害虫の価値
ゴキブリのG郎は悩んでいた。家主である人間の女性に幾度となくアプローチを仕掛けたが、悉く玉砕していたからだ。G郎は彼女に恋をしていた。きっかけは、たまたま彼女が鼻歌交じりで料理をしていた姿を見たとき。一目惚れだった。エプロン姿の愛くるしい姿、触覚を振るわせる綺麗な美声…G郎はすっかり彼女の虜になっていた。茶黒い宝石のような光沢と素早い脚力、何より自慢なのは丈夫な体。彼女との釣り合いは十分に取れていると感じたG郎は、何度も何度も彼女の前に現れ、足元に駆け寄ったり、彼女を全身で抱きしめようと羽を使い飛びつこうとしたりしたが、悲鳴を上げられて逃げられたり、毒ガスを撒かれることもあった。初めのうちは彼女の照れ隠しに違いないと思い込んでいたが、回数を重ねるうちに段々と自信がなくなっていった。冷蔵庫の裏で俯き悩んでいると、同居人であるムカデの多郎が話しかけてきた。
「G郎、またあの女のことで悩んでいるのか?もう諦めろよ。あれと俺達とでは住む世界が違いすぎる。…いや同じ世界に住んでるけどそういう意味じゃなくて、な?」
励まそうと肩に乗せられた手をG郎は払いのけて憤った。
「諦めるとかありえねぇ!彼女は運命の人だ!俺は彼女と結ばれる!絶対!」
興奮気味に息を荒げるG郎に多郎はため息をつく。
「いくつか聞いていいか?お前は自分をどう評価している?」
「何だ?それは勿論世界のどの生き物よりもたくましく美しく強靭な肉体を持っている最高の生命と自負している。」
勿論お前よりもな、と誇らしげに語るG郎。多郎は白い目で彼を見ながら続けた。
「じゃあ、世間一般的な評価ではお前はどう見られていると思う?」
「他人の評価なんて知ったことか。俺が完璧な生き物で彼女と釣りあう唯一の存在だというのは絶対的な世界の真理だ!」
さも当然のように語るG郎に多郎は呆れながらも諭し始めた。
「他人の評価って大事だぞ。特に世間一般の評価はな。そもそも価値というものは他人ありき。自分だけの評価なんて所詮は独りよがりに過ぎない。人が共感し、集い、価値観が膨れることで、その対象の評価が決まる。お前が自分を最高だと褒め称えていたとしても、大多数がお前を最悪だと評すれば、価値はそちらに傾く。もしも世界の万物に絶対的な価値と言うものが存在し、お前が自負する通りの価値をお前自身が有しているというのならば話は別だが、この世界に絶対的な価値というものは未だにない。だからこそ、他者の評価の集合が価値の証明となり対象の価値となる。つまり、お前が自分に自信を持っているからといって、他者の目にお前が最高の生き物として映っているとは限らないということだ。」
多郎の勢いに唖然としていたG郎。ハッと我に返り、渋々多郎に言葉を返す。
「その理屈はなんとなく分かった。…分かったが、その理屈と彼女が俺を避ける理由に何の関係があるんだよ!?」
未だに話が飲み込めていないG郎の肩に再び多郎は手を置いた。
「他者の評価が大事なのは分かったな?で、その他者の評価、つまり彼女を含めた世間一般のお前…いや俺達の評価はこうなっている。ちょっと待ってろ。」
言い終えて、多郎はどこかへ歩いていった。彼の背を見送りながら、G郎は嫌な汗をかき始めた。
しばらくして戻ってきた多郎は何かの本を引きずってきた。慣れた手つきで本のページをめくっていき、お目当ての場所で手が止まる。
「これだ。」
そこに書かれていたのは、害虫の駆除特集と題された記事だった。記事内には家庭に出没する害虫とその駆除方法が丁寧に書かれていた。その記事の一番大きな写真を見てG郎は言葉を失った。自分と同じゴキブリが大々的に取り上げられていたのだ。ちなみにその下にはムカデについての記事も載っていた。
「世間にとって…そして彼女にとって俺達は害虫。排除対象って訳だ。酷い話だがな。」
肩を落とし、がっくりとうなだれるG郎の背中をさすって、しばらく彼を慰める多郎であった。
あれからしばらく、多郎はG郎と会っていなかったが、本棚の裏で久々に再会した時、彼はかつての自信と元気を取り戻していた。あれから今までの事をG郎に聞くと、嬉しそうにG郎は語りだした。
「彼女が俺の事、邪魔者としか見ていなかったのはショックだったけど、俺のこの気持ちは他者の評価に流されない確固たるものだから大切にしていきたいなぁって思ってさ。だから嫌われてもいいからこれからもちょくちょく彼女にアプローチを続けていこうと思うんだ!コックローチだけに、なんてね!」
彼なりに悩んで見出した答えならばと、多郎は笑顔で語るG郎に笑い返した。
「それに、最近踏まれたり武器で叩かれたり毒ガス掛けられたりすると、痛いし苦しいけど、なんだか妙に気持ちよくて…。」
照れくさそうに話すG郎。多郎は色々な意味でG郎のこれからを心配しながら、今後とも彼との交友を続けていくことにした。
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