第8話 瓢箪から駒

 警報を聞いて真っ先に駆けつけてくれたのが坂崎さんだった。

「どうした? お、さき、誰かにやられたのか」

 そう言いながら、さきの状態を調べると

「傷や怪我はなさそうだな。どうやら当て身を受けて気絶したみたいだな」

 さすが同心だけのことはある。現場検証や被害者の状態を確かめるのは、お手のものだ。

「こうすけ、さきは気絶しているだけみたいだ。どうやら当て身を食らって気絶したみたいだ」

 坂崎さんがそう言ってさきの体を起こして、背中を開くように活! を入れるとさきが目を覚ました。

「あ、あれ、私……」

 キョトンとしているさきに坂崎さんは

「何も覚えていないのか?」

「いえ、誰かに襲われたと思ったら気が遠くなってしまって」

 そこに、センターから職員と医師がやって来た。医師は簡単にさきを診察した後 

「医務室でちゃんと診察しましょう」

 と言ってさきを医務室に連れて行った。気が付くと野次馬が大勢集まっていた。俺は坂崎さんに小声で

「実はですね。襲った奴の履いていたスリッパを俺夢中で掴んで、持ってるんですよ。それと、脱がした時に足首を引っ掻いたんです」

 そこまで言った時に坂崎さんが俺よりも小声で

「判った。 こうすけ、なるべく知らん顔して見てみろ! 俺の後ろの方にスリッパを不揃いで履いてる奴が居るだろう?」

 さすが、捜査ではプロだ。不揃いで履いてるのをおかしいと思い、チェックしていたなんて、見事だ。

「何となくだが変だと感じていたんだ。ここは階によってスリッパの色が違っている。この階は青だ。だがアイツは青と緑を履いている。緑はこの上の階だ。こうすけ、お前、さり気なく歩いて行き、廊下を塞げ。俺がアイツに訊いてみるから、逃げ出したら通せんぼしろ。いいな」

 いきなり、大役ですよ。確かにそっと坂崎さんの肩越しに見るとアイツだった様な気もするけど、まあ、仕方ない、通せんぼだけだぞ。

 俺は、それこそさり気なく廊下を歩いて行き、野次馬として見に来た不揃いのスリッパを履いた奴が来た方向に立った。これでアイツが来たら両腕を広げて塞げば良い。

 俺が位置に付いたのを見て坂崎さんが、アイツに声を掛けた。よく見たら女だった。

 背が高く、メガネを掛けて、おまけに帽子まで被っていたから、男だとばっかり思っていた。だが話し声は完全に女のそれだ。

「お前さん。何でスリッパが片方ずつ違うんだい? それは上の階じゃないのか?」

 坂崎さんがそう言った時だった。女が坂崎さんの顔に裏拳を繰り出した。だが坂崎さんも既のところでそれを躱し、刀の柄を女の腹に打ち込んだのだ。それこそ目にも止まらぬ速さで、やはり坂崎さんは剣の達人なんだ。本物は違うと思った。女はそれを受けて崩れ落ちた。その頃やって来た警備員に坂崎さんが訳を言って、この女を連行して貰う。

「女の事は任せておけ、お前はさきの所に行ってやれ」

 坂崎さんに言われて思い出した。そうだ、俺にはさきの方が大事だと気がついた。

「失礼します! 医務室ですよね」

「ああ、深夜だから静かにな」

 俺は一路医務室に急いだのだ。


 医務室のドアを軽くノックすると、若い看護師さんが顔を出してくれた。

「何か?」

「あのう、桂さきさんの具合はどうでしょうか?」

 そう尋ねると、奥の方で

「ああ、その方は私の担当の人ですから、入って貰って下さい」

 そう言うさきの声が聞こえた。

「どうぞ」

 看護師さんの声で中に入ると、奥のベッドで、さきが寝かされていた。

「やっぱり、どこか具合悪くなったのか?」

 俺はさきに優しく話しかける。気絶するほどの当て身を貰ったのだ。何かあるかも知れない。

「大丈夫! 何ともないですよ。私、意外と丈夫なんです」

 笑って起き上がってくれたので、安心した。俺は、坂崎さんがさきを襲ったと思える女を刀の柄で当て身して気絶させ取調べ室に連れて行った事を話した。

「坂崎さんは剣の達人ですからね」

「でも、どうして、さきの事を襲ったのだろう」

 俺の疑問にさきは

「それは、私が行動できなくなれば、浮世絵の買い付けは止まってしまいます。それが狙いなんでしょう」

 そうか、やはりそれが狙いだと考えるのは当たり前か。

「でも、どうして光彩さんが私の部屋の所に居たのですか? 偶然にしては余りにも都合が良すぎると思いますが」

「それは、そのう……」

 どう言えば良いのか。まさか本当の事を言う訳には行かないし、嘘で塗り固めるのもバレると思った。

「ははは、さきともっと仲良くなりたいと思ってな」

 俺がやっと、そこまで言うと、さすが「通い婚」の時代の人間らしく、判ったみたいで

「そんな! 困ります。未だ仕事が終わっていませんから、個人的な感情は持ってはいけない事になっているのです。だから困るのです」

 そうだろうなとは思う。俺は改めて自分のスケベ心を呪う

「ごめん! 浅はかな考えだったよ。ごめんな」

「いえ、だから困るんです。未だお仕事が終わっていませんし、光彩さんの借金も未だ残っています。それが終わらないと困るんです。だから……」

 さきは何を言っているのだろう。困る困るって言ってるが、まさか!? 

「さき、はっきりと訊くが、俺の借金が返済し終わり、担当を外れたら、その時は俺の想いを受けてくれるのかい?」

「気持ちは嬉しいけど、今は役目をきちんと果たす方が先です。この仕事がきちんと終わって借金が綺麗になってから改めて考えさせてください」

 さきは最後は小さな、俺だけに判る様な声で約束してくれた。

「ありがとう。俺、その日が一日でも早く来るように頑張るよ」

 そうしたら、さきが俺に小指を出した。

「約束です。指切りしましょう」

「ああ、判った」

 俺も右手の小指を出して絡ませる。さきが平安の人間と知って変な感じだが、同じ人間として日本人として普遍性を感じたのだ。

「指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲ま~す。指きった!」

「これで、光彩さんと私はもう普通の仲ではないです」

 明らかに以前とは違う眼差しで見つめるさきを俺はそっと抱き寄せると、黙ってさきは俺の腕の中に引き寄せられた。

「充分に判ったよ。俺も本気だ。だから、もう少し寝ていた方が良いよ。そのうち犯人の詳しい事も判るだろう」

 そう言い、さきをベッドに寝かせた。いつの間にか看護師さんは気を利かせて居なくなっていた。

 他人に聞かれる心配が無くなったと判り俺は、坂崎さんが捉えた犯人と思わしい女の様子をさきに話した。すると、さきはその人物の宛てがあるのか

「まさか、彼女が犯人?」

 考えこむさきに俺は

「知ってる人物なのかい?」

 そう尋ねるとさきは複雑な顔で

「確か、私と同期で入った子で、鎌倉時代の貧乏御家人の娘なのです。そう言えばあの子……」

 鎌倉時代と訊いて、俺は彼女の体格が良かったのが判った気がした。色々な時代の人間が集まっているのだと改めて理解した。

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