第1話 或る名人の死
幼い頃から、祖父は俺の誇りだった。
祖父は何時だって、誰よりも強く、大きく、そして正しかった。
祖父の名は、切畠信次郎。剣道範士八段、居合道範士八段、杖道教士七段の三つの称号を持つ武道の名人だった。
『もう少しで、中山博道先生を気取れたのじゃがな』
祖父は、顎先に蓄えた白髭を撫でながら、よくそんな冗句を好んで口にしていた。
勿論、三道範士と呼ばれた昭和の剣聖には及ばないにしても、祖父の武道の腕前は名人と呼ばれるに余りあるものであることは、この道を歩む誰もが認め敬っていた。
範士というのは、全日本剣道連盟の定める所の最高位の称号である。
祖父のこれまでの功績と、精妙無比なるその剣の深奥は、肩書を褒めるような安っぽい方法で語り尽くすことなど到底できそうにない。しかしながら、俺程度の技倆では、祖父の剣が如何であるかを語ることは不可能だ。そこで、不本意ではあるが、祖父の偉業の一端でも紹介できないかと思い、まずは範士という称号を取得することが如何に困難であるかを語ってみることにする。
範士。
その受有資格の条件は、まず八段受有者であることが大前提なのだが、その八段受有自体が、尋常ではない難関である。
八段の受審条件は『七段受有後、十年以上修行せし者』であり、付与基準は『剣道の奥義に通暁、成熟し、技倆円熟なる者』である。
難しい言葉で記されているが、分かり易く俗に貶めた言い方をするなら、剣道を完全にマスターした名人しか認められない、ということだ。
現に、七段の合格率でさえ8%から10%だが、八段の合格率はなんと1%を下回る。八段試験は現在の日本で最も難しい試験の一つに数えられ、その合格者はこの道を歩む誰もから崇敬される存在となるのだ。
その八段の中から、加盟団体会長より推薦された者、および全剣連会長が適格と認めた者が範士の受審資格を得る。その付与基準は『剣理に通暁、成熟し、識見卓越、かつ、人格徳操高潔なる者』。
要するに、剣道のことを知りたければ、この人をお手本にすればいいよ、という存在。誰もの模範足り得る人物。故の、範士である。
――武道の高段位なんて、所詮は名誉称号みたいなもので、実際に戦えば勝つのは身体能力に優れた若手に決まってる。範士だ八段だと有り難がられている爺さんの、その化けの皮を剥いでやる。
祖父の道場、切畠尚武館を訪れる剣道家の中には、稀にそんな野心を眼光に燈した若手の選手が訪れることもある。そんな時は見物だった。
体格、筋力、反射神経、其の他諸々の全ての運動能力が勝っている筈の若手の選手が、祖父に手も足も出ずに子供扱いされる様は、爽快ですらあった。
確かに、加齢は人間の身体能力を鈍らせる。悲しいかな、高段者の先生の中にも、加齢と共に過日の技の冴えを失ってしまった方も多いし、加齢の終着点は死である以上、どんな強さも最期には加齢によって失われてしまうのは間違いない。
それでも、祖父は強かった。齢80を超えて尚、その心技の冴えには微塵も衰えも見られなかった。
柔和な笑顔を深い皺の刻まれた頬に湛えて、祖父は子猫でもじゃれつかせるように俺をあしらうのが日々の稽古の常だった。
いつも、悔しさよりも畏敬の念が先に立った。
祖父の紹介が長引いてしまったが、俺のことも短く触れておこう。
現在、警察機動隊術科特別訓練員に奉職中の剣道六段、居合道五段だ。
行きずりの女性との何かの会話の拍子に、
『じゃあ、とってもお強いんですね』
などと言われてしまい、思わず目を丸くしたことがある。
どうやら、世間一般の目から見れば、俺は強い部類の人間に入るらしい。
しかし、切畠信次郎という大名人に育てられた俺には、己程度の強さで自惚れることなどできようも無かった。
俺の段位は未だ六段。付与基準で言うなら『剣道の精義に錬達し、技倆優秀なる者』である。
やっとその
◆
イメージは
ここは、小波一つ無い静かな水面。その上に立つ己を想像する。
己から一足一刀の間合いを隔てた向こうには、もう一つの影が。
大名人、切畠信次郎その人である。
夕べの稽古では多くの門人で賑わうこの道場も、今は俺と祖父のただ二人。
この広い道場を、切畠の名を持つただ二人だけが、独占している。
いや、独占という言葉は間違っている。この道場は、そもそも祖父の所有物なのだから。
裂帛の気合が、道場の夜の
もう、幾度繰り返したかも分からない祖父と俺の二人きりの稽古。
正眼につけた切先を微動だにさせず、右足を幽かに前に送った。
途端、足元の水面が揺らぎだす。池に小石でも投げ込んだように、幾つも細かな
指腕肩腰上体のあらゆる部分を脱力させて、足指を這わせながら、じわり、と祖父に向かって体を寄せる。
水面に立っていた筈の己の足は、いつの間にかずぶりと柔らかい泥中に沈みこんでいた。
足を進めれば進める程、ずぶりずぶりと、足先は泥中に沈んでいく。
祖父に近づいた距離に比例して、俺の足取りは重く固く強張っていく。
なんの。
祖父はまだ一歩も動いていない。脳天から足元まで全身の一切から力が抜けきった凛とした美しい構えで、俺の水月やや上に切先を突きつけている。
面の中からは、菩薩像にも似た静かな瞳が、もの言わず俺を見つめていた。
竹刀の先革が柔らかく触れた。
昔は勢いに任せて踏み込んでいったものだが、もうそんな無価値で不作法な真似をする段階は過ぎた。
一足一刀の間合いに入るか入らないか。
そのぎりぎりと一線で、俺は祖父とやわやわと切先を交える。
赤子がその幼い五指で母親の指を握るかのように。
そっと、その偉大な剣先に触れる。視線を交えるながら、語り合うかのように。
今まで、幾人もの強者と出会い、剣先を交えた。
強者の中には、巌のように厳しく構え、その間合いに誰も入れようとしない方もいた。
間合いから遠く離れた位置から、文字通り喉元に切先を突きつけられているかのような、強烈な気を放つ方もいた。
しかし、祖父の剣先は、その誰よりも柔らかかった。
軽く剣先で抑えると、祖父の竹刀は菖蒲の花を抑えるよりも簡単にその頭を下げた。
少しだけ、自分の中の安っぽいプライドが疼く。
祖父は、まるで自分を畏れていない。怖がっていない。
俺程度の存在が間合いに入ってくることに、何の脅威も抱いていない。
そのことを思うと、極力脱力を意識していた筈の剣先に熱が籠った。
このまま動かないつもりなら、真っ二つにするぞと言わんばかりに正中を割って入り――。
そこで、己が奥深くまで攻め込まれていたことを自覚した。
泥水跳ね上げんばかり無様を晒している俺の足遣いとは違って、祖父の足遣いは水面を滑る
決して速くも力強くも無い、ただ静かな足取りでするすると俺の間合いまで入り込み、そのままぱかん、と大きく面を打った。力の抜けた冴えのある打ちが、脳天から尾骶骨まで一直線に突き抜ける。
擦れ違い、構え直して、初手を取られた悔しさから、碌な攻めもかけずに面に跳ぶと、噛み付くような鋭い小手を奪われた。もう一度跳ぼうとした出頭を突きで抑えられ、それでも体力に任せてもう一度跳ぶと、今度は胴を抜かれた。
もう、立合いは互角稽古の要領を成していない。俺は懸り稽古も同様に祖父に挑み、流され、巻き上げられ、返され、出頭を打たれた。
それは、俺の幾度目かの面の時だった。祖父は器用に表鎬で俺の竹刀を巻き上げると、竹刀を追って流れた俺の足に己の足を絡め、肩を押えて「どすこい」と一言。
俺の天地はぐるりと回転し、後頭部に衝撃を感じるのと同時に、面金で細切りにされた視界の向こうに道場の天井が見えた。倒れた俺の胴を、スパンと小気味良い音を立てて祖父が袈裟懸けに打ち、それから一拍遅れてどこかに俺の竹刀が転がる音が聞こえた。
「……参りました」
剣道は競技に於いては足技の使用は禁じられているが、この足絡みのような柔術に近い技も存在し、警察などの稽古では公然と使用されている。祖父は切畠道場ではあまり足技は使わないが、上機嫌な時には、こうして俺に足絡みをかけてくれたりもする。
文字通り、手も足も出なかった悔しさと、稀にしか見れない祖父の絶技を見れた嬉しさが綯い交ぜになった微苦笑を浮かべて見上げると、祖父が柔らかな笑みを浮かべて俺を覗きこんでいた。
「相変わらず威勢がいいなあ」
袴の裾を乱さぬように静かに立ち上がり、俺は竹刀を拾い上げた。
「もう一本お願いします」
◆
『正義、一杯
そう言って、徳利と杯を持ち出すのが、稽古の後の祖父の常だった。
苦汁は今日も散々稽古で味わった。旨酒のご相伴に与るのは、俺としても吝かではない。
大正時代に建てられたという古びた母屋の縁側に腰掛け、徳利と杯を並べる。
雲もなく、風も穏やかな丁度良い月見日和だった。庭先の桔梗が、幾つか蕾を丸く膨らませている。
俺が成人してから、祖父は事あるごとに俺を晩酌に誘うようになった。人の良い柔和な笑みと、ほんの幽かな哀しみをその皺だらけの顔に浮かべながら。
――昭和の名人、切畠信次郎。その実力も名声も、紛れもない本物だ。
しかし、そこに辿りつくまでの人生は、決して穏やかなものでは無かった。
祖父の半生は、大切なものを失ってばかりの道程だったのだから。
「正義ぃ、それにしても、お前は本当に義兄ちゃんそっくりになったなあ」
酒精で頬を僅かに赤く染めた祖父が、俺の顔を覗きこみながら、そんな言葉を口にした。
もう、何度目かも分からない、言葉。
祖父は、酒気を帯びると決まってその台詞を口にする。
――義兄ちゃん。
それは、先の大戦で満州で出向き、ノモンハン戦役で帰らぬ人となった祖父の兄――。
つまり、俺の大叔父にあたる、切畠義太郎さんという方を指している。
祖父は11歳離れたこの兄のことを随分と慕っていたらしい。
義兄ちゃんは相撲が強かった、義兄ちゃんは剣道の道場で一番の腕前だった、義兄ちゃんは勉強熱心でよく本を読んでいた、義兄ちゃんは筆まめで毎日欠かさず日記をつけていた――。
祖父の語る『義兄ちゃん』には思い出による美化も随分含まれているな、とは思っていたが、義太郎さんを慕い、その死を悼み、義太郎さんの剣を追い求めて今の祖父があるのだと思うと、感慨深かった。
『正義』という俺の名前、『義』の一文字は義太郎さんから頂いたものだ。ちなみに、父の名は信義である。
祖父は、酒が入ると、義兄ちゃんの剣は豪壮だった、義兄ちゃんは肚の座った人だった、義兄ちゃんはきっと戦争でも目ざましい働きをしたに違いない――そんな風に義太郎さんを褒め称えていた。
俺が随分と青かった頃、祖父の義兄ちゃん贔屓にうんざりして、尋ねてみたことがある。
『それなら、今の爺ちゃんと、昔の義太郎さん、勝負したらどっちが勝つの?』
祖父は、少しだけ首を傾げると、
『そりゃ、間違いなく儂じゃろ』
ときっぱりと断言した。
『義兄ちゃんが幾ら強かったと言っても、出征した時にはまだ21、所詮は若造じゃわな。
今思い出しても、義兄ちゃんの剣は豪壮じゃったが、血気に逸って無謀な所が多かったわい。
間違いなく義兄ちゃんより強くなった、と信じられるようになったのが、儂が25の時じゃったかな?
どんなに強くても、人間死ねばそこで終わり、生き残って稽古を続けた方の勝ちじゃわい。
時々、生き残って剣道の稽古を続けた義兄ちゃんを想像して稽古したこともあるが、
……まあ、五分というとこじゃったな。
義兄ちゃんともっと稽古がしたかったわい』
熱く思い出を語りながらも、その芯はどこまでも冷静だった。遠い目をして語る祖父に、その時の俺は祖父を試すような言葉を投げてしまった己の不明を恥じた。
祖父の本質が、分かった気がした。祖父は、義太郎さんに執着を残しているものだと、ずっと俺は思っていた。だが、祖父は死者は死者と割り切り、今の稽古を楽しんでいた。
仮想敵として、成長した義太郎さんを据えるようなこともあったが、それは、子供が面打ち台に袋をかぶせて、へのへのもへじの顔を描くような、他愛ない遊びのようなものだった。
常に、祖父は俺には想像もつかないような高みを見据えていた。
周りの賞賛ではなく、俺自身が、祖父を心身共に本物の名人だと、心の底から信じるようになったのはその時からだ。
祖父の言う通り、人間死んでしまえばそこでお終いである。どれだけ祖父が惜しめど、切畠家の長男、切畠義太郎はノモンハンの地に散った。
戦後生活が落ち着いた頃に、祖父は幾度か旧満州の地に義太郎さんの骨を拾いに行ったこともあるらしいが、結局遺品の一つも見つからなかったそうだ。
脇道に逸れた話を元に戻そう。
長男である義太郎さんを失った後も、切畠の家の不幸は終わらなかった。
義太郎さんの許嫁だった、
家の定めた許嫁同士だったが、義太郎さんと
その後、祖父達の父母――俺の曽祖父――も、戦後の混乱期に次々と病没をした。集落の庄屋の家筋であった切畠家も、その日の食事にも事欠くような有り様だったそうだ。
祖父は、妹――俺の大叔母――に当る、絹世さんと二人で懸命に切畠の家を支えていった。
戦後はGHQによって全国的に剣道が禁止され、祖父は剣友の
日本が高度経済成長期に向かいつつあった昭和中期。
この家の道場は、切畠尚武館と名付けられ、祖父自らは館長に就任、鉄也先生を副館長に迎え、ゆっくりと再興を行っていった。祖父の半生を振り返って見れば、この時期が祖父の最も幸福な一時だったと言えるのかもしれない。
その後、切畠家と番匠家は、それぞれに男児を授かり、両家と切畠尚武館の前途は光り輝いているかのように思われた。
しかし、俺が産まれた頃から、再び切畠の血筋を幾つもの不幸が襲った。
祖母の死。大叔母である絹世さんの急逝。
時の流れと共に、老いた人間から去っていくことは、悲しいことだが世の定めだ。
しかし、切畠の人間は去るのが早すぎた。
早世、とまでは行かないが、どなたも50代、60代、ともう少し長生きしてくれれば、と誰もが惜しむような早死を遂げている。
――極めつけは、俺の両親だった。忘れもしない13年前、俺の両親は突如、自動車事故で他界した。二人とも、まだ30代の半ば。こればかりは、誰がどう見ても、早過ぎる死であった。
こうして、切畠の家には、俺と祖父だけが残された。
祖父の道程は、見送ってばかりの人生だったと言っても過言ではない。
副館長として祖父と共にこの道場を支えてきた、鉄也先生も昨年癌で世を去った。
鉄也先生は、俺を孫のように可愛がり、そして鍛えてくれた。俺の剣の半分は、鉄也先生に習ったようなものだ。
名のある弟子を幾人も育て上げた祖父だったが、この切畠道場には今や独りきり。
だから、せめて俺は最期まで祖父の傍に居たい。
そう願ってはいるが、警察の交代制勤務では中々厳しいものもあり、最近では又従姉妹の
晩酌に付き合う程度の事は、当然の孝行である。
「立派になったなあ、正義。これで、あっちに行っても義兄ちゃんに自慢できるわい。
切畠家の跡継ぎがこんなに立派に育ったと知ったら、義兄ちゃんもさぞ喜ぶじゃろう」
祖父はそう笑って、三つ目の杯に酒を注いだ。
俺は、その杯を仏壇へと供える。幾つもの位牌が所狭しと並んだ仏壇だが、仏飯仏花と蝋燭線香は欠かしたことが無い。だがこれも、最近は
祖父は上機嫌で、盃を舐めながら季節外れの蚊取り線香が煙をくゆらせるのを眺めていたが、不意に背中を丸めて小さく咳き込んだ。
この齢になるまで風邪一つひいたことがない祖父の喀咳を見て、俺は動揺を隠せなかった。
「ほら、もう随分冷え込んできたから、夜風は体に毒だよ」
そう宥めて、俺は祖父の肩に赤い袢纏をかけた。
――その日から、祖父は少しずつ床に臥せりがちになっていった。
◆
ずっと、祖父のことを超人のように崇めていた。
いや、事実祖父は超人そのものと言ってもいいような偉大な武道家だった。
しかし、その祖父でさえ、老いという時の軛からは逃れられないという、ある意味当然の事実を、内心では頑なに拒み続けていた。
病院での検診でも、特にこれといった病気はなし。ただ、前回の検診時よりも体力が落ちているので、滋養のある食べ物を摂って、無茶な稽古はしないように窘められだけだった。
表面上は以前と変わらず、毎日朝晩千本の素振りを欠かさない祖父の稽古への姿勢は、俺に偽りの安堵を与えていた。
――あるいは、それは心配性気味な所がある俺に対する、祖父の気遣いだったのかもしれない。そんな邪推すらすることもあった。
除々に老いがその体を蝕んで行く中でも、祖父は名人と呼ばれるに相応しい立ち振る舞いを止めることは無かった。
伸びた背筋、重心を揺らさない足運び、静かでいて深い息、力強く優しげな瞳。
立ち方、坐り方、歩き方、呼吸の仕方。その全てが凡夫には及びもつかぬ鍛錬の賜物で。
誰に強制される訳でもなく、祖父自身が心掛けている訳ですらなく、ただ有りのままにあるだけで、祖父は名人だった。
祖父の挙措の全てには、祖父のこれまでの人生が詰まっていた。
◆
――長くなった、俺の祖父自慢も、もう終わりが近い。
ある満月の晩のことである。
祖父と共に稽古後の素振りを終え、着替えようと更衣室に入ろうとすると、褌一丁の祖父が扉を開けて悠然と歩み出て、道場の中心の開始線の辺りでこちらを振り向いた。
「正義、一丁相撲でも取るか」
「す、相撲ぅ!?」
祖父は時折、趣味人に有りがちな突拍子も無いことを言い出すこともあったが、これには面食らって頓狂な声を上げてしまった。
確かに、幼い頃には幾度となく祖父や父と相撲をとったものだ。
『剣道とは、刀を持った相撲である』
とは、祖父の言である。聞いた時にはそんな馬鹿な、と思ったものだが、今ではその言葉の正しさが理解できるし、俺もまた道場の幼い子供には畳の上などで相撲して遊ぶことを推奨している。
まだ幼かった頃には、祖父に相撲を挑んでは、ころり、ころりと良いように転がされていたものだ。
しかし、今や俺の身長は190cmを超え、体重は100kg近い。世間一般では、どちらかと言えば巨漢の部類である。
柔道の稽古では専門の先生に赤子のように転がされる俺だが、素人相手に柔道や相撲はもう取れまい。
そんな感慨は、祖父の褌姿に吹き飛ばされた。
幼い頃にあれ程大きく力強く見えた祖父の体は、枯れ木のように細く、小さかった。
張りのある肌も、体を鎧う筋肉も、全て消え失せ、老人斑の浮かぶ肌には葉脈のように青い静脈が浮き出ていた。
考えてみれば、当然のことだ。祖父は、もう、齢85を超えた老人なのだから。
それでも。
それでもなお、祖父は名人だった。静かな立ち姿は揺らぎなく、ぐっと股を割って腰を落とすと、高らかに天に向かって足を振り上げ、道場が揺れるような見事な四股を踏んでみせたのだ。
胸の中央を走る、縦一筋の古い刀創が薄赤く光ったように見えた。
「なあ、取ろうや、正義」
挑発的な笑顔でそう誘う祖父に、気圧されるようにしれて俺は頷きを返してしまった。
道着袴を脱ぎながら、俺は一体何をやるつもりだ、と自問する。
これは、もう剣の稽古ではない。老齢の祖父と体のぶつけ合いをするなど、言語道断の所業だ。
勿論、祖父を労りながら適度に加減した取り組みを行うことは造作もない。
しかし、祖父の口調と瞳は、全力でぶつかって来い、と真っ直ぐに告げていた。
俺もまた褌一枚になり、祖父の前に立つ。
祖父を真似て四股を踏むと、道場の床は音を立てて弾み、硝子がビリビリという残響を伴って震えた。
いつもより、間合いが狭い。――当然だ。いつも手にある刀が存在しない。
俺は、祖父と向い合って尚、適度に加減をして方が良いのではないかという迷いを捨てきれずにいた。
正面の祖父に倣って、体を落として拳を床につける。
闘いの予兆に、カッと脳天に血が上った。腕肩の筋肉が猛りを上げて盛り上がる。
祖父の瞳を真っ向から覗き込んだ瞬間、一つの確信が俺を貫いた。
――余計なことは一切頭に入れずに、正面から全力でぶつかろう。
――そうしなければ、俺は、一生後悔をする羽目になる――。
「はっけよい」
その一言を皮切りに、俺は全身の一個の肉弾にして祖父へと突撃した。
筋肉の鎧で覆い上げた俺の体は、祖父の体を
そんなイメージが脳裏を過ぎるが、細い針金を束ねたような祖父の体は、俺のぶちかましを押えて踏み留まった。
そのまま、互いを押し倒さんと、がっぷりと四つに組んで
祖父が、心技の面で俺を圧倒するのはいつものことだった。しかし、例え一時であれ身体能力を以って俺に拮抗したなんて、全く以って条理に反した話である。
――それは、名人と呼ばれた男、切畠信次郎の最期の燃焼だったのだろう。
鬩ぎ合いの天秤は、やがて俺に向けて傾いていった。
相撲は、素人には力任せにぶつかっているように見えて、その実、繊細で多彩な技を内包している。
しかし、祖父はそれらのいずれも選ぶ事無く、ただがっぷりと四つに組んだまま押し合うことを選んだ。
言葉にせずとも、祖父の意図は余す所なく俺に伝わった。
小手先の技の比べっこなどではない。
この俺――切畠正義という人間の、有りのままの全てを、ただ真っ直ぐにぶつけて来い、という祖父の誘い。
俺は、ただ真っ直ぐに歩を進める。
組み合った俺の肌の上を祖父の汗が伝い、祖父の肌の上を俺の汗が伝った。
祖父は全身全霊で踏み留まったが、如何せん、筋肉と体重の量が違い過ぎる。
俺は奥歯を噛み締めた。渾身の力、全体重を懸けて、一気に祖父に畳みかける――。
ついに、祖父は抗いきれずに、音を立てて床に転がった。
転ぶ時に上手に受け身を取って衝撃を殺していたのは、流石の名人としか言いようがない。
祖父は床に大の字に転がって、
「見事な浴びせ倒しじゃ」
と、満足気に頷いた。
祖父は立ち上がると、取り組みの余韻で湯気を上げる俺の体を、ぺたり、ぺたりと掌で撫でた。
「立派になったなあ、正義。本当に――義兄ちゃんの生き写しのようじゃ」
そう言って、祖父は頭一つ違う俺の顔を見上げた。
「儂は、義兄ちゃんと相撲を取るのが大好きじゃったが、……最後の最後まで勝てずじまいじゃったなあ」
懐かしむように呟いたその言葉には、どれだけの想いが込められていたのだろう。
祖父は俺の頭を触り、胸を叩き、腕を掴んだ。満足気な顔で、愛おしむように、祖父は俺の体をゆっくりと確かめていった。
「うん、うん。正義、お前は、義兄ちゃんよりも大きくなった。義兄ちゃんよりも太くなった。義兄ちゃんよりも重くなった。
お前はまだまだ修行が足りんが、――間違いなく、義兄ちゃんより、強くなったぞ」
どう返事を返していいか分からず口ごもる俺に、祖父はにっかりと笑った。
「もっと自分を誇れ、正義。お前は、お天道様に恥じることなく生きておる」
そして、くっく、と悪戯げに微笑んだ。
「そんなに儂が死ぬのが怖いか、正義? もう三十路も近い大の男が、老いぼれ爺ィがくたばるぐらいで狼狽えるな、みっともない」
返す言葉も無かった。
「儂が死んでも、儂の剣は死なん。ずっと皆の中で生きとるよ。
数えきれん弟子達の中にも、お前の中にも、
儂を長生きさせたけりゃ、飯や寝床の心配をする前に、もっと竹刀を振れ。
そうすれば、儂はずっと剣の中に生きとるよ――。
範士だ名人だと
古猫と、までは行かずとも、灰毛の猫ぐらいにはなれたかな?」
遠い月を眺めながら、祖父は最後まで莞爾とした笑みを崩さなかった。
俺は正座をして祖父に向かい合い、
「ありがとうございました」
とただ一言謝辞を述べて、深く深く頭を下げた。
長い、稽古の終わりだった。
◆
毎朝早朝に起きて道場で竹刀を振るのは、実家で朝を迎える日の日課だった。
山からの風を含んだ朝の冷気を存分に味わい、軽く体操の真似事をして全身を温める。
家の雨戸を開けて回り、簡単な朝食の支度を整えた。
庭の菜園の様子を眺めがてら、離れにある道場へと向かう。
昨晩は、祖父の言葉に昂りを覚え、中々寝付くことが出来なかった。
眠気を払うつもりで、大きく深呼吸を一度。
道場の古い引き戸に手をかける。
鍵は、かかっていなかった。
外出時に鍵をかける家の方が少ない田舎だったが、道場の規模拡大に伴い、我が切畠尚武館では施錠を徹底することにしていた。
……そうは言っても、4桁のロックナンバー式の南京錠を引っ掛けただけの緩い用心ではあるが。
もう、祖父が先に来ているのだろうか?
玄関に入ると、道場に座っている祖父の姿が見えた。
一礼して、朝の挨拶をしようと祖父に歩み寄り、
――そこで、朝日に照らし上げられた、血の気の失せた祖父の顔に気がついた。
祖父は、静坐したまま息絶えていた。
脳天から腰まで一直線に伸びた首筋。膝の上で組まれた法界定印は、親指の先まで乱れなく。
目蓋をそっと閉じ、奥歯は少しだけ噛み締めて。
それは、正しく誰もの範足りえる、美しい坐り姿だった。
祖父の死に顔は、いつもの稽古と同じ、菩薩のように穏やかな微笑を浮かべていた。
俺は、祖父の正面に静かに座り両手を合わせた。
遠くで響く雀の声だけが、道場の賑いだった。
その静寂を破る、快活な足音が道場に駆けこんできた。
「おはようございま~す! マサ兄、もう朝の素振り終わっちゃった?」
俺は、目に涙を浮かべて震える
「信次郎爺ちゃんは、今、義太郎さんの所に逝ったよ」
祖父は、最後の最後まで名人だった。
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