ナメクジと水

 色々な昆虫達が暮らす集落、虫の園。その近くの森にナメクジさんが住んでいました。穏やかな性格で心優しいナメクジさんは、虫の園の住人達と仲良し。虫の園で除草作業をすると聞けば、ナメクジさんは応援に駆けつけ、草を刈ったり差し入れに森で集めた花の蜜や美味しい水を提供してくれたりしました。逆に、ナメクジさんが森の中に料理の材料や木材を集めに行くと聞けば、虫の園からお手伝いと護衛の虫たちがついてきてくれました。そんなわけで、ナメクジさんと虫の園の住人達は、互いに支え合いながら楽しく日常を過ごしていました。

 ある夏の日、ナメクジさんが家の倉庫を整理していると、バタバタと慌しい足音が聞こえてきました。手を止めて倉庫を出ると、一匹の働きアリがナメクジさんのもとに駆け寄りました。何事かとナメクジさんが事情を聞くと、働きアリは汗を拭いながら説明しました。虫の園は現在深刻な旱魃に見まわれて、作物が育たずに水不足が起こっているのだといいます。そこで、毎年梅雨の間に雨水を蓄えているナメクジさんに水を分けてもらいに来たのだとか。大量に蓄えた雨水の整理で、全く外に出ていなかったナメクジさんは、事情を聞いて喜んで水を譲ることにしました。早速虫の園の力持ちさんたちを呼んで、倉庫から水の入った樽を運んでもらいました。蓄えの半分以上が無くなってしまいましたが、虫の園のためならばと、ナメクジさんは全員分の水を支給してくれました。これで雨が降るまで持ちこたえられると、園の長である女王蜂は心からお礼を述べました。喜んで帰っていく虫たちを見送って、ナメクジさんは倉庫の整理に戻りました。

 翌日、ナメクジさんが家の中をお掃除していると、戸を叩く音が聞こえてきました。ドアを開けると、そこには森で狩人をしているクモの親分がずっしりと仁王立ちしていました。クモの親分は、しかめっ面を歪ませて、ナメクジさんに頭を下げます。旱魃の被害は森にも出ているらしく、親分の子供たちも渇きに飢えているのだそうです。昨日の虫たちとのやり取りを見て、もしかしたら自分達にも分けてもらえるかもしれないとお願いに来たのでした。ナメクジさんは、親分の頭を上げさせて、喜んで水を譲ってくれました。子供達のためにと余分に分けてくれたナメクジさんの優しさに、親分は男泣きをして深くお礼を述べ、急いで家に帰っていきました。森の仲間が救えてナメクジさんはにっこり笑顔を見せました。

 その次の日、森を流れる小川の様子を見に行ったナメクジさんは驚いてしまいました。梅雨の時期に溢れるほど流れていた水が目の前には全くありませんでした。旱魃の被害が深刻なことを改めて実感したナメクジさんは、また自分を頼ってくる生き物がいるかもしれないと、家に帰ることにしました。帰り道に、野鳥の子が泣いている姿が目に留まりました。傍らには親鳥が倒れ伏していて、息絶え絶えに苦しんでいました。ナメクジさんにとっても虫の園にとっても鳥は天敵であるため、見つかる前にその場を通り過ぎようとナメクジさんは考えていましたが、倒れた親にすがり泣く子鳥の姿を見て、居ても立ってもいられず、気付けば子鳥に近づいて話しかけていました。ナメクジさんが子鳥に事情を聞くと、子鳥は泣きながら話してくれました。旱魃のせいで十分な水分が得られず、子供に水を譲っていたせいで親鳥は水分をろくに取れずにいたそうな。昨日餌を取りに行ったきり戻ってこなかった親鳥を心配して、子供達の中で長男のこの子鳥が様子を見に巣を飛び出してきたのだといいます。運よく親鳥を見つけたのはいいのですが、既に親鳥は地に伏して苦しんでいる状態でした。ナメクジさんは、ひとまず子鳥に指示をして木陰に親鳥を運ばせました。それから子鳥を連れて家に戻り、蓄えておいた全ての水分を運ばせて、親鳥の元に戻っていきました。樽3つ分を飲ませたところで親鳥が目を覚ましました。巣にいるはずの我が子と餌となるナメクジさんが共に付き添っていたことに驚く親鳥でしたが、子供が事情を説明すると、親鳥はナメクジさんに頭を下げて、家まで送ってくれました。余った水を他の子供にも分けるようにとナメクジさんに水を譲ってもらい、改めて深くお礼を述べた親鳥と子鳥は、水を背負って巣に帰っていきました。天敵とはいえ森の仲間。あのまま見捨てずに親子を救えて良かったとナメクジさんは心を温かくするのでした。

 それから夏が終わるまで、ナメクジさんは、家の中に篭って体の水分だけで暑さと飢えをしのいでいました。ナメクジさんの体は日に日に縮んでいき、夏が終わる頃には出かけられないほど小さくなって弱ってしまいました。アジサイ柄のベッドに横になりながら、ナメクジさんは命の終わりを覚悟しました。

 真夜中に、トントン、とドアを叩く音が聞こえます。しかし、ナメクジさんは声を上げることも動くこともできませんでした。虚ろな意識の中、見つめるドアが開かれ、中に誰かが入ってきました。誰かは辺りをキョロキョロ見回し、ナメクジさんの姿を見つけて慌てて彼女に駆け寄りました。すっかり縮んでしまった弱弱しい彼女の体を優しく手の平に移し、家の外に連れ出しました。そして庭に置かれた蓋の開いた樽に彼女の体を優しく入れました。ナメクジさんは、沈みゆく感覚と共に全身に潤いが戻ってくるのが分かりました。樽の中には目一杯の水が入っていたのです。体の大きさが元に戻ったナメクジさんは、樽から顔を出して辺りを見回します。すると、そこには虫の園の住人達やクモの親分の家族、親鳥と子鳥の姿までありました。庭の傍らには彼らに譲った分の樽がずらりと置かれていました。ナメクジさんは、彼女を運んでくれた女王蜂に事情を聞きました。女王蜂の話によると、助けられた翌日に親鳥がクモ親分に会い、ナメクジさんの家の水の蓄えが無くなったことを話したそうです。天敵の鳥から声を掛けられて警戒していた親分でしたが、自分もナメクジさんに助けられたということもあり、その話を信じて、虫の園の女王蜂に相談に行きました。女王蜂は集落の外で親鳥と顔を合わせ、皆で協力してナメクジさんのために水を集めて恩返しをすることにしました。クモ親分の情報網で水の在り処を探し、親鳥と虫たちが協力して水を汲んで運び出す。時間をかけて水集めがようやく終わり、今日、皆でお礼に来たということです。ナメクジさんはもう一度周りを見渡して、自分のために集ってくれた皆に深く感謝をしました。零れる涙を拭いながら、ナメクジさんは最高の笑顔を見せて、皆もそれに応えるように笑顔を返しました。それから虫の園の住人達や親鳥が持ってきた蜜や木の実で乾杯しながら、賑やかな夜の宴会を楽しみました。

 種族を超えた愉快なパーティーは朝日が昇るまで続いたそうです。

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