閑話 剣帝の遺稿より抜粋(3)~栄光~
昭和廿三年九月四日 晴レ
本日、遂にレヂコルカ國民念願の、ブルソオ要塞の奪還を完遂せしむる。
此の戰爭始まつて以來の
先のブンツ國よりの同盟要請とも
首都スプリンツへの凱旋の道中、レヂコルカの民、皆街道に集まりて、我が軍に花を投げつ此度の戰を
我もまた、レヂコルカ軍の
我、此のレヂコルカの軍を率ゐて
大日本帝國の武運長久を祈りたる。
ブルソオ要塞にて拾ひし童の事も氣に掛かりける。
要塞最下層の牢獄にて、齢の程、四つ五つ許りなる長耳の
此の
セギウル申して曰く、此の
スチルトンの民、人の血が交じりし
此の地にて數え切れぬ怪異を目にすれど、
遠き昔、ヱルフ人と交はりて
兵共、ヱルフ
兵共、戰勝の凱旋を樂しめど、
---------------
昭和廿三年九月五日 曇リ
引き取り手見つからざりければ、ヱルフの女兒、我が邸宅にて養はんと決心す。
言葉を發さぬこと白痴の如くなりけれど、其の緑の瞳には知性の光宿りき。
生粹のヱルフの民、見聞せし事、決して忘れぬ賢き民なりと書に記されける。
此の娘言葉發さざりけるは、要塞の牢獄にて
憐れなる娘なり。
小さな一室を
夕べより、スプリンツの王城にてブルソオ奪還の祝祭が開催されむ。
王より
晩餐を思はゞ、今より氣が重し。
ヱルフの娘の頭撫でれば、金の髮、細く上等なる
娘の面貌、どこか妹の絹世の幼き頃の面影見ゆるなり。
名を名乘らざりければ、此の娘、キヌと呼ぶことにせむ。
キヌ、と
信次郎、善き
信次郎、
我は此のレヂコルカの地に骨を埋める
信次郎と絹世、力を合はせて切畠の家を支へける事を願ふのみ。
巴さん、我は死したと思ひて、新しき良縁搜しけむことを
---------------
---------------
---------------
昭和廿五年六月十五日 雨
キヌ、漸く言葉を發しにけり。
我、同期の
頭を撫でたれば、キヌ、心地良さげに目を細めたり。
キヌの背の一向に伸びぬこと氣にかゝりけれど、乳母より、生粹のヱルフ永き時を掛け育ちしものと教われり。
先賢の遺せし書を讀み解きつ、キヌの
烈しき戰續きし中、我が心安らけしは、キヌと過ごしつる時のみなり。
---------------
---------------
---------------
---------------
---------------
---------------
---------------
---------------
---------------
---------------
昭和七十七年五月十八日 晴レ
此の地レヂコルカに流れ着きてより、はや六十年が過ぎにけり。
月日は百代の過客にして、行き交ふ年も又旅人也。とは、松尾芭蕉もよく云ひしものなりける。
我も隨分と老いさらばへしものなりけり。
レヂコルカを第二の故郷と定めてより幾年月、此の國も治まりて久しき。
我に課せられし天命、概ね果たせしと見て目安べからう。
國務はモンロオズ家の者に、財務はランゴア家の者に、軍務はセギウル家の者に任せおけば、大方善きように運びけむ。
やれマレビトなり軍神なりと、散々持ち上げられ遂に王にまで至りしけど、思へば些か我には荷が重き大役なりにけり。
後は只、レヂコルカの民に、後々の世の
日に/\手足も重くなりつれば、我が壽命も
出征の際に父より賜りし懐中時計も、時を刻むこと止めて久し。
漸く祖國に
此のレヂコルカの地で過ごせし年月、祖國日本で過ごしき年月よりも遙かに長うなりけれど、矢張り我が故郷は日本只一つなりけり。
我が記憶霞がゝり、家族の面影朧になりけるが、
切畠の家は信次郎が立派に
絹世の嫁入り姿は如何に成りけりか。
巴さんは如何でありけりか。
兔追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷
如何にゐます父母
恙無しや友がき
雨に風につけても
思ひ出づる故郷
志を果たして
いつの日にか歸らん
山は靑き故郷
水は淸き故郷
キヌの歌聞きしうち、只涙ばかりが流れにけり。
キヌは賢き子なり。優しき子なり。
口數こそ少なけれど、善く人の心讀み、人の欲する事爲すを好む。
キヌ、多くの歌を覺えしが、特に尋常小學校の唱歌を好んで唄ひけり。
我が氣落ちせし時には、カモメの水兵さんを唄ひ、我夜酒を樂しみし時には、蟲のこゑを唄ふ。
我死せりて後のキヌのことを思はゞ、胸の
キヌを拾ひて六十年許り經りしが、キヌ、未だ七つ八つの童の如し。
レヂコルカの民、皆キヌを慕ひつれど、キヌを遺し逝くは甚だ心殘りなり。
大日本帝國の戰爭は如何に終はりけむか。
我の如き非才の身にありても、戰を終はらしむる事叶ひけり。
大日本帝國の繁榮、八千代の果てまで續かむことをレヂコルカの地より祈りけり。
口惜しきは、我が劍道の大成せざらむことなりけりや。
臨終の時近づきて、之ほどまでに心動かさるる事多かりけるは、我が修行の未熟なりける事の
我、未だ
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
レディコルカの国父(※註1)、ヨシタロウ=キリハタ=レディコルカの崩御は、昭和暦77年5月19日のことであった。レディコルカ全土を挙げての大々的な国葬が執り行われ、国民の嘆き悲しむこと甚だしく、家々は灯火を消して、三日三晩に亘って喪に服したと伝えられている。
ヨシタロウは史上最強の抗魔力を持ち、スティルトンに対するレディコルカ独立戦争に際しては、スティルトンの魔道士軍相手に無双を誇ったと伝えられるが、その生涯は謎に包まれている。
レディコルカに於いては神君と語り継がれ、刀の一振りで百の首を飛ばしたという逸話や、騎馬で一日千里を駆けたという伝説が残されているが、これらは後世に創作された逸話と見るのが妥当だろう。スティルトンに於ける、睨むだけで敵を焼き焦がしたという逸話や、夜な夜な魔道士の腹の引き裂いてその生き
ヨシタロウの伝説は多岐に亘り、ブルソー要塞の攻略戦、当時のスティルトン最強のⅢSランク魔道士(※註3)であったメドックとのモンドール島での決闘、クータンセの谷の最終決戦など、数多くの逸話が劇や芝居の演目として人気を博し、エルフの吟遊詩人らによって大陸各地に語り継がれている。
ヨシタロウは戦闘に於いて一切の魔道を使用しなかったのは有名な逸話であるが、レディコルカ平定後の冒険者として過ごした半生に於いては、各地の迷宮で稀少な
ヨシタロウは武勲から得た数多くの字、あるいは敵国からの
※註1 ヨシタロウは、国父はスティルトンに対して独立戦争を開始した当時の領主、ボルドー=レディコルカであるとして生涯譲らなかったと伝えられているが、スティルトンとレディコルカの講和が成立したのはヨシタロウがボルドーの死後、国権を移譲された後の時代であるため、レディコルカ正史には国父はヨシタロウ=キリハタ=レディコルカであると明記されている。
※註2 スティルトンに於けるヨシタロウの伝説は、スティルトン土着の魔眼や魔獣の伝承との明らかな混同が見受けられ、信憑性に欠ける。
※註3 当時のレディコルカでは、特三種高等魔道士と表記した。
ヨシタロウ=キリハタは生涯に亘って多くの書を残し、それらはプライベートな手記などを除いて、ほぼ全てがヨシタロウの養女、キヌ=レディコルカによって翻訳されている。
ヨシタロウの残した舟・刀・書、これらはマレビトであったヨシタロウの偉業を未来永劫崇め讃える三種の神器として、レディコルカの宝物庫に今なお完全な形で保管されている。
ヨシタロウは、ニッポンと呼ばれる天上の国より蜻蛉の舟に乗って舞い降りたと伝えられるが、その座標を確認する手段は未だ存在しない。
マレビトの
レディコルカのショウワ暦17年にヨシタロウが漂着して以来、以後300年、このレンネット大陸にはマレビトと呼ばれる異世界からの漂着者は確認されていない。
~エメンタール共和国史書『レディコルカの天孫伝説』より引用
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます