呪われたクレーン

鉄の柱を運んでいた、がっしりした体格の男が私たちに気付き、片手を上げて挨拶した。

「オラ。ブェノス・タルデス(やあ、こんにちは)」コーディネータのエミリオ・Kが声をかけると、男は柱を地面に置き、こちらに向かって歩いて来た。百九十センチに届くかという、ペルー人としては長身、かなりがたいのいい男である。

「紹介します。クレーン会社の親方の、ホセ・マリアさんです」エミリオが男を私に紹介した。

ホセ・マリアは作業用のぶ厚い革手袋を外すと、握手のため私に手をさしのべてきた。「ムーチョ・グスト、セニョール・ディレクトール」

はじめまして、カントクさん、と言ったのである。私はホセ・マリアと握手した。ぶ厚い皮が盛り上った、野球のグローブのような大きな手だった。私の顔を見て微笑んだが、なぜかその目は寂しげだった。

「ホセ・マリアさんとてもいい仕事をします。ボクのアミーゴね」エミリオがいった。

エミリオはペルーの首都、リマに住むベテランの撮影コーディネータである。仕事を始めたのは遅く、五十をすぎてからだったが、もう二十年以上のキャリアがある。つまり年齢も七〇を越えてているのだが、全くそんなことは感じさせない。

「バイアグラのおかげね」とエミリオはいつも冗談めかして言っているが、あながちそれは嘘ではないらしい。二度の離婚を経験し、現在は三十歳以上年の離れた三番目の奥さんと暮らしている。その上その奥さんとの間には子供まであって、その子供は最初の奥さんとの間に生まれた子供の子供、つまりエミリオの孫より年下だという。ややこしいことこの上ない。まあ、それはそれとして。

「あとどれぐらいで組み立てが終わりますか」時間が気になる私は日本語で尋ね、エミリオがスペイン語で通訳した。

ホセ・マリアは小首を傾げながら返答した。

「二、三十分と言ってます」ホセ・マリアの返事を、エミリオが私に伝えた。

砂漠の入り口でホセ・マリアと男たちはその無骨な撮影機材を組み立てていた。クレーンはアームの長さが十メートル以上あり、先端にバスケットがついて、カメラマンとカメラが乗る仕組みになっている。このタイプのクレーンは現在では旧式で、アメリカやヨーロッパではもはやあまり見かけることはない。現在の主流はカメラだけを先端に取り付け、手元でリモートコントロールするタイプである。旧式のこのクレーンは全て鉄でできていて、カメラマンとカメラが乗るため総重量はかなりのものとなる。

その重いクレーンが、フマナ平原からの風にあおられ、ゆらゆらと揺れている。

ナスカの地上絵のあるフマナ平原では、午後になると海の方から風が吹き始める。それが、日が沈む頃になるとかなりの強風になるのだ。

ディレクターの私は地上絵から振り上げてフマナ平原に沈む夕日で決まる、というクレーンショットをねらっていた。風は四六時中吹き続けているわけではなく、瞬間止むこともある。そのタイミングを狙い、クレーンを操作すればいい、と考えていたのである。私が時間を気にしているのは、クレーンを組み立てている間に太陽が沈んでは元も子もない、と不安になったからだ。

「急いでくれよ、日が沈んじゃうぞ。大丈夫か」私は独り言のように呟いた。

それを聞いたエミリオは、「カントク、あんまり無理させない方がいいですよ」と忠告するようにいう。そして私に耳打ちした。「このクレーン、実はいわくつきなんですよ」

「いわくつき? どういうこと」私が聞くと、エミリオは誰かに聞かれることを恐れるように周りを見回した。私とエミリオの会話は日本語なのだから、ペルー人スタッフに聞かれても別に困ることはないのだが。そして安全を確認して、私の顔を見た。

「前の持ち主は、ホセ・マリアさんではありませんでした。交通事故で、クレーンのアームがトラックの運転席に飛び込み、スタッフは全員死にました。それはそれは酷い死に方だったんです」

私はさすがにぎょっとした。「どんなふうに?」

「クレーンの鉄のアームに体を貫かれて」

「つまり、串刺しってこと?」

「そうですね。全員でクレーンに串刺しになって死んだんです。その上」とエミリオは再び辺りを警戒してから、「最近では、このクレーンがとんでもない場所で倒れました」

私は思わずごくりと唾をのみこんだ。「どこで」

「マチュピチュです。そしてあの貴重な日時計を壊したんです」

「なんだって? マチュピチュの日時計を? 壊しちゃったのこの人たち」

マチュピチュの日時計とは、遺跡の中にあるインカ時代の日時計ではないかといわれているモニュメントで、貴重な文化財である。それひとつとってもペルーの国宝的存在といっていいだろう。もちろんマチュピチュ自体が世界遺産であり、その中で物を壊したとなれば、それは国際的な大問題となる筈だった。

「エミリオはその時いたの?」念のため私はエミリオに尋ねた。

「まさか! とんでもないですよ!」エミリオは大きな声をあげ、全身で否定した。「もちろんその時は私の仕事ではありません。CMだったんです」

「CM。マチュピチュでCM撮影?」

「そうなんです」エミリオは大きくうなずいた。この人は外見は完全に北関東あたりの農家のおじさんであるだから、まじめくさるとどこかユーモラスだ。「よくないですね、ひとつの企業のためだけにあのマチュピチュを撮影するなんて」

それはペルーのある企業のCMだったという。

「時計だったかなあ」とエミリオ。

「なるほど。それで日時計」

迫力ある映像を狙った広告代理店のディレクターは、日時計のすれすれの位置をカメラが通る撮影を計画。ホセ・マリアはこれ以上日時計に近付くのは足場が悪いから危険だといったのに、ディレクターが強引にクレーンを日時計に近づけさせ、果たしてやっぱりクレーンが倒れたのである。

「それ以来、マチュピチュでは特殊機材を使った撮影は禁止となりました。日時計を壊したことで、国が損害賠償を求める裁判を起こしているところです」

「損害賠償って。あんな文化財の価値が、カネで計れるわけ? 値段がつくわけ?」

「それは、幾らになるかわかりませんがかなりのものでしょう」

「ひどい話だな。そもそも、マチュピチュでCMの撮影をするなんてどうかしてると思うけど」

「そうですね。結局はお金です。かなりのお金が文化庁にいったんでしょう」

ペルーで遺跡を管理しているのは文化庁である。このナスカの地上絵の撮影だって文化庁の許可をとっている。

「裁判中のクレーンか」

「そうなんです。呪われたクレーンかもしれない」風でゆらゆらと揺れるクレーンを心配そうに見つめながらエミリオがいった。「裁判では誰も責任をとりません。スポンサーも広告代理店も責任を押しつけあって、結局は彼らに責任が押しつけられようとしている」

「え、このスタッフに? ホセ・マリアたちに?」

「そうです」エミリオは神妙な顔でうなずいた。「ホセ・マリアさんたち、訴えられています。有罪になれば、牢屋に入れられます」

「ひどいなそりゃ」

「まあ、この国ではよくあることです」

「いちばん立場の弱い者にしわ寄せがいくということか」

私はため息をついた。日本のテレビ業界だって偉そうなことはいえない。現場、即ち私たちのようないちばん弱い立場の者が割を食うという構造は同じではないか。いつだって一番立場の弱いところにしわ寄せが行くのだ。たいていは「好きだから」という理由でこの仕事についている現場スタッフは結局そうした理不尽な要求を飲んでしまう。やれ経費削減だ、予算カットだと大騒ぎしながら、上層部の連中は現場の犠牲にあぐらをかいてのうのうと生きのびる。その経費節減だって、結局は彼らの収入を確保するためなのだ。下々の現場は苦労が増え、ギャラは下がるという悪循環。世界中どこの国でもそんなものなのだろうか。私たち現場の人間にだけ経費節減を求めてくる会社の幹部連中の顔が思い浮かび、私は嫌な気分になった。

「やはり日本でもそうですか」エミリオはそういうと、「でもいいじゃないですか。とりあえず今日が楽しければ」と続け、ぱんぱんと私の肩を叩いた。これがラテンの考え方だ。顔は日本人だが、エミリオはまぎれもなくラテンの人である。

「しかし、そういう重大な事故を起こしたスタッフがこうして平気で仕事を続けているところが不思議だね」私はふと思った疑問を口にした。すると、

「そうでしょう。それがペルーという国です」とエミリオはなぜか誇らしげに答えたのである。

ナスカの風に、呪われたクレーンが揺れていた。

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