第7話 意外な場所
春章は六十を過ぎているとは思えぬ程しっかりとした足取りで歩いて行く。供の者が前を歩かなければならないのだが、若干遅れ気味になっている。
「坂崎の旦那、それにこうすけさん。あの供の者はどうも下男という感じでは無さそうでござんすねえ」
さきにそう言われて見れば、確かに下男なら主の春章より遅く歩くなどと言う事は普通は考えられない。それに春章は円筒形の包を供の者に持たせている。恐らくあの包には絵が入っているものと思われる。何の絵かは判らないが、大凡の見当ぐらいはつく。
「ワシが見るところ、あれは弟子じゃな」
坂崎さんが自分の考を述べるとさきも深く頷いた。
「そうでござんすねえ。それにあの筒の中は『福神の軸を見る美人』でしょう」
「なんだって! 栄之はそんな大事なものを渡したのか?」
俺は驚いてしまった。いくら親しいとは言え、大事な自分の作品を渡すとは思えなかったからだ。
「こうすけさん。本物ではござんせんよ。弟子に書かせたうちの一枚でござんしょう。栄之は自分が書いた下絵に大勢居る弟子に色を塗らせているでござんす。そうやって効率を上げて大量生産をしていたのでござんす」
そうか、ならばその内の一枚なのか。俺はさきに説明を受けて納得した。
春章と供の者は回向院まで戻ると両国橋を渡り戻り始めた。何処に行くのだろうか? 普通は春章の工房か自宅だろう。栄之が隠居して居を別に構えたのは、大量生産する為の工房が必要だったからなのだろう。それぐらいは俺でも想像出来る。
両国橋は午後の日差しを受けて様々な人々が行き交っている。坂崎さんが
「今の時代じゃ寿司を売り歩いている者はおらぬからな。それにしても小腹が空いたな」
物欲しげな表情をした坂崎さんの隣を天秤棒を担いだ魚屋が通りすぎて行く。俺もそう言えば腹が減ったと感じた。
橋の下は小舟が幾艘も出ている。屋形船の中では宴会でもやっているのだろうか? そんな所は今と変わりがない。
橋を渡り終わると、すぐに右に曲がり柳橋を渡り始めた。柳橋は神田川が隅田川に注ぎこむ所に掛かっている橋である。渡り終わった一帯は料亭などが並ぶ歓楽街となっている。この頃から深川の芸者が柳橋に流れて来て、最盛期を迎える。
ちなみに、深川芸者は男名をつけるのが決まりだ。「ぽんた」や「うめ吉」などだ。元が深川芸者の柳橋の芸者も男名前をつける。
春章は橋を渡ると神田川を左に見て川沿いを歩いて行く。程なく広い道に出ると更に右に曲がった。
「春章のやつ、まさか『松平山西福寺』に行くのではなかろうな」
坂崎さんは定町廻り同心だ。今でも組織の仕事の傍ら毎日江戸市中を一日三十キロは歩いている。江戸の街には詳しい。この時代でも寺院や大名の屋敷などはそう変わりはない。この後の明治の変革期に比べれば変わっていないも同じなのだ。
「それ、確か、春章の菩提寺でありんすね」
さきがすかさず言うと坂崎さんは
「これはワシの推測じゃが、春章は別に絵を制作する場所を持ったのじゃなかろうかと思うのじゃ」
「つまり、自分の寺の傍に工房を新たに持ったということですか?」
俺は当たり前のことを尋ねてみた。
「ま、もうじき判るじゃろうて」
春章は相変わらず軽い足取りで歩いて行く。その後を付ける俺達三人。右は幕府の米を収納する御蔵だ。秋になると両替商と幕臣が米と金銭を交換するために混みあう。その頃は船を引き込む為に掘ったお堀に、三十石船と呼ばれる船が幾くつか係留されていて、荷の揚げおろしがされているだろう。道の反対側には両替商が並んでいる。
御蔵沿いに暫く真っ直ぐ歩いていたかと思うと、御蔵の門が右側に見えたあたりで不意に左に折れた。そして大きな山門の中に消えて行った。
「やはり西福寺じゃったな」
坂崎さんが嬉しそうな顔をした。
意外と言えばそうだった。若い頃は人形町の地本問屋林屋七右衛門の家に寄寓していたと言うし、春章自身の素性は本当の所はよく判っていない。系譜などは西福寺に残っているそうだが、余りあてにならない。系譜を創作するのはよくあるからだ。
大体が勝川派という一門は役者絵を得意としていたのだ。春章自身は、勝川派の棟梁の座を弟子に譲り美人画へと傾斜して行った。
この当時、浮世絵と言われた版画絵を書く絵師よりも肉筆画を書く絵師の方が格が上と見られていたそうだ。当時役者絵は今のブロマイド的な需要があったらしい。
門の中に俺らも入ろうと近づく、門の外から中の様子を伺うと既に二人の姿は消えていた。
「何処かの建物に入ったな」
坂崎さんが少し悔しそうに呟く。
山門から見る寺院の中は様々な建物が立っていて別院も幾つかあった。そういえば春章は別院の存心院という所に埋葬されたらしい。案外そこかも知れない。
「こんな時に蔦屋殿がおれば簡単なのじゃが」
この時代の寺院は今と違ってむやみに立ち入る事が出来ない場合がある。注意しなくてはならないのだ。
「でも、役者絵の殆んどは林屋七右衛門さんの所から出してるじゃあまりませんかねえ。蔦屋さんとの関係はどうなのでござんしょう」
さきの言う事にも一理ある。
「なに、それでも知った仲だと確認はしてある」
そうか、人形町なら蔦屋さんの耕書堂とも眼と鼻の距離だ。林家を出てからは蔦屋さんとも仕事をしたかも知れない。
「強制的というなら知り合いの寺社奉行の同心に頼みたいが時代が違うからな。一旦帰って山城殿にも協力を願うかのう」
今は寛政二年だ。前に俺がさきや山城さんと蔦屋さんの前に姿を表したのは寛政五年だ。あと三年もあるし、その時では春章も亡くなっている。尤も蔦屋さんも歴史上では寛政九年には亡くなっている。
俺たちのやってることは歴史の表面には決して出て来ない事なのだ。
「よし、ワシが知人の墓参りということで中に入って様子を見て来る」
坂崎さんは今は同心ではなくごく普通の武士だ。身なりや頭の様子からも幕臣という感じがする。案外信用されるかも知れないと思った。
「では、探って来るわい」
俺とさきが見守る中、坂崎さんは刀の位置を挿し直して修正すると静かに寺院に入って行った。その時だった。後ろから声をかけられた
「もし、私と師匠に何か御用ですかな」
飛び上がるほど驚いた、とはこの事だろう。ウワッと言って飛び跳ねてしまった。振り向くと先ほど春章の供をしていた、弟子と思われる人物だった。
「私は勝川春章の弟子で勝川春朗と申します」
三十になろうかと言う若者はそう自己紹介をした。若い頃の葛飾北斎である。
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