第5話 疑惑

 窓のない応接室に置かれたソファー。片方の側に俺とさき、反対側に浅田学芸員が向かい合わせで座っている。間に置かれたテーブルの上には先程さきが運んで来たコーヒーとグラスに入った水が置かれている。水は浅田学芸員が望んだものだった。

「では始めさせて戴きます。まず、『美人鑑賞図』と言われる作品を鑑定したのは何処でですか?」

 まあ録音をしているなら筋立てて訊かなければならないと思っていた。

「オークション会社の一室です。普通の会議室とは何か違う雰囲気を感じました」

 唇が乾くのか浅田学芸員はグラスの水に口を付けると静かに語りだした。

「部屋には誰が居ましたか?」

 さきが訊いて行く

「はい、大東興産のイギリス支部の方が一名と、オークション会社の人が三人居ました。皆男性で、女性は居ませんでした」

 俺は記録装置を確認しながら監視カメラの向こうで見ているはずの五月雨さんに判るように合図を送る。

「浅田さんは鑑定に必要なものをお持ちでしたか?」

「はい、ルーペなどは持って行きました。最初に携帯やスマホなどは脇にあったテーブルに置くように指示され、ルーペ以外は持たせて貰えませんでした」

「そうでしたか、でも不思議ですね。私どもが調べた情報では、最初に『東京美術倶楽部』さんに直接鑑定を頼んだと聞いていますが、その辺りのことは何か言っていましたか?」

 実は先ほど五月雨さんから聞いたのだが、どうやらオークション会社はイギリス支部に連絡する前に直接鑑定を「東京美術倶楽部」に頼んだらしいのだ。「東京美術倶楽部」は美術品に対して鑑定書を発行して真贋を確認する組織でもある。当然わが社との関係も深いし、お世話になっている。今度の情報も「東京美術倶楽部」からもたらされたのだ。

「そうですね。『東京美術倶楽部』では鑑定書を出さなかったのでしょう。だからオークション会社は焦ってイギリスの支部に相談したのだと思います」

 浅田学芸員は淡々と事実だけを述べていた。

「では、鑑定の所見を述べて戴けますか?」

 さきは意外に冷静に話を進めている。このようなことを何回も行って来たのだろう。

「まず、部屋が暗かったので、明るくして欲しいと頼みました。でも、これが精一杯の明るさだと言われ、仕方なくそのまま続行しました。この時点でかなり怪しいとは思っていました。鑑定をするのにあの明るさはないと思ったのです。それでもしかたなく、ルーペを出して、詳しく見て行きます。全く、ウチの美術館にある『美人鑑賞図』と変わりないと感じました。でも、学芸員がこんなことを言ってはならないのですが、何か違うと感じました。二枚を並べて比べればハッキリしたのでしょうけど、本物に違いないはずなのに何か違和感を感じたのです……すいません。あの絵のことなら誰よりも知っているつもりでしたが、上手く言えなくて……」

 浅田学芸員はそう言って苦悩している感じだった。無理もないだろう。そもそもある筈のないものがもう一枚出て来たのだから。

 結局、新しい情報は特別は出て来なかった。ただ、「何かが違う」と言った浅田学芸員の言葉が後に生きて来ることになろうとは、この時深くは思っていなかった。

 聞き取りが終わろうとした時、五月雨さんが応接室に入って来た。

「浅田さん、ありがとうございます! 二人もご苦労様、後は私が引き継ぐから」

 その言葉に俺とさきは部屋を出て行こうとした時だった。浅田学芸員が

「失礼ですが、女性の方、何処かでお逢いしていませんでしょうか?」

 突然の言葉にさきは驚いたが

「いいえ、このように間近でお話することは初めてだと思います。勤務地が割合近くですし、同じ東京駅を利用するので駅でお見かけしたのかも知れませんね」

 にこやかに対応すると、浅田学芸員は腑に落ちない表情をしながらでも納得していた。


 応接室を出るとさきが

「私は会ったことは記憶にありませんが、組織の催しにでもいらしたのですかねえ?」

 そう俺に言う。そう言えば五月雨さんは何の用なのだろうか? もしかしたら、浅田学芸員を組織にスカウトするのかも知れないと思った。その事をさきに言うと

「そうですか、日本画の調査には良い人材かも知れませんね。それに内密とはいえ、今度のことが判ったら、博物館には居られないかも知れません。その辺りのことを五月雨さんは話しているのかも知れません」

 さきに限らず、恐らくそんな内容だとは俺にも想像出来た。

 事務室で待っていると五月雨さんから再び呼び出しがあった。浅田学芸員を送って行くのだ。場所は先程の丸の内警察署だ。帰りの車の中でもしきりに、さきに対して

「一度ならずお見かけしたような感じなのですが……」

 そう言ってしきりに不思議がっていた。

 浅田学芸員を降ろして車を走らせると、さきが

「何回も言うってことは、何かあるのかも知れませんね。これからは注意して行きましょうね」

 そう言って気を引き締めるように言う

「まさか、前に写楽さんに書いて貰った絵が流失したのかな? それで、その絵を見た記憶が残っていたとか……」

 ハンドルを握りながら、勝手な推測を述べると

「でも、一枚はウチにありますし、もう一枚は今でも中東の王様の寝室に飾ってあるそうです。先日、その王様と取引があったので絵を納品した者が言っていました。だから、浅田学芸員が見るはずが無いのです」

 確かに、その通りだろう。でも彼は「一度ならず」と言っていた。これはどのような意味なのだろうか?


 大東興産に帰ると五月雨さんが

「もしかしたら、浅田さんは我が組織に入るかも知れない。含み置きしておいてくれ」

 そう言って目配せをした。事実上組織に入ることが決まったのだと理解した。

「目ぼしい話は無かったな。ならば早速で悪いがこれからセンターに行って明日にでも坂崎くんと合流してくれ」

「判りました」

 俺達は転送室から再びセンターに転送して貰う。慣れたとは言え、転送される瞬間に一瞬真暗になるのは、余り気持の良いものではない。

 センターに到着すると、早速食堂に行く。時間も遅くなっていて食事をしたかったからだ。俺は夜なので「ハンバーグ定食」にする。さきは

「硬いものも食べないと歯が弱りますよ」

 そう俺に言うが好きなものは仕方がない。それに先日食べた中華丼には筍も入っていて歯ごたえはある。

「私は何にしようかな~」

 と選んだのが、「海老芋と身欠き鰊の炊き合わせ」に何と「八ツ橋」だった。「八つ橋」って生ではない。あの硬い奴だった。

「家では孝さんの好きな献立中心ですが、ここに来れば好きなものが食べられますからね」

 そう言ってニコニコしている。そうかあ? 家でも何だかんだって好きなものを食べている気がするが……まあいい、さきが喜べば俺はそれで良いのだ。

 俺のハンバーグはデミグラスソースがかかった普通のハンバーグでナイフを入れると肉汁がほとばしる。さきが見詰めているので切り分けて一つご飯の上に乗せてやると喜んだ。やはりこいつもハンバーグは好きなのだ。

 代りに、海老芋を箸で割って俺の口に入れてくれる。ねっとりとしてそれでいて、濃厚な芋の旨味が口の中いっぱいに広がる。出汁の味も程よく、日本人に生まれて良かったと思える味だった。

「私、京生まれだからやはりこのようなのが好きなのです」

 つい忘れがちになるが、さきは貧乏貴族でも京の生まれなのだ。十三の歳に家を出て以来きっと実家には帰っていないのだろう。さきにとって京の料理はそれを思い出させるものなのだろうと思った。大事にしてやらねばと改めて思う。


 翌朝は、センターの更衣室で着替える。何時ものようにしようとしたら、美容部員が

「光彩さん、毎度め○ら縞の着物では飽きましたでしょう。新しい着物を作っておきました」

  美容部員が広げて見せてくれたのは藍を基調としたすっきりとした縞柄だった。前の柄も縞だが非常に細かいので縞に見えないのだ。

「いい柄ですね」

「唐桟といいます。江戸中期に流行ったのですよ」

 そうか、そんな点も重要だったと改めて思った。

 着替えて待っていると隣の女子の更衣室からさきがやって来た。見ると一番最初に見た黄八丈に朱の帯だった。

 さきは、俺と結婚しているので娘ではない新造と呼ばれる人妻だ。江戸時代は結婚すると女性は眉を落とし、歯をお歯黒にする。だが、さきは現代で俺と一緒になったので、その風習はしていない。だから見かけは江戸の人から見たら「年増」と言うことになる。

「年増」と言っても年寄りという意味ではなく、「成熟した女性」という意味なのだ。それにもう少し歳を取れば「大年増」という呼び方もある。

「ああ、唐桟ですか、いいですね~ 楽しみです」

 何が楽しみなのかは、よく判らないが兎に角さきは喜んでいる。だってそうだろう。江戸時代は男女は一緒に歩けない時代だったのだ。俺だって黄八丈の町娘の格好をしたさきと一緒に歩きたい。でもそれは叶わないのだ。

「さ、行こうか。坂崎さんが待っている」

「そうですね。行きましょう。そして何故二枚描かれたのか調べましょう」

 さきの言葉に頷いて俺達は転送室にむかった。

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