第8話 明暗

空は嫌味なほど清々しい秋晴れだった。


秋仁と小野寺は、魔法使いを名乗る外人二人に会ったのち、その足で、春香の祖母のいる榑井くれい家の分家にアポイントメントもなしに訪れた。車で40分ほど都心から走ったところに広い日本家屋があり、そこが榑井家分家だった。小野寺は警察の肩書を十二分に使い、無理やり、春香の祖母である榑井キヨに面会した。


「榑井雪野という人物について詳しく教えてください。」


キヨは高齢でせっていたのだろう、とこから上半身を起こした状態で、秋仁たちを睨みつけた。


「……聞いてどうする。」


「雪野さんが行ったという海外の学校について聞きたいのです。」


矢継ぎ早に質問する小野寺の横で、秋仁は静かに聞いていた。


「あの女は、儂の祖母に当たる。儂の父を私生児で産んだ。あの女も、そもそもは榑井家の血をひかない庶子だ。」


「それで、彼女が行った学校というのは?」


小野寺は先を急かすが、キヨはわらった。


「学校?…は、ははは。あの魔女だか、魔術だか何だかわからない学校に行っていたらしいな、あの女は。儂は、そのおかげでずいぶんいじめられたわ。お前の祖母は狂人の学校出身だから、お前も頭がおかしいんだろう、と。」


キヨは遠い眼をして続けた。


「その上、東京が燃えたあの戦火で、あの女は私の弟を見殺しにした。魔術が使えるのならどうして、あの時助けてくれなかったんだろうな、儂は死んでもあの時の恨みは忘れん。」


キヨは弱った体にも関わらず、きっぱりと言い切り、小野寺は勢いを失った。


「若いの、小野寺と言ったか?もう二度とこの家の敷居をまたがないと約束するのなら、あの女がのこしたものを全てやろう。あの春香という小娘にも儂は二度と会いたくない。儂とこの家の者を二度と煩わせないと約束するならくれてやる、どうだ?」


小野寺と秋仁は顔を見合わせ、秋仁が先に頷いた。


「わかりました。ではその雪野さんが遺したというものを預からせてください。」



***



秋仁と小野寺は、榑井家を早々に辞すると、駐車してある小野寺の車に戻り、60センチ四方の葛籠つづらを開けた。中には古くて手触りの悪い紙が閉じられたハードカバーの大判本が数冊とノートのようなものが入っていた。ノートのようなものの表紙には、「Yukino KUREI」と筆記体で書かれていた。ハードカバーの本には「magia naturalis」や「sapientia」などと印刷されており、教科書のようなものだった。


先に沈黙を破ったのは秋仁だった。


「見たところ、榑井雪野の名前が書いてありますね、あとは…魔術の教科書と、哲学の教科書に見えますが…」


「本当に、そんな学校があるのか。」


小野寺は嘆息した。


「帰りましょう、春香がもう一度しっかりと目が覚めるときに彼女のもとにいたいですから。残りは帰ってからゆっくりと見ましょう。」


秋仁は小野寺を促し、二人は帰路についた。




***




春香はぼんやりと目を開けた。周りにはだれもおらず、開いた窓から入り込む風で、カーテンがふわりふわりと舞っていた。


「秋仁、お兄ちゃん…?いないの…?」


お兄ちゃんはどこへ行ってしまったのだろう。春香は周囲を見回したが、秋仁の優しい笑顔はどこにもなかった。


「…お父さん?お母さん?」


お父さんとお母さんはどこだろう?春香は立ち上ると、裸足のまま冷たいリノリウムの床をぺたぺたと歩く。両親を探そうとふわふわと動くカーテンを下から覗いた。


するとガシャン、と何かが割れる音がした。


花瓶が落ちて割れている。


自分の腕から垂れた点滴の管が引っかかり、落ちたのだろう。


(人のからだには血液が静脈と動脈を通って循環しています。首、脚の付け根にはとても太い動脈と静脈が通っていて傷付けると大変危険です。では、みんなで自分の脈がどこにあるか探してみましょう。)


先日、学校の理科の授業で習ったことを、唐突に思い出す。それと同時に現実が押し寄せ、自分にはもう父も母もいないことを思い出した。


「ぅああああああぁぁあ、」


春香は奈落に堕ちていくような錯覚を覚えた。


父と母の言葉がよみがえる。


(春香、おまえが生きていても将来、他人の為にならないのは分かりきっている。おまえが全て悪いわけじゃない。でも、仕方がない。

春香、

お父さんが言っている意味が分かるね?)


うん、分かるよ、

今なら分かる


(春香、今まで苦しかったよね。春香…お母さんももう疲れちゃった。大丈夫よ。怖くないから。)


苦しい、ごめんね、お母さん

もう怖くないよ

自分の醜さに向き合うほうがよっぽど怖いんだ。


両親の言葉はやっぱり正しかった。

あの時、素直に従うべきだった。


散らばる花瓶の破片に手を伸ばすと、チカッと指先が痛んだ。

指先に赤い血がぷっくりとふくらみ、ぽた、と床に落ちた。

そのまま赤い指先で優しく破片をなぞり、大きくて一番鋭そうなものを選ぶ。


破片を右手に持つと、左手を首に当て脈を探す。


とくん


とくん


とくん


脈はすぐに見つかった。


コレデ

キタナイ

ジブンカラ

カイホウサレル


「ふふっ」


心からの笑みがこぼれた。


何か忘れている気がするけれど、おもいだせなかった。


選んだ破片を両手でしっかりと握ると、憎い憎い自分自身が二度と目を覚まさぬよう、探し出した脈をめがけて思いきり突き刺した。



***



秋仁と小野寺は、病院の駐車場に着いた。小野寺は車のエンジンを切ると、重苦しい空気を断ち切るように口火を切った。


「結局のところ、お前はどうするんだ?春ちゃんをあの学校にやるのか?」


「春香に学校の件を話してみます。彼女が望めば、その学校へ。望まなければ、私と一緒にアメリカへ連れていきます。今、先方と交渉しています。」


初めからそうすればよかった、と秋仁は呟いた。それでダメなら諦めればいい話だ。二人は話しながら春香の病室へ向かう。


「出来る限り協力するさ。あの子は被害者以外の何者でもない、警察は彼女の行動を制限したりしない。近しい親戚もあんなに拒否反応を見せているし、彼女を連れて行くのは難しくないだろうな、物理的には。」


春香が自分で自分の未来を選べるようになれるほど前向きになれるか分からない、と小野寺は仄めかす。


「辛いな、おまえも、春ちゃんも。」


そんな言葉で終わらせられない、自分は彼女を倖せにすると秋仁は誓ったのだ。


「と、言うことは、おまえは彼女の保護者になるつもりか。」


小野寺が先程とは打って変わって明るい口調で問いかける。


「そのつもりですが…?」


秋仁は小野寺の質問の意図が掴めなかった。


「やめとけ、やめとけ。絶対後悔する。足枷あしかせにしかならない。」


「どう言う意味ですか!!!」


この人は春香の両親と同じことを言うのか、とカッとなる。


「そういう意味じゃない。そうじゃないんだよ、ただ、悪いことは言わない。親友の忠告を聞いておけ。彼女の保護者は別に探せ。もっと歳の離れた落ち着いた人がいいさ。」


「そういうものですか。」


いや、そうじゃないんだけどね、と小野寺は心の中で付け足す。


春香が大きくなって、秋仁が自分の気持ちを自覚した時、二人の関係が親娘では世間体がはばかるだろ。


ははっと笑うと小野寺は満面の笑みで答えた。


「そういうもんさ。」


そんな明るい未来なら大歓迎さ。


「榑井春香さんの付き添いの方ですよね!?」


廊下を駆ける看護師が二人を呼び止め、和やかな空気は霧散した。


「はい、そうですが。彼女になにか?」


瞬時に秋仁が切り返す。


「来てください!」


悲鳴のような看護師の声に引きずられ慌ててそのあとに続く。


自分はまた何か大切なものを見落としていたのか、と秋仁は廊下を早足で歩きながら自問自答した。答えは見つからない。


そのまま春香の病室へ向かうかと思えば、その先の手術室の前に案内された。手術室には看護師が慌ただしく出入りしていて、緊急事態であることが伺える。


医師が秋仁と小野寺に気づき、声をかけてきた。


「榑井さんが自分で首の静脈を傷つけました。相当深く切った上に発見まで少し時間をおいてしまったため、出血多量で大変危険な状態です。」


「どういうことです!?」


秋仁と小野寺は瞠目した。部屋には傷つけるような刃物は置いていないはずだ。


「花瓶です。花瓶が割れていました。」


そんなもので?


やはり、春香の側を離れるべきではなかった!


後悔が先に立ってくれればいいのに。


もう何度そう願っただろう。


秋仁はどさりと手術室の前に置かれている長椅子に腰を落とすと膝に顔を埋める。


「秋仁、落ち着け。大丈夫だ。春ちゃんがお前を置いて死ぬわけない。」


本当だろうか。

信じていいのだろうか。


「大丈夫だ。お前がしっかりしてれば大丈夫。」


小野寺がいてくれてよかった。


秋仁は長く息を吐きだした。


そうだ。

自分が落ち着かなくては。


まるで秋仁が落ち着くのを待っていたかのようなタイミングで、看護師が手術室から飛び出してきた。


「血液が足りないんです。A型の方はいらっしゃいませんか!」


「はい、私です。」


秋仁は焦らず答えることができた。そうか、春香とは同じ血液型だったのか、と独りごちると小野寺に視線で合図し、採血室へ入っていった。


春香、生きなさい


と念を込めて。


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