第14話 女の素性

 転送室にはセンター長の姿が見えた。勿論、江戸時代最大の出版業を営んでいた蔦屋重三郎を迎えに出て来たのだろう。

「センター長、こちらが蔦屋重三郎さんです。重三郎殿こちらがこのセンターの代表であり責任者の霧島達也センター長です」

 俺は二人をそれぞれ紹介すると、蔦屋さんが

「蔦屋は倅に身代をを譲りましたので、只の重三郎とお呼びくだされ」

 そう言って自己紹介をするとセンター長も

「責任者の霧島です。この度は我が組織にようこそ」

 そう言って頭を下げた。センター長は歴史に詳しいので、こんな時に握手をしようとはしない。握手が明治以降の習慣と理解しているからだった。

「センター長、重要な報告があります」

 俺の言葉に一瞬緊張が走る。無理もない、坂崎さんや山城さん、それにさきもある程度事情を知っている。何事があったのか? と思っているのだろう。興味と不安が入り交じった顔をしている。

「部屋で聞こうか。、皆も聞いておいた方が良い」

 センター長はそう言って一同を室長室に一緒に来るように促した。


「皆、来てくれたかな」

「はい、揃っております」

 俺たちを代表して山城さんが答える

「では光彩くん。話してくれたまえ」

 センター長は自分のテーブルの椅子ではなく、来客用のソファーに俺たちと一緒に座っている。この人は常に俺たちと同じ目線に立ってくれる人だと思っている。

「はい、我々は勝川春章の弟子の春朗と接触しまして協力を得ることに成功しました。その他の協力者も得まして、推移を見守るこ事にしました。そして春章の身の回りの世話をしている春信という弟子が、謎の女性と接触しているのを目撃し、その女性の後を付けて行きました。そして、その行く先が一橋家の下屋敷だったのです」

 俺は取りあえず事実だけを簡素に報告する。細かい所は後で書類で報告するし、春朗との事はさきが既に報告済みだった。

 センター長は俺の報告を聞くと

「その女性が美術マフィアと言うのは間違いないだろう。実は色々な時代に現れてはその時の権力者に取り入ってる感じなのだ。もしかしたら同一人物かもしれないな」

 俺は先日、一橋家に入って行った女性の特長を話した。

「そうか、実は鎌倉期の駐在員が撮影に成功している」

 センター長はそう言って半透明のスクリーンに映像を投影してみせた。

 着ているものや髪型は違うが、あの女性だと直感した。

「場所は、鶴ヶ丘八幡宮。隣に立っているのは、公暁」

「公暁!」

 皆が一斉に叫ぶ。そう、あの鎌倉幕府三代将軍の源実朝を鶴ケ丘八幡宮で暗殺した人物だ。源がつかないのは出家した名前だからだ。父は源頼家で、正直驚いた。この女性が美術マフィアなら、いつの間にか日本の歴史に深く関わって来たことになる。

「公暁をそそのかした人物については諸説あるから、この者がやったとは言えないがね」

 センター長は俺たちが思い込まぬように言う。俺は

「この写真プリントアウトして戴けますか? 江戸に戻ったら見比べてみたいと思います」

 俺は無理を言って画像を印刷して貰った。蔦屋さんもそれを手に取り

「ほほう、これは便利なものでございますな。見たままですな。これは良い! だが、このようなものが世に満ち溢れるようになりますと、役者絵などは用が無くなりますな」

 そうなのだろう。それは俺も判る気がする。事実、明治になり写真が一般的になると、浮世絵の技法はドンドン廃れていった。現代ではその技法の復活に努めている方も大勢居るが、まだまだらしい。

「しかし、こんなに身近に公暁に近づけるとは、一体どのような工作で潜り込んだのでしょうな。一橋様の事と言い、謎でございますな」

 蔦屋さんが半分感心しているとセンター長が

「公暁に接触した理由は、源家が所蔵していた美術品だろう。事実、実朝暗殺後からいくつかの品が行方不明になっている。それらを捜査するのは我々の部門では無いが、如何にあいつ等が手広く、したたかだと言うことだな」

「自分たちの利益の為には歴史を改竄してめちゃくちゃにする事なんて何とも思わない連中なんですね」

 俺は改めて腹が立って行くのを感じていた。

「また、明日、向こうに行って貰う。今度はさき君や坂崎、山城両君も一緒だ」

「え、同心の仕事は……」

 俺の疑問に山城さんは

「今日から、南町奉行所は月交代で非番になったのじゃ、街を歩かなくても良くなる。それに、今回の捜査が終われば、また今の時に戻れば良いだけじゃ。今度のことは人出が要るじゃろうて、煮売り屋、一橋家、それぞれに張り付いておかなくてはならぬ」

 坂崎さんも

「そう言うことじゃ。江戸の街のことなら任せて貰おう」

 そう言って胸を張った。

「それでは、私の家を繋ぎ場所としてお使いくだされ」

 蔦屋さんが、そう言うとそれぞれが感謝して礼を言った。センター長が

「そのことについては、組織からも色々とありますのでご安心下さい。それから、今日は、組織のことやこの場所の案内をさせて戴きます」

 そんな事をを言いながら、案内兼レクチャー係の娘を呼び出した。

「蔦屋重三郎様、ご案内申し上げます」

 部屋のドアを開け、二十代前半の若い娘が出て来て、蔦屋さんの手を取って部屋から出て行った。

「おお、これは……皆様、それでは後ほど」

 蔦屋さんは満更でもなさそうな顔をしていたのが面白かった。


 蔦屋さんが居なくなると。センター長は

「兎に角、一橋家にどれほど食い込んでいるのかが問題だ。それを調べるのと、その弟子の春信が何者なのかを突き止めること。そして、考えられるのは、絵の制作過程で何処で絵が持ち去れたのか? あるいは、それを阻止すること。これが重要になって来る。各人宜しく頼む。なんせ国宝級の絵だからな」

「判りました!」

 残った俺たちは、そう言ってセンター長室を後にした。


 とりあえず、食堂に行き今後の作戦を練る事に決めた。坂崎さんと山城さんがコーヒーにミルクと砂糖をたっぷりと入れて飲めば、さきはレモンスカッシュを口にする。俺はウーロン茶を貰った。

「さて、どのように割り振るかのう」

 この中では一番の年長の山城さんが切り出した。

「さきと蔦屋殿は煮売り屋か蔦屋殿の家で待機して何かあったらすぐに出て来て貰う。ワシと坂崎、それにこうすけは一橋家に向かい、事情に応じて煮売り屋と行き来するというのはどうじゃな」

 現実的は、さきや蔦屋さんを炎天下の江戸の街に張り付かせる訳には行かない。

「そうでございますな。それしかありませぬな」

 坂崎さんも納得している。さきは正直面白く無いのだろう表情で判る。

「出来れば、ウチの人は連絡に頻繁によこして欲しいところですねえ」

 そんなことを言って少し頬を膨らましている。こんな表情をするのも珍しいので思わずニヤついた。

「まあ、そこは辛抱せい」

 坂崎さんに言われてやっと納得したようだ。その夜は久しぶりに夫婦らしいことをした。


 翌日、朝早くから一同揃って江戸に来ていた。朝の春朗との繋をするために煮売屋に行くと、既に春朗が待っていた。

「これはお早いですな」

 蔦屋さんが感心をすると春朗は

「春信のことでございますが、昨夜寺に戻って以降はおかしな素振りは見せなんだ。あの女は如何で?」

 昨日の春信の行動を教えてくれた。そこで俺は、あの女性が一橋家の下屋敷に入ったことを伝えた。

「そうでございますか……一橋様が何をお考えなのかは判りかねますが、その美術マフィアとやらは明らかに定信様の失脚を狙っておりようですな」

 俺は、正直驚いた。このやがて葛飾北斎と名乗る若者の頭の切れ具合を……。

「まあ我々絵師としても、きらびやかなものが描けないというのは困り者でございますが、師匠の絵を横取りする輩は許しておけませぬ」

 それは、恐らく春朗の本音だと俺は思ったのだった。

 春朗に引き続き何かあったら繋をしてくれるように頼み、蔦屋さんとさきは蔦屋さんの家に行くことにした。その他の俺と山城さん坂崎さんがは濱町の一橋家に向かった。

 表門を坂崎さんが見張り、裏の通用口を俺と山城さんで見張ることになった。


「しかし、このあたりは海辺なので風が強いな。これから夏に向かって行くから良いが、これが逆に冬に向かっていくなら辛いところじゃったな」

 漆喰の白い壁の陰から裏口を見張りながら山城さんが呟くように言う。確かに、冬はやっていられないと思う。暫らく見ていると反対の方角から誰かがやって来るのを感じた。見ると魚屋だった。袢天と格好で判った。それも天秤棒を担いでなんてものでは無く、大八車に木箱を幾つも乗せて、一人が引き、もう一人が後ろから押している。その後ろから押している人物を見た山城さんが

「あれ、あれは魚達じゃねえか?」

 そう呟く

「知ってる魚屋ですか?」

「ああ、前にちょっとしたことで関わってな」

 山城さんはそう言って、その魚達なる人物に近づいて行った。

「よう、どうしたい。一ツ橋さまに納めるのか」

 声を掛けたのが山城さんだと判ると魚達なる人物は、驚きながらも明るい表情をした。

「これは山城の旦那。また奇妙な場所でお会いしますな」

「なに、御役目じゃ。それはそうと、出世したのう、一ツ橋様に魚を納めるとはのう……」

「それも、皆、旦那がお助けしてくださったお陰で、その節は本当にお世話になりやした」

「何の、真実を明らかにしたまでじゃ……それはそうと、お主、よくここへは魚を納めに来るのか?」

「ええ、、最近は多い方で」

「ならば、この所、ここに若い女が出入りしてはおらぬか?」

 山城さんはいきなり核心の質問をした。訊かれた魚達さんはすぐに

「ああ、おりますでございますよ。上方から来た、女絵師だそうで、何でも大御所さまに絵の手解きをなさっておいでとか……」

「そうか、ありがとう! 手を止めてすまなんだ」

「いえ」

 魚達さんはそう言うと大八車を押して裏の木戸を開けて貰い、荷物を運びこんだ。

「絵師ですか?」

「ああ、そういう触れ込みなんじゃろう」

「大御所とは治済ですよね?」

 俺が直接の名を言ったのでこの時代の山城さんは少し驚いて

「いきなり名を言うな。驚くじゃろうて」

 そう言って俺をたしなめた。この時代は名を直接言うものでは無いらしい。

「ま、一つ情報が上がったな」

 山城さんは手応えを感じた様だった。

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