第9話「ゴブリン死闘~敗北」
またもしくじった。
続けて、避けるであろう地点の数か所に当りを付けてやみくもに全力で石を投擲し、その一つが左足ふくらはぎに命中した。怯んだ隙に間髪入れず上段から渾身の振り下ろしを叩き込む。
……つもりが怯みもしなければ反応も無反応。
大木に石でもぶつけているような感覚と言えばいいのだろうか。無意味な行動にしかならない。
そこで、ゴブリンは初めて振り返り防御を行ってみせた。
怯んだように重心を崩して見せたのは、誘導だったのか。
単純にこちらの行動を観察し、さも実験でもしていたという方がしっくりくる。
もうすでに魔法の効果は消えたのか、紅朱の鋭い瞳は残光の軌跡を描き焦点は俺を見据える。
先程よりも格が一段上がった。
うまくいけば生き残れるかもしれないという敵が、奇跡でも起きない限り生存確率ゼロ。
鍔迫り合いの恰好になるが、力の差が雲泥の差なのは火を見るよりも明らかだ。
ユイナは俺が魔法に巻き込まれることを危惧してか、静観するにとどめている。俺も周囲に注意を払うことなどできるはずもなく死闘を演じている。
そう思っているのも俺だけでゴブリンはいつでも狩れる獲物を前に、舌なめずりをしているだけだろう。
そう思えるのも、常に表情を一切変えることもなく機械的に且つ生物が故の絶妙な動きをして見せることから想像がつく。完璧で好きと呼べるものは一切なく、動きは完成されている。
俗にいう達人の動き。
地面を蹴って目つぶしを行うも、草原の地形では細かい砂埃など舞うはずもなく空を切る。
攻撃する側から攻撃を受ける側へとスイッチされる瞬間は唐突に訪れる。
フワッ
次の瞬間に両足が地面から離れた。軸足を払われたのだと気が付くまで悠久のように感じた。階段から落ちる夢を見たことがあったがまさにその再現。
走馬灯が脳裏を過ったが気のせいのようだ。
時は流れている。
すなわち、まだ辛うじて現世にとどまっているということ。
完全に無防備になったが確かに生きている、死んではいない。
状況は常に最悪。両手両足を縛られているに同義。
地に足をつけていないというだけでこれほど無防備になるものなのか。
経験したことのない一瞬の攻防に思考は止まる。
「がっ!」
地面擦れ擦れから迫る棍棒が三日月のアッパースイングの軌道から背中へ放たれ、再び宙に舞い地面にたたきつけられる。
ゴブリンの華麗なコンビネーションに俺は宛らサンドバッグといったところか。
そして意識が飛ぶ。
間髪入れずに強制的に覚醒させられる。
(今、一瞬意識がなくなった!?)
強烈な打撃に身体が悲鳴を上げ伝達神経を遮断、尽かさず再接続を光の速さで行われる様は精神を蝕んでいく。敗北を認めたときこそ真の意味で死を意味すると理解する。
地面に四肢をつきつつ、地面のありがたみを噛みしめ諦めてはいないことを示すためにも
最悪、ユイナには村へ助けを呼んできてほしいと思いつつ、周囲を見渡すがそれは不可能だと理解する。
忘れていたわけではない。
相変わらず、周囲にはモンスターが取り囲むように一定距離を置いて今か今かと待ち構えている。
ここを玉砕覚悟で突破したとして、無事に村までたどり着けるか。
目の前の化物のようなのがいなければ意外にあっさり逃げ切れそうな気もする。
それを許すようならこんなことにはならなかったようにも思うが。
なにより、もうすでに森を目にする距離まで来てしまった。
たどってきた道のりを鑑みても、体力の面で力尽きてしまえば元も子もなくなる。
それでも、ここにいるよりはマシか。
「ユイナ!! 強力な魔法で突破口を開いて、村まで逃げてくれ! 逃げ切れるまで時間は稼ぐ!!」
「それは出来ないよ!! 強力な魔法なんて使えないし、見捨てて自分だけ逃げるなんてできるわけないでしょ!!」
俺は知っている……。強力な範囲魔法が使えることを。
俺は知っている……。見捨てられないというのが、俺の存在が逃亡するためのネックとなっていることを。
俺は知っている……。奇跡も幸運もありはしないということを。
それでも、決断させなければ全滅は必至。
「行けよ!! どっち道、このままじゃ俺は助からない。俺の仇はジル達にでも頼んでくれればいいからさ。出会って早々の人間と心中するような真似は馬鹿げてるだろ!? 俺なら嫌だね!! さあ、わかったなら行けよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
これだけ言っても、諦めようとはしないユイナ。
スローモーションのように映った時の中でユイナが何らかの魔法をかける動作。それを、威圧感のようなもので
数刻前の魔法はあえて受けて見せたのであろう。力の差を見せつけるために。
知能が低く、数で捲し立てる戦法をとるような雑魚モンスターなんて誰が言い出したのであろう。こんな化物が大勢で襲ってきたら戦の心得のない人間なら一瞬にして倒されてしまうと脳裏によぎる。
「駄目なの……。見捨てて逃げるなんてできるわけないじゃない。出会って間もないのに死ぬとわかっていて、必死に戦っているあなたを見捨てるなんてできるわけがない……。いつ出会ったか、どれだけ同じ時を過ごしたかなんて些細な事でしょ!?」
ユイナは涙を流している。
咽び泣く声が聞こえる。
俺は彼女を泣かせる奴は許せないと思った。
だが、彼女を泣かせたのは紛れもなく己自身であると知る。
自分が囮になって死ぬことが最良の選択ではないのか……。
どこか現実離れをしている世界に、若しかしたら死ねば元の世界へと戻れるのではないかなどと楽観視していたのかも知れない。
たとえ夢だろうと、虚像だろうと女の子を泣かせるなんて間違っている。
まだだ、まだ終われない。
ヒロインを救ってこそ英雄ってやつだろ。
(抗ってやるさ。この世界に……)
近距離から振り下ろされる棍棒に競り合うのではなく、叩き斬るつもりで刀を振るう。
若干ではあるが、僅かに押し返すことで無防備になる一瞬ができる。
尽かさず斬撃を繰り出す。
回避のために後方へ跳躍するゴブリンへ同じく跳躍し、水平に斬りかかる。
ゴブリンは着地し、棍棒によるカウンターを放つ。
(ここしかない!!)
戦闘によって得たPP《プロパティポイント》を全て
地面を離れた後だというのに、急加速しガクッと不自然に角度を変えたことにより棍棒は空振り。
刀は勢いを増し、ゴブリンの右足を斬り飛ばした。
狙いは胸の中央に定めていたが、急加速からの急降下により大きく下段へと逸れる結果となった。
「は……はは。何で倒れないんだよ……」
ゴブリンは右足が斬り飛ばされたのにも関わらず、あたかも両足がそろっているかのように体制すら変えることなくそびえ立っている。
それは巨大なビルが目の前に建っているかのように確かな安定感であり、まるで見下ろされているかのように錯覚するほど強大。
俺だけが持つ特別な力を最大限使った。
どこで間違った!?
目の前の敵と出会った時から、命運は尽きていたというのか。
瞬きをした一瞬の間に、斬り飛ばしたはずの足が何もなかったかのように元の状態に戻っていた。
「とてつもない戦闘力の他に、長足再生のアビリティまで持っているとか冗談だろ……」
もう切れるジョーカーはない。
小細工が通用するような相手じゃない。
完全に詰んでしまった。
体力はとっくに限界を超えてしまっている。
喉には血が固形化して、息づくのもつらくたっているのだってやっと……。
「つっ!」
急に全身に激痛が走り、強烈な立ち眩みが襲う。
猛烈な眠気、視界が歪み朦朧とする意識。
ここまで受け続けた痛手のせいでくるものではない。例えるならば、身体の表面から内側へ向かって木の根が地面から水を吸い上げるかのような不快感。それでいて、全身は焼けるように熱くなり、まるで血液が沸騰しているかのような耐え難い苦痛が襲う。
まさか、魔法の類か呪いなのか。気づかれずに逃げられないように
(ここまでか……。まだ何もしていない……………。ユイナは……)
薄れゆく意識の先に見たのは、膝をつき苦しみながら崩れる少女の姿だった。
ユイナも同様の攻撃を受けていたのか……。
そんなそぶりは全く見せなかった。格の違いが如実に出ている。
結局、少女一人守れず犬死にするのだとやりきれない思いと死んでも死にきれない後悔の念を抱きつつ深淵の底へと沈んでいった。
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