第8話 工作

 勝川春朗と名乗った春章の弟子は、悠然とした態度を見せていた。ここに居る三人はこの若者が将来葛飾北斎と名乗り、世界的な名作を描く事を知っている。

「師匠は、これから柳沢さまのお祝いの為の絵を書く支度をなさっております。師匠に御用がおありなら、私に言いつけくださるように願います」

 その目つきは真剣で明らかに俺達を胡散臭そうな人間と思っている感じだった。どうしようか返事に困っていると、さきが

「我ら三名は耕書堂の主と馴染みのものでござんす」

 そう言って蔦屋さんの名前を出した。するとこれが意外に効果があった。

「なんと、蔦屋殿のお知り合いで」

 春朗が表情を崩すと坂崎さんが

「この辺りで、煮売屋かめし屋はあるまいか。あれば、そこで色々な話なぞしたい。どうじゃな?」

 幕臣のような格好をしている坂崎さんを春朗も信用した。この時代、きちんとした身なりの武士であれば信用度は高い。それが言葉に訛りがなく幕臣を思わせれば尚更だ。

「話でございますか。あなた方が怪しい者ではないと判ったならば良いでしょう。いい店を知っていますのでご案内しましょう」

 春朗は自分に付いて来るように言って歩き出した。

「これから春章殿が描かれるというのは大和郡山藩主・柳沢信穐殿の古希のお祝いの絵ですな」

 坂崎さんがまず、こちらの手の内を見せると春朗は驚きの顔を見せ

「そこまで知っていなさるのですか? あなた方も彼らの一員なのですかな?」

 そう言って不思議な顔をした。驚いたのはこっちの方だ。

「彼ら? すると今まで誰かが同じように接触して来たので?」

 俺が訊くと春朗は

「はあ、先日上方の黄表紙屋と名乗るものが来まして、私の絵などを幾つか買って行ったのでございますよ。いい値で売れたので、それは良かったのですが、その時に師匠の事を根掘り葉掘り訊いて行きました。それがあったので、また同じと思ったのでございます」

 恐らく、上方の黄表紙屋とは真っ赤な嘘だろう。美術マフィアに違いない。あいつらはかなり手広くやっている。こちらもウッカリ出来ない。

 春朗は浅草御蔵の前の広い道に戻ると北の方角に向かって歩き出した。程なく左に鳥居が見えた。さきが

「大護院です。八幡様と成田のお不動様が祀っているでござんす」

 そう説明をしてくれると、春朗はその門前町にある煮売屋に入って行った。

「酒もそうですが旨い飯も食わせてくれるでございますよ」

 その言い方には常連を思わせた。店は間口一間半ぐらいの狭い店で土間を入るとすぐに上り口となっている。雑巾で足を拭いて、上に上がると春朗は店の親父に

「適当に見繕ってくれ。飯も頼む」

 そう注文した。思わぬ時刻にお客が入って来たので親父も機嫌が良さそうだった。

「へい、お待ちどうさま」

 親父が運んで来たのは、葱のぬたで、大ぶりな徳利を二本添えて来た。一緒に運ばれた猪口もこれも俺の感覚ではかなり大きめだ。

 さきが気を利かせて箸と猪口を各人に配る。

「さ、春朗さんどうぞ」

 さきが徳利を持ちあげて春朗にお酌をする。それを受けると春朗は表情を崩した。どの時代でも女性のお酌に男は弱いらしい。

 この時代には乾杯の風習は無いので武士である坂崎さんが

「それでは」

 と言って猪口を目の高さまで上げて一気に飲み干した。他の三人も同じ真似をする。酒は今と違って不純物がある感じがした。だが、それが酒の風味を増している。但しアルコール度数は低い感じがした。これなら倍は呑めると思った。

 次に俺は箸を使って葱のぬたを口に運ぶ。江戸らしく赤味噌を使ったぬただ。和布が入っている所も今とそう変わりはない。だが味は全く違う。口の中いっぱいに味噌の香りが広がる。葱を噛むと甘みが広がるのだ。それが味噌の風味と相まって何とも言えぬ味を出している。お酢も今より優しい風味でキツさが無い。穏やかな酸味がこれも葱と味噌の風味を増しているのだ。これなら酒が進む。そう思って坂崎さんと春朗を見るとお互いにお酌をしながら三杯目を呑んでいた。

「実は春朗殿、あなたの師匠の春章殿が描こうとしている絵じゃが、構図を鳥文斎 栄之殿の「福神の軸を見る美人」を借りて描こうとしてると我々は考えておるのじゃが……」

 いきなり核心を突いた言葉に春朗は驚いていたが

「あなた方は何者ですかな。蔦屋殿と親しいということは本当でしょうが、どうもこの世の人では無い感じが致しますな」

 さすがは将来の大家だ天才と言い換えても良いだろう。

「武士の旦那とこちらの女生はそう変わりない感じが致しますが、こちらの方は、この世の方とは思えませぬ」

 驚いた。一瞬で俺が江戸時代の者ではないと見抜いたのだ。ここに至ってどうするか、俺は坂崎さんに目配せをした。

「春朗殿、そこまで疑られては正直に申そう」

 坂崎さんがそう言った時に店の親父さんが料理を運んで来た。山盛りの飯に沢庵を刻んだお新香。それに刺し身で、赤身だった。見ると鮪ではない。すると鰹か? そうだ、時期だと思った。皿には黄色い辛子が添えられている。

「おお、鰹が来ました。江戸に来たならばこの時期は鰹でございますよ」

 春朗はそう言うと坂崎さんに勧める。その言葉に坂崎さんは辛子をたっぷりと乗せて醤油を僅かに漬けて口に運んだ。

「う~ん。旨い! この時期の鰹は口には出せぬほど旨い」

 その言葉に春朗もさきも、そして俺も同じように口に運ぶ。実は辛子で食べるのは初めてだ。知識では江戸時代は鰹を和辛子で食べていたとは知っていたが、どのような味がするかは想像出来なかった。

 ゆっくりと噛みしめると鰹のプリっとした食感に続いて濃厚な旨味が口に広がるとその次に強烈な辛味が鼻に抜ける。その感じが思ったより感じが良くて、生姜も良いが辛子も悪く無いと思った。

「旨い! 辛子で食べたのは初でした」

 俺の感想を聴いた春朗は

「やはり、あなただけはこの世の人ではありませぬな」

 そう言って目を細めた。完全に見抜かれたらしい。

「正直に申そう。我らは、浮世絵や絵画の価値を守る組織の者じゃ。ワシも今の時代の人間ではない。今から五十年後の世界の者だし。この娘は平安期じゃ。それにこの者は今から二百年以上先の世のものなのじゃ。そして、そんな時代が違っているものが集まってこうしているのは、お主の師匠春章殿がこれから描く絵が後の世で問題になっておるのじゃ」

 坂崎さんの言葉に春朗は暫く考えて

「なるほど……俄には信じられぬ話ですが、私自身が、この方をこの世の者ではないと感じてる以上本当だと信じねばならないでしょうな。私は、思っていたのです。今まで浮世絵は役者や美人などを描いて来ましたが、想像の産物を描いても面白いのではないかとね。それを聴いて納得することもありました。先ほど述べた上方の黄表紙屋というのも何か違和感を感じたのでございますよ」

 春朗はそう言って猪口の酒を飲み干して自分で次の酒を注いだ。

「実は、そのこれから描かれる作品じゃが、問題が起こってのう」

 坂崎さんの言葉に春朗は興味を持ったようだ。

「どうのような問題ですかな?」

「正直に言うが、春章殿が書かれた美人画は後の世では国の宝として保管されておる。だが最近、それと全く同じものが現れたのじゃ。しかも、それを売りに出すという。鑑定させても真贋がハッキリとは判らぬ有様じゃ。そこで我らがやって来た訳じゃ」

 坂崎さんの言葉を静かに聞いていた春朗は猪口の酒を飲み干すと

「偽物ですか……そういえば、あの上方の黄表紙屋は根掘り葉掘り尋ねていましたな。怪しいと言えばそうでございますな」

「その者は『美術マフィア』と我らが呼んでいる者達で、その時買って行った絵も将来の世で高額で売っているのですよ」

 俺は美術マフィアの手口を話すと春朗は

「私の作品を幾らぐらいで売ってるのでございますか?」

 そう言って値段を確かめて来た。俺は本当にあいつらが幾らで売ってるのかは正式な値段は知らなかったが、春朗が驚く値段を言えば良かろうと思った。

「大体一枚数千両でしょう」

「数千両! 私は一枚数両で売ったのに……」

 暫く考えていた春朗は

「判りました。あなた方に協力しましょう」

 そう言ってニヤッと笑った。

「では固めの杯を」

 俺が芝居ッ気たっぷりに言うと皆が笑った。

「では!」

 そう言って俺らと春朗は固めの杯をしたのだった。

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