第6話 もう一人の絵師
転送室に向かう廊下を歩きながら俺は、五月雨さんに先ほどの浅田学芸員に、聞き取りをした中で疑問に思った事を尋ねる。
「『東京美術倶楽部』はいったいどんな鑑定をしたのでしょうか?」
俺と肩を並べながら五月雨さんは
「実は鑑定していない。鑑定の以来はあったが、最初から贋作と決めつけたそうだ。そうだろう、常識的に考えて、出光美術館には本物がちゃんとある。盗難とか何かの理由で無くなったということなら鑑定を受けた可能性もあるがな」
「そうですよね。それで、ウチに話が来たのですか?」
「ああ、胡散臭い話が持ち込まれたらウチに連絡してくれるように依頼しているしな」
これまでも美術マフィアの持ち込んだ絵画の情報を同じように流してくれたのだ。「東京美術倶楽部」としても美術マフィアが過去から絵画を無闇に持ち込めば現在の市場価格に影響を及ぼすし、その文化的な価値の破壊に繋がる。だから無視は出来ない。そのように「東京美術倶楽部」とウチは持ちつ持たれつなのだ。
「でも、情報を交流すればするほど、ウチの秘密が判ってしまいますね」
二人の前を歩いているさきが本音とも言えることを口にした。
「ま、肝心なことは秘密のままだがな。美術マフィアに対しては共通の敵という認識だからな」
兎に角、俺達は二枚目が出て来た「美人鑑賞図」の秘密を暴いて、可能なら偽物をこの世から抹殺せねばならない。
五月雨さんの見送りを受けて俺とさきは転送した。時代は寛政二年の江戸だ。
何時もの長屋に転送された。どうやら坂崎さんは来ていないようだ。もう既に何処かに張っているのだろうか。
坂崎さんが居ないので、さきが袂から連絡用の無線機を取り出した。これは俺が最初に江戸に来て襲われた時にさきが坂崎さんに連絡をつける時に使ったものだ。今では俺も持っているし、各時代の駐在員も持っている。ちなみに電気の無い時代の駐在員の為にソラー充電仕様となっている。
「さきでござんす。坂崎さんと合流するように指示を受けているでござんす」
さきは何時ものことながら江戸では江戸言葉になる。これは今でも変わらない。俺も本当は現代の「です、ます」という言葉は使わない方が良いのだが、つい使ってしまう。この時代は「です、ます」は卑しい言葉とされていたのだ。全く明治維新でかなり日本人の言葉も変わってしまった。
一節によるとこの時代では日本語も、もっと子音の発音が多かったという話だ。たまにこの時代の坂崎さんや山城さんと話していて感じることがある。尤も二人は武士なので基本的には今の言葉に近い発音をしてる。江戸市中を役目で歩く時は町人言葉を使っているのは同心としては当たり前なのだそうだ。
「え、御竹蔵でござんすか……鳥文斎栄之の屋敷の近くでありんすね……近くに行ったら、また連絡するでござんす」
鳥文斎栄之……江戸時代後期の浮世絵師で五百石高の旗本でもあった。寛政から文化文政期にかけて活躍した。武家出身の浮世絵師らしく、清楚で慎ましやかな全身美人画で当時の人気を博したし、小納戸役の絵の具方を務め、将軍家治が絵を好んだので御意に日々お傍に侍して御絵のとも役を承っていたそうだ。
つまり、かなり格式の高い絵師ということだ。
「こうすけどの(これが俺の江戸での名前)坂崎どのは幕府御竹蔵の傍にいるそうでござんす。これから一緒に行くでござんすよ」
さきは完全に仕事モードになっている。さきにとって仕事で江戸に来るのは久しぶりなので、気合が入っているのだろう。俺でもそれぐらいは判るが、二人だけしか居ないのだから言葉までいきなり変えなくとも良い気がする。
「判った。早速行こうじゃないか」
「こうすけどの、言葉には気をつけるでござんす。どこで誰が聞いているか判らないでござんす」
「ああ、わかった」
神田竪大工町から幕府の御竹蔵までは歩くと少し距離がある。俺とさきは道を間違わないように、長屋を出て表通りの御成街道と呼ばれる東海道に繋がる道に出た。さすが江戸のメインストリートだけあって人通りも多い。ここを左に曲がる。右に行けば日本橋だ。 筋違御門の所で今度は右に折れる。土手沿いに歩いて行く。この道を「柳原通り」と呼ぶ。名前に相応しく土手には柳が並木として植えられている。ちなみに俺達の左には神田川が流れている。少し遠回りだが、この道の方が判りやすい。近道でも間違えたら元も子もない。
「春章が『美人鑑賞図』を描くにあたり栄之の「福神の軸を見る美人」を参考にしたと言われているでござんす。もしかしたら、坂崎どのは春章をつけて栄之に行き当たったのかも知れないでござんすね」
少し先を歩くさきが俺に向かって話す。この時代、歩きながら色々話すということがやり難いので困ってしまう。かと言って男女並んで歩いて好奇の目で見られたくはない。
この先で両国橋を渡るのだ。蔵前の渡しを使っても良いが、どうせなら両国橋を歩いて見たかった。
両国橋までは今なら凡そ、駅二つ分ある。それなりの距離だ。小一時間も歩いただろうか? 両国橋が見えて来た。俺は日本橋や京橋のように擬宝珠があるのかと思っていたが、銅の被せ物はあったが擬宝珠はなかった。江戸と下総を結ぶ橋なのでもっと格式があると思っていたが意外だった。
この橋も人の行き交う姿が多い。渡ると先は向両国で隅田川の脇の火除け地には見世物小屋が並んでいるはずだが、今が寛政と思い出した。寛政の改革で見世物小屋の数も取り締まりの対象だったことを……それでも幾つかはあったが、文化文政の頃なら大変だっただろう。橋の上から富士山が見えた。空を見ると雲一つない青い空だった。何だかほっとする。
橋を渡り終わると目の前に回向院が見えて来た。ここは現在でも場所は変わらないので判り易い。角を左に曲がり更に大きな角を右に曲がると左側が幕府の御竹蔵だ。ここは基本的には幕府の資材置き場だが後には米なども収納するようになった。蔵前の御蔵と同じような機能を持つことになった。
「さて、坂崎どのはどこにいるのでござんすかねえ」
さきは左右前後を確認する。この辺りは町家はない。周りは全て武家屋敷だ。所謂、幕府からの拝領屋敷が並んでいる。朝だろうが昼だろうが殆ど人通りは無い。
近くに人が居ないのを確認すると先ほど同じように袂から連絡用の無線機を取り出した。
「御竹蔵まで参りました。どの辺に居るでござんすか?」
坂崎さんの場所が判ったのだろう。さきは通話を切ると再び無線機を袂にしまった。それから程なく武家屋敷の塀の間の小路から坂崎さんが姿を現した。同心ルックではなく深川鼠という薄い浅葱色が少し鼠色ががった色の着流しに金茶の羽織を着ている。どこから見てもちゃんとした侍に見える。
「おう、待っていたぞ。何にしろ人手が必要だからな」
「鳥文斎栄之の屋敷とは驚きましたね。でも後を付けていて良かったですね。武家屋敷には表札も案内の札も掛かっていませんからね」
「まあ。その時は物売りにでも訊くわ。それよりこっちだ」
坂崎さんは俺とさきを手招きすると先ほどの小路に入って行った。百メートルほど小路を歩いて行く。両側の塀からは大木の枝が張り出していて、昼前だというのにかなり暗い。
小路を抜け、やや広い道に出た。斜め前には屋敷の門がある。
「あそこでござんすか?」
さきが尋ねると
「いいや、もっと右の屋敷だ」
そう言って右に歩き出す。拝領屋敷と言ってもそう石高の多い旗本の屋敷ではないので、隣の屋敷の門が見えている。
「あそこが鳥文斎栄之の屋敷だ。尤もここは隠居所だから浜町にある屋敷よりかなり小さい」
「隠居所という訳ですか……確か妹を養女として婿を取ったのでござんすね」
「そうだ、さすがじゃな」
「中に入れないのでここで待つしかないですね」
俺はこの時、前にさきと一緒に意識だけ転送できるシステムのことを思い出した。それを言うと
「ああ、そうですね。でもまさかこんな展開になるとは思っても居なかったでござんす」
さきが戸惑っていると坂崎さんが
「今回は栄之のことではない。春章が栄之と懇意だと判れば良いのだ。今恐らく屋敷の中では春章は「福神の軸を見る美人」をこの瞬間に見ているやも知れぬ」
そうか、塀の外だが、今は歴史的瞬間なのかも知れない。
「でも、春章はよく三十も歳の下の栄之の絵を参考にしましたね」
「ああ、本当のことは直接訊かねば判らないが、それも蔦屋殿が回復すれは直接会えるじゃろうて」
そうなのだ。その為にも蔦屋さんは回復して貰わねばならない。
凡そ半時(二時間)も待っただろうか。門の脇の木戸が開いて綺麗な身なりをした老人が表に出て来た。供の者を連れている。
見送りに三十代の小柄な男が出て来た。これが栄之だろう。お互いに和やかな表情で挨拶をしたている。
「春章だ!」
一気に緊張が走った。
「後を付けて行くぞ」
栄之が屋敷に入って春章が歩き出すと、俺達三人は少し離れて歩き出した。春章は何処に行くのだろうか?
武家屋敷の間を抜けて行く風が心地よかった。
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