第6話 不孝

首元を持って引きづられる



首が締まって上手く息が吸えない



風呂場に投げ込まれた春香は、今度こそ背筋が凍った


不気味に光る金属


お湯の張ってある浴槽


脱衣所のドアを閉める静かな音


母親と

いつのまにか帰ってきた

父親が

自分を見下ろしている


頬を流れる生暖かいものは涙か血か



さして広くない風呂場を後ずさるが、すぐに壁にぶつかった


「春香、よく聞くんだ。」


今までに聞いたことのないほど優しい父の声


後ろで微笑む母



聞きたかった優しい声が


見たかった微笑みが


何故いま与えられたのかを考えれば、




皮肉すぎて



春香は、全てを恨めそうだった




***



秋仁は読みおわった厚い本を閉じた。時計を見るともう日付が変わっていて、思ったよりも夜が更けていたことに驚いた。


(いつもは春香が寝る前に声をかけてくれるから、)


いつも一緒に寝ている布団は冷たいままだ。明日は春香が一人で秋仁の大学の研究室まで来ることになっている。秋仁の大学と春香の家は車で5分ほどだ、歩いてもそう遠くない。迎えにいこうかと提案したら、小野寺に過保護すぎると呆れられた。布団に潜り込み枕元の電気を消す。眼を閉じると、春香が微笑みながら、おやすみなさい、と言うのが見えた気がした。


しかし、うつらうつらしていると突然の凄まじい轟音ごうおんで、秋仁は飛び起きた。


(春香………!!!?)


先ほどの物音…ただ事ではないと分かりきっている。嫌な予感が駆け巡る。一年前の、殴られていた彼女を鮮明に思い出した。何故、彼女を行かせてしまったのだろう。呼び鈴を押して誰も出て来なかった時点で不安を覚えたのに。そもそも、本当に自分の子どもが帰って来るのを待ち侘びていれば、車を駐車する音でも気づいて迎え出るのではないのだろうか。


足元が沈んだ。


足が上手く動かない。


玄関までが遠い。


履物はきものを探すために伸ばした手が空気ばかりつかむ。それでもどうにか玄関ドアを開けた。すると、はす向かいの家が燃えていた、見るも無残に、生きている人の入り込む寸分の隙もないほど、炎に包まれていた。秋仁は駆け寄ろうと、1歩を踏み出したが、消防車が先だ、と思い出し、再度家の中へ戻った。


通話ボタンを押そうとする指が滑る。


自分の声は驚くほど震えて掠れていた。


「……しも、し?」



***


時間は少し、|遡<さかのぼ>る。


春香が度々、科警研で行っている能力の実験結果と、太極拳や論理思考能力を身に着けるなどと言った能力をコントロールするためのトレーニングの進捗状況は、全て両親の元に届いている。もっとも、彼女のようなパイロキネシス念力発火能力について、眉唾まゆつば物の報告は昔からあったが、公的な調査の前例はない、よって、実験のための指標も能力のコントロール方法も手探りの状態だ。それでも分かったことはいくつかある。


例えば、春香のパイロキネシスは自分の視力で焦点フォーカスを定め、そこが発火するまで温度を上げる。よって、眼を閉じたままでは対象物を定めることが出来ず、放火が理論上不可能となる。

何もない空気中に放火することが出来ないのは実証済みだった。さらに、視界を塞いで、無作為に念力を放ち、何かに偶然当たった場合、その物体は熱を帯びる。ただしこの方法では、その熱が対象物の発火温度まで達するとは限らないため、発火しないことが多い。要するに、目を塞げば春香の念力放火能力は使えないということになる。


風呂場に春香を投げ捨てると、まず、父親がガムテープで春香の目を塞いだのはそのせいだろう。


「春香、よく聞くんだ。」


父親は壊れたラジオのように同じ台詞を繰り返す。手が後ろで結ばれていて春香は上手く動けない。


「春香、お前がこの先生きていても、将来、他人の為にならないのは分かりきっている。おまえが全て悪いわけじゃない。でも、仕方がない。春香、お父さんが言っている意味が分かるね?」


分からないよ…

お父さん、分からないよ!


春香は心で叫んでも言葉にならない。


「春香、今まで苦しかったよね。春香…お母さんももう疲れちゃった。大丈夫よ。怖くないから。」


何を言うの、お母さん?

秋仁お兄ちゃんとの生活は何も苦しくなかったんだよ?


お兄ちゃん…!

秋仁お兄ちゃん……!!!


「お、お母さん、お兄ちゃんが言ったのを聞いたでしょ?もう大丈夫だって、言ってたでしょ?」


「一年では何も変わらないのよ。何年間、その狂った力のせいで苦しめられたと思ってるの?他人に分かるとは思えないわ。」


母親が穏やかに返す。


「で、でも、今日は、今だって、どこにも火は着いてないでしょ?」


「それはな、眼を塞いでいるからだよ。報告書に書いてあった、見えなければ火がつけられない、と。」


そんなの矛盾してる!

お父さんは他人からの能力の評価は信用するのに、他人からの保証は信用できないの!?

春香は叫び出したい気持ちをグッと堪えた。


「わ、わたしはもう火をつけないよ。訓練したの。

だって、

わ、たしは、

お父さんと、

お、お母さんと

三人で普通に暮らしたいか、ら。」


一生懸命、自分の気持ちを紡ぐ。


「ごめんね、それはできないの。」


嫌味なまでに優しい声


一度だって

そんな声で話してくれたこと

なかったのに


なんで、


今になって、


恐怖と怒りがドロドロと混ざり合い


大きくなる




「さようなら」




父と母の声が重なり


自分の身体が持ち上がるのを感じた。


抵抗しようにも手と足が縛られていて大して動けない。恐怖で声をあげたはずなのに、口の中にお湯が入って、息が吸えなくて、叫び声は出なかった。


苦しくて懸命にもがくが、抑えられているようで頭が上がらない




苦しい!


くるしい…!!


くるしい


くるしいくるしい…!!!!




死んじゃう!!!


死んじゃう!!


死んじゃう


死んじゃう?




なんで、


死ななくてはいけないの、



これから始まると思ったのに、



始められると思ったのに、、



酷い

ヒドイ、


なんで、


シニタクナイヨ


シニタクナイ!


イ ヤ ダ !




何かが爆発した


悲鳴が聞こえたかもしれない


あつい


あつい


熱い




………




……




気がつくと息ができていた。

身体が自由に動く。

春香は目を覆うガムテープを外した。


「な、何が…?」


辺りは春香の一円を除き、火の海だった。


壁も天井もなく、上を見ると夜のとばりの降りた暗い、しかし炎に照らされて明るい空が見えた。


何が起きたのか混乱しながら、おそるおそる浴槽から出ると、何かに躓いた。


「っひ……!!!」


黒く消し炭と化した二つのものは、元が何だったか判別不可能だが、自分の両親であることは明白だった。



「あ、ぁあ、ああぁ、、あああああぁぁぁああああぁぁァァァ」



自分の意思とは無関係に溢れる叫びと、身体を壊そうとするような激しい震えは、止まらなかった



わたしは

とうとう

ヒトを

ころしてしまった


それも


じぶんの

りょうしんを


オヤフコウナ

ヒトゴロシ


もう何も見たくなかった

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