11章:五輪王者という呪いからの解放~羽生結弦・330点!史上最高得点

        【努力と才能+アルファが歴史的偉業を作る】

 

 号泣がすべてを物語っていた。2015年、12月、フィギュア・スケートのGPファイナル、男子決勝で、羽生結弦が史上初の合計330点越えを果たし、史上初の大会3連覇を達成した。フリー演技後、控え室、キス&クライで、彼はそのスコアが発表されるとコーチのオーサーとにやりと視線を交わした。が、まもなく顔をうつむけ泣き崩れた。全身をふるわせながら嗚咽し、再び上げた顔は涙でいっぱいだった。そこまでの激情をTVカメラの前で見せたのは、これが初めてだったに違いない。

 人が身にあまるものをもらった時、ありあまる成果を得た時、つまりは人がすべてを手にした時、おそらくこういう号泣が自然と溢れ出てくるのではないか。羽生自身が語る通り、血のにじむような努力が、この結果につながった事は間違いない。


       だが、どれほど圧倒的な努力でも、それが圧倒的な結果

       に直結する事はない。そこに圧倒的な才能が加わっても

       また同様だ。そこにそれ以上の何かが加わる事なくして

        あらゆる歴史的な快挙は成し遂げられないのだ。


 羽生は後のインタビューで、「感謝」という言葉を繰り返した。応援してくれるファン、チームスタッフ、家族、そういった人たちの支えが、演技する際、自らの体の中に入っていたと語った。だが、そこにはそれ以上の何かもふくまれているようだった。

 羽生はフリー演技で平安時代の陰陽師、安倍晴明を演じたが、清明のように神に仕えたものだけが得られる神の恩寵オンチョウというものを彼自身も受け取ったような、彼の演技にはそんな神々しささえ感じられた。


 羽生は極端で明快な性格ゆえ、多くの批判もあびる。プライドの高さや競争心の強さによって、周囲からウトまれて孤立するような面もある。

 だが、それは彼の半面に過ぎない。もし羽生が単に高慢な人間であれば、330点を出しても平然としていただろう。俺の天才性とたゆまぬ努力が生み出した当然の結果だとクールに受け流していた事だろう。だが実際、彼は号泣したのだ。それによって、彼の人格の核には大きなプライドと共に、大きな愛情が含まれていた事が分かる。彼のこころの中には、気高い自我と共にそれを支えている他者がちゃんと同居しているのだ。



      【大逆境の中で見せた、史上最高のパフォーマンス】


 330点。実際、それは本当にありえない事だった。羽生結弦はこの世界一のフィギュア選手を決める大会でSPとフリー、2回の演技で計5回の4回転ジャンプと計3回のトリプルアクセルを決めた。

 ちなみに、この2つのジャンプは男子の世界トップ選手にとっても、1回決めるだけでも大変なものである。羽生はそれを8回決めた。しかもだ。そのほぼすべてが3点満点のGOE(技のできばえ点)の3点近くを得るほどの美しいジャンプだった。


           ジャンプ前の複雑な動き、高速スピード、

         上下運動の少ないスムーズなジャンプの入り

      乱れのない直立した空中姿勢、長い飛距離、充分な高さ

     そして、よく花にとまる蝶のようだと言われる滑らかなランディング。


 彼は計8回の超高難度のジャンプで、このクオリティを保った。飛ぶたびに、見る者を思わず「うわ~」とうならせるようなジャンプを8回も続けたのだ。

 しかも、フリー演技ではその他のジャンプもノーミスでほぼ2点以上の加点。さらに表現力を表す演技構成点は100点満点で98.56点。技術と表現、両方においてパーフェクトだと見せつけた。

 しかも、フリーでの彼は最終滑走者であり、かつその前のフェルナンデスはフリーだけで200点に達し、地元バルセロナの観客から大声援を浴びていた。そんな中で滑る事は、フィギュア・スケーターとしては最も結果を出しづらい状況である。

 しかも、羽生は2週間前のNHK杯で歴史的な記録を叩き出したばかりだった。その中で出した世界新記録だと考えれば、これがいかにすごい事か分かるだろう。

 

 もちろん、フィギュア・スケートは競技人口、世界的な人気という観点からも世界のメジャー・スポーツではない。だが、羽生は世界のスポーツ史に刻まれるであろう大偉業を達成したに違いない。仮にこのまま羽生が引退したとすれば、この記録が今後100年ずっと破られないだろうと言っても決して過言ではないハズだ。


 羽生結弦、彼は2015年、フィギュア・スケートにおいて金字塔を打ち立てたのだ。



       【清明と共に解き放った、チャンピオンという呪い】


 試合後のプレス・インタビューで、羽生は興味深い発言をした。試合前は、前回のNHK杯で世界記録を出したため、それを超えなければならない、または勝って世界1にならなければならないといった重圧を背負っていた。

 しかし、“今やれること”に集中し直し、プレッシャーから解放された。彼はそんな言葉を口にした。それは彼のこの1年の精神的な成長の証とも言える発言に違いない。

 羽生にとって去年は苦難のシーズンだった。2014年11月に試合前の練習で選手との衝突事故を起こし、その後もケガの治療もままならないまま試合に出続けた結果、1ヶ月ほど入院する事となり、結局その後遺症から15年3月の世界選手権ではライバルのフェルナンデスに敗れる事となった。それはひと言、彼の高すぎるプライドによる暴走劇だったと言える。


 後に羽生自身もBSの対談番組で、振付師である宮本氏にこんな発言をしている。

 

        あの時の自分にはソチ五輪王者としての自負があり、

   チャンピオンなんだから常に勝たねばならない、常に試合に出続けなければ

     ならないという気持ちがあった。あの衝突事故もそういう力みが

          引き起こしたものだったのかも知れない。

   “今やれること”だけに集中していれば、そういう精神力があれば良かった。


 翌シーズンとなる2015年、羽生はその反省を生かしたと言える。 歴史的な偉業の根源には、彼のこういう精神的な成長、理想的な自分ではなく、今ベストな等身大の自分を出し切るというマインド・セット、高慢さから謙虚さへの意識改革があったのではないか。 今シーズン、羽生のフリー演技は安倍清明をモデルにし、演技冒頭の仕草は清明が呪いを解き放つさまを意識しているという。それと同様に、羽生自身もまたソチ五輪王者という呪いから解き放たれ、まさに“今”という新境地にたどり着いたのではないか。



       【最高難度とカンペキの稀有な融合/夢のつづき】


 15年、フィギュアGPファイナルで羽生結弦が見せた演技は、330点という史上最高得点であるばかりか、内容としてもほぼカンペキなものであった。もちろん、細かい点を見ればミスもあった。最も大きなものは、コレオシークエンスがレベル1しか取れなかった事であり、人一倍どん欲な羽生であれば大いに反省している事だろう。だが、それは他の圧倒的な内容の中で見れば、ほとんど無視できるものだ。


      羽生は330点というスコア以上に、信じられないことを達成した。

    それは最高難度の演技を、カンペキにミスなくこなしたという事である。

       最高と完全が融合するという事はほとんど起こりえない。

   最高に難しいことをミスなく完全に果たすというのは、ある種、奇跡である。

           

 片一方だけならイージーだ。ミスが許されていれば、最高難度のことでも一通りこなす事はできる。逆に、カンタンなことであれば、ミスなく完全にこなす事はできる。だが、ミスなく最高難度のものをやろうとすると、それは至難のわざになる。だが、羽生はそれをやってのけたのだ。


 そして、このファイナルの大快挙は“夢のつづき”とも言えるものだった。前回大会、NHK杯で羽生は至上初の300点越え、それも20点も上回る結果を出した。

 だが、2週間後のファイナルではそれをほぼ10点上回る結果を出した。フィギュアは採点競技ゆえ、そこには人為的な操作、審査員の心理的な影響もふくまれる。だが、シロート目でも、よく見れば今大会の演技が前回よりも光っていた事は分かるハズである。普通、夢のような出来事は1回で終わり、もう2度と起こることはない。だが、羽生はその夢のつづきを、ほとんど間もなく見せてくれた。

 最高と完全が溶け合い、そして夢に次ぐ夢を実現する。羽生結弦、彼はまさに今、すべてを手にしている。<2015/12/10>■

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