第9話 二度目の江戸

 会議とこの騒動が落ち着いた翌日に坂崎さんは

「じゃ、向こうで待ってるからな」

 そう言い残して元の時代に戻って行った。各時代の駐在員達もそれぞれの持ち場の時代に戻って行き、センターは少し寂しくなった。

 俺達に関しては、さきが

「この前のスパイの娘の取調べが終わる迄、私は身動き出来ませんからね。もしかしたら、私も別の子に替るかも知れません」

 何と言う事だ。そんな事は俺は絶対嫌だ! 折角、ドサクサに紛れてだが告白したのに……。

「もしかして、嫌ですか? そうですか、じゃあ上司に報告しておきますね」

「え、何と?」

「光彩さんは私とでないと嫌だと報告します」

 さきは嬉しそうに言うが、そんな事言って希望が通るのだろうか?

「大体通りますよ。こういうのは相性もありますからね」

 さきはそう言って嬉しがっているが、本来、次の目的の浮世絵は何だったのだろうか?

「ああ、次はですね。『江戸自慢三十六興 』( えどじまんさんじゅうろくきょう )を三十六枚揃って買いに行きます。時代は元治元年、千八百六十四年です。作者は、三代歌川豊国(うたがわとよくに)と二代歌川広重(うたがわひろしげ)です」

「え、広重って、二代も居たの?」

 全く日本のことなのに俺は何も知らなかった。

「歌川広重と言う名前は代々継がれて、昭和四十二年に亡くなった五代目まで続きましたよ」

 なんてこった。昭和四十二年って言ったら俺は生まれてないが、ついこの前じゃないか。そんな最近まで連綿と続いていたなんて知らなかった。

「これは、揃えられたら、光彩さんの借金もかなりの額が返済になります。頑張りましょう!」

 そう言って、さきが俺を励ましてくれた。


 調べてみると、三代豊国という人は国貞と言う名の方が有名で、最後は三代目広重を襲名している。この辺の事は調べてみると面白いのかも知れない。俺は元治と言う時代を調べて見た。

 元治は時代的には文久の後、慶応の前にあたり、もろ幕末で、既に開国した後なので、横浜には居留地が出来ている。きっとイギリスの領事館あたりに、例の奴らは居るのだろうと思う。妨害工作も派手だろう。あるいは同じものを狙って来ているかも知れない。俺はぼんやりとそんな事を考えていた。

 俺はセンターの図書室や資料室で俺なりに浮世絵やその時代背景などを調べていた。何から何まで、さきにおんぶにだっこでは面目が立たないからだ。

 すると、江戸の名所や風景を描いたのは広重の「江戸百景」が有名だが、今回の『江戸自慢三十六興 』も中々評価の高い作品だと言う事だった。揃っていれば高価に売れるという。


 さきの事件があってから二日後の事だった。天井のスピーカーから、俺を呼び出す声が聞こえた。

「光彩孝さん、センターカウンターまでおいでください。繰り返します。光彩孝さん、センターカウンターまでおいでください」

 俺は、恐らく先日の事件の事だろうと見当をつけて、カウンターに向かった。

 カウンターではさきが待っていた。隣には先日の会議で見かけた、さきの上司がいた。

「時間管理局の向井と申します。実は、先日の桂君を襲った者ですが、同じ職員で、同行者の業務をしていた者でした。事実を認めて自白しました。彼女は薬物中毒になっており、薬物と成功報酬目当てて犯行を行ったそうです」

 薬物中毒って、幕末なら「あへん戦争」であへんだろうが、多分違うだろうなと考えた。

「成功報酬って、やはり魅力的な金額だったのでしょうか?」

 俺の問に向井と言う上司は

「彼女が言った額は、光彩さんの負債の半分だったそうです。それだけあれば一生楽に暮して行ける。特に彼女の時代に帰れば使い切れないでしょう」

 そう言って、さきを見た。

 そうか、それだけの額を提示されたら、心も動くという訳か。俺の親父が残した借金は莫大だからな。ここの仕事をしてると言う事は色々と事情があるのだと思った。

「彼女はどうなりますか?」

「暫くは、ここで再教育と薬物を抜く為に入院ですね。全てはそれからです。でもアイツら手段を選びませんね。薬物中毒にさせてまで、こちらの業務を妨害するなんて、全くこちらも対策を早く実行しないとなりませんね」

 向井と言う上司はそれだけを言うと業務に戻ったみたいだった。俺は残ったさきに

「お茶でも飲まないか?」

 そう言ってさきを誘うと「いいですね」と言って一緒に食堂に向かった。

 コーヒーを飲みながら俺はさきに

「何時頃行けるのだろうね」

 そう尋ねると意外な答えが返って来た

「明日の指令次第ですが、もしかしたら、早い方が良いということで、明後日になるかも知れませんよ」

 明後日か、意外と早いと思った。遅くなると、それだけ、向こうの手出しが多くなるという事だと思った。

「『江戸自慢三十六興 』の事調べてみたよ。色々と面白かった」

「光彩さんは歴史とか好きなのですか?」

 この時、さきは初めて、俺の個人的な趣味に興味を抱いたのではないか

俺の個人的な趣味について初めて尋ねてきたのではないか。そんな事を考えていたら、さきが

「ちゃんと返済が終わるまでは色々な意味で、部屋に来たら駄目ですからね。もし将来アートディレクターになってくれれば、わたしとしては幸いですけど……」

 そう言って笑っている。

 俺はさきの心が多少でも判った今は、そんな気も薄れていて、ちゃんとしようと考えていた。さきは、貧乏貴族の娘でも一応「源」の姓の家の生まれだ。疎かには出来ない。

 桂という苗字に関しては、自称だそうだ。源では目立ち過ぎるという事だった。


 翌日、食堂で朝食を食べていたら、さきと一緒になった。

「光彩さん。明日の十時に決まりました。坂崎さんにも連絡しました。二回目の江戸です。明日は頭を拵えたり支度をしなくてはなりませんから、早起きです。六時には美容室に入って下さいね」

 そう伝えられた。それを聞いて俺も気合が入った。なんせ三十六枚一気に買うそうだから、この前のような物見遊山気分ではならないと思うのだった。

 その日は、さきと明日の事について打ち合わせをする。

 転送場所は元治元年の暮れ、場所はこの前こちらに戻って来る時に使った芝神明の裏長屋で、坂崎同心が待っていてくれるはずだ。

 買い付けるのは『江戸自慢三十六興 』三十六枚だ。どうやら、坂崎同心が絵草紙屋に声を掛けて、揃えてくれているみたいだ。こういう方法は今回は初めてだと言う。敵方の妨害工作をなるべく避けようとしての事だった。

 そして二回目の江戸に転送される日がやって来た。俺は、朝早くから起きて、髪をセットして貰い、部屋に保管してあった着物や雪駄を履いてさきが待つ転送室に向かった。

 事件があってから初めての転送なので、この前よりも見学者が多い。俺とさきは大勢の人に見守られながら二回目の転送を受けたのだった。

 

 気が付くと、やはり長屋の中だった。いきなり声が掛かる。

「やって来たな。時間通りだ。さすがだな」

 声の主は勿論坂崎同心だ。今日も同心ルックが決まってる。

「さあ、早く買い付けを済ませてしまうでござんすよ。くれぐれも一同油断されぬように」

 少しのんびりとしてる坂崎同心や俺よりも、さきは当事者なので緊張感があるのだろう。

「よし、判った。早く買い付けて帰ろう!」

 俺がそう言うと坂崎同心も

「そうだな。余計な事は言わぬように、だな」

 そう言って先頭に立って先導してくれた。

 やはり坂崎同心が何枚かずつ注文をしていてくれたので、三十六枚、がスムーズに買い付けられた。数が多いので、十二本の筒に三枚ずつ入れて俺と六本ずつ風呂敷に包んで持つようにした。これで、さきの持っているタブレット型の移動端末では移動出来るのは限界だと言う。

 江戸の街は真冬でかなり寒いが、転送の関係で厚着が出来ないのだ。だから風が本当に冷たく感じる。坂崎同心が

「熱い茶でも飲んでから帰るか?」

 そう言ってくれたので、この前とは違う茶店でお茶を飲む事にした。こっちのお茶は本当に美味しい。俺は心からこのお茶を楽しんでいたら

「火事だ! 火事だぞ! 絵草紙屋から火が出た!」

 いきなり、表から声が掛かった。坂崎同心はその声を聞くと、素早く立ち上がり

「さき、こうすけ、先に行ってる。お前らは危険だから、すぐに帰れ」

 そう言ってくれた。さきが

「この時代は火事は一番怖いでござんす。表に出て素早く帰った方がよござんす」

 そう言って俺の手をとって表に出ると、そこは野次馬がごった返していた。半鐘の鐘が『ジャンジャン』と鳴っていて、火の現場が近い事が判る

「こうすけさん。これはもしかしたら、敵の奴らの仕業かも知れません。ここで絵草紙屋を焼いたら、彼奴等の買い付けたものが値上がりするでござんすからね。注意した方がよござんす」

 確かに俺もそれは考えていた。火の気の無い絵草紙屋から火が出るのが怪しいと思ったのだ。

 それにしても人が多い。さきと手を掴んでいたのだが、余りの人の多さに、段々と離れ離れになってしまった。見失っても連絡が取れるから心配は無いのだが、江戸の人がほとんど集まったのではないかと思う程だった。

 その時だった。俺は何者かに後ろから何かを口に当てがわれ、羽交い絞めにされた。そして段々と意識が遠くなって行った……


 気がついた所は何やら馬小屋を思わせるような小屋だった。全体に藁がひいてあり、その下は土間らしかった。高い場所に小窓が幾つかあり、そこから陽の光が差し込んでいた。

 俺は、その藁の上に転がされていて、視線の先には中国人らしい下僕が二人と明らかにヨーロッパ系を思わせる白人が一人テーブルを囲んでポーカーみたいなカードゲームをしていた。

 そのうちの中国人の片割れが俺が気がついたのを判ったみたいで、何やら白人に報告をしている。

 俺は着物の袂に入れておいた発信器を確認する。発信器が動作していたら、さきや坂崎同心に俺の居る場所が伝わっているはずだと思った。この時代だ、そう遠くには人を運べないはずだ。

 見ると白人が中国人に何かを伝えている。中国人ああ、この時代では清人とも言うのかな? 

 白人から何かを伝えられた清人は俺の所にやって来て、流ちょうな日本語で

「お前、我々の組織の浮世絵の価格の操作を妨害している。これは我々は看過出来ない。だからお前を誘拐して、今日買ったものを焼くことにした。見るが良い」

 そう言って俺を白人の方に目を向けさせた。その先には、俺がさっきまで手にしていた風呂敷包みがあった。

 小屋の土間の上の板の間には囲炉裏が拵えてあり、火が付いている。その中に次々と浮世絵が入った包を投げ入れて行った。

「止めろ! 皆が苦労して買い付けた浮世絵だぞ! お前等に何の権利があるんだ!」

 俺の声など無視するように、白人は最後の一本まで火にくべてしまった。

 ちくしょう! なんて事をするんだ。こいつらは、金の価値しか認めていないんだ。俺らと同じように買い付けるが浮世絵の希少性や美術性なんかは全く無視しているんだ。俺は激しい怒りがこみ上げて、体が震え出すのを感じた。

 許さない! 我々の先祖が苦労して磨きあげて来た浮世絵や文化を冒涜する奴らは許さない。

 俺は縛られていないのを良い事に、燃え盛る浮世絵を見ている三人の後ろに、そっと忍び寄った。そして、両手を組んで強く握ると一人の清人の後ろに思い切り、その拳を背中に下ろした。

「ドン」と言う鈍い音と共に清人は崩れ落ちる。気がついたもう一人の清人が俺に向かって来るのを背負い投げで投げ飛ばす。俺はこれでも中学高校と柔道部で鍛えたのだ。レギュラーにははれなかったが、六年間柔道をやったのだ。これぐらいは出来る。

 白人が驚いて、傍にあった拳銃を持って俺に向けた。ヤバい! まさか拳銃が出て来るとは思わなかった。俺もここまでか、借金が残ってしまうが、仕方ないかなと少し考えた。 

 そう思った時だった。その白人の拳銃を握った右手に小柄が突き刺さった。

「ウグ!」

 くぐもった悲鳴と共に拳銃が土間に落ちると、坂崎同心が飛び込んで来てくれた。

そして、目にも止まらぬ速さで、刀を抜くと三人を峰打ちにして気絶させてしまった。やはり剣の達人は違うと思った。

「こうすけ、危なかったな。間に合って良かったぞ。無茶な事をするな。俺が来るまで大人しく待っておれば良かったのに」

「すいません。でもこいつら、苦労して集めて買った絵を燃やしてしまったのを見て頭に来てしまって」

 俺はうなだれながら坂崎同心に伝えると

「まあ、そう言う事もあるかと思って作戦を立てたのだ。その前にこの三人を連行する。こいつらはこの時代の人間ではないから組織の人間として連行する。こうすけ、手錠を掛けるので手伝ってくれ」

 坂崎同心はそう言うと簡単な仕組みの手錠を三つ出してそれぞれの手首に掛けた。

 その三人の手錠の部分を縄で括り、活を入れて起こすと、俺と坂崎同心は小屋の表に連れて出た。やはり、そう遠くない場所で、芝神明の長屋まではすぐだった。長屋ではさきが待っていた。

「こうすけさん、無事でよござんした。一緒に行くと言ったら坂崎の旦那に叱られました。だから、ここでで待っていたんでござんすよ」

 さきはそう言って俺にしっかりと抱きついて来た。江戸時代の娘は間違ってもこのような事はしないが、これはこれで嬉しいものだ。

 やがて、本部からやって来た人間によって三人は連行されて行った。どこかの時代にある、取り調べ専門の施設でじっくりと取り調べられるのだと言う。

「でも、浮世絵は残念でした。俺とさきが持っていたのがダミーだったとしても、浮世絵には違いありませんからね。もったいない事をしました」

 俺がそう言ってがっかりすると、坂崎同心は

「まあ、確かにそうだが、俺たちが一計を案じて、あらかじめ買ってこの長屋にしまっておいたのが幸いした。お主が誘拐されたのは計算違いだったが、買い付けた本命の錦絵は助かった訳だ」

 そうなのだ、坂崎同心が言った通り、本物はあらかじめ坂崎同心が絵双紙屋に納入させていて、ちゃんと無事だったのだ。俺とさきがこの日買い付けて見せたのはダミーで、安い浮世絵を買っていただけだったのだ。敵の妨害工作に対処するために工夫したのだった。敵は、それにまんまと引っ掛かった訳なのだ。

「でも絵双紙屋に放火するとは思いませんでした。そちらはどうでしたか?」

「ああ、こちらも、あらかじめ桶に水を沢山用意していたので、大事にはならずに済んだ。ボヤ程度で消火したよ」 それを聞いて俺は本当に大事にならずに済んで良かったと思うのだった。

「今回は本当によござんした。でも、こうすけさん、無茶はお止め下さいね。何かあったら取り返しつかないでござんすよ」

 さきは、本当に心配だったのだろう。涙目になっていた。そんな、さきの姿を見て反省しないとならないと思った。

 ともあれ、これで俺の借金のかなりの額の返済が済んだ。後数回で完済するだろうと言う見通しも立って、俺の人生に希望が見えて来たという訳だ。 

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