04.合宿をします

「お邪魔します」

「こんばんは」

「いらっしゃい、こっちです」

 五月になり大型連休に突入した。

「あら、お姉さんと二人暮らしと聞いていたけど、広いお部屋ね」

 オカルト研究会の天地真央先輩は、遠慮もなく我が家を見渡す。

「本当だ。私の家より綺麗」

 同じくオカルト研究会の同級生、時計春奈はひょこっと顔を覗かせる。

「はい、粗茶ですが」

「錠前さん、それは紅茶ですよ。それに私の分はどこですか?」

 二人をリビングに通し茶菓子でもてなす俺に、幽霊の幽子が図々しく取分を要求する。

「幽子さんは飲み食いしないじゃねーか」

「……錠前、もしかして、いる?」

「ああ。やっぱり二人は視えないか」

「私には表情なく棒立ちしている姿がぼんやりと視えるわ。声は聞こえないけど」

「うっ……」

 先輩にしがみつく時計は、怪談は苦手だが幽霊には興味がある複雑な心境のようだ。

「まったく、時計ちゃんは良いとして、この根暗女まで家に上がらせる必要ないじゃないですか」

「こらこら、せっかく俺の他に幽子さんが視える人がいるんだ。心強いだろ」

「錠前さんは乙女心が判ってないですね」

「乙女ってクチかよ」

「錠前、やっぱり、怖い」

「そうね。一人芝居なのか、頭がおかしい人なのか、判断に困るわ」

「せめて先輩は判ってくださいよ」

 幽子が現れて一月近く経った。

 俺と幽子は、幽霊である幽子が消える方法を探していた。

 そんな折、幽子のことが視えるという先輩、幽子が乗り移る事が出来る時計と出会った。

「ご馳走様、美味しい紅茶をありがとう」

「本当。錠前って見た目と違って主夫力高いのね」

「そんなことないよ。家事を一通り任せられているだけで、本物の主婦には到底敵わない」

「家事を手伝える男はモテるって雑誌に書いてあった。納得だ」

「お茶出しただけだぞ? それくらい時計だって出来るだろ?」

「えーっと……。わ、私のことはどうでもいいでしょ。天地さんはどうですか?」

 どうして返答を渋る?

「私は家事はやったことないわ。だから錠前くんは立派だと思うわ」

 実家住みだとそうだろう。俺も一年前はまったく家事はしなかったんだから。

 一人暮らしでも家事をやらない姉ちゃんはどうかと思う。 

「最近の女子供はだらしないですね。もっと女子力を磨かないと行き遅れになりますよ」

 生き急いだ幽子に言われても、説得力がない気がする。

「お姉さんは旅行だって? でも、お邪魔して本当に大丈夫だった?」

「ああ、三泊四日の温泉だとさ。まだ若いのに嗜好が年寄り臭いもんだ」

「それよ。明日は温泉に行きましょう」

 先輩が突然目を輝かせる。

「はい?」

「三日も錠前くんのお宅にお邪魔するなんて、とんだ迷惑だわ」

「合宿をしようと突然意味不明な提案をした先輩が迷惑なんて考えてたんですね。いつの間にか三日になってるし」

 そう、先輩の発言でこの大型連休に、オカルト研究会は合宿を行うことになった。

 俺は会員じゃないのに、当事者だから断ることが出来なかった。

 初日はとりあえず、幽子がいつも実体化している我が家で開催となった。

「天地さん、私三日分の着替え用意してないよ」

「大丈夫よ時計さん。錠前くんのお姉さんの分があるわ。下着はどれがいいかしら」

「やめいっ」

 この中で一番年上なのに、一番常識がない困った先輩だ。

「大丈夫ですか? このメンツで。主に根暗女」

 先輩には悪いが、幽子に同感だ。

「私が常識がなくて根暗ですって? 錠前くん、あなたそんな風に私を見ていたの?」

「いや、違うんです! これは幽子がっ」

「へぇ、本当に錠前の考えていることが幽霊を中継して天地さんに伝わるんですね? 私はさっぱり感じ取れない」

 感じ取らなくていいから。いい迷惑だ。

「この根暗女、感度ビンビンですね。いい迷惑です」

 だから迷惑なのは俺だって。

「さて錠前くん。ここから本番だけど」

「本題、ですよね」

「いちいち細かいわね。揚げ足撮る細かい男は嫌われるわよ」

「助けて時計」

「この三人だと私が一番常識人ってどうなのよ」

「時計ちゃんは次点ですね。一番の常識人は私です」

 うるさいわ幽霊。

「時計さん、今の発言忘れないわ」

「やだなぁ天地さん。これは錠前と幽霊と私の三人を指したんですよ」

「上手い逃げ方だな、時計」

「うるさいわよ。天地さん怒らせると面倒なんだから」

 俺にしか聞こえない声で囁く。うーん、時計は良い匂いがする。

「……そこ、いちゃつかないでくれる?」

「いちゃついてないですよ! どうしてこんな奴と!」

「て、照れなくていいぞ時計」

「自分で言いつつ赤くなるな〜!」

 ポカポカと頭を叩かれても、悪い気はしない。

 しかし似合わないことは言うもんじゃないな。恥ずかしい。

「さて錠前くん。ここから」

「本題に入りましょう。どうぞ」

「本日はお招き頂きありがとうございます。議題は、錠前くんに取り憑いた幽霊についてです」

 真面目モードの先輩は凛々しい顔に変わる。

「お願いします」

「もしかして私が主役ですか? 女優業は引退したんですがね。しょうがありません、また張り切るとしますか」

 誰も映画の主役を演じろと言っていない。

 幽子の存在が立証された今、その問題の解決策に名乗りでてくれたのが、このオカ研の皆さんだ。ありがたく思え。

「名前は幽子さん。不幸か不運か、錠前くんに取り憑いた幽霊です」

「その不幸不運って言葉は、俺にかかってるんですよね」

「もちろん」

 先輩の日本語を解釈することは難しい。

「その子を祓うことが目的で良いわね?」

「その通りです。こんな奴は早く消えて欲しい」

「こんな奴とは何ですか。仮にも宿主なら、心広く受け止める度量を身に付けてはどうですか」

 うがーっと噛み付く幽子は自分をないがしろにされることが許せないようだ。

「はいはい頑張りますって」

「心がこもってないですね。はいは一度ですよ」

「はい、頑張りまーす」

「語尾を伸ばさない」

「はい、頑張ります」

「うむ、いいでしょう」

 心がこもってなくても、言葉遣いをしっかりすれば納得するようだ。

「本当不気味。せめて姿が見えたらなぁ」

「そうね。もう一度時計さんに憑依してもらって、この会議に参加してもらえないかしら」

「ちょっと、天地さん! それじゃ私は何が起こっているか判らないんですけどっ!」

「憑依された時計さん、子供っぽくて私の好みなのよ」

 あ、本音だ。

「酷いじゃないですか。私だけ除け者みたいで」

「時計は良く参加してくれたな」

「そりゃ、興味あるし。本当は二人がグルで、私をドッキリ大成功させようとしている可能性もあるじゃない」

「この期に及んで、その可能性を考えていたのか。言っとくが、ドッキリではない」

「そうね。これは事実よ。人ならざるものがここに居る。その証拠に、ほら」

「あ! 茶菓子がもうない!」

「ほらね」

 俺は見ていた。先輩が時計の隙を見計らって、茶菓子をハムスターのように頬張っていたのを。

「やっぱり本当なんだ……」

「時計。俺はさっき、幽子は飲み食いしないと言ったのを忘れたのか」

「え? でも現になくなってるし」

「胃袋が宇宙の宇宙人でも居るんだな」

 ゲシっ。

 時計には見えない角度から、先輩にケリを入れられた。

「でも、どうかしら時計さん。私は一度、じっくり幽子さんとお話をしてみたいわ」

「う……」

「私は根暗女に話すことなんかありませんよ。壁に向かって話してたほうがマシです」

「おいおい」

 どうして、こう毛嫌いするかな

「どうしたのかしら、錠前くん」

「えーっと、あまり話す気はなさそうですね」

「そう、残念ね。せっかくガングロ、ルーズソック、ポケベルに花を咲かせて話したかったのに」

「この根暗女、昭和の人間ですか。私はそこまで古くないですよ。ポケベルなんて見たことないですし」

 そうだろう。仮にもガラケー普及の全盛期だ。先輩の意図は明らかにおかしい。

「以前、ポケベルに魂を宿したモノの話を聞いたことがあるけど、参考にはならないようね」

 それって今回のケースと一緒なんじゃ?



「お風呂も広くて綺麗だった。私もここに住みたい」

 時計が風呂から上がると同時に、先輩が浴槽へ赴いた。

 俺は最後だ。決して残り湯を飲んだりはしない。

「長かったな。姉ちゃんなんて15分で上がるよ」

「それは錠前のお姉さんが異常よ。女の子は最低でも40分かかるわよ。じゃあ向こうの部屋借りるわね」

 風呂あがりの半乾きの髪。

 ここでカミングアウトするが、俺は半乾きの髪フェチだ。

 それがたとえ幼女であろうと老婆であろうと、なんともたまらない。

「だ、そうですよ時計ちゃん。あなた今視姦されていますよ」

「姉ちゃんの部屋に行ったんだから無理じゃ」

「残念ですね。せっかくの興奮ポイントが目の前にあるというのに」

「そうだな……。でもいいんだ。さっきのすれ違い様の光景を目に焼き付けて脳内に保存しとく」

「錠前さん、なかなか変態ですね」

「いや、こればかりはしょうがない。人の趣味嗜好は人格形成に必要な要素だ」

「私はバカなんで錠前さんの言ってることは判りませんが、バカな発言だということは判ります」

 時刻は二十二時を回った。

 幽子の憑依を阻止した時計は、風呂に逃げた。

 先輩が居るとはいえ、よく男の前で風呂に入れるもんだ。女心は判らない。

「錠前さん」

「どうした幽子さん」

「覗きに行きましょう」

「一応聞くが、何を?」

「ふふふのふ、あの根暗女のナイスバディをです」

「却下だ」

 何を言い出すんだこのオヤジ幽霊は。

「これだから近頃の男は草食系男子なんてメディアに揶揄されるんですよ」

「メディアは関係ない。犯罪者になりたくないだけだ」

「あの根暗女なら、不敵な笑みを浮かべて許してくれそうですけど」

「その場は許してくれるかもしれないが、後の報復が怖い。きっと想像以上にひどい目に合う」

「時計ちゃんなら報復もなしに許してくれますか?」

「大切な友人だ。傷物には出来ない」

「だったら! あの根暗女ならどうでもいいでしょう! さぁ、今が立ち上がる時です!」

「どうしてそうなる。先輩だって大切な友人だ」

「あー、もうこの際錠前姉でもいいです。覗きに行きましょうよ」

 どうやら欲求不満のようだ。

「幽子さんだけ覗きに行けばいいだろう」

「判ってないですね。私がラッキースケベしても面白くも何ともないでしょう」

「面白いとか考えるんだ。意外だ」

「当然です。一度男女の修羅場とやらを見てみたいじゃないですか」

 胃が痛くなる展開はごめんだ。

「錠前くん、ちょっといいかしら」

 風呂場の方から先輩の声がした。

「どうしました?」

「ブラのホックが止められないの。止めてくれない?」

「ラッキースケベ来たー!」

「黙れ幽霊! 先輩はからかわないで下さい!」

「くすっ。お風呂ご馳走様」

 普通にリビングにやって来た。

 半乾きの髪だ。時計のショートもいいけど、先輩のロングも最高だぜ。

「時計が姉ちゃんの部屋で肌ケアするとか言ってたから、先輩もどうぞ」

「ありがとう。私もお邪魔しようかしら」

 振り返り、姉ちゃんの部屋に移動する。

「……錠前さん」

「あぁ、幽子さん。判っている」

「あの根暗女、一体誰に毎日ブラを止めさせてるんでしょうか」

 先輩はキャミソール一枚。ブラ線は浮いてなかった。

 解決したくもない謎が増えた。

 ……。

「七並べって二人でしても面白くないですね」

「あら、私は初めだったから楽しかったわよ」

 俺が風呂から上がると、二人はトランプをしていた。

 盛り上がりに欠け、時計は疲れた様子だった。

「そろそろ寝ないか」

 三人がリビングに再集合した時には、日付が変わろうとしていた。

「そうね。お姉さんのベッド使っていいの?」

「いいさ。ダブルベッドだから、二人が嫌じゃなければ一緒に寝てくれ」

「いいかしら、時計さん」

「勿論です。でも……」

「どうかしたか? やっぱり寝袋持ってこようか?」

「違うの。私、寝る時は抱枕がないと寝られないんで、天地さん抱いてもいいですか……?」

「「「ズキューン!」」」

 突然の告白と顔を真赤にして下を向く仕草に、時計以外のハートが撃ち抜かれた。

「よく言ってくれたわ、時計さん。私なら誰でもウエルカムよ」

 そこでちらっと俺を見ないでくれ。

「恥ずかしいことないぞ、時計。どうしようもないことは誰にでもあるもんだ」

「時計ちゃん、なんて愛らしい」

 三人とも穏やかな気持で団結していた。

「そ、そう?あはは……ありがとう」

 時計の意外な一面を知ることが出来た。

 これはアドバンテージだ。いつかこれをネタにゆすってやろう。

「じゃあ、お休み。朝は洗面台とか勝手に使っていいから」

「お休み、錠前」

「お休みなさい、錠前くん。幽子さんとは一緒に寝るのね?」

「こいつ滅多に寝ないんですよ。俺が寝てる時は夜通しスマホでゲームやってるみたいで」

「スマホでゲーム出来るんだ……」

「そう。なら間違いは起きないということね」

「ご心配なさらず」

「時計ちゃんお休み。根暗女お休め」

 相変わらず先輩に風当たりが厳しい幽子だ。

 合宿と言いながら、何一つ解決しない一日だった。

 ……。

「ちょっとー! 新ちゃん、知らない美人が二人も居るー! 私がいながら三股!?」

「友達泊めるってメールしただろ!」

 翌朝、予定が変わり朝帰りした姉ちゃんは、とんだ誤解をしてくれた。



「本当に良いのか?」

「だってしょうがないでしょ。お姉さん帰って来たんだから」

 合宿二日目。

 突然姉ちゃんが帰宅したので、迷惑は掛けられないということで早くも合宿終了となった。

 はずなのに。

「じゃあ今日は時計さん、明日は私とマンツーマンで特訓ね。今日の内に調べておきたいことがあるから」

 という先輩の提案により、個別行動となった。

「とは言ってもなぁ。俺と時計で何をすれば良いか判らないな」

 幽子の姿は見えない。

 今のところ、家と学校が限度のようだ。その線引が判らない。

「何よそれ。私は天地さんより頼りないってこと?」

「時計まであんなリーダーシップ発揮されると困る。時計と二人のほうが居心地良いし」

「あんた、さらっと失言吐くわね」

「え!? また失礼なこと言った!?」

「もういい。あんたってそういう人間だった。忘れてた私が悪いわ」

「なんだかなぁ」

 時計とは親密とは言えないが、話しやすく親しみやすい性格なので気を遣わないで済む。

「とりあえず、荷物置きに家に帰りたいんだけど」

「いいよ。んじゃ行こうか」

「ちょっと、家まで付いて来る気?」

「荷物持つって言ってんだよ」

「……そう。ならお願いしようかな」

 反応が回り回って素直なので気を遣いたくなるもんだ。

 ……。

「ここ?」

 各駅停車で八駅、時間にしておよそ四十分。

「そうよ。遠いでしょ。錠前の家が羨ましいわ」

 下車駅は俺の実家の最寄り駅。

「時計って何中?」

「西中だけど?」

 そうか、近隣の中学だったのか。

「俺は市中。実は実家近い」

「え? 錠前って市中だったの? うわー、なんか親近感」

 駅から徒歩十分で西中。ちなみに市中はバスで十五分。俺の実家は微妙に立地が悪い。

「だったら中央市役所で合唱やらなかった?」

「やったやった!あれ、三校同時だったもんな。うわ、マジで親近感」

「ラジオDJのエイジさんがゲストだったわよね。当時良く聞いてたから嬉しかったわ」

「うわ、なつ! 俺も好きで感動した!」

 地元民あるあるネタは、余所者を除いて凄く盛り上がる。

 五月上旬にもなると、四月の肌寒さはなくなり日差しが強くなる。

 そんな暑さも気にならないほど、話は尽きなかった。

「このマンションがうち。荷物ありがとう」

「おう」

 大して重くもないバッグを渡す。

「おや? おやおやおや?」

「ん?」

「げっ」

「春奈ちゃんが彼氏連れて来てるー!お母さーん」

 外でボール遊びしていた少女がマンションに駆け戻る。

「……家族?」

「うん、妹」

 げんなりする時計だが、挨拶に伺う流れになってしまった。

「お邪魔します」

「いらっしゃーい」

「春奈、彼氏呼ぶなら前もって言いなさいよ」

「うるさいな、そんなんじゃないって」

 客間に通されたが、台所からの声は丸聞こえだ。

「ねぇねぇお兄ちゃん。春奈ちゃんのどこが好きなのー?」

「ぶっ!」

「こら美冬! お客さんに失礼でしょ! このおじさんは彼氏じゃないって!」

「おじさんはないだろ……」

「そうだよー。お兄ちゃんかっこいいねー。私がもらっていい?」

「はいはい。こんな奴いくらでもくれてやるから静かにしないさい」

「俺は何人もいねーよ……」

 とは言え、時計の妹、美冬ちゃんに懐かれ満更でもない。

「やったー! お兄ちゃん、今から私の彼氏ね! 友達に自慢できる! 年上の彼氏はすてーたすなんだよ」

 最近のガキはませてやがる。

「美冬ちゃん、俺が彼氏になるなら一つ条件がある」

「条件ってなーにー?」

「お家のお手伝いをすること」

「わかったー! お母さーん、何すればいいー?」

 ドタバタと台所に向かう。元気の塊だ。

 最近のガキでもガキは素直だ。うん、実にいい子だ。

「いい子じゃないか」

「錠前って子供の扱い慣れてるのね。意外だわ」

「いや、苦手。だから追い払った」

「……あんた、子供の扱い上手いわね」

「どうした、仲悪いのか?」

「そう見える?」

「いや、まったく。ただ急に元気がなくなったから」

「疲れるのよ。来年中学生だってのに、落ち着きがなくて」

「冷めてるな。落ち着きのある小学生なんて嫌だぞ」

「ま、そうね。かわいい妹よ。小学生で付き合うとか流行ってるらしいけど、心配で」

「最近のガキはませてやがるな」

「でしょ? 私達の時はそんなこと考えもしなかったってのに」

 時計家の長女はしっかり者で、気苦労しているようだ。

「あー、春奈ちゃん私の彼氏とっちゃダメだからねー!」

「はいはい、とってないよー」

 お茶を持ってきてくれたが、おぼつかない様子だ。慣れてないのも当然だろう。

「ほら、しっかり持って」

「わわっ、ありがとうお兄ちゃん。優しいんだね!」

「大事な彼女のためなら、力になるよ」

「え、へへっ……」

 単純でいいな。

「こら、あんまりからかわないでよ。男に貢ぐようになったら錠前の責任だからね」

 人をジゴロみたいな言い方しないでくれよ。

「お兄ちゃーん。何して遊ぶー?」

「そうだな。今日の晩ごはんの手伝いをしようか」

「えー。やだー。一緒に遊ぼうよー」

 二度は通じなかった。

「美冬、あまり迷惑掛けちゃダメでしょ」

「えー。いいじゃん」

 パチッ。ザー。

 テレビが点いた。

「あれ? 電源入れていないのに勝手に点いた」

「どうした、壊れてるのか?」

「ううん、最近買ったからそれはないと思うけど。とりあえず点けとこうか」

「お兄ちゃーん。私ピアノ習ってるんだー。聞いて聞いてー」

 それくらいなからいいか。

「それじゃ、お願いしようかな。何が得意なの?」

「きらきら星!」

「それは凄いな。弾いてみてくれる?」

「判った―。そこで聞いててね」

 居間にあるアップライトピアノに座る。

「ちゃらちゃらちゃーん!」

 意外にしっかりと演奏出来るようだ。

「立派なピアノだな。時計も弾けるのか?」

「昔私が習ってたのよ。もう辞めたけど」

「へぇ。お嬢様なんだな」

「家にピアノがあるだけでお嬢様と決め付けるなんて偏見ね」

 とは言うが、時計の育ちが良さそうな風貌はこの辺りから形成されているのかもしれない。

「えっへん! どうだった?」

「おー、上手上手。美冬ちゃんは将来美人になるぞ」

「口説かれたー! わーい! お母さーん! 褒められたー!」

 バタバタと忙しい子だ。

「時計も弾いてみてくれよ」

「嫌よ。何で私が錠前のために弾かなくちゃならないのよ」

「いいじゃん。ちょっとだけ。ピアノ弾ける人って凄いよな。聞いてみたい」

「い・や・よ」

「んー、ケチ」

 残念だ。ピアノ弾ける人って素敵なのに。本人には言わないけどな。

「そんな拗ねないでよ。はいはい、ちょっとだけね」

「いいのか?」

「美冬が弾いてたのと同じ曲ね」

「えー。あんなドミソ的なのよりもっとこう、凄いのが良い」

「大丈夫よ。きらきら星には変奏曲があるから、そっち弾いてあげる」

 椅子に座りピアノと向き合う。

 深呼吸を一つ、そっと鍵盤に手を伸ばす。

 最初は確かに美冬ちゃんと同じレベルだったが、途中から音が洪水のように流れる。

「はい、おしまい。やっぱ練習してないからイマイチね」

 ピアノから離れ、テーブルのお茶を一口飲んでリラックスする。

「……凄いな」

「まったく凄くないわよ。リズムも強弱もてんでダメ。あーあ、やっぱり弾くんじゃなかった」

「いや、マジで感動した」

「そ、そんなに驚かれても。ま、素人耳にはそんなものかもね」

「えー、続ければいいのに。勿体ない」

「いいの。もうピアノは一生弾かない」

「何で? 何かあったの?」

 一生とか言わないでくれ。今のが最後だとしたら俺が最後の証人になってしまう。

「別に。自分の腕のなさを知って諦めたっていうか」

「諦めんなよ。趣味特技ピアノって格好いいけどな」

「そんな簡単じゃないのよ」

「……そうか。人それぞれだからな。俺には良く判らないが」

「そうよ」

 ちゃんちゃーん。

「……」

「……」

 誰もピアノに近づいてないのに、勝手に鳴り響いた。

「……なぁ」

「……何?」

「ちょっと近いぞ」

 いつの間にか袖を握られていた。

「だって、今、勝手に鳴らなかった?」

「鳴ったな」

「何で落ち着いてるのよ! テレビは勝手に点くし、ピアノは勝手に鳴るし、なんなのよ」

「……一つ心あたりがある」

「え? 何?」

「ああ、今の俺には視えないが、誰かがこの部屋にいる」

「きゃあああああああ!」

「春奈ちゃん、どうしたの? お兄ちゃんに酷いことされたのー?」

 時計家の皆様に誤解されてしまった。

 ……。

「ただいま」

「お帰りー新ちゃん」

「うわ、まだ夕方なのに飲んでるの?」

「飲まなきゃやってられないわよー。旅行が中途半端に終わって私は暇なのだー。けほっ」

「飲めないのに無理すんなよ」

 時計の家で美冬ちゃんと一緒に遊んだが、子供の相手はどっと疲れる。

 時計の苦労が判った気がする。

 うちにも美冬ちゃんが大人になったような子供がいるんだから。

「うー、もう無理ー」

「吐くなら便所行って!」

 チューハイ一缶でこれだけ弱いならヤケ酒なんてするなよ。

「で、だ」

「……」

「幽子さん」

「ふーん、やっぱりこの家だと視えるのですね」

 少し機嫌が悪い。

「今日、時計の家でやったアレ、幽子さんの仕業だな?」

「アレって何ですか。私達はツーカーの仲じゃないんだからアレじゃ判りませんよ」

「テレビ点けたり、ピアノ弾いたり」

「あ、やっぱり私だと思いますね? でも残念でした」

「え? 違うの?」

「私はあそこまで干渉出来ませんよ。前にも言いましたが、物を少し動かすのがやっとです」

「うーん、じゃあアレは何だったんだ……」

「ちょっと疲れたので寝ますね……お先です」

「お、おい?」

 二度目の寝る発言。月に一回は幽霊も寝るのか?

「うー、気持ち悪い……」

「ほら美希ちゃん、水飲んで」

「ありがとー。おえっ」

「あーもう! 全部吐いて来い!」



 合宿三日目。

 今日は先輩の家に案内された。

「どうぞ」

「どうも、お邪魔します」

「わ、姉ちゃんが彼氏連れて来てる。昨日の話、本当だったんだ」

 弟さんかな? またあらぬ誤解されている。

「こ、こんにちは」

「こんにちは。彼氏さん、こんな姉ちゃんのどこがいいの?」

「こら、下がってなさい」

「はーい。ごゆっくり」

「ごめんなさいね。来年高校だってのに落ち着きがなくて」

 すごいデジャヴ。

「先輩も長女なんですね」

「も?」

「時計も、うちの姉ちゃんも長女だから」

「そうね。一姫二太郎とはよく言ったものね。私達、相性良いんじゃないかしら」

「幽子さん曰く相性最悪みたいですけど。そう言えば、今朝から幽子さんが視えないんですが、先輩はどうです?」

「あら、そう言われれば視えないわね。別居したの?」

 そう言われればって。俺達の唯一の共通点なのに、どうでもいいのか。

「昨夜疲れたから寝るって言ったきり、さっぱりです」

「そう。いないのなら、丁度良いかもしれないわ」

「丁度良いとは?」

「昨日、調べて判ったことがあるの。こちらへどうぞ」

 客間から通されたのは、先輩の部屋だった。

 人生初、女の子の部屋に入った。

「出会って十秒で部屋に通すんだから、私も覚悟は出来ているわ」

「そのネタ好きですね……」

「あら、錠前くんは嫌い?」

「俺も男です。先輩!」

「ちょっ、ちょっと待って!」

「はい?」

「本当に今日は幽子さんは居ないみたいね。錠前くんの心の機微が読めないから、不安で」

「大丈夫です、俺に任せて下さい」

「錠前くん……判ったわ。優しくしてね」

「……では、始めましょう」

「ええ。来て」

 何故ベッドに横たわる?

「えーっと……?」

「どうしたの?」

「ここで二択なんですが、いいですか?」

「攻め受けに迷ってるのかしら。ごめんなさい。私は初めてだから、その、受けでいいかしら」

「ち、違います。何の話をしているのですか?」

「だから受け攻めの話よね?」

「違いますって! 何か判ったことがあるんでしょう? その話じゃないんですか?」

「……錠前くん、噂通り女の子に恥をかかせるのが好きなのね」

「何その噂! 誤解ですよ。俺が言った二択は、幽子さんの話なのか、調べて何か判ったのか、という話なのかですが」

「そ、そっちね」

「それ以外に何があると?」

「それはほら、男と女が二人で密室に居るとなれば、ヤることは一つじゃない。初めては彼女の家が五十%ですって」

「なんの統計!?」

「そこまで女の子の口から言わせるなんて、本当に鬼畜なのね」

「……判りました。俺も男です。女性にそこまで言わせるなんて、甲斐性ってものがあります」

「そう。私を選んでくれて嬉しいわ。あなたは私のものよ」

「いや、先輩は俺のものです」

「錠前くん……」

「では、始めましょう」

「ええ。来て」

 何故ベッドの横を空ける?

「えーっと……?」

「どうしたの?」

「ここで二択なんですが、いいですか?」

「また!? 錠前くんが攻めで、私が受けって決めたわよね」

「だから! 幽子さんの話か、調べ物の話か、どっちかなんですが!」

「……ここまで来ておいてそれはないんじゃないかしら」

「判りました。俺も男です。甲斐性ってものがあります」

「やっっと判ってくれたのね。そうよ、さぁ、来て」

「お邪魔します……」

 すっと先輩の横に寝そべる。

「ふふ。錠前くんって緊張すると鼻の穴が大きくなるのね」

「先輩は口唇が乾くんですね」

「錠前くんが潤してくれる?」

「姉ちゃーんお茶ー……ましました」

「待って! この誘惑から助けてくれ!」

 そう、弟くんがお茶を持ってきてくれるタイミングでこの状況を作りたかっただけらしい。

 恐るべし男殺しの既成事実魔。

「ふふ。傑作だったわ、錠前くん」

「あのー、もうからかうのは辞めて下さい……」

「あら、どうして?」

「本気になるからです」

「あら、私としてはどっちでもいいのよ」

「軽いのか重いのか判断に困ります……」

 謎で変で怖くて優しくて女狐な先輩だった。

「それで、本番なんだけど」

「そのネタも好きですね……もうどうでもいいです」

「あら、諦めて思考停止することは良くないわ。もがいてもがいてもがき回りなさい」

「単に突っ込んで欲しいだけなんですね」

「突っ込んで欲しいなんて、はしたない」

「今更カマトトぶらないでください」

「あら、私は正真正銘のうぶよ」

「左様で」

 やっぱりこの先輩疲れるわー。

「それで、本番なんだけど」

「本題、ですね」

「その調子よ、錠前くん」

 なんだかなぁ。

「覚えているかしら。ポケベルの霊の話」

「はい」

 いきなり核心だ。

 その話を詳しく聞きたかった俺の姿に、先輩も真面目な態度になる。

「どうやら、そのポケベルの霊は最初は何も力がなかったようよ」

 幽子と同じだ。

「ただ、その使い主と生活を共にすることで学習し力を身に付け、悪霊と化したようね」

「悪霊?」

 聞き捨てならない。

 同じケースではあるが、あの幽子は無害だ。悪霊なんて似合わない。

「最後は使い主を呪い殺したようよ」

「……」

 言葉が出てこない。

「それでおしまい。それ以降悪霊は消えたという話が残っている。嘘か本当かも判らない」

「そんな……」

「ごめんなさい。対策も解決方法も判らなかったわ。ただ、幽子さんが今後も力を身に付けていくなら、同じことが起こるかもしれない」

「信じられません。単なる創作話でしょう」

「そうね。そうかもしれないわ。でも、今日までこの話が語り継がれている。それは紛れも無い真実よ」

「そんなこと、あるわけない」

「そうね。でももう一つ、予想が立つわ」

「何です?」

「仲良くなること」

「仲良くなる? どういうことですか?」

「幽霊は悲しい霊体だそうよ。祓いが効かなければ成仏も出来ない、苦しい毎日が続き、悪霊になる」

「……」

「それでさっきの話は使い主を呪い殺して己を解放できたようだけど、こうも考えられないかしら」

「……それは?」

「ずっと仲良くするのよ。毎日が楽しければハッピー。幸せを感じることができれば悪霊にならない」

「でも、それは根本的な解決策じゃないですよね」

「そうね。でも呪い殺されるよりマシでしょ。相手は幽霊なんだから、人間のモラルなんて通用しないわ」

「以前、幽子さんに似たことを言われたことを思い出しました。人間様のルールがうんぬん」

「そうね。私達と幽霊はお互い解り合えない。なら、一生騙し続ければいいのよ」

「……難しい話ですね。ちょっと考えさせて下さい」

「そうね。私も昨日一日で調べたことだから間違いがあるかもしれない。彼女には言わないでおきましょう」

「判りました。俺も考えを整理したいので」

「まだ時間があるなら、一緒に考えましょう」

 そっと握られた手はとても温かかった。

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