幽霊育成シミュレーション

シキナ

01.不審なメールは突然に

『ありがとう』

 着信メールには、飾り気もなくその言葉のみが綴られていた。

 これにはどう返信したものか。

 考えれば考えるほど、キザったらしくなる。

『どういたしまして』

 それなら、こちらも率直な反応を示そう。

 ――ボワッ!

「……え?」

 ソファに座って、右手に持っていたケータイが突然見えなくなった。

 いや、人の後頭部が視界を遮っている。

「……?」

 俺の膝の上に人が座っている。

 軽い。いや、重さんなんて感じない。

 肩まで伸びた髪が振り返る。

 目が、合った。

「どうも」

「……」

「ちょっと、無視ですか?」

「……」

「錠前さん? 錠前新司さーん?」

「……」

 突然現れた人間に言葉を失ったのではない。

 あまりの綺麗さに、心を奪われていた。

「これは私の美貌にやられましたか」

「って、ちょっと待てー! 誰だあんた!」

 内心を読まれ、混乱するどころか冷静さを取り戻した。

「どうもはじめまして、幽霊です」

 ソファから降り、正面からの挨拶をぼぉっと眺めていた。

「幽霊……?」

「あ、はじめましてじゃないですね。メル友だから」

「いや、そうじゃなくて、どちらさん?」

「だから、幽霊ですって。そのメール、私」

 それが、自称幽霊の幽子との出会いだった。



「たっだいまー」

「おかえり」

「今っ日のごっ飯は何っかなー?」

「肉じゃが。用意出来てるけど、もう食べる?」

「わーい、食べる食べるー。その前にお着替えー」

「こら、ここで脱ぐなみっともない!」

 桜も舞い散る四月。

 高校二年に進級した俺は、姉ちゃんの部屋に居着いている。

「姉ちゃん、今日は仕事早かったね」

「……姉ちゃん?」

「……美希ちゃん、今日も仕事お疲れ様」

「うん、新ちゃんもお疲れー」

 過去にイザコザはあったが、今は名前で呼び合う程に仲が良い。

「でもさー、聞いてよ。あの女が「錠前さんは仕事が丁寧よね」なんて嫌味言うのよー」

「この間、家に来た上司さん? 嫌味なの?」

 食卓に並べた二人分のご飯は、既に半分に減っていた。

「言い方の問題よー。自分は時間重視でやるからミスも多いくせに」

「社会人二年目となると嫌味も言われるのか。もう新人気分じゃいられないね」

「うぅ……そうだけど。でも私は悪くないでしょー」

「はいはい、すぐに俺が楽にしてあげるから」

「本当!? 俺が養う!? 今の聞き間違いじゃないよね!?」

「あー、そこまで言ってないから。あと汚いから飯食いながら話すな」

 いつからこんな姉になったのか、この人の将来が心配だ。

「今、将来が心配って思った!?」

「何で判るのさ!?」

 たまに俺の思ったことを言い当てるくらい、仲の良い姉弟だ。

 ……。

「ほら美希ちゃん、寝るなら自分のベッドで寝てよ」

「んー……抱っこ」

 居間のソファで横になったまま、両手を広げる。

「はいはい、お寝んねしましょうね」

「子供扱いはヤダー」

「どうしろってんだよ」

 夜更かしが出来ないお子様は、二十三時を越せないようだ。

「よいしょっと。じゃあお休み」

「んー……」

 ふぅ、今日も一日無事に過ごせました。

 新生活が平穏無事に過ごせますように。

 明日の準備をして一息つき、日付が変わろうとしていた。

 ヴーヴー。

「おっと」

 メールを着信したケータイが鳴る。

『byf@yf』

「またか……」

 差出人が文字化けした謎のメール。

 スマホは格安SIMに変更したが、データ通信のみの契約なので通話用に中古のガラケーを購入した。

 そのケータイが迷惑メールを立て続けに受信するので困っていた。

「パケット代やばいかな」

 今のご時世、パケット代を気にする現役男子高校生はあまりいないだろう。

「俺ももう寝るか」

 手にしたケータイを机に置き、眠りにつきながら考えた。

 毎夜送られてくるメール、バイファイフ? って何だ?



「遅刻遅刻ー!」

「あぁもう、ほら早く!」

 スズメがチュンチュン鳴くには遅い時刻、我が家は朝から慌ただしい。

「何でもっと早く起こしてくれないのよー!」

「二回も起こしただろ。返事したじゃん」

「それは私じゃないよー。そんな記憶ございません」

「文句はいいから、早く行ってらっしゃい」

「むぅー。行ってきまーす」

 食パンを咥えて出社するOLを見たことがあるだろうか。

 俺は四月から毎朝見てる。

「げ、スマホ充電忘れてた。うわ、俺も急がないと」

 食パンを咥えて登校する高校生を見たことがあるだろうか。

 俺は見たことがない。

 ……。

 ガヤガヤ――。

 始業時間十分前、余裕の教室イン。

 ちなみに学校は家から徒歩十分。実家からは電車使って四十分。

 それが春から姉ちゃんの家に居候している理由その一。

「おはよう、錠前」

「おはよう、時計」

 新学期が始まって一週間。

 座席は男女交互に名前順で列を作っている。

 左隣になった同級生が時計春奈。

 お互い珍しい名字で、なんとなくシンパシーを感じている。

「朝から疲れた顔してるわね」

「そうか? まぁ困ったことはあるけど」

「なになに? 聞いてあげるから話してみなさいよ」

 大きな眼を細めて食いついてきた。

「時計は怖い話平気?」

「んなっ!? そ、そんなの、大丈夫に決まってるじゃない」

 判りやすい強がりだなぁ。

「ほー。じゃあ聞いてもらおうか。実は夜になるとさ」

「あ、私、用事あったんだ。ごめんね」

 判りやすい誤魔化しだなぁ。

「ほらほら、一限目始めるぞ。早く席に着け」

 現国の教師が逃げ道を塞いでいた。

 ……。

 興味もない授業が終わり放課後になっても、まだ陽は高かった。

「訳が判んねぇ……話が通じないとは」

 ケータイに詳しいであろうパソコン部に相談しに言ったが、何を言っているかまったく判らなかった。

 話の内容ではなく、何を言っているか聞き取れなかった。

 もっと上手くコミュニケーションとりたかったなぁ。

 一階下駄箱の踊り場で足を止める。

 部活や同好会の勧誘チラシで一杯の中央掲示板に、機械に詳しそうな集まりがないか目で追う。

「……」

 今朝、時計に話そうとしたきっかけを思い出す。

 怖い話。

 毎晩意味不明の着拒不可メールが届くんだけど、どうにか対策できない?

 そう訊くつもりだった。

 怖いと言えば怖いが、B級ホラー映画にもならないネタだ。

 でも、ホラーが成り立つならば。

 ・名前:オカルト研究会

 ・場所:理科準備室

 活動内容は空白で、ただ同好会名と場所だけが記載されたチラシに意識が集中した。

「こんにちはー……」

 ノックをしても返事がないので、恐る恐る扉を開けた。

 初めて入る理科準備室は、思ったより狭く、暗かった。

「あのー……」

 いるじゃん、一人。

 ただ返事がない。

「もしもし?」

 読書でもしているのか、俯いたまま動かない。

 黒くストレートに伸びた長い髪が、異質な雰囲気を盛り上げていた。

「……」

 これはやばい人だ。

 帰ろう。

「どこへ行くの?」

「はへっ!?」

 透き通った声が、撤退を遮った。

「どこへ、行くの?」

「ど、どこでしょう」

「どうぞ、こちらへいらっしゃい」

「どうも」

 案内された席へ行く途中、後悔していた。

 この人は変だ。

 絶対関わりたくない人だ。

 その変な人は、流し場の電気ポットからカップにお湯を注いでいる。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 差し出された紅茶に戸惑う。

 喫茶店か、ここは。頂くけど。

「今日は私一人しかいないの。ごめんなさいね」

「いえいえ、お構いなく」

「じゃあこれを」

 差し出された入会希望届に戸惑う。

「いえ、あの、そんなつもりじゃなくて」

「そんなんじゃない?」

 改めて顔を合わせる。

 時計とは比較にならないほど胸がでかい。

 じゃなくて、顔に見覚えがない。

 こんなに綺麗な人が同学年にいたら、男子共有の美人ファイルに名を連ねているだろう。

 ということは、三年かな。

「とりあえず、見学させて下さい」

「そう……どうぞ」

 と言っても何もする気配がない。

「……」

「……」

「……」

「……」

 気まずい。

 なにこれ。

「……」

「……」

「……」

「……いつまで?」

「はいっ!? いつまでとは?」

「どうぞ、と言った手前申し訳ないけど、ずっと見られると恥ずかしいわ」

「はい?」

「見学」

「……もしかして、僕が、あなたを見学すると?」

「この状況だとそうなるでしょう」

「いやいやいや、ないです」

 予感的中。

 変な人だ。

「どういうことかしら?」

「あの、説明するのもアレですけど、とりあえずこの場は一旦お開きにしましょう」

「待って、納得いかないわ」

 逃がしてくれないわ、この人。

「あの、活動を見学させていただきたいなーと」

「何もしてないわ」

「はい?」

「活動はしてないわ」

「ここ、オカルト研究会ですよね」

「そうね」

「何もしていないと?」

「そうよ」

「何故?」

「一人じゃ何も出来ないわ」

 訳が判らない。

「では今は何をしていたのでしょうか」

「あなた質問ばかりで疲れるわ」

「ひどい……仮にも見学者の意見を」

「とりあえず、紅茶冷めるから残りもどうぞ」

 毒でも入ってんじゃないだろうな。

「頂きます」

 納得いかないのはこっちもだけど、なんとか打破せねば。

「どう?」

「美味しいです」

「そう、良かったわ。私のお気に入りなの」

 これだ、ここから話を広げよう。

「何て葉ですか?」

「知らないわ」

 これは手強い。

「あなたは部長ですか?」

「違うわ。同好会だから部長はいないわ」

「……同好会はあなた一人ですか?」

「私を含めて二人よ」

「……」

 あかん。

「それじゃ、紅茶ごちそうさまでした」

 もう印象とかどうでもいい。今後会うこともないだろう人に気は遣えない。

「待って」

 あぁんもうっ!

「何ですか?」

「またね」

「……失礼します」

 あんな美人にあの性格は勿体ないですよ、神様。



「たっだいまー」

「おかえり。遅かったね」

「いやー、疲れたぴー」

「奇遇だね、俺も今日は疲れたよ」

 話が通じない人のせいで。

「お、じゃあ愚痴ご飯といきましょうかー」

「食欲は立派だね、美希ちゃん」

「ん〜?」

 顔は笑っているが、声はドスが利いていた。

「すぐ用意するから、着替えといで」

「あいあい」

 でもこの人は、放課後の人と違って話が通じるから癒される。

 普通だけど、幸せなことだな。

「それでさー、「錠前さんは恋人募集中ですって」なんて言いふらすのよー」

「事実じゃん」

「違うもーん。募集してないしー」

「まぁ俺がいたら家に呼べるものも呼べないしね。彼氏できたら実家に帰るから教えてよ」

「ちーがーうー。新ちゃんは何も判ってなーいー」

 一方的な姉ちゃんの愚痴は収まらない。

 毎晩のことだから慣れてきたけど。

「そういえば美希ちゃん」

「どうした新ちゃん」

「今月頭にケータイ買ったじゃん?」

「あのボロいガラケーね」

「ボロくないよ! ちょっと傷んでるけど綺麗だよ! スライド式で状態が良いのなかなかないんだよ!」

「あー、新ちゃんずっとスライドだったもんねー」

「今は俺もスマホと二台持ちしてるけど、スライドケータイ復活してくれないかなぁ」

「そんな古臭い考えしてると将来ハゲるよ」

「ハゲは関係ないでしょ」

 そもそもハゲてねーし。

「私ハゲとヒゲはお断りだなー」

「大丈夫だって、今日もヒジキにワカメにノリも食べたし」

「なんか必死ぽいんだけど」

 うわ、ちょっと引かれてショック。

「俺は大丈夫……俺は大丈夫……」

「しっかりケアしてよね新ちゃん」

「って、頭の将来の心配じゃなくてさ」

「頭髪の話じゃなくて、ね」

「そう、頭髪じゃなくて、ケータイ」

「毛痛い?」

「ケータイ!」

 俺の頭を撫でる姉ちゃんは、俺をハゲさせたいのだろうか。

「で、ケータイが何よ」

 冷蔵庫からプリンを取ってきて、テレビを見ながら続きを促す。

 俺の話に興味がないけど、話相手になってやろうという姿勢だ。

 ま、それくらいの態度が丁度いいか。

「毎晩二十四時前にメールがくるんだよね」

「……彼女?」

「違うよ。差出人が文字化けしてて相手は判らない」

「そう」

 こっちを睨んだと思ったら、何事もなかったかのようにテレビに視線を戻す。

「着信拒否できないし、毎回同じ単語なんだよ。もう困ってて」

「ケータイの方に? スマホは?」

「ケータイだけ。スマホは異常ないよ」

「そりゃあれだ、ケータイが壊れているのだよ」

「普通に通話もメールも出来るんだけど。電池の持ちもいいのに」

「古い機種ならどこかおかしくなるでしょ」

「そうかな。スマホは充電忘れると朝には電池ないのに」

「新しい機種はそんなもんよ」

「そうなのか。そんなもんか」

「そうそう。ほら、こっち来て一緒にテレビ観よー」

 二人掛けのソファにギュウギュウになって座る。

 俺の体はでかい方じゃないから、ギュウギュウになるはずないのに。

 ……。

「おやすぴー」

「はい、お休み」

 今日はお互い疲れていたので早めに寝かした。

 いつもこんなに素直なら扱いやすいのに。

 ヴーヴー。

「……」

 ケータイがメールを着信する。

 通話用なので、ガラケーのアドレスは他人に教えていない。

 ということは、毎晩の迷惑メールだ。

 しかし今は二十二時。いつもと違う時間だった。

『UI3K6YU』

 いつもと同じ短文。しかし、今夜は文字内容がこれまでと違っていた。

「何だってんだよ、もう」

 迷惑メールを受信してはや一週間。

 こうなったら返信してやろう。

『迷惑なのでやめて下さい』

 よし、送信。

 ヴーヴー。

 返信か!?

『送信エラー』

「……だよな」

 ヴーヴー。

 ああもう、うるさいな。

『いや』

 差出人不明のメールを再受信した。

 え、いやって何?

 怖い。

 けど、通じた?

『最後です、迷惑なのでやめて下さい』

 試しに追撃してみる。

 ヴーヴー。

『メールしよ』

 今度は返信エラーが返ってこなかった。

 メールしよ、だって?

『いや』

 迷惑メールを相手にしてられない。

 オウム返しで対抗する。

『マジウケる』

 いや、面白くないから。

 しかし返信が早い。

 業者も手を込んだ手法をするもんだ。

 でも、反応が気になった。

『お○ん○んびろーん』

『……』

 それから返信はなかった。

 そうか、下ネタで攻めればいいのか。

 見えない相手に勝った余韻に浸り、今夜はぐっすりと寝ることが出来た。



「今日も遅刻するー。わー」

「毎朝大変だな」

「新ちゃん起こしてよぅ」

 寝起きだというのに、この支度の速さは見習いたい。

「毎朝起こしてるっての。返事してるのに起きて来ないのが悪い」

「だから返事なんてしてないよー。わー」

「はい食パン」

「んぐっ。ひっへひはーふ」

「行ってらっしゃい」

 さ、俺も片付けて準備しなきゃ。

 あれ? 昨夜はスマホ満充電していたのに、電池がなくなってる。

 最近のスマホは電池持ちが悪すぎだろ。

 やっぱりガラケー最強、他はクソだな。

 いや、スマホは検索とか乗換案内とか地図とか、めっちゃ便利だけどな。

 ……。

「おはよう、錠前」

「おはよう、時計」

 いつもの挨拶。

 こいつは毎朝、自分の席で読書してる。

 俺が始業時間十分前に来ると、本を片付けて挨拶してくる。

 昼休みや放課後は友人といるので、話すタイミングはこの十分間しかない。

「なぁ、昨日の話の続きだけど、聞いてくれない?」

「ん? 何だっけ」

「実は夜になるとさ、メールが来るんだ」

「そんな話したっけ? メールくらい、いつでも来るでしょ」

 昨日は怖い話と前置きしたのが不味かったか。

「いや、それが二十四時前に差出人が文字化けしたメールが毎晩来るんだ」

「どうせ迷惑メールでしょ? 一時期流行ってたけど、まだあるのね」

 あったね。チェーンメールとかウザくてしょうがなかった。

「それが、昨夜返信したら、すぐ返事が返ってきたんだ」

「ふーん。暇な業者もいるものね」

 鞄から筆箱を取り出しながら授業の準備をする。

「いつも意味不明な単語だから、やめろって返信したらイヤだって返って来た」

「何それ。真面目で必死な業者もいたものね」

 時計は嘲笑する姿が似合うな。

「おかしいだろ? 挙句にはメールしよって言われた」

「本当は錠前とメールがしたいだけなんじゃないの?」

 バタッ!

 突然筆箱が机から落ちた。

「びっくりしたー。何やってんのよ」

「いや、筆箱を机に置いただけで触ってないんだけど」

「勝手に落ちる訳ないじゃない」

「俺もびっくりしたよ。誰か通った時に引っ掛けたかな」

「はーい、授業始めまーす」

 地理の授業が始まったので、モヤモヤしたまま黒板を眺めていた。

 ……。

「錠前、ノート取らないのね」

「え?」

「一学期始まってずっと、ノート使ってないじゃない」

 珍しく俺も時計も昼休みに席に座ったままだった。

 今日は五限目に英語の小テストがある。

 俺は単語帳を見ていたので、時計に気づかなかった。

「理数は取ってるぞ」

「英国社は取ってないじゃない」

 よく見てるな。

「その時に覚えてんだよ。あとは教科書に書き込んでる」

「覚えてるの!? 授業中に!?」

「ああ」

「忘れない?」

「だから教科書にはちょくちょく書いてるぞ」

「いや、見辛くない?」

「別に」

 一年の三学期から試してみたが、これが案外イケるのである。

 教科書を汚せとか汚すなとか両論あるけど、俺は汚す派だ。

「錠前、成績悪いでしょ」

 頬杖をついて流し目で俺を見る。

 似合っている。

 時計の顔の美しさは、昨日の謎の変な先輩に負けず劣らない。

 性格は圧勝してるけどな。

「まぁな。一年次は三十位より上に行ったことはない」

 一年三学期が過去最高の三十二位だった。

「ぷっ。一クラス四十人弱でしょ? そんなやる気ないからダメなのよ」

「笑われるとは思わなかった。それに平均よりは上だ。学年の順位で言ってた」

「……」

「ど、どうした?」

 整った目鼻立ちが信じられないほど崩れる。

 俺は美しい物が好きなんだ。そんな歪んだ表情しないでくれ。

「何よそれ? あんた何なのよ?」

「何と聞かれても……人間だけど」

 べチッ。

 え? チョップくらった。

「時計はツッコミも出来るんだな」

 びっくりした。

 ちょっと前屈みになって近づいたせいか、コイツいい匂いがする。

「ツッコミじゃない! 錠前って頭良かったんだ」

「別に良くはないぞ。こうやって直前に詰め込んでるんだ」

「げっ! そうだった! 早く教えなさいよ! あぁもう五分切ってるじゃない!」

 もしかしたら、時計は面白い奴かもしれない。

 ……。

 英語の小テストも無事終わり、放課後になった。

 早くもグランドを整地している運動部が見えた。

 別に、未練はない。

 歩けるんだ。健康なことだ。

 何も悲観することないじゃないか。

「よう、錠前」

「望月先輩。こんにちは」

「どうした、こんなところで」

 気まずいところで会ってしまった。

「ここからグランドがよく見えるので……。先輩は授業終わりですか」

「おう、三年にもなって理科の実験とか、面倒だわ」

「今年は受験ですもんね」

「あぁ、でもその前に夏の大会がある。今はそれだけ考えてる」

「そう、ですよね」

 そう、三年続けた部活引退前の大舞台が8月にある。

 先輩たちは今が練習の真っ只中だ。

「お前もたまには顔を見せに来いよ。みんな喜ぶぞ」

「よして下さい。もうボールを蹴られない人間は迷惑なだけでしょ」

「それでも俺たちは仲間なんだ。それを忘れるなよ」

 大きく手を振って階段を降りていく。

 まったく、部長は出来た人だ。

 もう一生懸命走れない俺なんかを励ましてくれる。

「こんにちは」

「え?」

 後ろから透き通った声に驚く。

 見ると、謎の変な先輩がいた。

「あなたも、こんにちは」

「あなたも?」

「ああ、ごめんなさい。あなたに、こんにちは」

 たった一人を前にして、あなたに、なんて宣言して挨拶することがあるだろうか。

「こんにちは」

「望月くんと同じサッカー部だったのね」

「……」

 あまり触れられたくない話題だ。

「理科準備室からもよくグランドが見えるわ」

「……そうでしょうね」

 ここに理科準備室があったなんて、昨日知ったんだから。

「中に入りましょうか」

 自然と、捕まった。

 ……。

 今日も室内は暗い。

 どうやら暗幕していたようだ。案外周りは見えてないもんだな。

「どうぞ」

 お気に入りの紅茶を用意していた。

「どうも」

 まさか二日連続でここに来て、この人とタイマンを張るとは思ってもいなかった。

「他の会員さんは?」

「さぁ……来ないならお休みよ」

「左様で」

 本当は一人しかいないんじゃないのか。怪しいもんだ。

「今日は私のお話を聞いてくれるかしら」

「お話?」

 何だ、どこか雰囲気が違う。

「そう。いいかしら?」

「……どうぞ」

 その雰囲気に飲まれた時点で、俺の負けは確定していた。

「最近、おかしなことはなかったかしら?」

「おかしなこと? 別に」

「何か声が聞こえるとか、物が動くとか、怪奇現象と呼ばれるものよ」

 おお、オカ研っぽい。

「まったくないですね」

「そう……」

 顎に手を添えて考え込む。

 それが様になってるから、たちが悪い。

 この人は美しい。

 俺は美しい物が好きだ。

 この様子をずっと見ていたい。

「いえ、あなたが気づいてないだけで、きっとあったはずよ」

「身に覚えがない以上、特定できませんね」

「特定?」

「あぁ、言い方が悪かったです。身に覚えがない以上、判りかねます」

「……」

 良い表情で考え込む。

 昨日の悪い印象はすっかりなくなっていた。

「だったら、今ここで私達以外の声が聞こえたり、物が勝手に動けば判る?」

「それは……どういう?」

「ちょっと試してみましょう」

 すっと立ち上がると、俺の後ろに回り込む。

 座ったままの俺の後ろに立ち、そのまま動かない。

「……」

 やっぱ変な人だったか。

 気まずすぎる。

 カチャッ。

 カップに添えられたスプーンが震えた。

「……」

「……何のトリックですか?」

「実験、成功ね」

「実験?」

「そう、見えにくい糸で細工をしていたの。お陰でいい表情が見れたわ」

「俺の驚いた表情が見たかったと言うんですか?」

「だって、私の考え込む表情が良いんでしょう?」

「……」

「実験、成功よ」

 謎の人。

 変な人。

 怖い人。←NEW!!



「ただいま」

「おっ帰りー。遅いぞー」

「そっちは早いね。まだ十九時前だよ」

 初めて姉ちゃんの方が早く帰っていた。

「ふっふーん。明日できることは今日やらないのだ」

「そうなのか、余裕だね」

「ぶいっ」

 なんとなく、全部投げ出して帰りました感がするけど、触れないでおこう。

「三十分くらい待ってて、夕飯の準備するから」

「よろぴくー」

 家事を手伝うことで同居させてもらってるけど、全部押し付けられてるな。

「それでさー、ランチに入ったお店が美味しかったの。今度行こうね」

 俺の肩に手を置いて一方的に話しかけ邪魔をする。

「そうか、でも高いんじゃないの?」

「それが五百円ポッキリですよ旦那」

「おお、良心的」

「でしょでしょー。でも平日限定なのよねー」

「行けないじゃん!」

 まったく、上げて落とすね。

「ごめん、でも予約もいらないし、人気だけどいつか絶対行こうよー」

 後ろでピョンピョンして鬱陶しい。

 ガチャッ。

「ほら、菜箸がシンクに落ちた。危ないから座ってて」

「んー、はーい」

 聞き分けはいいので助かる。

 ……。

「ご馳走様でしたー」

「お粗末さまでした」

「料理スキル上がってるねー。いつも美味しいよー」

「お舌に叶って嬉しゅうございます。たまには手伝ってもらいたいけど」

「家事が出来る男はモテるぞー」

 あ、その気ないのね。

「俺、家事が出来る人と結婚したい」

「うっ……が、頑張る」

 うん、家事が出来る女性はモテるぞ。

「とりあえず、ほらここ。一緒にテレビ観よー」

 二人がけソファの空いたスペースをポンポン叩く。

「はいはい、食器片付けたらね」

「待ってるー」

 おい、さっきの頑張る発言はどうした。

 仕方ないなぁ。

「あははー。この人、絶対最初に死ぬパターンだ」

 片付けも終わり、地上波の映画にチャンネルを固定した。

「一人で部屋に篭もるのは危ないよね」

「ベタ過ぎー。で、最後に生き残った男女が結ばれるんでしょ」

「危険な状況下で結ばれたカップルは長続きしないらしいよ」

「吊り橋効果だもんねー。その後、絶対別れてるに二票」

「俺の分までどうも」

「私なら絶対別れない」

「いい歳して重くない?」

「いい歳だからこそ重みが出るのよ」

 顔は笑っているが、声は低かった。

 ……。

 映画の結末は、生き残った男女が幸せなキスをして終わった。

 その後二人がどうなったか、野暮なので追わないことにしよう。

「明日は休みだねー。でも眠い」

「もう二十三時だもんね。寝ようか」

「うーん、連れてってー」

「もう、一人で歩けよ」

 何度言っても聞かないので、結局は連れて行くんだけど。

「じゃあお休みー。ふわぁ〜」

「お休み。明日はゆっくりするの?」

「友達と出かけるー。でもお昼からだから朝は寝かせてー」

「判った。それじゃ」

 俺も明日は用事がない。

 特にすることもないので、居間に戻りソファにもたれてテレビを点ける。

 ヴーヴー。

 ケータイがメールを着信する。

 またか……。

『よくわかったね』

 差出人が文字化けした迷惑メール。

 何故か昨夜から本文は文字化けしなくなった。

 しかし、よくわかったね、って何が?

『何のこと?』

 迷惑メールというには怪しいメッセージに、率直に質問してみる。

『えいが』 

 えいが……さっきの映画か?

 よくわかったね……結末のことか?

 さっきの俺と姉ちゃんの会話を見られている? だとしたら怖すぎる。

『よくある手法だから』

『すごい』

 何だこの反応、扱いに困る。

 思い切って聞いてみることにした。

『あなたは誰?』

 すぐ返信されていたメールが来ない。

 ……。

 …………。

 ………………。

『幽霊』

 返答は間を置いて来た。

 幽霊?

 幽霊って何だ?

 死んだ人の怨念とか言うヤツか?

 それこそホラー映画でよくあるネタだ。

 ならば、映画の登場人物はどう反応するか。

 バカにする者は呪われて死ぬ。

 逃げる者は呪われて死ぬ。

 正面から問題を解決する者は救われる。

 そんなとこか。

『あなたを助けたい』

 こちらも返答に困ったので時間が空いた。

 真面目に考えた俺がアホだったか。

『ありがとう』

 着信メールには、飾り気もなくその言葉のみ綴られていた。

 これにはどう返信したものか。

 考えれば考えるほど、キザったらしくなる。

『どういたしまして』

 それなら、こちらも率直な反応を示そう。

 ――ボワッ!

「……え?」

 ソファに座って、右手に持っていたケータイが突然見えなくなった。

 いや、人の後頭部が視界を遮っている。

「……?」

 俺の膝の上に人が座っている。

 軽い。いや、重さんなんて感じない。

 肩まで伸びた髪が振り返る。

 目が、合った。

「どうも」

「……」

「ちょっと、無視ですか?」

「……」

「錠前さん? 錠前新司さーん?」

「……」

 突然現れた人間に言葉を失ったのではない。

 あまりの綺麗さに、心を奪われていた。

「これは私の美貌にやられましたか」

「って、ちょっと待てー! 誰だあんた!」

 内心を読まれ、混乱するどころか冷静さを取り戻した。

「どうもはじめまして、幽霊です」

 ソファから降り、正面からの挨拶をぼぉっと眺めていた。

「幽霊……?」

「あ、はじめましてじゃないですね。メル友だから」

「いや、そうじゃなくて、どちらさん?」

「だから、幽霊ですって。そのメール、私」

 それが、自称幽霊の幽子との出会いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る