第7話 魔法

燃え盛る炎に包まれる春香の家の前で秋仁は絶望を感じた。


みるみるうちに瓦礫がれきの山と化した家

激しく燃え盛る焔


しかし、消防隊が駆けつけた後、炎が鎮火した中から春香は無事に救出された。瓦礫のなかで、うずくまり意識をなくしながらも息がある春香を見つけた消防隊は、火傷一つない体に驚き首を傾げた。春香の無事を聞かされた秋仁は、安堵で腰が抜けてしまった。

遅れてやってきた警察の調べによると、発火源は特定できないが、遺体が二体見つかっていた。消し炭と見まごうような遺体の照合は未だに済んでいないが、春香の両親が行方がわからなことから、遺体は彼らと見て間違いないと警察は踏んでいる。


しかし、その後の報告はショッキングなものだった。焼け跡、風呂場からは焦げているが新品だったであろうのこぎりが二丁、燃え残ったロープの断片が見つかっていた。そして、車庫に停めてあった熱で外装の溶けた車の車内からは、大きくて黒いビニール袋、スコップ2本、農業用石灰20キロ入り、が見つかった。


春香の両親がこれらで何をしようとしていたのかは一目瞭然である。


春香の両親は、自分たちと血の繋がった娘を、暴れられないように縛り上げ、風呂場で溺死できしさせた後、遺体を解体し、袋に詰めて何処かに捨てようと計画していた。その際、腐敗臭で遺体が発見されぬよう石灰をかけ、白骨化を早める。秋仁は人間の二面性を目の当たりにして愕然とした。


(春香を絶望させてはいけない)


春香の両親に対する言葉にできない怒りが胸中を占める中、それだけは蛍光ペンでアンダーラインを引いたようにハッキリしていた。秋仁は早々に榑井くれい宅だった瓦礫の山を後にし、春香のもとに駆けつけるべく病院へ急ぐ。ナースステーションで聞いた部屋番号のドアをノックして、そっと開くと、大人用のベッドに埋もれるように眠る春香が見えた。


(彼女はまだこんなにも小さいのに。誰かが支えてあげなくては、一人でまだ生きていけないのに。)


秋仁は春香の小さい手を自分の大きい手に重ねる。


そして誓った。


彼女のこの小さな手が、いつか大きくなって、

自身を支えられるようになるまでは

自分が、 絶対に、

彼女を、彼女の倖せを、守り抜く、と。


「こんなに苦しんだんです。もう楽をしましょう。倖せになりましょう。他の誰が何と言おうと、貴女の両親が何を言ったとしても、私は貴女の味方です。貴女は必要な存在なんです。」


だから、

だから、

どうか自分自身に、

この世界に絶望しないで下さい


春香の子供らしく温かい手を握り、彼女の目覚めを待った。



***



身体中が痛くて春香は目が覚めた。


灰色で薄暗い


知らない白い天井


頭がボンヤリと重くて、何故ここにいるのか思い出せない。右手が温かくてそちらに視線を向けると、秋仁がいた。春香の手を抱いて寝ていたが、微かな衣擦れの音で目が覚めたらしく、秋仁は顔を上げる。


「目が覚めましたか、春香」


秋仁の優しい声が理央を包み込む。すると春香は涙が止まらなかった。


「生きていて良かったです。」


秋仁は自身の頬に春香の右手をすり寄せる。


「私の前からいなくなってしまったかと思いました。」


春香は何も言えなかった。


「春香、私は春香のそばを離れません。もう一度、一緒に新しい生活を始めましょう。」


春香は涙を流した。願わくば、両親からその言葉が聞きたかったのだ、もう一度、一緒に頑張ろうと。その一言が欲しかっただけなのに、何故こんな結末になってしまったのだろう。


「秋仁お兄ちゃん、私、死にたい、もう、生きていられない、」


死にたくないと思って、両親を殺したくせに、今は死にたいなんて、なんて我が儘なんだろう。


「私は、生きていては、いけないと思う。こんなの、ダメだ、とおもう。」


秋仁は分かっていたのかもしれない、目を覚ました春香が死にたいと言うことを。


「春香、あなたは何の罪も犯していません。だれも春香を裁いたり罰したりはしません。今回の件は、事故として処理されます。」


春香は秋仁の言葉がよく理解できなかった。


「今のが建前です。

本音は

私が、

貴女に生きていて欲しいと

強く願うからです……私の為に生きていてはくれませんか。」


秋仁お兄ちゃんの為に?

私でも人に倖せをもたらすことができるのか。

なら、いいのかもしれない…もう色々考えるのが億劫おっくうになってきた。


身体中が痛い


死ぬしかないという気持ちが大きくて


同時に


秋仁の為に生きたいという気持ちも

確かに存在していて


しかし残念ながら、春香のぼんやりした頭では、なんの解決策も見通しも生み出せなかった。




あぁ、これだけは伝えなきゃ


秋仁お兄ちゃん、


ありがとう




***





「ちょっと、待ってください!!」


小野寺は立ち上がり、両手で強く机を叩いた。秋仁はこんなにも感情を乱した小野寺を見たことがない。ここは科警研の応接室、春香が一度目覚めてから三日経ったが、春香はうつらうつらと眠ったり起きたりを繰り返している。そしてここには、小野寺の上司の高橋と、小野寺、秋仁の3人は、黒人の男性と白人の女性の2人と対峙していた。


「ミスター小野寺、混乱する気持ちはわかりますが、落ち着いてください。」


エミリャ・パザロフと名乗った、白人の女性は小野寺をたしなめる。


「魔法学校?この21世紀に何を言っているんだ!?そんなよくわからない場所に、春ちゃんを連れていきたい、だって?そんな話を信じられるか!」


小野寺君、落ち着きなさい、と言いながら高橋は彼を座らせる。しぶしぶ腰を下ろした小野寺を見て、もうひとりの訪問者であるロバート・ウィルソンは話し始めた。


「先ほど申し上げました通り、魔法学校、カストルデ・ドクトリナは、榑井くれい春香さんの高祖母こうそぼである榑井雪野さまもご卒業なされた由緒ある学校です。本来であれば、このような惨劇が起こる前に春香さんを学校へお連れできればよかったのですが、私共も極東の魔女、いえ、榑井雪野さまのご家族がどのように日本で暮らしているかは存じ上げなかったものですから…」


ロバートは申し訳ありません、と口の中でもごもごとつぶやいた。


「先日の枢機院での報告会…失礼、いわゆる魔法使いの代表者が集まり、何か問題ごとが起きていないか報告し合う場で、春香さんの話が上がりました。ミスター高橋が警察上層部に春香さんのことをご報告くださったそうですね。その報告が、巡り巡って私たちと繋がりのある人のところまで届き、私たちの知るところとなったのです。」


エミリャが淡々と続ける説明に、秋仁は追いつけてはいなかった。ただ、自分と小野寺や科警研の者たち、そして本人が、懸命に能力をコントロールしようと1年も費やした上で起きてしまったのが今回の事件だ。秋仁は両親を殺めてしまった春香に非があるとは全く思っていないが、春香が自分自身を責めているだろうから、能力を完全にコントロールできるようにすることで、その責めを軽減させてあげたかった。しかし、自分たちには春香の能力について知識も経験もない、もしそれらを持っている人たちがいるのであれば、春香のために最善の選択をしたい、と考え、生産的な質問をした。


「その学校はどこにあるのですか。」


「白アフリカです。世界各国から10代の生徒がそこに集まり、通常6年間を費やし、見習いになります。その後、魔法使いに弟子入りをして、通常2年費やし正式に魔法使いに昇格し、修了となります。」


ロバートが説明している間に、エミリャが机上に置かれた書類を探り冊子を取り出した。


「こちらがパンフレットです。」


「パンフレット?魔法の学校にパンフレットなんてあるのか!?ずいぶん俗世的だな!」


頭から否定する小野寺は声を上げるが、エミリャはにっこりと笑った。


「魔法の存在を全く知らないご家庭に突然魔力を持ったお子さんが生まれることは世界的に見れば何例もあります。そういうときのためにご理解いただきやすいよう用意したものです。春香さんに至っては、ご家系に魔女がいらっしゃいますから、春香さんが力を持っても何もおかしくはありません。」


「そうだろうよ、」


小野寺は、やけになり吐き捨てた。秋仁はパンフレットをパラパラとめくると、そこには魔法使いの説明から始まり、校舎の案内やカリキュラムについてなど、詳細に記されていた。秋仁は年若い異国の子供が笑う写真を見て、なんとも楽しそうな学校だ、と思った。


「言語は英語ですか。」


「そうです、基本は英語になります。もともとはラテン語やアラビア語が主流でしたが、今は英語が話せれば問題ありません。自動翻訳機もありますが…あまり性能がよくないので、英語くらいでしたら勉強してしまったほうが早いかもしれません。」


秋仁の質問にエミリャが簡潔に答える。春香に英語を教えないといけないな、と秋仁は思った。


「おい、秋仁!なに乗り気になってるんだよ!こんな胡散臭うさんくさい話を信じているのか!」


「小野寺、私たちには春香の能力に対する知識も経験もありません。春香の遠いおばあさまも行ったことのある学校なら、きちんと検討するべきことです。」


「秋仁、お前…」


「この学校については、旧華族の間でも有名な話だそうだよ、小野寺君。戦前、春香君の高祖母だけでなく、その当時の旧家でも富国強兵の名のもと、何人かその学校へ渡ったそうだ。信頼に足る話だと思うがね。」


「高橋部長まで!」


「小野寺君、そんなに心配なら、榑井家の親族をもう一度回ってみればいい、当時の話が聞けるかもしれない。」


「高橋さん、詳しいご説明ありがとうございます。入学を決めた際やご質問がある際はこちらまでご連絡ください。春香さんにお会いできるのを楽しみにしております。」


エミリャは電話番号を置き、退席の挨拶をするとロバートと一緒に部屋から文字通り姿を消した。


「今のは…」

「なんだぁっ!?」


姿を消した二人に、秋仁と小野寺は声を上げ目をしばたかせた。子供のように目をぱちくりさせた二人を見て、高橋は若い頃、同僚と現場を駆けまわって汗を流した自分たちに彼らを重ねて、微笑ましく思った。


「来るときも突然現れたよ。」


高橋は二人の驚いた顔が見たくて、二人が知らないであろう情報を付け加えた。

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