第15話 意外な繋がり
女性の正体がある程度判ったので、表門で張っている坂崎さんに繋をつけた。本当は無線機で連絡しても良いのだが、向こうで誰か見ていたら、困るからだ。坂崎さんはいきなり俺が塀の陰から出て来たので、少し驚いた感じだった。
「どうした? 何かあったのか?」
期待している表情だったので、先ほどの山城さんと魚屋の事を話す。
「そうか、絵の指南役か……それも大御所さまに手解きをするとは、只者ではないな。単なる雌狐ではなさそうだ」
指南をするほどだから、自分でもかなり描けるのだろう。それでなくては誤魔化せまい。この時代でトップクラスの教養のある治斉をそうは簡単に騙すことなぞ出来はしない。
「大御所さまに関係しておるとすれば、裏門からの出入りはあるまい。今後張るのは表門か、安芸橋で良いじゃろう。どちたにしても、あの橋を渡れねば江戸市中には出られん」
山城さんも表門に合流して貰い、これからの事を話し合う。
「兎に角、蔦屋殿にもさきにも伝えなくてはならぬ」
「じゃあ俺が連絡して来ましょう。その間に動きがあったら無線で連絡してください。ここからなら蔦屋さんの家までなら繋がるはずです。この時代は電波を遮るものがありませんから」
「判った。でも本音は恋女房の顔が見たいのじゃろう」
坂崎さんがちょっとニヤつく。やはりこの人も早く身を固めさせないと駄目だと感じた。
横では山城さんが後ろを向いて笑っている。
「兎に角言って来ます」
俺はそう言い残して、一橋家を後にした。道順は来た時の反対だ。西本願寺の前を通り、木挽橋を渡って東海道を右に曲がる。そのまま真っ直ぐに歩いて行き京橋を渡る。道の両側はこの時代の大店ばかりがずらりと並んでいる。多くの人びとが歩いており、またそれぞれの店にも多くの人が入っていた。改革で贅沢が禁止されたいても人々はしたたかだった見たいだ。続いて日本橋を渡る。そして本町二丁目を右に曲がる。真っ直ぐに行くと通油町の耕書堂の前を通る。店は繁盛していた。店の中にこの時代の蔦屋さんが居た。何となくおかしい。
緑橋という小さな橋を渡ると直ぐに柳原の土手に突き当たる。斜め向かいの浅草御門を渡る。真っ直ぐ歩いて行き左に西福寺が見えたら左に曲がり掘割に掛かった小さな橋を渡り右に真っ直ぐ行くと、安倍川町の蔦屋さんの家だ。
「ごめんください」
と言って格子戸を開けると作兵衛さんが笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。ご新造もお待ちでございますよ」
そんなに待っていたのかと思い、足を拭いて上がらせて貰うと縁側の座敷でさきと蔦屋さんが向かい合って座って何かやっていた。
「何をやっているんだ?」
俺の声に振り向きながらさきが
「藤八拳でござんす。面白いので重三殿に教わったのでござんす。教えてあげますから、おやりやんせ」
藤八拳って確か、吉原の幇間の藤川東八が考案したお座敷遊びだと教わった。詳しい事は知らないが、江戸で流行ったのは文政年間だと記憶している。今は「東八拳」と改められている。まあ、吉原出身の蔦屋さんならこの時代でも知っていても、おかしくは無い。
「いや、今は良いよ。それより女の正体がある程度判ったんだ」
俺の話が終わる前に二人共止めて俺の方に向き直った。
「こうすけ殿、仔細を」
俺は、先ほどの事を話して聴かせた。すると蔦谷さんは
「そんな事は全く知りませんで、明らかに違うことが起きておりますな。問題はどのようにして一ツ橋さまに潜り込んだかですな」
確かにそれが一番重要だと思った。そこが判れば奴らの仕組みもある程度判るし、今後にも繋がると考えた。
その時だった。俺の無線機が振動した。この時代で変な音は出せないのでバイブ仕様にしてある。出て見ると坂崎さんだった。
「もしもし、どうしましたか?」
「こちら坂崎、今、商人らしい人物が屋敷に入って行った。俺は知らぬ顔だが山城殿が言うには、鶴屋喜右衛門に似ていると言うのじゃ。山城殿と代わる」
「あー山城じゃが、ワシも鶴屋喜右衛門に関しては何回も見ておらぬのだが、前に江戸に来た時に見た顔に似ている気がしたのじゃよ」
鶴屋喜右衛門……江戸時代後半で蔦屋さんと並んで出版業としてはかなり手広くやっていた店で、本店は京都の二条にあり、江戸は出店だが、次第にこちらも大きくなった。主の鶴屋喜右衛門は本来は京都在住だが、たまには江戸にも出て来ており、次第にその回数を増やして来たところだと言う。
蔦屋さんの所は黄表紙と呼ばれる読本も版画の浮世絵も扱っており、その他には肉筆画の注文を請け負って絵師との仲介などもする。その割合が蔦屋さんの場合は浮世絵が多いのに比べて鶴屋喜右衛門は黄表紙が中心だ。要するに業界として住み分けているのだろう。
鶴屋喜右衛門は幕末には広重の「東海道五拾三次」の浮世絵に関わった以外は余り浮世絵には関わった形跡がなかった。
鶴屋喜右衛門と聴いて蔦屋さんが俺の所までやって来たので無線機を貸す。戸惑っているので
「耳をあてて普通に話せば大丈夫ですよ」
そう教えてあげると、その通りにした。
「蔦屋でございますが……」
どうやら山城さんと会話が繋がったらしい。
「そうでございますか、うむ……私もそちらに向かいますかな? それとも途中で待っておりましょうか?」
もし、鶴屋喜右衛門なら店に帰るだろうとは俺も考えた。何も皆であそこまで行く必要はない。というよりとんぼ返りはちょっと嫌だった。
「通油町界隈なら見張るのには都合の良い場所もございます」
ならば話は早い。山城さんに
「その人物が出て来たら連絡お願いします」
と頼んで通話を切った。
「いや、この前に話には聞いておりましたが便利なものでございますな。遠く離れていても会話が出来るなどとは」
蔦屋さんは感心しているが、もはや、映像付きで会話も出来れば会議さえ行えるということは黙っておいた。
「早速でございますが、支度して行ってみましょう」
蔦屋さんの提案で、出かける支度をする。尤も支度するのはさきと蔦屋さんだけだ。俺はそのままの格好で良い。
その間、さきは作兵衛さんと一緒に何やらやっていた。
蔦屋さんが言っていたのは通油町の北側にある鶴屋喜右衛門の店の裏口に入る路地の角を見張れる仕舞屋だった。
「ここはウチが借りて版画や紙、その他のものを置かせている場所でござます。この時代の私に化けて言えば皆信じることでございましょう」
なるほど考えたものだと思った。
引き戸を開けると、番をしていた若者が
「旦那様、どうしてこちらに?」
そう言って不思議がるので
「なに、知り合いが色々なものの保管場所が見たいと言うのでお連れしたまでじゃ。暫らくここに居させて貰うが構わなくても良い」
「判りましてございます」
入り口の脇の部屋から鶴屋喜右衛門の店の裏口が丸見えだった。
「ここはようござんすねえ」
さきも感心している。
「あなたも今度、藤八拳を重三郎殿から習った方が良いでござんすよ。覚えれば一緒に楽しめるでござんす」
全く、のんきなものだと感心をする
それからも二人は藤八拳のことを話していた。俺は一人蚊帳の外という感じだった。楽しそうに会話をするさきを見て、この時代の人は、さきをどのように感じるのだろうと考えた。
この時代、既婚者の女性は眉を落とし歯を染める。着物も地味な柄にして、頭は丸髷。ちょっとした家の新造なら奥に引っ込んで表には出て来ない。さきを見ると、袖は普通の袖だが、柄は娘が着る黄八丈だし、頭も島田にしてある。それでいて行動や会話が既婚者なのだから、きっと正体不明に思えるのではと考えた。その時無線機が振動した。こっそりと店の者に判らぬように出ると、今度は山城さんだった。
「こうすけか? 女絵師と鶴屋喜右衛門が連れ立って出て来た。恐らく、そっちに向かうと思う。ワシらも後を付けて行く」
いよいよ動き出したと感じた。するとさきが、荷物から何か出した。
「もうお昼でござんすよ。お腹は?」
そう言えば減っていた。
「先程、作兵衛さんと作ったのでござんす」
さきが荷を広げると、握り飯と沢庵。それに竹筒にはお茶が入っていた。
早速、食べさせて貰う。旨い! 塩味だけだが、その塩味が今とは全く違うのだ。この時代は確か、江戸の塩は行徳で作っていたはずだった。行徳でこんな旨い塩が作れたのかと感心した。
「さき殿が拵えてくださったと思うと、一味違いますな」
蔦屋さんも喜んで食べていた。そう言えば、山城、坂崎両者も腹が減っただろうと考えた。
それから小一時間程で女絵師と鶴屋喜右衛門が姿を現した。俺はプリントアウトして貰った写真を出して、見比べた……間違い無かった。同一人物だと直感した。
二人が裏口から店に入ると、さきが表に出て、後から付いて来る二人を中に引き込んだ。
「ご苦労様でした。見比べましたが、鎌倉の女と間違いありません。同一人物です」
さきの出した握り飯を頬張りながら坂崎さんは
「一ツ橋殿といい、鶴屋喜右衛門といい、取り込むのが上手いですな」
そう感想を言うと蔦屋さんが
「一ツ橋様には恐らく鶴屋喜右衛門の紹介でありましょう。何処で鶴屋喜右衛門と繋がったかですな」
そう正したのだが、全くその通りだと俺も思った。天下の鶴屋喜右衛門の紹介ならば疑う事なぞありはしない。
「さき、旨いぞ! いい嫁になる……なってるか」
坂崎さんが飯を頬張りながらからかう。やはりこの人にも嫁を持たせようと本気で考えた。
しかし、鶴屋喜右衛門までにも繋がっていたとは……あいつらの組織は想像以上なのかも知れなかった。
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