02.幽霊なんているはずがない

 夢を見た。悪夢だ。

 この世に存在しない美少女の幻覚と幻聴がこの身に起こるなんて、新生活に疲れているのだろうか。

 あれ?一部の言葉だけ取ると吉夢かもしれない。

「……」

 四月、二回目の日曜日。夢と現実の区別が判断できる程度には目が覚めた。

「大丈夫、何も見ない聞こえない」

 大丈夫、大丈夫。何も見えないし、聞こえない。

 ポリポリ頭を掻き立ち上がる。

 顔を洗い、一口サイズのあんぱんを頬張る。

 いつもより少し遅い朝、本日は快晴なり。洗濯日和である。

 午前中に掃除を済まし、午後は街に出掛けようかな。

「よし」

 そうと決まれば行動あるのみ、即実行だ。

 しかし、風呂掃除が終わり、洗濯物を干す時に油断した。

「でっかいブラですね」

「そうか? Cって普通だろ」

「いやいや、それはもう巨乳の域ですよ」

「それは違う。巨乳はEからだ」

「まるで常識みたいに言うんですね。これだからエロガッパは」

「なんだと?」

 ……。

 え?

「思春期の男の子は困りますね。頭の中はエロでいっぱい」

 洗濯物を干す手が止まり、声が聞こえる方を少し見下ろす。

 やっぱりいる。

 肩まで伸びた髪が揺れ、青白い肌の上にうちの学校の制服を着た美少女がいる。

 見覚えがある姿だ。

「しかし外干し、部屋干しを分けることは感心します。ここアパートですもんね」

「はぁー……」

「ため息は幸せが逃げますよ」

「まだ疲れているのか、俺は」

「午前中からお疲れですか? 体調が悪かったら横になって下さいね」

 そうか、体調が悪いのか。

「そうだな、洗濯も終わったし二度寝しよう」

「あ、お姉さん起きてきますよ」

 トットット。カチャ。

「ふぁ〜、おはよう新ちゃん」

「美希ちゃん! これ見て!」

「ん? どしたん」

「これ! って、アレ?」

 辺りを見回すが、本当に何も見えないし聞こえない。

「どしたのー? 白昼夢?」

 そうか、白昼夢か。

 やっぱり後で寝直そう。

「ごめん、なんでもない。おはよう。もう昼近いけど飯はパスタでいい?」

「わぁーい。でも、お昼はいいよ。お友達と食べるから」

「そうか、そうだったね。午後から出掛けるんだったね」

「ん、でも一口あんぱんは貰うね」

「あぁ、じゃあコーヒー淹れるよ」

「サンキュー」

 姉ちゃんはそのまま居間のソファに座り、テレビと新聞を眺め始める。

 ほっと一息。

 姉ちゃんが作り出す空間は居心地良く、落ち着く。

「それじゃそろそろ行ってきますか」

 支度を終え、玄関に向かう姉ちゃんを見送る。

「新ちゃんも出掛けるなら戸締まり忘れないでね」

「判ってるよ。いってらっしゃい、気をつけて」

「いってきまーす」

 ガチャ、バタン。

「姉弟にしては仲良し過ぎますね」

「……」

 やっぱり、いる。

「ねぇ」

「はい?」

 疑問を問いかける。

「もしかして、昨夜のことは夢じゃなかった?」

「昨夜のこと? 私のことなら現実です」

「そうか」

 思わず玄関の蛍光灯を見上げる。

 涙が出そう。

 幽霊が俺の前で実体化している事実に。



 昨夜のことを思い出す。

「だから、幽霊ですって。そのメール、私」

「あのー、話が見えないんだけど」

「一から説明しないと理解できませんか? その程度の頭ですか」

 やれやれ、と似合わない欧米風のリアクションをする。

「この際説明してくれるなら何でも良いから、頼む」

 もう自尊心なんて保てない。

 俺は頭がイカれてしまったのか、そうでないのか、まず見極める必要がある。

「と言われましても、私も理解できないんですけどね」

「……」

 もしかして説明する気ない?

「だって幽霊ですよ!? ありえなくないですか!?」

「そ、そうだな」

 いきなり興奮しだしたので、背筋が少しブルった。

「突然私が幽霊になるなんて、考えもしませんて!」

「た、確かに俺も考えもしないな」

 これは俺の頭だけで再現できる現象じゃないな。

 幽霊説が成り立つとしよう。

「でしょ!? 私は天寿を全うして後悔もありません。なのに何故、化ける必要がありますか!?」

「え? きみいくつ?」

「女性に歳を尋ねるのはデリカシーに欠けますよ」

「デリカシーなんて、今はどうでもいいから」

「齢十六です」

「短命じゃないか! 天寿を全うしてないと思うぞ!」

「いちいち揚げ足を取りますね。細かい男は嫌われますよ」

 嫌われても良いよ。俺は俺の大切な人だけ守る力があればいいんだ。

「話を戻そう。目的は何だ?」

「それが判れば警察はいりません」

「警察じゃ解決できいぞ……」

「どうすればいいですかね?」

「いや、俺に聞かれても」

「うーん。困りましたね」

 腕を組み考える姿も似合わないな。

「とりあえず、判っていることから整理しよう」

「そうですね。ではどうぞ」

「……」

 話の主導権を俺に委ねられても、どうしようもないんだが。

「よし、きみは幽霊だ」

「そうです。それは確かです。自分が何者かくらい判ります」

 信じられないが、今は状況を整理するために理解するとしよう。

「年齢は十六だ」

「ぴちぴちですね」

「判っていることは以上だ」

「少ないですね。ほら、もう少しあるでしょう?」

 この状況に陥って五分で他に何が判ると?

「では質問をさせてくれ」

「どうぞ。お答えできる範囲でお願いします」

 セクハラとかしないから。

「お名前は?」

「判りません」

「おい!さっき自分は何者かくらい判ると言わなかったか?」

「それはそれ、これはこれです」

 なんだかなぁ。

「では仮に名前をつけよう。人間社会には名前が必要だ」

「幽霊に人間社会の常識は通じませんよ」

「仮に! 名前をつけよう!」

「何でも人間様のルールに当てはめようとする。これだから人間は」

 こいつ、うざいな。

「じゃあもう幽霊でいいよ。幽霊さん」

「それじゃ可愛くないですね。せめて花子さん並のネームバリューは欲しいです」

「じゃあ霊子さん」

「古いですね。ありきたりですね。どちらかと言えば幽子さんでしょ」

 何が違うと言うのか。コイツのセンスはさっぱり判らない。

「じゃあ幽子さん」

「何ですか錠前さん」

 そうか、俺の名前は判るんだな。

「生前の記憶は?」

「ありません」

 うーむ、これだけ話せるんだから少しは期待していたんだけどな。

 過去や死因が判れば正体の糸口が見つかるかもしれないのに。

 でも後悔はないと言ったな。どこまで信じていいやら。

「なぜ幽霊と自覚している?」

「こんな身は幽霊以外にありえません」

 手を広げて、どうだ、と言わんばかりのポーズをする。

「それだ! 何故こんな身と判る?」

「そりゃ見れば判るでしょ」

「目が見えるんだな?」

「そりゃ、目が付いてますから。二つも」

「これは何だ?」

 手に持っていたケータイを差し出す。

「ケータイですね」

「ケータイは判るんだな?」

「判りますよ。女子高生の必須アイテムですもん」

「生前の記憶はないんだろう? 何故年齢やケータイは判るんだ?」

「生前の記憶ってそういうことも含んでるんですか?」

 うーむ、手強い。

「……聞き方が悪かった。自分自身の記憶はないと解釈していいのか?」

「それは少しあります」

「あるのかよ!」

 もう信用度ガタ落ちだ。

「でも、他人に話したくないことの一つや二つあるでしょ?」

「それは人間社会のルールじゃないのか?」

「幽霊にだってあるんですよ。もう少し柔軟に考えられませんか?」

 あー言えばこー言う。

「判った、もういい」

「もういいんですか。スリーサイズとか聞かなくていいんですか?」

「聞いたら教えてくれるのか?」

「錠前さんから先に教えてくれたら、いいですよ」

「え……知らない」

「じゃあ教えられませんね」

 話が通じるのか通じないのか、判らないことが判った。

「最後に一つだけ教えてくれ」

「まだあるんじゃないですか。なのに最後って言っちゃっていいんですか?」

「……一つ、教えてくれ」

「スリーサイズの一つですか、思春期の男の子はしょうがないですね」

「それは今はいい」

「今はって……」

 珍しい、ちょっと引いてる。

「ケータイの着信メール、これは幽子からだな?」

「もう呼び捨てですか。そこまで仲が良いとは思ってませんよ」

「俺たちメル友だよな?」

「それはそれ、これはこれです」

 話が進まない。コイツの方が揚げ足取りじゃないか。

「毎晩のメールは幽子さんからだな?」

「そうです。私です」

「何故、どうして、どうやって?」

「一度に三つ聞かれても答えられませんよ。私が頭悪いことくらい伝わりませんか?」

 うん、十分伝わった。

「何故メールを?」

「さぁ、何故でしょう。寂しかったからですかね」

 どうやら、ある程度の感情はあるみたいだな。最初は興奮していた様子だし。

「どうして、メールを?」

「コンタクトを取れるのがメールだと気づいたからです」

 意味不明のメールも、返信すれば単語が判るようになったな。

「どうやって?」

「念じてみました」

 ああ、それはもう幽霊の力だと片付けたほうが早そうだ。

「念じればメールできるのか。もう常識で考えるのが馬鹿らしくなってきた」

 もうお手上げ、降参だ。

「まぁ、それは元々私のケータイですし。お姉さんのスマホには届きませんでしたから、相性とかあるんでしょうかね」

 ん? 

元々私のケータイ?



「思い出すだけでも頭が痛い」

「現実を見ましょう。一緒にこの困難を乗り越えましょう」

 肩をポンと叩かれる気がした。

 一方的に巻き込まれてる気がするんだが、どうよ。

「俺は正常、きみ異常」

 自分と幽子を交互に指差し、確認する。

「おお、ラッパーみたいですね」

 困った。何だこの状況は。

 俺はおかしくなってないよな?

 おかしいのは世界の方だよな?

「今のはポエムっぽいですね」

「……」

 もしかして、俺の考えていることが伝わっている?

「普段ノイズが乗っていますが、今はクリアに判ります」

「がーん……」

 プライバシーないじゃん。

「落ち込まないで下さい。私、口は堅い方ですから」

「そうですか」

「お口は柔らかいですけど」

 口唇を指でプニプニする。

「訊いてないよ」

 今朝起きた時から幽子は視えていた。

 しかし、姉ちゃんの前では姿も声も聞こえなかった。

 これは何か関係があるのか。

「よし、出掛けよう」

「おや、どちらへ?」

「このケータイを買った電気屋さん」

 とりあえず、今出来ることから始めよう。

 早くこの状況を解決しないと。

 ……。

 支度を終え、街へ着く頃には陽がテッペンから既に傾いていた。

 ここだ。

 全国でも有名な店の系列店で、電気製品の中古品を取り扱っているお店だ。

 道中から幽子の姿も声も途絶えた。

 やはり、俺が独りの時に現れるようだ。

 うーん、それってやっぱり俺がおかしいのかな。

「いらっしゃいませー」

 広めの店内に対して、店員は少ないように感じる。どこも人員削減されているのだろうか。

 真っ直ぐケータイコーナーへ向かう。

 種類はスマホが多く、ガラケーは少ない。

 だから、スライド式大好きな俺にとって、その偶然は運命を感じた。

「すみません」

「はい、いかがなさいました?」

 店内を見まわっていた中年のおじさんに尋ねる。

「こちらの製品、先日購入させていただいたのですが」

「それはどうもありがとうございます。故障しましたか?」

 どうやらクレーマーかと思われたようだ。

「いえ、完動品で満足しています。これらの製品に関してお伺いしたいのですが」

「はい、何でしょうか?」

 どうやら少し緊張が溶け、警戒心が解かれたようだ。

「ケータイ中古品の買取りは全てこちらで?」

「はい、並べてある品は全て当店で買取りさせて頂いております」

「買取り時には身分証が必要でしょうか?」

「ええ。お名前とご住所とご連絡先と併せて、ご本人様の確認をお願いしております」

「実はこのケータイ、SDカードに写真が残ってまして。お返ししたいので、ご連絡先を教えて頂けませんか?」

「左様でございますか。しかし申し訳ございません。情報開示は出来かねます」

 そりゃそうだ。期待はしていなかったが、ここから足跡は掴めそうにない。

「いえ、こちらこそ無理言ってすみません。それでは」

「どうぞ、ごゆっくり」

 ヘマしない内に逃げることとしよう。

 ……。

 せっかく街まで出たので、高い野菜と肉を買って帰った。

 買い過ぎたせいで、腕がパンパンだ。

「ただいまっと」

「おかえりなさい」

 俺と一緒に玄関から入る幽子に迎えられる。

「付いて来てたのか?」

「はい、憑いてました」

「まったく気づかなかった」

「そうですね。私の方もノイズが多くて、よく覚えていません」

 うーむ、やはり独りの時限定説は有力だ。

「考え事ですか?」

「え? あぁ。あれ? 考えていること伝わらないの?」

「何ででしょう、とてもダルいです」

「幽霊ってダルさ感じるんだ」

「いえ、初めてです」

 ん? 何か変化があったか?

「ちょっと眠たいです」

 そう言うと、スーッと姿が薄くなる。

「幽霊も寝るのか」

 もう返事はなかった。

 独りの時限定説、崩壊。

 ……。

「ただいま」

「お帰り」

 姉ちゃんが帰って来た。

 いつものテンションとは違った。

「ごめんごめん、遅くなった」

「いいよ。晩飯食べてきたんだ?」

「本当にごめんね。連絡忘れてた」

「二十時回っても帰ってこないから、そうなんだと思ったよ。電話しても繋がらないし」

「ごめんね」

「だから、いいって。美希ちゃんが謝ることないよ」

「あれ? スマホは着信履歴ないよ? 何時頃?」

 スマホを確認する姉ちゃんは、ありもしない非を詫びようと必死だった。

「十九時に一回、二十時に一回だけど」

「うーん、やっぱり残ってない。何でだろう」

「繋がらなかったし、履歴には残らなかったのかもしれないね」

「そうなのかな」

 元気がない。

 姉ちゃんはお気楽じゃないと、姉ちゃんらしくない。

「映画、もうクライマックスだけど、一緒に観ない?」

「いいの? 観る観るー」

 俺から誘うことなんて滅多にないので、驚かれたが受け入れられた。

「あ、これ最後は後味悪いやつだ」

 どうやら見たことあるらしかった。

 ……。

「じゃあお休みー」

「ん、お休み」

 結局映画が終わる前に風呂に入り、姉ちゃんの部屋は消灯となった。

 明日は月曜、学校だ。

 俺も今日は疲れたので早めに寝よう。

 幽子は俺が眠るまで現れなかった。



「今日はちゃんと起こしてくれたー!」

「何言ってんだよ、いつもこの時間に起こしてるよ」

 部屋の前でドアをノックし声を掛け、朝食の準備をしている最中に初めて姉ちゃんが起きてきた。

「奇跡ー! 初! 余裕のよっちゃん!」

「朝からテンション高いな」

 その元気は嬉しいが、朝からやられると疲れる。

「錠前くん、コーヒーを頂けないかな?」

「何キャラだよ美希ちゃん」

「うちの部長ー。似てた?」

「いや、見たことないし」

 そんな身内ネタをやられても反応出来ない。

「いやー、清々しいね。新しい朝はいいねー」

「そんなに時間が有り余ってる訳じゃないから、油断すんなよ」

「ふっふーん。朝の三十分は夜の一時間に相当するのだよ新ちゃん」

 初めて聞いた。

 時間は皆に平等に流れているんじゃないのか。

「それじゃあ、行ってきまーす」

「行ってらっしゃい、気をつけて」

 初めて余裕を持って出社する姉ちゃんが眩しかった。

 きっと、いつもは見れない朝日を背負っていたからだろう。

 俺も今日は早めに登校するか。

 幽子は現れないし、メールもないし、悩みの種もなく過ごせそうだ。

 ……。

「早いのね、錠前」

「時計、おはよう。そっちも早いな。いつも何時に来てるんだ?」

 始業時間一時間前。

 受験を控えた三年の朝課外、部活の朝練に勤しむ二年はいるが、一般生徒がこの時間に登校するには早い時間だ。

 一番乗りだと思っていたが、時計が先に独り、本を手にするところだった。

「私はついさっきよ」

「毎日?」

「まさか。いつもはもっと遅いわよ」

「何だ、お互いたまたま早かったのか」

「そうね、偶然だわ」

 進級して三度目の月曜日。

 ぼちぼち気の合う連中で固まる頃だ。

「ん? 読書してていいよ」

 毎朝十分程度話す仲だが、親しいという訳でもない。

 特に時計は毎朝読書をしているようで、邪魔をして悪い気もしていた。

「まぁこれも何かの縁だし、いつもより長めにお喋りしない?」

「いいよ。俺もすることないし、相手になってくれるなら喜んで」

「錠前って、意外と素直なのね」

「そうか?」

「うん。今の台詞は恥ずかしくない?」

 どうだろう。自然と出た言葉だから、推敲の余地がない。

「まぁ、俺のモットーだから」

「モットー? 座右の銘? なになに?」

「俺に優しい人に優しくすること」

「……」

「……」

 いかん、今のはちょっと恥ずかしい。

「ちょっと、黙んないでよ」

「いや、自覚した。恥ずかしい」

「口に出すな、こっちまで恥ずかしいわよ」

 別に大それたことじゃない。受身姿勢のモットーだ。

 でも時計とは気兼ねなく話せる関係が築けているようで嬉しかった。

 ……。

「臨床検査技師? なにそれ」

「生体や検体の検査をする仕事」

「ふーん、よく判らん」

「そうでしょうね。私も一年最後の面談で先生から教えてもらったんだから」

「それで理系選択か」

「そう。錠前は?」

「俺はやりたいことなんて見つかってないよ。ただ数学が好きだったから選んだだけ」

「おーおー、成績優秀者は何でも出来てご立派ですこと」

 頬杖をついて、流し目にこちらを見る姿が様になる。

「嫌味か? 俺は将来就きたい仕事目指してる奴の方が立派だと思うけど」

「そうでもないわよ。就職厳しいらしいし、まだ迷ってるもの」

 俺達の通う学校は進学校だが、偏差値はソコソコ。高くも低くもない。

 二年次からは私文、国文、私理、国理に別れる。

 比は順番に五:二:二:一だ。

 俺たちは私理のクラス。全生徒数に対して理系の割合は三割だ。

 特に女子は圧倒的に少ない。

「私文でも良かったんだけどね。私、頭そんなに良い方じゃないし。仲の良い子は皆、私文だし」

「確かに、女子は少ないから居心地は良くないかもね」

「居心地は悪くないわよ」

「そうか、強いな」

「強くはないわ。理系ってほら、静かな子が多いじゃない。話し易いわ」

「うーん、俺は話しが合う奴は少ないな」

「錠前は私文タイプよね。何で間違ったんだか」

「自分の進路のために、自分の道を選んだんだよ」

「……ほんと、あんたって凄いわ」

「何が?」

「恥ずかしい台詞がつらつら出てくる」

「え? 今のも恥ずかしかった?」

「価値観の違いかな。育ちの違いかな」

「そうやって、他人を冷静に評価できる時計も凄いと思うけどな」

「ほら、また」

「え? 今のも?」

「うーん、錠前とは解り合える気がしないわ」

 やれやれと両の掌を上に向ける。

「それは残念だ」

「ねぇ、それワザと?」

「また!?」

「はー、もういい。なんか自信喪失」

 傷つけるつもりなんて微塵もないのに、どうも価値観か育ちが違うらしい。

 誤解なら解きたいが、どうしたものか。

「時計、アドレス教えてよ」

「何で」

「え、まさか断られるとは思わなかった」

「ちょっと、断ってないでしょ。別にいいわよ」

「良かった、ちょっと勇気いったんだぞ」

「はい、赤外線出来る?」

「ああ。ちょっと待って」

 ピッ。

「オッケー、登録完了」

「言っとくけど、用もないのに連絡しないでよ」

「えー。別にいいじゃん。今だって雑談してんだし」

「まぁ、どうしてもって時ならいいけど」

 いいのかよ。

「そー言えば、アレどうなったの?」

「アレ? 何のこと?」

 時計が言うアレって何だ?

 なんだか背筋がゾワッとした。

「ほら、迷惑メールがなんとか」

「あー。アレか。アレねー。アレは何だろうね」

「アレアレって何よ。解決したの?」

「なぁ、幻覚を見たことある? 幻聴を聞いたことある?」

「いきなりどうしたのよ」

 時計の顔が歪む。

 せっかくの整った顔立ちが勿体ない。

「迷惑メールな。そのせいでちょっと困ってるんだ」

「頭おかしくなるほど悩まされてるの?」

「うーん、うん」

 問題のケータイを取り出す。いたって正常だ。

「それはもうケータイを捨てたほうが良いんじゃない?」

 実に大胆な解決策だ。

「それはダメだ。やっと見つけた大切なモノなんだ」

「子供ね。早く大人になりなさいよ」

 そう言って俺からケータイを取り上げる。

「懐かしー。ガラケーって四年くらい前までは流行ってたよね」

「そうだな。それはガラケー全盛期最後のスライド式ケータイなんだ」

「私も最初だけガラケーだったよ。あとはずっと……ん?」

 ケータイを開いたり閉じたり、外観を見渡す。

「どうした?」

「これ、中古?」

「そうだけど。判る?」

「傷のつき方がおかしいし、新品で女物買うのは趣味悪いなーと思って」

 傷のつき方? 女物?

「どこらへんが女らしい?」

「このケータイ、同じものを知り合いが使ってたから判るの。カラーが女性ターゲットの配色よ」

 画面縁が黒、キー配列の正面が茶色、背面が白と、三色使われている。

「そうなのか?」

「うん。パンフにも女性向けで紹介されてたし。男は黙って黒でしょ」

 そうだったのか。カラーは気にしたことはなかった。

「それにこの頃はケースも種類なくて裸で使ってたでしょ? なのに外周に傷がなくて、キーだけが傷んでる」

「それは使い方次第じゃないのか?」

「……」

 時計はずっとケータイを眺めている。

「……っ」

「ど、どうした?」

「あれ? おかしいな、涙が」

「思い出し泣きか? 辛いことあったら話せよ。力になるか判らないけど、楽になるかもしれないだろ」

「思い出し泣きって初めて聞いたわよ……。別に悲しい訳じゃないんだけど、何だろう」

 いつの間にかクラス内は人で賑わっていた。

 俺達は遠巻きに注目されていた。

「おいおい、頼むから、泣かないでくれよ、な?」

「泣いてないってば、……っ。ごめん」

 ケータイを返されると教室を出て行った。

「……」

 もうすぐ授業始まるのに、大丈夫か。

「一方的に別れ話をしていたらしいぞ」

「辛いけど話し合えば判るって言い訳してた」

「お前ら、これはしょうがない。男は女の涙を見ずに大人にはなれないんだ」

「……先生まで噂話に加担しないで下さい」

 理系クラスが大人しいだって? 誰がそんなイメージ植え付けたんだ。



 退屈な授業も終わり、放課後。

 俺は一つの確信を持って、理科準備室に赴いた。

 コンコン。

 相変わらず返事はない。

「失礼します」

 部屋は狭く薄暗い。

 そこに一人、謎で変で怖い先輩が佇んでいた。

「ようこそ。来ると思っていたわ」

「せめて返事くらいして頂けると助かります」

「嫌よ。大声は疲れるもの」

 いつもの紅茶を淹れてくれた。

「どうぞ」

「どうも」

 紅茶を一口。まずこれを済ませないと、本格的な会話を始めてくれない。

「美味しいです」

「そう、良かったわ。私のお気に入りなの」

「ダージリンですね」

「アールグレイよ」

 やらかした。五分の一程度で当てられると腹を括ったんだけどな。

「くす、本当はダージリン。正解よ」

 よし!

 この先輩、おちゃめな所あるじゃないか。

「それで、本題なんですけど」

「出会って十秒で本番だなんて、早いわね」

「本題、です」

「何かしら」

「これを」

 ケータイを取り出す。

「これが?」

「見覚えがありませんか?」

「ないわね」

 ガラガラ。

 視線を外した。

 やはり。

「この同好会は二人だとおっしゃいましたね」

「ええ」

「でも、いつもあなた一人しかいない」

「参加は自由よ」

「そのメンバーが、参加したくても参加できないとしたら?」

「どういう意味かしら」

 さっきから他所を向いている。今までにない兆候だ。

「このケータイは中古で手に入れましたが、元の持ち主が、もう一人のメンバーです」

「……」

「その方は、不幸にも他界している」

「……」

「先日の実験とは、ただの誤魔化し。あなたは本当は気づいている」

「……」

「そうです。もう一人のメンバーは、俺に憑いている幽霊だったのです!」

「きゃあああああああああ!!」

「!?」

 後ろからの叫び声に心臓が飛び出そうだった。

 後ろ?

「……時計?」

 机を壁にして、耳を塞いでうずくまっている。

「どうしてここに……」

「紹介が遅くなったわね。彼女がのもう一人のオカルト研の会員よ」

「……え?」

 ……。

「ぐすっ。天地さ〜ん」

「大丈夫、何も怖いことなんてないわ」

 泣く時計と慰める謎で変で怖くて優しい先輩。天地真央と言うそうだ。

 この部屋、暗幕がなければ西陽が入ってちょー明るい。

「あのー、ごめんな、時計」

「別に、錠前のせいじゃない〜」

 何故、急に時計が現れたか。

 いや、俺と先輩が話している最中に、ドアを開けて同好会活動のために入ってきた。

 先輩は時計に気づいていたが、俺の話を遮ることはしなかった。

 時計は時計で、俺が怖い話をしていると思い込み、動くことが出来なかったようだ。

「何だよ、オカ研だったのか時計」

「そうよ〜。ぐすっ、言ってなかったっけ〜」

「知らない」

 そんなヒントも何もなかったし。

 察しのいい人は、登場人物の少なさから推定出来たかもしれないが。

「時計さんはね、怖いことが苦手だから同好会に入会してくれたのよ」

 時計の髪を撫でながら先輩がフォローする。

「苦手なのに? 好きだからじゃなくて?」

「苦手を克服することは素晴らしことだと思うわ。ねぇ、錠前くん」

「でも、活動なんてしてないんじゃなかったですか?」

「ええ、時計さんは怖がりだから。徐々に慣れてもらってたのよ」

 それで暗幕していたのか。

 プールで顔がつけられないから、お風呂で練習するみたいなこと?

「いくらなんでも、そんな子供じみた真似は」

「うっさいわね〜。錠前のバカ!」

 そんな泣き上戸みたいに性格崩壊しないでくれよ。

 時計は澄ました表情が似合うんだから。

「ほら、落ち着いて時計さん。錠前くんが土下座してるわ」

 うわ、無茶ぶりってかSだこの人!

「ぐすっ、すみません、大丈夫です。ありがとうございます、天地さん」

「そう? 時計さんはいい匂いがするから、いつまでも抱きしめていたいわ」

 あ、それは同感。

「錠前くん、この状況で随分冷静ね」

「いやいや、俺も十分慌てましたよ。でも先輩が落ち着いてるから、こっちも落ち着くというか」

「何よ、錠前は天地さんと知り合いだったの?」

「知り合いというか、今の今まで名前も知らなかった」

「そうね。私達、お互い初めてだったわよね。でも上手にできたわ」

「自己紹介のことだよね! うん、上手にご挨拶出来ました」

 この人、余計な一言が多いか、一言少ない。

「どういう関係?」

「それは……なんでしょう?」

「さぁ……関係と言っても無関係かしら」

 お互い、首を傾げる。

 なんとも奇妙な人間関係を築きそうであった。



「たっだいまー」

「お帰り。ご飯食べる?」

「食べる食べるー。今日の献立は何かなー?」

「カレーだ」

「うげっ。やっぱりこの匂いだったか」

「好き嫌いしないの。ほら着替えてきて」

「むー」

 ……。

「今度から、カレーの日はサラダだけでいい」

 なんとか一皿完食した姉ちゃんは不満気だった。

「ダメだよ。しっかり食べないと。ちなみに明日までカレーだから」

「がちょーん」

 いちいち古いんだよ、チョイスが。

「あ、明日天気予報雨だって」

「ちょっと冷えるかもね。季節の変わり目だし風引かないようにね」

「大丈夫、私風引いたことないから」

 事実、姉ちゃんは幼稚園から高校まで皆勤賞だ。素直に凄い。

「それでもしっかり暖かくして寝ること」

「はーい。たまには一緒に寝る?」

「寝言は寝て言え」

「むにゃむにゃ。たまには一緒に寝るむにゃ?」

「狸寝入りはカウントしません」

「あははー。それじゃお休みー」

「はい、お休み」

 最近は寝付きが良さそうだ。

 明日は雨か。雨音は好きだけど濡れるのは嫌だ。

 俺も自室に戻って着替えよう。

「いきなり脱ぐとは大胆ですね」

「……」

 居たし。

「何をしている?」

「特に何も。錠前さんを観察するしか能がないもので」

 俺のベッドでくつろいでやがった。

「今日一日静かだったな」

「ちょっと疲れてましたから」

「それそれ。気になったんだけど、幽霊って疲れたら寝るんだな」

「疲れたのも睡眠をとったのも、昨日が初めてでしたよ」

「欲求自体、基本的にないの?」

「私をみてムラムラするのは判りますが、我慢して下さい」

「睡眠欲とか、食欲とか、……性欲とか」

「だから我慢して下さい。どうしてもと言うなら後ろ向いてますから、その間にどうぞ」

 あー、話が通じない。

「判った、じゃあ後ろ向いててくれ」

「え? え? え? まじっすか? ちょ、ちょ、ちょっとままま待って下され!」

「慌てんな、冗談だ」

「とか言いつつ、本当は本気も混じってたんじゃないですか?」

「いいんだな? 本気になっても」

「ちょ、こ、こ、こ、心の準備をさせて下され!」

 この反応は面白い。

 でも頻繁にやると慣れそうだから自重しとこう。

「で?」

「は、はい?」

「何か思い出したか? 変化があったのか?」

「……」

「……どうした?」

「あー、私の身の話ですか」

 ほーっと息を吐くのが判る。 

「ふふふのふ」

 変なリズムで微笑む。気持ち悪い。

「今日、ちょこっと成功しました」

 不安が過る。

「何が?」

「憑依です」

「憑依?」

「じゃじゃーん! レベルアップしましたー!」

「何のこと?」

 嫌な予感しかしない。

「今日、私のケータイをお友達に貸しましたね?」

 貸した? 時計に手渡しはしたが、そのことか?

「そのお友達にちょこっと乗り移れました。感動して涙が出ましたよ」

「え……?」

 確かに、時計は突然泣き出した。

「まさか、あの時、幽子さんが?」

「イエース。身体があるって素晴らしいですね」

 幽子が、時計に乗り移った?

「楽しみが増えました。結構結構。ふふふのふ」

 喜ぶ幽子と対象に、俺は血の気が引いた。

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