03.助けてオカルト研究会

「今日も元気に行ってきまーす」

「行ってらっしゃい、気をつけて」

 四月下旬に差し掛かった。

 今日は朝からあいにくの雨だが、姉ちゃんは余裕をもって出社した。

 電池が空になったスマホを充電しながら、身支度を済ます。

「仲良すぎでしょ。錠前美希と錠前新司の姉弟は」

「俺が中学の頃は一言も交わさなかったぞ」

「ほぇー。そんな過去が」

 普通に話しているが、コイツは幽霊の幽子さんだ。

 ケータイメールで意思疎通を経て、なんと実体化までしやがった。

 それに加えて憑依が成功して、レベルアップしたと喜んでいた。

「幽子さん」

「何ですか錠前さん」

「何で敬語?」

 今は解き明かさなくてはならない謎がたくさんある。

 しかし問題が判らないから、解決のしようがない。

 気になったことはどんどん訊ねて、一つずつ処理していこうと考えた。

 それがどんなに下らないことでも、いつか意味を持つだろう。たぶん。

「私十六歳です」

「そうだな、知ってる」

「錠前さんは?」

「俺も十六歳だけど」

「だけど高校二年生ですよね」

「ああ」

 四月から二年に進級し、今は一人暮らしの姉ちゃん家で世話になっている。

「私は高校一年までしか経験していません」

「だから?」

「錠前さん年上じゃないですか」

「それだけ?」

「そうです」

 礼儀はあるようだ。

「高校一年までってのは本当?」

「何ですか、その疑いの目は」

 前例があるから懐疑的になるだろう。

「高校一年のいつまで覚えている?」

「春は花見、夏は海、秋は紅葉、冬はスキーに行きましたね」

 生前の記憶はないと言いながら、満喫しているじゃないか。

「なるほど、じゃあ事件は三月と仮定しよう」

「事件とは?」

「幽子さんが亡くなった時期」

「おおー、警察っぽいですね」

 意外にも反論はなかった。

「心当たりはないか?」

「ないですね。記憶は先日より戻った気がしますが、なんせ曖昧で」

 曖昧、か。

「でも思い出は覚えていたり、この世に未練や後悔はないんだろう?」

「そうですね。はっきりしていることもあります」

「そのはっきりしていることを全部教えてもらいたいのだが」

「一度にたくさん質問されても答えられませんって。私頭悪いんですから」

 この反応だ。

 一問一答形式じゃないとダメのようだ。

 そうしている内に、そろそろ学校に行く時間だ。

「じゃあ、学校行ってくるから、また」

 幽子と出会ってまだ数日だが、この状況に少し慣れてきた。

 片手を上げて、別れる。

「何言ってるんですか。私も毎日憑いて行ってますよ」

「は?」

「この部屋の外はノイズが多くて気づいてもらえませんけどね。またあの子にケータイ渡して下さい。ふふふのふ」

 何か厄介事が起きる予感。



 学校まで徒歩十分の道のりは、雨で濡れていた。

 傘を指し、水たまりを避けながら歩く。

 てくてく。

 ふわふわ。

 てくてく。

 ふわふわ。

「あのー」

「……」

「幽子さん」

「え? 私ですか?」

「初めて、出先でも姿が視えるんだけど」

「本当ですか? やったー!」

 隣を歩くような浮遊するような、幽子がバンザイをする。

「これもレベルアップしたお陰ですかね」

「そのレベルって何?」

「知りませんか? レベルが上がるとステータスが上昇して、新しいスキルが身につくんですよ」

「ゲーム?」

「そうです。今はスマホで面白いゲームが沢山ありますね。私の時代は希少でしたから」

 ちょっと待て。

「スマホでゲーム出来るの?」

「はい。錠前さんのスマホで」

「俺のかよ!」

 もしかして、ここ数日朝になるとスマホの電池がなくなっていたの、コイツの仕業?

 いや、それよりも。

「スマホに触れるの?」

「持てはしませんが、タッチパネルは反応します」

 また重要なことを口走った気がする。

「持てはしない? 持つことはまったく出来ないのか?」

「一度充電しようと試みましたね。でもすっごく疲れて、スマホを少し動かすのがやっとでした」

 疲れるんだ。

 先日も疲れたって言ってたな。

「その気になれば、物体に干渉できるのか?」

「そうですね。限度はあるようですが、頑張れば多少」

 頑張って出来ることなのか。

「幽霊っぽい」

「でしょ? だから最初に言ったじゃないですか。幽霊ですって」

 この自覚は大したものだ。

「一応訊くけど、俺の頭がおかしくなって、幻を見ている可能性は?」

「あり得ますね」

「あるのかよ!」

 にへへと笑う幽子に振り回されながら、学校に着いた。

 ……。

「おはよう、時計」

「……おはよう」

 いつも通り、始業時間十分前に席に座る。

 隣の席の同級生、時計春奈はご機嫌斜めの様子だ。

 挨拶をしたきり、それまで読んでいた本に視線を戻した。

 そんな日もあるだろう。毎朝雑談する必要もない。

 ヴーヴー。

 スマホがメールを着信した。

『放課後、理科準備室で。時計』

 隣りに居るんだから、直接言えばいいのに。

「ほ 、錠前 ん。彼 に の ータイ 渡し 下さ 」

「……」

 教室に入って幽子の姿は視えなくなったが、声は聞こえた。

 登校時は雨で会話はかき消されたが、室内での独り言は危ない人に認定される。

 ここは見えない聞こえないふりで誤魔化そう。

「うー 、ノ ズが乗 ます 。 だ人 多 所じ ダ で か」

 どうやら俺の心の声も漏れていないようだ。

 助かるが、一方的に断続的な声が聞こえるのも困ったものだ。

 ……。

 退屈な授業も終わり、放課後になるとグランドと部活棟は活発になる。

 そんな場所とは無縁な、人気のない理科準備室へと向かう。

 幽子の声は午前中の早い内にまったく聞こえなくなった。

 コンコン。

 理科準備室の中から返事はない。

「失礼します」

 中にいる人に聞こえるように、声をかけてドアを開ける。

「いらっしゃい、錠前くん」

「こんにちは、先輩」

 いつもは暗幕が掛かって薄暗い部屋だが、最近は西陽が入って明るい。

 机の上には参考書とノートが広がっている。

 どうやらいつも勉強していたようだ。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 紅茶を差し出してくれたのは三年の天地真央。

 無関係者の俺を暖かく迎えてくれる、謎で変で怖くて優しいオカルト研究会の先輩だ。

「それで、今日はどうしたのかしら」

「時計に呼びだされたんですよ。まだ来てませんか?」

「私は見てないわ」

 授業が終わるとさっさと教室を飛び出したのに、遅れているのか。

「そうですか。何の用事なんだろう」

「この間泣かしたの、根に持たれてるんじゃない?」

「あれは事故みたいなものですよ。時計も俺は悪くないって言ってたじゃないですか」

「そうだったかしら。錠前くんが時計さんを泣かせたから、土下座して謝ったことしか覚えていないわ」

「事実を曲げないで下さい」

「でも二回も女の子を泣かせるなんて、罪な男ね」

「……先輩と時計、仲良いんですね」

「一年も一緒に居たら、親密になるわ」

 教室での出来事も話していたのか。

「時計は一年の時からオカ研にいたんですか。その割には出席率低いですね」

「出席は本人の自由だから。特に活動もしていないし」

 特に活動していないというオカルト研究会は、存在自体謎だ。

「先輩はここで勉強していたんですね」

「ええ。一緒に勉強する友達もいなし。ここは静かで集中できるわ」

 美人なのに友達少なそうだもんな。交友関係には触れないでおこう。

「邪魔してますね、すみません」

「いいのよ。錠前くんとお話すると、ストレス解消になるわ」

 俺は先輩と話すとストレス貯まるとは言えない。

「先輩は進学ですか?」

「ええ。国文クラスよ」

「国立志望ですか、凄いですね」

「春の模試はE判定だったわ」

「頑張りましょう! 今頑張らなきゃ!」

「大丈夫よ。本番で本気だすわ」

 それは出来ない人のいい訳じゃないか。

「俺も一年後には受験か。ピンと来ないな」

「大丈夫よ。私も実感ないわ」

「先輩は危機感持って下さい……」

 まったく大丈夫じゃないじゃないか。

「しかし、時計遅いな。何やってるんだろう」

「そろそろいいんじゃないかしら?」

「何がです?」

「時計さん」

 ガラガラ。

「……」

 理科準備室と理科室を結ぶドアが開き、時計が姿を現す。

「と、時計?」

「ね、私達何も関係ないでしょう?」

「……はい」

「関係って、何のこと?」

「……」

 時計は口を動かさない。

「時計さんはね、私と錠前くんが付き合ってると思ってたのよ」

「はい? どうして?」

「それはホラ、私達男と女よね? 男女が放課後、暗い部屋でやることと言えば勿論」

「はい、ストップ。その先はいいです」

「ごめんなさい、天地さん、錠前」

「き、気にするな。嬉しい誤解だが、残念なことに誤解だ」

「ふーん、嬉しいんだ」

 時計の眼がジトーとなり俺を睨む。

「私としてはとんだ迷惑だわ」

「がーん……」

 先輩の追い打ちは地味にヘコむぞ。

「ふーん、ショックなんだ」

「あら、ごめんなさいね錠前くん。でも、落ち込んだあなたは慰めたくなるわ」

「話がややこしくなる前に止めましょう。時計、俺と先輩は何もない。気を遣うな」

「ん、判った」

 やや尾を引きつつも、笑顔が戻った。

「よし。もしかして、それを確かめるために呼び出しといて隠れてたのか?」

「可愛いじゃない。乙女心は複雑なのよ。別れ話の噂も気にする程にね」

「もー、天地さんもからかわないで下さい!」

 そんな噂まで広がっていたのか。

 悪いと思いつつも、時計の意外な一面を見ることが出来た放課後だった。



「錠前さん」

 帰宅するや否や、幽子が現れる。

「うお、びっくりした」

「何でケータイを渡してくれなかったんですか?」

「そう言えばそんなことも言ってたな。忘れてた」

「忘れたで済ませるつもりですか? 今朝お願いしましたよね」

「憑依だっけ? 危険そうだから止めた方がいいんじゃないか?」

「力を合わせるって約束したじゃないですか」

 そうだな、一刻も早く消えてくれるとありがたい。

「それでもだな、安全かどうか判らないだろ? 危険なことは避けたいんだ」

「私だって早く消えたいですよ。どうして幽霊やらなきゃいけないんですか」

 今日は今までで一番機嫌悪いな。

「悪かった。でも安全性が証明されれば協力するさ」

「害はありませんよ。私は私の残りカスみたいなものですから」

「残りカス? それは一体どういうことだ?」

「気づいたんです。私は錠前さんとしかコンタクト取れませんよね」

「俺からは判別出来ないから、幽子さんがそう感じているならそうなんだろう」

「本物の幽霊なら、誰かれ構わず悪いことすると思いませんか?」

 幽霊に詳しくないし、霊感もないし、信じてもいなかったから、幽霊について詳しいことは判らない。

「映画にあるような悪霊なら、そうだな」

「でしょう? なのに私はピチピチのギャルです」

 ピチピチギャルって死語だ。死後だから使うのか。

「本物の幽霊なら、もっと力があるはずです。でも私は錠前さんを呪うことも出来ません」

「物騒なこと言うな。今の幽子さん怖いぞ」

 言ってることは怖いけど、このルックスだと迫力がない。

「でも可愛いから平気なんでしょ?」

「うっ……」

「こんな時でもお気楽なんだから、まったく失礼ですね」

「すみません」

 確かに失礼だった。

 説教する幽子は、一生懸命にやれることをやろうとしただけだった。

「私は未練も後悔もありません。なのに、何故私が幽霊をやっているか。それは……」

「そ、それは……?」

「何故だと思いますか?」

「俺に振られても、その辺の事情は判らない」

「私もそれが判りません」

「おい! 気づいたことって結局何だったの?」

「だから、私が幽霊として弱いってことです」

「ほう」

 なるほど。考察の余地はありそうだ。

 レベルアップなんて表現を使うくらいだ。

 もし力を身に付けたら、幽霊として成長して、終には消えることが出来るかもしれないってことか?

「なるほど。納得して頂けたようで助かります」

「今なるほどって言った!? 俺の結論まで辿り着いてなかったのか!?」

「いやー、私はただ、もう一度憑依してみたいなーって……」

「ただの好奇心かよ!」

 某先輩並に疲れるわ、この子。

「そうそう、その女」

「誰?」

「ほら、理科準備室にいる暗い女です」

「天地先輩か? 暗い女って酷くない?」

「それはどうでもいいです。あの女、私に気づいてますよ」

「なっ……?」

 先輩が幽子に気づいている?

「錠前さんも、前回は良い所まで行きましたね。私がオカルトなんちゃらの会員だと」

「あそこにも居たのかよ……」

「私、時々錠前さんの心の内を他人に漏らすことがあるようです」

「なに、それ」

 とんでもない情報じゃないか。

「自分じゃコントロール出来ないんで、幽霊の特性かもしれません」

「その特性とやら、俺にとって、とっても危険じゃない?」

「大丈夫です。自覚症状はほとんどありません。ただ、あの女を前にすると力が増幅する気がするんです」

「それは、先輩が霊感強いとか、そっち系?」

「恐らくそうでしょう。癪ですが、あの女に協力してもらえませんか?」

「協力? 何を?」

「だ、だから……憑依を、です」

 どうしても憑依したいようだな。

「だ、大丈夫ですって! あの女は霊感強そうなので、害はまったくありません」

「とは言ってもな……」

「事実、私が錠前さんに実害を加えましたか?」

「実害は……ないな。迷惑なだけで」

 前回時計に憑依したという時は、涙が出た程度で、意識もあったし乗っ取られた訳じゃない。

「幽子さん」

「何ですか錠前さん」

「俺に憑依してみろ。それで俺に何もなければいいだろう」

「……」

 急に真顔になる。

 何だ、変なことを言ったか?

「それは出来ません」

「どうして? 憑依したいんだろう? 俺でも問題はないはずだ」

「……」

 どうして黙るんだ。

「実は、何度も試しました」

「た、試したのか?」

「はい、すみません。でも、錠前さんには乗り移ることが出来ませんでした」

「理由は判るか?」

「いいえ」

 幽子はイタズラがバレた子供のように萎縮していた。

「まぁ、遅いけど、正直に告白してくれたのは感謝する」

「え……?」

「また一つ事実が明らかになったんだ。俺と意思疎通は出来る。憑依は出来ない」

「そのようですね」

「判ったことがあったら、情報はどんどん共有しよう」

「錠前さん、怒らないんですか?」

「だが約束して欲しい」

「はい……?」

「人に害を加えることが判った上で、人に害を加えようとするな」

「ええっと、もう少し簡単に言ってくれませんか?」

「つまりだな、人に優しい幽霊であれ」

「……錠前さんのモットーですね」

 コロコロ表情が変わる幽子だったが、笑顔を取り戻してくれた。

「約束できるか?」

「はい!」

「よし」

 幽子は素直で優しい。

 人に悪いことなんて出来ない。

「先輩は幽子さんに気づいてるって言ったな」

「はい、私の方を視て挨拶してきましたから」

 挨拶? そんなことがあったのか?

「だったら、正直に話して、協力してもらえるか相談してみよう」

「あのー……オブラートに包んで下さいね? 何も馬鹿正直に全て話す必要はないんですから」

「人に信頼してもらうには、理解してもらおうとする努力が必要なんだよ」

「うっ……」

「よし、明日掛けあってみるよ。任せておけ」

「お願いします、錠前さん」

 幽子に落ち込んだ姿は似合わない。

 そんな姿は見たくないと、今の笑顔から感じた。

 その後、すっかり夕飯の準備を忘れていた俺は、姉ちゃんの機嫌をとるのに四苦八苦した。



「おはよー」

「おはよう」

「偉い偉い、毎朝起きれるようになったね」

「子供扱いしないでよー。私はやれば出来る子なんだよー」

 ソッポを向き頬を膨らませる。

 昨夜の晩飯がまたカレーだったのが、お気に召さなかったらしい。

「おうおう、朝から仲が宜しくて良うござんすね。けっ」

「え……」

「はい?」

「視えてる……」

「はい……?」

 幽子は目をきょとんとしてこちらを伺う。

「どした新ちゃん」

「美希ちゃん! ここに、何か視えない?」

 俺の隣を指差す。

「何かって何? カレンダー?」

 確かに指を指す方向にカレンダーが掛かっているが、もっと手前に注目して欲しい。

「ここに女の子視えない?」

「新ちゃん、とうとう認めたわね」

「な、何を?」

「可愛い女の子なら目の前に居るじゃない。もう、朝から大胆ねー」

「可愛いのは否定しないが、美希ちゃんのことじゃなくて」

 どうやら視えていないようだ。

「何ですか、このブラコン姉にシスコン弟は。気持ち悪いですね。けっ」

「お前、俺達にそんな悪態ついていたのか」

「げ。マジで私が視えてるんですか? そう言われればノイズが軽減されてますね」

「お前? 悪態? 新ちゃん言葉遣いが荒いよー」

 今まで俺が独りの時にしか現れなかった幽子は、姉ちゃんを前にしても存在していた。

「おおお、これでまた一歩レベルが上がりましたね。そろそろ中ボスが出てきそうな予感がします」

「そんな敵はいないから」

「敵って何さ? 私達の仲を切り裂く世間? でも残念でした、姉弟は一生別れることができないよー」

 正常な姉ちゃんと、異常な幽子の板挟みにあうと俺が一番苦労するようだ。

「美希ちゃん」

「どうした新ちゃん」

「俺、ちょっと用事ができた。食器はそのままでいいから、先に行くね」

「おーい、私を置いて行くなー。姉より先に家を出る弟なんて許さないよー」

 そんなこと根に持たれても、どないせえっちゅうねん。

「ちょっと、錠前さーん。私を置いて行かないで下さいよ」

 幽子は幽子で急いで家を出る俺を追いかけてくる。



「はぁ……はぁ……」

「私に興奮するのは仕方ないとしても、そこまで息を荒げられると気持ち悪いですね」

「ちゃうがな」

 学校までの道のりを走ったので、息が切れただけだ。

 足は痛むが、この程度なら走れる。

「げっ」

「げって何ですか。美少女を前にしてげっ、とは失礼ですね」

「ちゃうって。先輩のクラスが判らない」

 この時間は三年の朝課外か、朝練に勤しむ二年の運動部が活動を始める頃だ。

「そんなにあの根暗女に会いたいのですか。我も忘れるほど欲情していると。これだからおサルさんは」

「ちゃうっちゅーの。幽子さんは昨日の話を忘れたのか」

 ついベシっとツッコミを入れたが、手は空を切った。

「昨日は確か、私と錠前さんが初めて愛を語らった、記念すべきロマン記念日ですね」

「ボケるのも大概にせーや」

「え!? 今、私ボケていました!? ボケるには早いですよ、まだ十六ですって」

「もうええっちゅーねん」

 まったく面白くもないボケとツッコミが校舎を前に繰り広げられる。

 良かった、周りには誰も見当たらない。

 一人でツッコミの練習を見られるとか恥ずかしすぎる。

「いや、先輩は国文コースだったはず。だったら六組か七組だ」

「ファイナルアンサー?」

「幽子さん、きみウザいわ」

「だって外でこんなにお喋り出来たのは初めてですよ。テンションも上がりますって」

 テンション上がってたのか。迷惑な方向のアガり方だな。

 そのやったーってポーズは似合ってるけど、認めない。

「ふふふのふ、私の悩殺ポーズにやられましたね」

 やべ、ノイズとやらもないのか。

 迂闊なこと考えられないな。

「とにかく行くぞ」

「はーい」

 機嫌が良いのか、返事は元気だった。

 ……。

 三階の校舎に辿り着く。

 だが、朝課外が始まっているので、迂闊に窓から覗くことが出来ない。

 くそ、幽子がはっきり見えている間に会いたいのに。

「錠前くん?」

 教室を前にどうしようか思案している最中に、聞き慣れた冷たい声が背後から聞こえた。

「先輩!」

「どうしたの、こんな所で」

 俺の勢いに少し狼狽した先輩が珍しく戸惑っていた。

「それはこっちの台詞だよ! もう課外授業始まってるんじゃないの?」

「朝課外は出席自由よ。強制という名の自由」

「それは受験生の義務だよ! なんてだらしない上級生なんだ」

「あなた、年上によくもまあズケズケと物を言えるわね。礼儀というものを教えてあげようかしら」

「錠前さん、話を進めてくれませんか」

 いつも話を遮る幽子に展開を促されるとは、油断した。

「ああ、そんなことはどうでもいい。先輩、頼みがあるんです」

「それが人に物を頼む態度なのかしら」

「それは、後で謝ります。今は俺の話を聞いて下さい」

「そう。今後一生私のために生きると言われれば、私も悪い気はしなわね」

 そこまで言ってない。俺の周りは話が通じない人が多い。特にこの二人。

「もう勝手に言いますよ。これが視えるんでしょう?」

 隣の幽子を指差す。

「ついにカミングアウトしたわね、錠前くん」

「それじゃ、やっぱり……」

「あなたの私に対する愛、しっかりと見えるわ。ええ、私も女だもの。口説かれたらコロっと落ちちゃうわ」

「……」

「ふふ、大丈夫。答えは、オーケーよ」

「錠前さん、この根暗女、頭のネジが飛んでますよ」

 ひどい言い方だが、今ばかりは幽子の言い分が正しく思えた。

 いつの間にか、朝課外中だというのに、廊下一面の教室からこちらを伺う生徒と教師からの視線を浴びていた。

 サボり気味の友達がいない冷血女を、猪突猛進な年下男が口説いていると、そんな絵が広がっていたという。

 ……。

「錠前、あのさ、天地さんと付き合うって本当?」

「だぁー!」

 それも二年の時計まで噂が広がるなんて、なんて風通しの良い学校なんだろう。



「時計、協力してほしいことがある」

「何よ」

 放課後。

 午前中いっぱいで幽子の姿は見えなくなっていたが、そそくさと帰ろうとする時計を捕まえた。

 誤解を解いたのに、十分には伝わっていないようだった。

「今から、オカ研の活動をする。時計も来てくれ」

「活動も何も、あんた会員じゃないじゃない」

「うっ……そうなんだが、時計が居てくれないと困る」

「な、なんでよ」

「時計じゃないとダメなんだ!」

 ざわっ……。

 まだ人気のある教室が、一瞬ざわめく。たぶん気のせいだ。

「だから、何で私じゃないとダメなの?」

 苛立っているような逃げ出したいような、中途半端な態度で落ち着かない。

「時計が唯一の味方なんだ! 時計しか居ない」

 ざわわっ……。

 さっきより人気のある教室が、一瞬ざわめく。きっと気のせいだ。

「な、何よ。言いたいことがあるならここでいいなさいよ」

「ここはダメだ。だから、人の居ないところへ来て欲しい」

「ちょっと、それって……」

 ざわざわっ……。

 半ば強引に、時計を理科準備室に連れて行った。

 ……。

「それで、人気のないところへ時計さんを呼び出して何をする気かしら、錠前くん」

「何でそんな話になってるの!?」

 理科準備室に入った俺と時計は、その部屋の主に睨まれた。

「釣った魚に餌をやらないどころか、新しい魚を釣ってくるとはいい度胸ね」

「先輩は少し黙って下さい」

「なに、噂はやっぱり本当なんじゃない」

「それはデタラメだって時計!」

 何故話が逸れるんだろう。

「まずは、先輩」

「何よ……あんなこと言っといて、やっぱり本命は天地さんなんじゃない」

「あら、嬉しいわね錠前くん。でも私、時計さんを譲る気はないから、ごめんなさい」

「ほら、見ただろう時計。この人は俺より時計を取るんだよ」

「え、それって困る……。私その気ないし」

「ちょ、時計さん……」

「やーい、振られてやんのー」

「そういうことね。私を傷つけて、その傷を利用して落とそうって魂胆ね。やるじゃない、錠前くん」

「最低」

「何で俺だけ悪者扱い!? いいから俺の話を聞いてくれよ二人とも!」

 どうして、こうなっちゃうんだろう……。

「それで、まず先輩。今朝のことなんですけど」

「あれは流石に恥ずかしかったわ。クラスの子に根掘り葉掘り聞かれたわ」

「聞かれたのは俺の方ね。先輩は誰からも話しかけられてなかったし」

 朝課外が中断して、上級生女子に囲まれてとても恥ずかしかった。

 しかし、先輩の人を近づけないオーラを目の当たりにして戦慄した。

 対多数に対する壁が分厚すぎる。こんなにお茶目な人なのに勿体ない。

「朝、もしかしたら今も、俺の隣に人が視えますね?」

「ええ、視えるわ」

 幽子の感は当たっていた。

「新しい魚が」

「ふざけないで下さい。真面目な話なんです」

「ええ、女の子が視えるわ。幽霊かしら、その子」

「んなっ!?」

 素っ頓狂な声を上げる時計を、悪いが無視して話を続けさせてもらう。

「どんな風に見えますか?」

「とても可愛らしい子ね。うちの制服を着ているのは錠前くんの趣味かしら」

 やっぱり、視えている。

 どうしてうちの制服を着ているのかは俺も疑問だが、今は隅に置いておこう。

「声が聞こえますか?」

 ふるふる。

「残念ながら、私には視えるだけだわ。錠前くんは声が聞こえるのかしら?」

「いいえ。朝夜は姿も視えて声も聞こえるんですが、今は気配も感じません」

「そう。ということは、まがい物なのね。可哀想に」

 まがい物だって? どういうことだ?

「名前は幽子と言います。十六歳の高校一年生です」

「ぴちぴちね」

 もしかして死語じゃなくて、まだ流行ってるのか?

「このケータイは、生前幽子が使っていたものです」

 スライド式のガラケーを取り出す。

「そう。これに囚われているのね」

 囚われている?

 さっきから先輩の言うことはイマイチ理解できない。

「それで、これを持った者に憑依することが出来ます。と言っても、乗り移って操ることが出来るわけではありません」

「そう。それで、私に憑依したいということね」

 察しが良い。

「その通りです。害がないことは約束します。そのケータイを持って頂けませんか?」

「お安い御用よ」

 疑問も問わず、提案を受け入れてくれた。

「そんな簡単に話を信じてくれるとは思いませんでした」

「錠前くんは、ここがどこか忘れたのかしら。オカルト研究会よ」

 そう言うと、俺からケータイを受け取った。

「……」

「……」

「え、ちょっと、どういうこと?」

 時計一人が事情を飲み込めないでいた。が、証人として見てもらわなくてはいけない。

 この異常を。

「……」

「……」

「……」

 三人が息を呑むと、緊張が部屋を支配する。

「……」

「……」

「……」

 そして、先輩の口から衝撃の言葉が漏れた。

「……何も起きないわね」

「え……」

「確かにぼーっと立っている子は視えるわ。何も表情がなく、ただ呆然としているだけの子が。霊的な力はないみたいね」

 ぼーっと立っている? 表情がない? 力がない? あの幽子が?

「ねえ、良く判らないけど……霊が居るの?」

 まさか、あの極度の怖がり娘が口を割った。

「じゃあ、写真撮って見たら? 何か写るんじゃないの?」

「それも一理あるわね、時計さん」

「そうか、写真か。よし、時計撮ってくれるか?」

「わ、判った。実は幽霊、見てみたくて」

 声は上ずっているが、ウキウキしている。

「錠前を撮ればいいの?」

 俺は、今どこに幽子がいるか判らない。先輩に答えを求める。

「そうね。錠前くんを撮れば大丈夫よ。少し遠目に」

「じゃあ、撮るよ……はい、チーズ」

 パシャッ。

 時計のスマホがシャッターを切る。

「うーん、どうですか、天地さん」

「……それらしいものは写ってないわね」

「どれどれ、見せて」

 確かに俺が椅子に座っているだけの写真だ。

 異常らしいものは見当たらない。

 ダメか。

「試しに、このケータイで撮ってみてくれないか?」

 幽子が使っていたケータイなら、ご本人様が写るかもしれない。

「うん、判った」

 スライド式ケータイを時計に渡す。

 ちょっとした好奇心だった。

「……」

「……いいぞ、時計」

「錠前くん、あの子、消えたわ」

「はい?」

「……ふふふのふ」

 時計が変な笑い方をする。

 いや、どこか聞き覚えのあるキモい笑い方だ。

「やったー! 大成功です!」

 両手をバっと広げる時計。

 時計はそんなことしない。

 いや、いつも誰かがやっている仕草だ。

「もしかして……幽子さん?」

「おや、錠前さん。いやー、生きてるって素晴らしいですね」

「時計さん、急にどうしたの?」

「お、根暗女。錠前さん、この人は生理的にダメでした。それに引き換え時計ちゃん! いやー、相性バッチリです」

「根暗女ですって?」

「お、落ち着いて。おい、幽子さんか!? どうして乗り移ってる!?」

「さぁ、理由は判りません。あー、このままどこへでも飛べそうな気がします!」

「錠前くん、これが、私が視えてた幽霊なのかしら? もう少し儚いものだと思っていたけど」

「どうやら、先輩が視ていたのは本当のマヤカシだったのかもしれません……」

 結論に辿り着くことは出来なかった。

「じゃ、そういうことで」

 しゅたっと右手で合図をし、そのまま教室を飛び出す幽子。

「って、ちょっと待てぇー!」

 素早く逃げ出す幽子を追いかける。

 あ、幽子足遅ぇ。すぐ捕まった。

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