15章:ベッキーの不倫スキャンダルに潜む人間の根源的な悪
【スキャンダルにも国民的な話題に値するものがある】
2016年明けて以降、ベッキーにイラっとする人は、かなり多くいるいることだろう。ベッキーと言っても、CNNのキャスター、ベッキー・アンダーソンやWWEのレスラー、ベッキー・リンチのことではない。それは当然、皆さんご存知のあのベッキーのことだ。年明けから5ヶ月を経ても、この日本の人気TVタレントは“怒り”という負の吸引力によって世間の大いなる関心を集め続けている。
有名人のスキャンダル、ワイドショーネタとは単に卑俗なもの、クダラナイものとして
が、僕はそれがたとえワイドショーネタでも、興味深いストーリーであれば関心を寄せる。国際情勢や名作小説と同等のレベルで接し、何か真新しい真実を導き出そうとする。僕はベッキーのスキャンダルに興味が湧き、半年間、メディアを通じてことの成り行き注視し続けた。その根本的な動機は、人間そのものへの興味や好奇心だった。
かつてアインシュタインは
この世に無限なものは2つあると言った。
1つは宇宙、そしてもう1つが人の愚かさだ。
人はどこまで過ちを犯し続けられるのか。そして、ごう慢な者はどういったプロセスを経て破滅にたどりつくのか。スキャンダルが深まるにつれ、僕はこういった謎の探求において、ベッキーという人物が、1つの具体的な答えを出してくれることを確信した。
※
ベッキーの『不倫スキャンダル』について、これから掘り下げてゆくが、その上でまず断っておきたいのは、これは、ベッキー個人への非難を主目的にしたものではないということだ。
僕は、このスキャンダルを通じて第一に、罪悪、または人間のこころの闇を深く追求してゆきたいと思っている。そのため、これは僕個人もふくめた、世の一般の人に対する警鐘的な内容にもなるだろう。つまり、これから書くベッキーの犯した過ちとは、誰にとっても決して他人事だとカンタンに片づけられるものではないのだ。
【スキャンダルの大筋】
年明けに発覚したベッキーの『不倫スキャンダル』の大体の流れはこうだ。
1月初旬、ベッキーは既婚者のミュージシャンと不倫関係にあると報道された。それに対し、彼女は質疑応答のない記者会見で友達関係に過ぎないと一方的に釈明した。
だが、正月に男の実家に同伴帰省したことなどから、世間ではあからさまな嘘で言い逃れをしたという声が強まっていった。それでも彼女は会見を開くことなく、何事もなかったかのように数多くのTV出演を続けた。
世間でバッシングが起こり、さらにベッキーが不倫相手と共に騒動を楽しんでいる疑惑が発覚。バッシングはさらに過熱する。
2月初旬、ベッキーは会見を開かないまま、休業に入った。
5月初旬、TVに一時復帰、元レギュラー番組『金スマ』に出演し、MC相手に不倫を初めて公で認め、不倫と言い逃れについて謝罪する。
数週間後、TV出演復帰に合わせ、約5ヶ月ぶりに記者会見を開き、改めて謝罪し、現在に至る。
【立て続けに犯した3つの罪/同情の余地がある初期段階】
不倫、明白なウソによる罪逃れ、無反省な態度。
この3つが重なれば世間の怒りに火がつくのは当然のことである。
初期段階でのベッキーには同情の余地がある。マスコミ報道にあった通り、億単位のCM違約金があった以上、そうせざるを得なかったことが容易に想像できるからだ。不倫が確かなら、彼女が宣伝するCM商品もイメージダウンとなり、CM契約は破棄せざるをえない。その際の違約金の総額は5億円程度と報道されており、ベッキーにとってそれは死活問題だったと推測される。
そのため、その時点での最大の戦犯は、莫大な違約金をかけてまで起用タレントの私生活に縛りをかけるCM各社にあった。ベッキーの所属事務所もまたその意向に従い、彼女から言動の自由を奪ったハズである。確かに彼女は不倫をしたが、犯罪でもない私的行為に対して社会的な制裁が加わるのは異常なことだ。そこには根本的に、個人の人権を尊重しない組織社会日本の病理があった。
しかしだ。スキャンダルから1週間もしないうちにベッキーのCMはなくなった。それは違約金が確定したことを示している。したがって彼女がそれ以降も会見を開かず、不倫や言い逃れについて沈黙し続けたのは、その傲慢さがもたらしたものだとしか言えない。
そうして、いっさい会見を開かず、そのままTVから消えたのだ。その際、所属事務所は何の具体性もない形式的な謝罪文を公表しただけだった。世間では、これがベッキーのタレント生命を終わらせた決定打だと言われた。せめて、彼女自身が文書ででも、不倫を認め謝罪をした上で休業に入っていれば、世間の見方は大きく変わっていただろう。
ベッキーは、世間の怒りが頂点に達した時にもなお、沈黙を保ち続けた。
その際、彼女の不倫は世間で明白な事実になっていたが
本人が沈黙していれば、それは周囲から、否認と取られる。
過ちへの否認が長引くほど、罪の度合いは高まる。
【初対面で弁護士同伴・金銭問題に執着した元妻への謝罪】
復帰のTV出演の前、ベッキーは不倫相手だったミュージシャン、川谷の元妻に直接会って不倫について謝罪した。それ以前に、スキャンダルによって川谷はその妻との離婚を成立させていた。この際、報道では、実際のTVの収録日が妻への謝罪日より前だったことが取りざたされたが、それは問題にすることではない。
最たる問題は、ベッキーが弁護士づれだった点だ。
『週刊文春』の記事によると、元妻への謝罪の際、ベッキーは事務所社長と共に、何と2人の弁護士を連れていたという。元妻から離婚の慰謝料請求がなされることを充分に考えての事だろう。実際、その元妻も弁護士を連れていたそうだ。
確かに現実問題、いずれ2人は弁護士を介し慰謝料問題について話し合わねばならないだろう。だが、ベッキーが初対面からいきなり弁護士を連れているのは異常である。
離婚の原因を作ったのは当然、ベッキーである。だが、彼女はその立場でありながら元妻への謝罪の席で、初対面から法的な対抗手段を取るように、2人の弁護士を帯同させていた。それは、とても心から反省している人がやることではない。元妻への謝罪は、第一に金銭問題の決着目的で行われたのではないか。
【男性呼ばわりされた元カレ~素顔なき謝罪会見】
一方、TVの収録番組『金スマ』での謝罪もヒドかった。それはSMAPの中居正広と一対一で行われ、厳しく問いただされることもあり、マスコミはそれを好意的に捉えていた。だが、それはどう見ても空虚なものだった。
一番のポイントは、ベッキーがそこで不倫相手だった川谷のことを「男性」と呼んでいたことだ。そこに、彼女の真情が表れている。不倫への反省、または元妻を傷つけないための配慮だったとも見れるが、そうであれば「川谷さん」でいいハズだ。
男性とは一般名詞である。いくら公の場でも、ほんの数ヶ月前まで恋人だった男に対し、そこまで遠回しに呼ぶのは明らかに不自然なことである。
本質的に見れば、そこには単にスキャンダルそのものと大きく距離を取りたい彼女の真情が見て取れる。それだけで、彼女が謹慎期間中にも、一連の事態にまっすぐ誠実に向き合っていなかいことが分かる。
一方で、川谷に今も好意があるのかという問いについては、やはり完全に否定した。そんな具合に、彼女はほぼずっと素顔を隠し、不倫スキャンダルを反省する優等生を演じていただけだった。またその相手をした中居は長年一緒に仕事をしてきたタレント、いわば兄貴分的な身内であり、どこまで行ってもそれは内輪の反省会に過ぎなかった。
数週間後、ベッキーはようやく記者会見を行った。1月に虚偽会見をして以来、実に5ヶ月ぶりのことである。だが、そこでも彼女は素顔を隠し、不倫を反省する優等生を演じただけだった。
もちろん、川谷もこの一連のスキャンダルの責任を大いに背負っている。ロックシンガーだから、不倫ごときで世間に謝る必要などない。数ヶ月、ベッキーと共にずっと沈黙を続けていた彼には、そういうごう慢さがすけて見えていた。
ロックスターは世の常識に反して何ぼの人たちだ。
だが、有名タレントとの不倫が発覚した以上、相手のタレント生命が危うくなってしまう。しかも、ベッキーは猛烈なバッシングをずっとあびていた。そんな彼女を守る優しさを見せなかったのは、あまりに自分勝手で、ごう慢なことだった。それは、たとえロックスターであっても致命的な過ちだった。彼のバンドもまた、今回の騒動でファンのコア層を失ったハズである。
【罪の総まとめ】
一連のスキャンダルをまとめると、恐ろしい結果になる。
彼女は不倫をしながら、あからさまなウソをついて罪逃れをし
その後もシラをきり続け、さらに騒動を楽しんでさえいた。
それが明らかになっても、会見もなく休業した後
たった2ヶ月で復帰した。
それから、不倫相手の元妻への謝罪では、
初対面から弁護士づれで金銭問題に執着し、
一般への謝罪ではスキャンダルと距離を置いて素顔を隠し
政治家のように優等生的に済ませた。
それらは、まさに罪のオンパレードと言える。
ギマン、罪逃れ、甘いしょく罪。
根本的に断罪するとこの3点が浮かび上がる。
【
ベッキーのスキャンダルは不倫で始まったが、最大の問題は、当然、不倫自体にあるのではない。それは長期に及んだ一連の騒動における、氷山の一角に過ぎない。
さらに言えば、過ちを犯したこと自体も大きな問題ではない。
不倫レベルの過ちであれば、大抵の人にとって自身の身にも幾つか覚えがあることだろう。そもそも過ちのない人生など絶対にありえない。
たとえそれが重罪、大きな過ちだったとしても、その人には必ず
最も本質的にえぐりだせば、ベッキーの不倫スキャンダルとは
この
そして、それは過ちに対する否認から始まる。
自らの過ちを認めず、それと無関係だという態度を取る。
それはその過ちに伴う喪失と償いの
両方を回避したい思いからくる。
人間の最たるごう慢さとは、そこにある。
人はどこまで愚かになれるのか。アインシュタインは、それを宇宙と共に無限のものだと語った。
ベッキーは、不倫を認めなかった初期段階から謝罪会見を経ても、根本的に過ちを否認し続けている。そうである限り、救いは決して訪れない。
だが、そこを克服しさえすれば、まだ人生を逆転させることは可能だ。
そして、冒頭に書いたよう、これは決してスキャンダルという遠い世界で起こったことではない。僕の身にも、誰の身にも、起こりうる悲劇のループなのだ。<2016/6/25>■
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