第3話 温かい出会い

「脱水症状と軽い栄養失調で肺炎を併発していますね。」


点滴でつながれ、白いベッドに横たわる少女にちらりと目を向け、医者は言った。


「あなた方が警察関係者でなければ、通報していますよ。」


あなた方が連れてきてくれたおかげで通報の手間が省けました、と医者は苦笑する。小野寺は沈痛な面持ちで医師に確認した。


「やはり虐待ですか。」


「ええ、近いものでしょうな、日常的に折檻されている様なので、それが母親のせいならば、母親とは距離を置くべきでしょう。両親へのカウンセリングも必要かもしれません。」


秋仁は話し込む二人を尻目に少女を覗き込む。


痛々しく巻かれた包帯

アザを覆う湿布

その下から覗く雪のように白い肌

鮮やかな紅色のこじんまりとした唇

すっと通った鼻梁

閉じられた目元は長い睫毛で縁取られている。


月日を重ねれば、どれだけ美しい女に成長するのか、きっと男が放っておかないだろうな、と秋仁は不謹慎ながらも少女の儚い可憐さに目を奪われた。


「私の所で預かりましょうか。」


秋仁が唐突に提案する。


「はい??」


医師と小野寺がハモりながら、勢い強く秋仁を振り返る。


「小野寺も知っているでしょう、両親と祖父が亡くなってから、私の家は部屋ばかり余っていますし、管理ができないからお手伝いさんに週1回入ってもらってますので、それを毎日に増やせば問題ないでしょう。それに私の家は春香さんの家のはす向かいで彼女が幼い頃から知っています。少し私の家で預からせてもらって、様子を見ることはできませんか。」


秋仁は何かに突き動かされるように、春香との同居を推した。春香を幼いころから知っているのは確かに本当だが、実際はそういう子がいたかもしれない程度の認識だ。それよりも、彼女を取り巻く環境に大きな問題があることは気が付いていたが、結果的に放置してしまった罪悪感が大きい。

それに、秋仁は小学生の時に両親を失くし、その後面倒見てくれた祖父を大学入学と同時に失くしている、両親と祖父の葬式で顔を合わせた遠い親戚はいるが、親交はなく天涯孤独に近いので、人肌が恋しかったのかもしれない。


また、小野寺は小野寺で思案していた。過去に何度か榑井家の親戚筋を回って、虐待の疑いがある春香を預かれないか打診してきたが、春香の小火騒ぎは榑井くれい家でも有名のようで、春香は一族の鼻つまみ者扱いだった。どこか施設に預けても、小火騒ぎ――小火で済めばいいが大火事の危険もある――が起きれば、他の子供を巻き込んで大災害を巻き起こす危険な可能性もある。春香のためにもなるべく問題は最小減にしてあげたい小野寺が得心したようにこちらを見る。


「検討してみよう。」


その後、小野寺はどんな魔法を使ったのか、あっさりと春香と秋仁の同居が決まった。秋仁は詳細を知りたくもないが、どうやら秋仁を親戚筋の者だと偽りの情報を匂わせて、上手く立ち回ったらしい。秋仁はそんな小野寺に呆れるのと同時に、小野寺なら大学でもうまくやっていけそうだ、と少し彼を羨んだ。そして、榑井春香は、その後一週間ほど病院で過ごし、退院すると秋仁の元に小さなボストンバッグと一緒に訪れた。


それが、榑井春香と高柳秋人の本当の意味での出会いだった。




***



それから1か月が過ぎた。


「まるで似たもの親娘だな。」


秋仁が研究に使っている大学の屋上農園をぶらりと訪れた小野寺がそう言うのも無理はない。春香の口数はとても少なかったが、秋仁の後ろをついて歩く様は、いかに彼女が秋仁を慕っているかを如実にょじつに物語っていた。それも、カルガモ親子顔負けなほどの懐きぶりだ。


春香は調子の良い日は学校へ行き、そのまま秋仁の研究室を訪れ、研究を助手のように手伝いをしながら、時間があけば、秋仁に勉強を見てもらうという日々を送っていた。春香を引き受けることになったと秋仁が教授に説明した時はとても驚き、否定的だったが、そんな教授が今では春香を孫のように溺愛し研究室には春香専用の机すら置かれている。


「で、春ちゃんはパイロキネシス念力発火能力のコントロールの方はどうなの?」


小野寺がのんびりと秋仁に尋ねる。科警研で色々調べてもらった結果、春香の持つ能力はパイロキネシス念力発火能力暫定的ざんていてきに分類された。簡単な話、科警研が保有するプールをに彼女を連れて行き、好きなように持ってる力を放ちなさい、と言ったところ、25メートルプールを半分以上も干上がらせてしまったのだ。その時発せられた水蒸気と熱気は尋常ではなく、一時は息もつけないほどであった。初めは春香という歩く超常現象に秋仁も面食らっていたが、今ではなんのその、だ。


そして、どれだけの効果があるか秋仁にはわからないが、気の流れを操る太極拳は、能力コントロールのためのイメージ練習になると思い、毎朝、春香に太極拳を教えた。昔、秋仁が祖父に教えてもらったものをそのまま春香に教える。物覚えの良い春香は幼少の秋仁より、いい生徒だった。


また、安定した環境下では、力が暴走することもないようで、秋仁と暮らし始めた春香は一度も火をつけていない。しかし、以前のように精神的に崩れれば力も暴走する。特に親からの暴力など、心に深い傷を持つ場合、普通の能力者と違って精神が崩れるきっかけを多く持ち、暴走の危険性も増すはずだ。そして、暴走した時に一番傷つくのは周囲の人間だけでなく、本人である。秋仁は春香のためにも、少しでも彼女のためになることはしてあげたかった。


「太極拳を完全に身につけるには時間がかかりますからね、春香は頑張っていますけれど。」


小野寺と秋仁は示し合わせ、春香には、「太極拳の習得は能力コントロールに繋がる」と、プラセボ効果を見込んで伝えてある。秋仁は春香を優しい目で見ながら、先の小野寺の問いに答えた。春香は秋仁の後ろから少し得意げに小野寺をチラリと見た。


「なんにせよ、春ちゃんが落ち着いたならよかったよ。ね、春ちゃん、今度お兄さんと一緒においしいもの食べに行こうなー」


「……秋仁お兄ちゃんが行くなら。」


目線を合わせて顔を覗き込む小野寺から逃げるように春香は秋仁のかげに戻り、そうつぶやく。


「春ちゃんは、秋仁お兄ちゃんが大好きなんだねーじゃあ、将来は秋仁おにいちゃんのお嫁さんになるのかな?」


小野寺は、あの感情に乏しいの秋仁を春香がここまで気に入るなんて、と思い、秋仁に対するひやかしを含め聞くと、春香は真っ赤になって俯いてしまった。


「っんな、なんの話を?」


焦る秋仁は取りあえず捨て置く事にする。春香の小さな手には秋仁のワイシャツの袖がしっかりと握られている。小野寺は微笑ましくなって、再度、春香と目線を合わせるようにしゃがみ、耳打ちする。


「叶うといいね、夢。」


「…………。」


返事はないが照れたような微笑が全てを物語っていた。よかった、笑えるようになってと、秋仁を見ると、同じことを思っていたようだ。


「さて、春香。そろそろ帰りましょうか。今日は小野寺が美味しいものをたくさんご馳走してくれるそうですので、楽しみですね。」


「小野寺さん、ありがとう…」


「春ちゃん!?なんで秋仁はお兄ちゃんって呼ぶのに、ぼくは苗字で呼ぶの?ぼくもお兄ちゃんって呼ばれたいー!」


「小野寺、騒がしいです」


秋仁と春香の声が重なり、小野寺がそんなぁ、と笑った。小野寺はこの因果な星回りのもと生まれてきた少女がこれからは幸せであるように、と願わずにはいられなかった。

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