を駆け巡る。


 痛みを感じることで生きているという実感を得ると同時、苦痛に苦しむくらいならばいっその事死んでしまった方が楽なのではないかとすら思ってしまう。


 ユイナは無事なのかを確かめたい。その一心で瞼を開け、苦痛に耐えつつ上半身を起こす。


 今まで眠っていたのはベッドだったようだ。肌触りも良く綿のようで弾力があり沈み込む感覚は眠気を誘う。


「おわっ!?」


 隣に視線を移せば下着姿でユイナも眠っていた。


 慌てて目を逸らし、あたふたしていると自分も上半身裸で下半身は……。


 履いていた。


 そっと掛布団をユイナに被せ、周囲を見渡す。


 窓のない小窓から月明かりが差し込み部屋の全体像が薄らと浮き彫りになる。


 木造の建物なのだろう。よく磨かれたフローリングは月明かりを浴びて美しくも妖艶に輝いている。


 床には綺麗に並べられた装備一式が纏められていることから、ここの主は几帳面な性格なのかな。


 時間を確認すれば、時刻は午後8時を過ぎたところだった。


 窓の外には樹木が生い茂り、室内に流れ込む風は新鮮で清浄な空気を運ぶ。


「あぅぅぅ。ここはどこ?」


 ユイナはつらそうにこぼした。

 誰かに問いかけたわけではなく、自然に出た言葉だったのかもしれない。 

 痛みのせいかまだ上体を起こすことはなく布団を肩までかけたままじっとしている。いやむしろこのまま寝ていてほしいと切に思う。


「俺もわからないけど、どうやら誰かに助けてもらったみたいだ。目が覚めたらここにいたってこと以上はここの家主が戻ってきたら聞いてみようと思っている」


 ベッドに腰掛けたまま、現状を説明した。

 そこで初めてユイナは俺の方を向いた。

 瞳に映るのは上半身裸の俺。


 何か勘違いしているんじゃないかと、思わせる不信感に眉を引くつかせる少女。


 布団の中でもぞもぞと動いたかと思うとみるみる顔が赤くなっていく。


「いやいや、俺は何もしてないって!! 目が覚めたらこんなだったんだって!! 指一本触れてないから」


「なんで私も服を着てないって知ってるんで・す・か?」


 墓穴を掘ったことに気が付くが、後の祭り。その場でひたすら土下座をする。

 国王陛下のおなーりーと言わんばかりに必死に謝り続ける。 

 傍から見れば情けない光景に見えるが、誠意を


 ガチャッ


 ドアが唐突に開かれる。


「何をしているんだ?」


 思わず、息を呑む。


 ここが異世界であるということを分かったつもりになっていた。


(やっぱり、異世界なんだなぁ)


 灰色の肌に白銀の髪、額には三つの黒角を覗かせる壮年の男が姿を見せた。


 土下座から見上げるその様はまさに金剛力士のごとく、仁王立ちする迫力には畏怖を覚える。


 地面に縫い付けられたかのように動けなくなった。

 男はただ、不自然に床に跪いているのを不思議に思っているだけなのかもしれないが、表情は怒りの形相にしか見えない。 


 ユイナも顔を真っ赤にしていたことなぞ、見て取れないほど緊張の表情をしている。


「そう、怯えることはない。少しばかり手荒だったことは認めるが、これからのことを考えればあれでも生温いことは理解せよ。ユイナも起きてこられよ。まずは飯にでもしよう。話はそれからでも遅くはあるまい?」


(この男は何を言っている!?)


 俺たちが戦ったのはゴブリンだったはず。まして勝つことはおろか、全く手も足も出ないまま敗北を期した。


 この男がゴブリンをけしかけた本人だというのだろうか。


 相対する男が放つ覇気のようなものには覚えがある。それは戦闘中に感じたのは間違いない。


 現状では敵意もなければ、ユイナの名前を知っていたことからもエリヲールの関係者か。


 理由は何かは聞かなければわからないが、殺そうと思えばいつでも殺せるのにそれをしないということは最初からそのつもりはなかったのだろう。


「言わねばわからぬか? お前たちと相見えたであろうゴブリンは我だ。と言っても分身体に過ぎぬがな。我の名はカイル。鉄壁の牙城を構え攻め入る者を殲滅することに躍起になっておればいつの間にやら『壁将』などと呼ばれるようになっていたな」


 邪悪な笑みを浮かべながら、大げさに手招きをする。


「俺は天間天人。アマトと呼んでくれ。こっちは……ってもう知っていたな」


 立ち上がって、自己紹介をする。

 緊迫した空気は若干緩んだように感じる。


「な、何か着るものは……」


 頬を赤らめたユイナは、呟いた。


「そういえば、お前たちの装備を脱がせたのだった。ひとまずこれを着ておけ」


 そう言って二着魔法使いの着るようなローブを渡された。


(こいつがユイナを剥いたのか。ぐぬぬ……。うらやま……けしからん)


 相変わらず顔を赤くしている少女は早く寄越せと目で訴えかけてくるが、まず先に一着はその場で羽織る。

 流石にずっと裸なのも落ち着かない。


 袖を通し、表面ははだけぬように紐で縛る。

 もう一着はユイナに渡すと、そのまま布団へ潜りもごもごし、身なりを整え布団から這い出る。


 二人はおそろいの漆黒のローブだ。

 サイズは持ち主に合わせて繕われたせいか若干大きい。

 ユイナに至ってはぶかぶかで、それはそれで可愛らしさを強調しているように見える。


 テーブルの上には、粥とサラダ、鳥の丸焼き、スープと並ぶ。


「まずは、食べて英気を養うがよい」


「そうさせてらう。いただきます」


「いただきます」


 よく考えてみるとこの世界に召喚されてから、まともに食べた初めての料理と呼べる食事だ。


 調味料も使われているのだろう。しっかりとメリハリのある味付けがなされている。

 空腹の為なのか、料理の腕が良いのか非常に美味である。


「おいしいですね。この粥にもひと手間加えているのがわかります、バジル……ハーブ系だとおおうんだけどなぁ」 


「バジルというものが何なのかはわからんが、薬草を煎じて入れている。滋養強壮の効果があるからな」


 どうやらこの男、なかなか料理の腕もいいようで、ユイナも興味津津といった具合だ。

 心をつかむには『胃袋をつかんむこと』を、やってのけたのだ。

 如何せん、俺は生まれてこの方料理なんてしたこともない。


 一人暮らしを始めてから専らインスタント、即席麺、レトルトの類で済ませていたのがここにきて悔やまれる。こんなことならしっかり自炊していればよかった。


 俄然料理に興味が出てきたところだったが、ひとまず目の前の料理を食べ終えることにした。

 食事も終わりテーブルには、人数分の紅茶が並べられた。


 料理の腕もなかなかだが、紅茶も卓上にあるにもかかわらず窓から流れ込むそよ風に乗って香りが鼻孔に届く。それだけで実に優雅な食後のひと時を演出するには事欠かない。


「何から話したものか……。まずは我のことから話そうか。地上から村にたどり着くためには必ずこの森を通らねばならない。故に我は単身森の警戒と監視を行っている。森の中にはモンスターの類が徘徊しているがゆえに侵入者も、それを突破して村に向かう輩も滅多におらぬが零ではないからな。誰かが門番を引き受けねばならなかった。そこでもともと国を守る騎士団の将軍たる我が適任と王よりこの任をまかされたのだ」


 右手をそっと空を切ると、そこには二人がかりでも全く歯が立たなかったあのゴブリンが姿を現す。


「これは、我の魂の一部をコアにし原子を結合させて作り出した分身体であって昔の姿でもある」


「カイルはゴブリンなのか?」


「確かにゴブリンとして、この世界に生まれたのは事実だが、今は全く別の存在に昇華を果たした。もともとゴブリンという種族には知恵と呼ばれるものはほとんど備えてはいない。本能と欲求が行動理念と言ってもいいだろう。我はそんな種族の集団にいながらにして、疎外感を覚えた。画一化した社会には疎外感など持っているものはおらず、それを持つ我はイレギュラーだったのだ。そして、我は専ら単独行動をとるようになっていた。気が付けば、生まれた集団は滅び我だけが残された」


 左手の指を鳴らすと、反対側に立つゴブリンより一回り大きく、浮き彫りになる筋肉は鋼のように強靭なゴブリンが姿を現した。


「生まれながらに、探求心が高かった我は力を求め世界を放浪したが所詮は弱小種族。知識、体力、武力、魔力をひたすら磨いたところで虫けらがドラゴンに勝てぬように些細なものでしかなった。子鬼将ジェネナル・ゴブリンから伝説の子鬼レジェンド・ゴブリンに至ったがある人間との死闘で命を絶つことになった。その時、初めて限界を超えるなら種族間を超えるしかないという結論に至った。それから魂は天に召されることはなく身体を上位の個体へと作り変えた。それが、不武鬼フブキとなった我の顛末だ」


「分身だったとしたら、本体の力はあんなものじゃないってことだろ。そんなカイルを倒すほどの人間がこの世界にはいるってのか。それは人間のアドバンテージは他種族の能力を凌駕すると考えていいのか、それとも一部の強者により得られる一過性のものにすぎないのか……」


「人間という種族はすべてが優位というわけではあるまい。それは今のお前ならわかるのではないか?  我は奴に出会っていなければ、今もどこかでくすぶっているか……。否、朽ち果てていたであろうな。今になって思い返してみるがあれほどの人間はそうはいまい。」


 過去を振り返っているのだろか、どこか懐かしくも儚さのようなものが見て取れる。

 カイルを次代の高みへと導くこととなった人間に、興味が湧く。


 今のままでは間違いなく、太刀打ちできないだろう。


 それに、モンスターと戦闘をした。結果がたまたまカイルだったというのであればその関係者だったとして剣をまみえる事態になるのだろうか。

 推測しても意味がないと思いつつもついつい考えてしまう。


 カイルの分身と戦った時と同様に殺されかけることになるのだが、それもこの時点では知る由もなかった。


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