神の母と呼ばれる川

神の母、と呼ばれる川がある。

マトレ・デ・ディオス。ペルーを流れるアマゾン川源流のひとつだ。アマゾン、といえばブラジルを思い浮かべる人が多いと思うが、その裾野はペルーやボリビア、コロンビアなどにも広がっている。アマゾン川源流もまた然り。

そもそも、アマゾン川はかつて海だった。それが地殻変動で超巨大な湖となり、それが今では干上がっていく過程にあるのだという。土の上にある水たまりが干上がってゆく様を思い浮かべてみるといい。あれと同じだ。

川となってからは、一時、アマゾン川は現在とは逆方向に流れていたこともあるという。即ち、大西洋から太平洋に向かって。それがアンデス山脈の隆起によって現在の流れとなった。太平洋側から大西洋へ。誠に、大いなる変化を経験してきた川である。このままでいくと、遠い遠い将来、アマゾン川は干上がり、アマゾンのジャングルも消失してしまうだろう。その頃我々人類がまだこの地球上に存在しているかどうかは未知数である。きっといないような気がする。

それはさておき。神の母と呼ばれる川のことであった。

マトレ・デ・ディオス川はペルーの世界自然遺産、マヌー国立公園の中を流れるアマゾンの源流だ。源流というからには何しろ雨が多い。常に、いつ行っても湿っているような感じである。マヌー国立公園がまた広大な自然保護区で、そのほとんどが立ち入り禁止となっている。肝心の所には行くことができない。これは日本の白神山地もそうだ。残念無念である。一般のツアー客はもちろん、我々のような「まじめな」テレビの取材チームですら、目にすることができるのはその入り口、ほんのさわりである。その奥の実態はどうなっているのだろうと想像は膨らむのだが立ち入ることができないのだからどうにもならない。地球上にはまだまだ、人の立ち入りを拒む場所があるということだ。そして結局、そういう場所には行けないまま、人生は終わってしまう。ああつまらない。

とはいえ、さわりとはいえマヌー国立公園の入り口はすごいところだ。何しろ、アンデス山脈の真下にジャングルがあるという格好だ。それで天気の変わり目となっているのだろう、天気は絶え間なく変化する。晴れたと思えばたちまち霧が出て雲がわき雨を降らせる。絶えずどこかで雷鳴がとどろいている。雨具は必携である。傘ではなく、レインウェアがいい。私はジャングルではゴルフのレインウェアを重宝している。軽く薄く動きやすい。通気性に優れている。いろいろ試したが、ことジャングルにおいてはゴルフのレインウェアがベストだ。登山用のウェアではヘビー過ぎるのだ。要は、暑苦しい。

この、レインウェアを来て船に乗るのである。マヌー国立公園に行くには、マトレ・デ・ディオス川を船で移動するのがいちばんのようだ。クスコからセスナで一気に飛ぶという方法もあるにはあるが、天候が不安定なためあまりお勧めはできない。

苦い、というか苦しかった思い出がある。このマヌー国立公園を最初に取材した時のことだ。例の、世界遺産を紹介する番組のロケだった。

ロケ本番の時は、ディレクターは既に二度目の訪問となる。事前にロケハンで短い間ではあるが訪れてはいるからだ。だから、その時私がマヌー国立公園に足を踏み入れたのは生涯二度目だった。しかしカメラマンや技術スタッフにとっては初めての訪問となる。

カメラマンのヤブキは張り切っていた。既に、かつてのインカの都、クスコを出発する時から。技術スタッフは総勢三名で、ヤブキと、撮影助手キタザワ、VE(ビデオエンジニア)オザワといういつものメンバーである。いつもの、というのは自然遺産のロケに限ったことで、このチームは自然の撮影に長けていた。自然の撮影がうまい、イコール動物を撮るのがうまいということでもある。

「向こうに十日いて、移動に前後二日ということは十四日、二週間。一日ひとり缶ビール五本として、三人かける五本かける十四日で二百十本、あと余裕をみて二百五十本あればいいんじゃない?」これがクスコでのヤブキの提案だった。

ヤブキと、VEオザワ、そして私の三人はすさまじいばかりのビール党である。一日の撮影が終わった後の唯一の楽しみであるビールタイム、そのためのビールをジャングルにj持ち込もうというのであった。

「だって、向こう、ジャングルに行ったら売ってないよね」ヤブキの言うことは至極ごもっともである。現在ではマヌージャングルロッジという冷蔵庫もバーもある素晴らしい施設ができていて、わざわざ缶ビール二百五十本を車と船で運ぶ必要はなくなったが、当時はこれしか方法がなかった。

これに驚いたのはペルー人のツアーガイドだった。「日本人、そんなにビール飲めるわけがない」とコーディネータのエミリオに囁いた。それをエミリオが我々に伝える。しかし、

「いや大丈夫。飲むから」とクスコの酒屋の前でカメラマンのヤブキは断言した。「何回も計算してシミュレートしたんだから絶対OK」

そう言い切るヤブキの顔を半信半疑で見ながらペルー人のツアーガイドは二百五十本の缶ビールを車に積み込んだ。

このツアーガイドは、後から私たちにものすごく感謝されることになるのだが、まさに「神の目を持つ男」であった。マヌー国立公園公認のツアーガイドである。基本的にはフリーランスで、いつもは主に欧米から来る観光客をジャングルに案内しているという。カルロスといった。浅黒い肌の、先住民族ケチュアの血を引くがっしりとした体格の男である。今思い出してもたのもしい奴だった。その後、あれほどのツアーガイドにお目にかかったことはない。

思えば、私がヤブキをカメラマンに指名したは、あわよくば「動物を撮るため」であった。動物、それもあわよくばジャガーを。ジャガーは南米の密林の王といわれる猫科の猛獣である。現地ペルーではスペイン語読みで「ハグアール」と呼ばれている。ジャングルでは敵なしのこの肉食獣の最大の特徴はしかし、「めったに人前に姿を見せない」ことであった。我々撮影を生業とする者にとってはあまりありがたくないことに。

アフリカ、サバンナのライオン、アジアの密林を支配する虎に匹敵するような猛獣でありながら、基本的には臆病で用心深い。特に自然の中でその姿を目撃するのはかなり難しい、至難の業と出発前にみんなに言われていた。ましてやそんなものを撮影するなんて。

ただし、希望もあった。それもこちらに来てから生まれた希望である。ツアーガイドのカルロスが、「ハグアール? ああ、何度も見ましたよ」と当たり前のように、日常茶飯事の如く発言したのである。

(ジャガーを撮影できたらめっけもん、このロケは勝ったようなもんだ)と私は考えていた。何しろ、この世界遺産の特徴として、「ジャガーの生息地」とガイドブックには書かれているのだ。書く方は楽である。撮る方はたまらない。

さて。ドキュメンタリー番組というものは本当の意味でいう真実そのままを映し出すものではなく、ある程度作られたものである。つまり、何かしらのクライマックスがあるとして、話をそこに向かって盛り上げていく訳だ。この回のクライマックスは、あくまであわよくばであるが、「ジャガーとの遭遇」であった。ということは、話をそこに向かって盛り上げていく必要がある。

本当はそういうことはよくない、と思うのだがそれでもやってしまう。原則、ドキュメンタリーはあくまでドキュメンタリーであって、あるがままのものを時系列で並べていき(即ちそれが編集)、それに必要最小限の解説をつける(即ちナレーション)、それでいいのだ。そしてネタ、撮影する対象が面白ければいいドキュメンタリーとなり、ネタがつまらなければ面白くもなんともないドキュメンタリーができあがるのだが、それはそれでいいのだ。

しかし、現実には放送時間という枠があり、ディレクターの個性があり、構成作家が入り、その上でプロデューサーが目を光らせている。つまりみんなで盛り上げよう盛り上げようとする。何故って? その方が視聴率がとれるから。或いはそのやり方こそ視聴率がとれる方法だとみんな信じているから。実は長年の慣習から生まれた方法にすぎないのに。

このやり方は間違っていると思う。心の底ではそう思いながら、長年ドキュメンタリーの世界(ただし狭い日本のドキュメンタリーの世界)にいるとしぜんこの方法が身に染みついてしまう。その頃の私もそうだった。ついつい番組全体を盛り上げようと、周辺取材を試みたのである。即ち、住民へのインタビュー。つまり、いかにジャガーを目撃するのが難しいかについて。結果、そのことは証明された。やらせではなくて。四十五歳になるという農民の男性はこう語ったのである。

「これまで四十五年生きてきて、私はジャガーを二回だけ見たことがあります」

しかも見たといっても、はっきりと長時間目撃した訳ではなく、最初はジャングルの中をそれらしき影が横切るのをちらりと見た、二回目はうなり声を聞き、はっとして顔を上げると逃げていく尻と尻尾が見えたという情けない目撃譚であった。

(うーん、「結局この農民の言うことは正しかった。密林の王者ジャガー。それは極めて目にするのが困難な存在である」、ぐらいのナレーションで番組を締めることになるのかな)私は彼の話を聞いてそんなふうに思ったのである。

まあ、ジャガーが現れるのもドキュメンタリーなら、ジャガーは結局現れなかった、というのもまたドキュメンタリーなのだから、それはそれでいいやと考えていた。

とはいえ、マヌー国立公園には、たとえジャガーが撮れなかったにせよ、撮るべきものはある程度あった。アマゾン川が生まれる仕組み、即ち源流は天候が不安定で雨や霧が多くそれが集まって大河アマゾンになること、そしてその雨や霧が育む巨木などである。木はカメラを向けても逃げないからありがたい。他にも、ツアーガイドのカルロスが教えてくれたのだが、「毒アリの住む木」や「葉っぱに火がつく木」、「水筒代わりになる木」などジャングルの植物は多士多才だった。

動物もけっこういた。日なたぼっこをする大きな亀たちやワニ。ワニは黒いやつと白いやつがいて、黒い方が獰猛で白い方がおとなしいとか。或いは三日月湖にすむジャイアント・オッター、オオカワウソ。三日月湖とは蛇行する川のカーブが土砂の堆積によりせき止められて生まれる湖で、これもアマゾン源流に見られる特徴的なものである。名物といっていい。そして土を食べるオウム。毎朝、決まった時刻にかなりの数のオウムが土を食べに飛来する場所があるのだ。そこは川が削り取った崖である。白い土が露出していて、オウムたちはそれを食べに来る。はっきりとした理由は不明。その土に含まれるミネラルが消化を助けるという説が有力だがそうと決まった訳じゃない。だとすれば鶏が土を食うのと似たようなものか。

いずれ、数えてみると撮影するものはけっこうあるものだから、日々のスケジュールは自ずと埋まってゆき、番組もそれなりに構成できそうだった。ジャングルの住人、森の民マチゲンカ族という人たちも撮影できたし。そうした撮影のために、私たちはベースの宿をとったボカマヌーという小さな町から、毎日小舟に乗って「神の母」と呼ばれる川、マトレ・デ・ディオスを上り下りしていたのであった。

ツアーガイドカルロスの「神の目」の威力が発揮されたのは早くも撮影の二日目だった。

「ハグアール」

と小さな声で囁いたのである。マトレ・デ・ディオスをさかのぼる小舟の中で。

「え、ジャガーがいる?」私は小声で反応した。

「え、どこどこ」やはり小声で、カメラマンのヤブキが慌てている。この辺はさすが自然撮影のベテランスタッフだ。大声や大きな音をたてると、その瞬間たいていの自然動物は一目散に逃げてしまう。そのことを熟知している。失敗の経験も数多くあった。

カルロスは船頭に船のエンジンを止めるようジェスチャーで指示し、船は流されるままになった。

この間、カメラマンのヤブキは助手のキタガワに指示を出し、カメラに望遠レンズを装着して構えている。こちらもあくまでもサイレントモードで。望遠レンズはキヤノン製の通称「33倍」と呼ばれる巨大なしろものである。全長は七、八十センチもあるだろうか。そして重い。重ければ安定する。

「どこよ?」ヤブキはツアーガイドのカルロスに小声で尋ねる。日本語である。構わない。通じるのだこういう時は。カルロスはジャングルのある一点を指さす。ヤブキはレンズをその方向に向け、ファインダーを覗く。「え、どこよ?」

実はHDカムのファインダーは白黒である。情報量を減らしてカメラマンの目を疲れさせないためだというが、こういう、ジャングルみたいなごちゃごちゃした背景に隠れている動物を見つけるのは難しいのだ。

「キタザワ、モニターで探せ」ヤブキは助手に命令した。

「アイアイサー」キタザワは小声で答える。モニターを覗きこむ。この辺の呼吸は抜群だ。「います。その方向です」キタザワの声が震える。ジャガーは、いる。

「本当に?」キタザワに答えながらヤブキはとりあえずカメラのRecボタンを押している。白黒ファインダーではまだジャガーの姿は見えていないのだ。「回った?」

「はい回りました」録画が始まったことをキタザワはヤブキに告げる。

「え、どこにジャガーが?」私もカルロスの指さす方向に目をこらした。しかしそれらしき姿は確認できない。

「キタザワ、この方向でいいんだな?」重ねてヤブキが確認する。

「大丈夫です。モニターでは見えてます」

すごいことが起こっているのだ。ジャガーの姿を撮影できているらしい。しかもジャングルの、生ジャガー。

その時カルロスがもう一度今度は叫んだ。「ハグアール!」

出てきた。ジャガーだ。今でははっきり見える。川に削り取られ、1メートルほど切り立った川岸の上、藪の中からひょっこり姿を現したのだ。細く、しなやかな肢体。おそらくメスだろう。

「いたいたいた! きたきたきた!」すっかり興奮したヤブキは夢中でその若いメスジャガーに望遠レンズを向ける。エンジンを止めた船は流され、ジャガーから遠ざかる。遠くなるとぶれる。どうしても望遠レンズだとそうなる。

「エンジン! もっと近づいて!」ヤブキが声を上げる。コーディネータのエミリオが「どうします?」という表情で私の顔を見る。最終決断はディレクターの役目だ。エンジンをかけ、接近したらジャガーは逃げるだろう。しかしこのまま流されてもぶれた映像が残るだけだ。一か八か。私はうなずいた。エミリオは船頭に声をかけ、船頭は再び船のエンジンをかけると静かにジャガーのいる地点に向かって船を進めた。この辺は船頭もバカじゃない。自然というものを心得ている。

ジャガーはといえば、私たちの姿を一瞬まぶしそうに見つめていたが、やがて静かに体を翻し、ジャングルの中に消えていった。

私たちはそれでも興奮していた。大興奮である。何しろ、撮影わずか二日目でジャガーの撮影に成功したのだ。

「今のちゃんと回っていたよね」、私は撮影助手のキタザワとVEのオザワに確認した。ナスカでの苦い経験があったからだ。地上絵の撮影に大成功、風もなく光もよかった、ほぼパーフェクトな撮影ができたと感じていたにも関わらず、若い助手がVTRのRecボタンを押し忘れ、何も撮れていなかった、ということがあったのだ。おかげで私は一年以上現場から干され、デスクで冷や飯を食わされるはめになった。もうあんな経験は二度と御免だった。

「大丈夫、ばっちり撮れてます」キタザワは右手の親指を上げ、自信たっぷりな口調で答えた。右手親指を上げるのは南米ではOKのサインである。この若者はさぞかしいいカメラマンになるだろうな、とその時は思ったものだ。しかし彼は何年か後にあっさり業界を去ることになる。人生わからないものだ。

ひょっとして、ジャガーが戻ってくることもあるかもしれないと私たちはその辺りから暫く離れずにいた。しかしジャガーはもはやその日は現れなかったのである。

宿に戻り、映像を確認してみるとジャガーはきっちり撮れていた。やはり若いメスのようである。カメラの方をまぶしいような顔で見て、それから密林の奥にゆったりと消えていった。五秒ほどの映像だった。しかしそれで十分だった。私たちは祝杯をあげた。番組初の生ジャガー映像を祝して。

「ほら、ビール二百五十本持ってきて正解だったでしょう」と得意げなのはカメラマンのヤブキである。

「すごいね、ミカミさんは運がいいね」とはコーディネータのエミリオ。「ボクもハグアールは初めて見ました」

「え、そうなの?」私はちょっぴり驚いた。この時私は自分がそれほど「運がいい男」だとは思っていなかった。これがエミリオから「運がいいね」と言われた最初の経験だったのである。それにしてもベテランコーディネータのエミリオにしてジャガー目撃が初体験だったとは。いかにジャガーを目撃するのが困難なことか、なんとなく実感した。

しかし話はこれでは終わらなかったのである。

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