パーツを忘れてきた男
カーキ色をした双発の大型ヘリは、すさまじいプロペラの音をまき散らしながらナスカの空港に着陸しようとしていた。
「すごいなあ、まるで戦争映画みたいだ」
降りてくるヘリに、私は見とれていた。とても現実とは思えない。しかもそれは、私が発注したヘリなのだ。もの凄い迫力。さすがにペルー空軍現役ヘリである。何年か前までは、実際に戦場で使われていたのだ。ヘリが地上に近付くにつれ、二つのプロペラが巻き起こす風で被っていた帽子が吹き飛ばされそうになり、私は慌てて帽子を手で押さえた。
ヘリは、そうではないと大変困るのだが、無事滑走路に着陸した。するとまず後ろのドアが開き、兵士が一人飛び降りてきた。整備士のようだった。しばらくしてローターが停まり、操縦席からヘルメットを被った二人のパイロットが降りて来た。さすがに現役の兵士だけあって、きびきびとした動きである。我々疲れ切った撮影隊の、だらだらと弛緩した動きとは違うのだ。
「さ、挨拶に行きましょう」コーディネータのエミリオ・Kが後ろから私の肩を叩いた。首都リマに住む日系ペルー人で、撮影のコーディネート歴は二十年にもなるというベテランだ。よく日に焼けた顔に、笑うと真っ白な歯がまぶしく光る。容貌は日本人と全く変わらず、北関東の農家のおじさんを彷彿とさせるのだが、中身はまぎれもないラテンの男だった。三回の離婚を経験し、現在は四人目の、18歳年下の妻との間にもうけた息子と三人でリマのミラフローレスという高級住宅街に住んでいる。コーディネータは副業で、不動産業が本業らしい。つまり撮影のコーディネーションは趣味なのだ。そのせいかいつも現場ではひどく楽しそうだ。
「了解」私はエミリオに促され、兵士たちに歩み寄り、自己紹介して彼らと握手を交わした。
「エミリオさん、それでは早速カメラのセッティングを始めていいか、彼らに訊いてください」
「ブエノ(はいよ)」
エミリオはリーダーと思われるパイロットにスペイン語で二言三言話しかけた。大きな身振り手振りを交えながら。この辺がいかにもラテンの男だ。北関東の農家の人はこんな話し方はしない。
エミリオが私のところに戻ってきた。「それでは整備士のゴンザレスさんと話しながらやってくださいということです」
エミリオはヘリコプターの後部ドアを点検していた兵士のところに私を案内した。声をかけ、握手した。私も整備士ゴンザレスと握手を交わした。誰かに似てるなと思えば、ゴンザレスはジョージ・クルーニーを若くしてもっとごつくしたような精悍な顔をしている。
「さあ、まずはドアを外してもらうことですね」エミリオが私にいった。さすがはコーディネータ歴二十年。撮影の段取りを完全に把握している。空撮用のカメラマウントを取り付けるためには、まずヘリコプターのドアを外す必要がある。本番の撮影の時も、外したまま飛ぶのである。
「よし。では我々も、準備にかかろう」ドアを外しにかかる整備士のゴンザレスとエミリオの姿を確認して、私はカメラマンのツノダと、その後ろに控えていた年若い撮影助手のコヤマに声をかけた。何しろヘリコプターの料金は時間でカウントされるのだ。リマの空軍基地でペルー空軍と契約を交わした時半金は払ってあるとはいえ、時は金なりだ。まごまごしている暇はなかった。
ツノダとコヤマは、日本から持ってきた軽量の防震装置をケースから取り出し、準備にとりかかった。この二人と私が仕事をするのは、今回が初めてである。ツノダは、映画畑の人間である。近頃話題になった、あるタレントが監督した映画の、セカンドユニットの撮影を担当したという。いつも組んでいるカメラマン、ムラタとスケジュールがどうしても折り合わず、人づての紹介でツノダを連れてきたのは私である。
(映画のカメラマンね。それも面白いかな)という感じの、軽いのりで。人物やこれまで手がけた作品も精査せず。私にはどうやら元来そういうラテンに通じる気質があったようである。細かいことはあんまり気にしない。楽天的。いつも(なんとかなるさ)と思っている。
しかしいざツノダを連れて現場に出てみると、私は自分の軽いのりの決断をたちまち後悔することなった。
「本編ではこうするんだが」とやたら本編を鼻にかけるが、ツノダは世界遺産を撮るカメラマンとしてはかなりレベルが低かった。がたいがいい割には体が弱い。ボリビアのポトシでは高山病にかかり使い物にならず、スクレに来るともう日本に帰りたがっていた。私の感触ではこれまでの撮影の成果は低調だった。あまりいい画が撮れたとはいえない。せめてこのナスカですごい映像を撮り、一発逆転といきたいところだ。まあそのためにはこの〈ミスター本編〉をせいぜいおだてて、いい画を撮ってもらうしかないだろう。
「ツノダさん。この回はお願いしますよ」私は思いっきり下手に出て、防振装置を点検しているツノダに深々と頭を下げた。「ここが本編の撮影部の、腕の見せ所ですよ」
ツノダは集中した表情で作業を続けながら小さく頷いた。どうやら悪い気はしないようだ。豚もおだてりゃ木に登る。まったくディレクターって奴は忙しい。スタッフをおだて、時にはうまいものを食わせるなどしていい画を撮って貰おうとするのも仕事のうちだ。とはいえカメラを取り付ける間、ディレクターは用無しの存在となる。私はエミリオを介して、整備士ゴンザレスと話してみることにした。
「しかしでかいなあ、このヘリ。いったい何人乗れるの?」
「十五人は乗れますね」ゴンザレスの答えを、エミリオが通訳する。
「これってよくベトナム戦争の映画で見る、負傷した兵隊を乗せて逃げていくヘリと同じやつじゃない?」
「たぶんそうです」
「見積もりだと、本番と予備日の二日で、およそ二万ドルだったっけ」
「そうですね。ちょっと高いですね。でも今ペルーで使えるヘリはこれしかありませんから仕方ないね」肩をすくめて、エミリオがいった。
「まあナスカの地上絵は空撮以外撮りようがないから、仕方ないんだけどなあ」私は自分を納得させるように呟いた。ナスカの地上絵を空撮するため、エミリオにペルー国内でヘリコプターを探して貰ったのだが、時期が悪かったようだ。故障やら墜落やらで、空いているヘリコプターはペルー空軍のこの大型ヘリだけだったのだ。
「バカヤロー!」突然怒鳴り声が聞こえて、私たちは振り向いた。するとカメラマンのツノダが撮影助手のコヤマをちょうど地面に突き飛ばしたところだった。
「すいませんで済むかよ」尻餅をついたコヤマを、真っ赤な顔をしたツノダが見下ろしている。
「すいませんっ」いきなりコヤマはツノダに土下座した。
「いまさら土下座されてもしょうがねえんだよ!」とツノダ。
「まあまあ。どうしたの一体」私は二人の間に割って入った。今回のロケでは、海外経験の少ないコヤマがツノダに文句を浴びせられている場面をしょっちゅう目撃していたが、それにしても今のツノダの怒り方は半端ではない。ツノダは主に、映画の世界で生きてきた人間である。いわゆる、〈本編〉の人なのだ。テレビの世界では、映画のことを〈本編〉と呼んでいる。テレビが始まった時、映画では食えないスタッフがとりあえず集められたという歴史から、映画の方がテレビより偉いという空気がまだ残っていたりする。いまだに〈本編〉のスタッフに対して、テレビのスタッフはある種の尊敬と気後れ、コンプレックスがごっちゃになった気持ちを抱いているといっていい。
しかし私は、何かと言えば「本編ではこういう時はこうするんですけど」と、映画を撮っていることをやたらと鼻にかけるツノダにそれほど好感を持ってはいなかった。
「いったい何があったんですか」私はいちおう三歩下がったへりくだりモードでツノダに尋ねた。
「こいつ、ズームコントローラを忘れてきたんです」どうしようもない、という口調でツノダが答える。
「え。何を? ズームコントローラ?」私はどういう事態が起きたのか、しばらくしてから理解した。今回の撮影になくてはならない、カメラの重要な部品を忘れてきたということらしい。
「積み忘れ? ちゃんと探したの?」
「すいません!」私の問いかけにも、若い撮影助手のコヤマは地面に頭を下げたままだった。
「ちゃんと全部探しました。けどどこにもないんです」
「いつ気付いたの」
「すいません! 実は、南米に着いて荷物をほどいた時でした」
「ほんとに無いんだ」
「はい。すいません」
「忘れたんだ」
「はい」
「どうしてその時に言ってくれなかったんだよ。DHLで日本から送ってもらうとか、その時なら対処の仕方はあったのに」今更言ってもしょうがないことを口にするのは私の最も嫌いとする所だったが、私は年若い撮影助手ををなじらずにはいられなかった。へなへなとその場に座り込みそうになるのをどうにか堪えながら。それほどのショックだった。
ズームコントローラとは、パン棒の先に取り付けてズームレンズをコントロールする小さな装置である。防震装置の上にカメラを乗せるとはいえ、ヘリコプターは必ず揺れる。通常レンズの脇にオートズームのスィッチはついているのだが、カメラを安定させるためにはカメラマンはパン棒を右手で握っていたい。左手では絞りやフォーカスを操作する。どうしたってズームのスイッチはパン棒の先にほしいのだ。
「いくら名カメラマンだって、揺れるヘリの中でズームコントローラなしに地上絵に寄るってことは難しいでだろう」と思わず私は呟いた。
「監督、すみません。我々、技術部のチェックミスです。私の責任です」ツノダが珍しく、殊勝に自分から私に頭を下げてきた。
「責任って」私はツノダの顔を直視した。「あんた、今回のヘリのチャーター料金幾らか知ってんの」私は再び、今更そんなことを言ってもしょうがないセリフを口にしていた。
「え? し、知りませんけど」
「二万ドル。日本円にしておよそ二百三十万円」
「二百三十万」ツノダがフリーズした。
「二百三十万すか」コヤマが地面を見ながら呟いた。
「つまり、二百三十万円がパアになるかもしれないっていうことだよ。あんんたたち技術部が、たったひとつの、ちいさなカメラの部品を忘れてきたおかげでね」
ツノダも、もちろん若い撮影助手コヤマも、私の言葉にひどくショックを受けていたた。ツノダは呆然と滑走路に突っ立ったままである。
「仕方ないな。ヘリは来ちまったんだ。とにかく乗って、撮影してみるしかないよな」自分にいい聞かせるように、私は呟いた。それがラテンのやり方だ。とにかくやってみる。結果は後から考える。
「そうですね、とにかくやってみることです」顔は日本人だが中身はラテン系のエミリオだけが、私の言葉に反応し、私の肩を叩くと機材を運び始めた。
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