黒い川と呼ばれるアマゾンの支流
そんなにかかるものなのか、と半ば疑いの目で見ていたのだが、食料の買い出し、燃料の積み込みなどやはり予想外に時間がかかり、船がマナウスを出たのは、夕日がネグロ川にもはや沈もうとする頃だった。
これから私たちは船に乗り、ロケハンのためネグロ川を遡ろうというのである。ロケハン、つまりロケの下見だ。撮影本番に同行するカメラマンなど技術スタッフはいない。ディレクターの私と、コーディネータのマリオ・Oの二人だけ。気楽といえば気楽なのだが、世界遺産を撮影するためには重要な行程である。番組スタッフ、内輪の取り決めだが、自然遺産を取材する場合ロケ日数は十日と限られている。しかし、その十日間をあてずっぽうに撮影して回る訳にはいかない。特に今回の相手は〈ジャウー国立公園〉というアマゾンの広大な自然保護区。かるく九州ぐらいの面積はあるらしい。置き換えたって十日で九州の全てを撮影するのは無理だろう。だからなおさら、ロケハンで撮影ターゲットを絞りこんでおく必要があるのだ。
ネグロ川はアマゾン川の支流で、マナウス付近で本流のソリモンエス川と合流し、大河アマゾンとなる。支流と言ってもそのスケールは大変なものだ。勿論向こう岸など見えないし、船に乗って川の中程まで進んでみると、感覚は海の上にいるのとまったく変わらない。しかし、波のない、きわめて穏やかな海だ。
船がマナウスを離れてしばらくすると、私はコーディネータのマリオを誘って上のデッキに出てみた。屋根の下にハンモックが吊ってあり、嬉しいことに小さなバーカウンターまであるではないか。バーテンは黒人系の少年。カウンターの中でコップを磨きながら、時おり私たちをちらちらと見ている。注文がくるのを待っているのかもしれない。マリオは少年に気さくに声をかけるとビールを二人分注文した。ブラマ、と聞こえた。ブラマはブラジルでいちばんポピュラーなブランドのビールだ。缶入りを二本、二つのコップを少年が冷蔵庫から取り出し、カウンターに並べてくれる。マリオはコップはいいからと少年に押し返し、デッキの左端のテーブルで待つ私のところへ運んできた。ネグロ川を遡ると、夕日は上流の方に沈むので、進行方向左側のデッキが夕日を眺める絶好の場所となるのだ。ビールはおそろしく冷えていた。人生たまにはこうでなくちゃ。
マリオはサンパウロ在住の日系ブラジル人二世で、私とは長い付き合いだ。二人で小さな奇跡のような経験を幾度かしたし、危ない目に遭いそうなところを何とか切り抜けたこともある。仕事のパートナーでありながら、私にとっては大切なブラジルの友人の一人である。偶然なことに、私とマリオは生まれ年が同じなのだ。1960年。それは、ブラジルの英雄、F1パイロットのアイルトン・セナが生まれた年でもある。同い年ということで、私たちは話が合った。様々なことを話し合い、時には相談する。一年ぐらい私がブラジルに顔を出さないと、心配したマリオから日本の私の自宅に電話がかかってくるほどだ。
船はネグロ川に沈む夕日を左手に眺めながら進んでいく。ハンモックに横になり、夕日を見ながら冷えたブラマを飲んでいたら、おのずと「極楽だ」という言葉が私の口からこぼれ出た。
「そうですね、極楽ですねこれは」夕日を受けて赤い顔をしたマリオが目を細めながらいった。酒はそんなに強くないからビールの酔いも混じっているのかもしれない。
「これからしばらく、この極楽が毎日続くわけです」
「そりゃあ幸せだなあ」私がいうと、
「ほんとうにこれほどの幸せはないと思います」とマリオが答えた。異議なし。
「マリオ。おれは今まで地獄にいたんだ。地獄から、ついにここまで戻って来たんだよ」
私はネグロ川の上で、マリオにこれまでの経緯を打ち明けることにした。
一年半ほど前、世界遺産を紹介するテレビ番組で、私はボリビアとペルーを撮影した。二度目の南米ロケだった。結論からいうと、そのロケは失敗だった。最大の原因は、私の慢心である。最初の南米ロケがあまりにもうまくいったせいで、私は仕事をなめていた。カメラマンの人選をきちんと行わず、がたいはいいが体の弱いカメラマンだったせいで、ボリビアの高地では使い物にならなかった。その上カメラマンが連れてきた撮影助手が経験不足で、空撮にはなくてはならないカメラの大切なパーツを忘れるという失態があり、ペルーではあの〈ナスカの地上絵〉をうまく撮ることができなかったのである。更に予期しなかったアクシデントが追い打ちをかけた。フジモリ大統領の突然の失脚。日系人の活躍を快く思っていなかった現地の役人による、多くの手続き上の意地悪な妨害。予算を大幅にオーバー、そしてろくな画は撮れず。惨敗といっていい撮影だった。そんな素材をつないでみても面白いドキュメンタリーができる筈もない。帰国した私は失敗作を三本撮ってきた責を負い、ディレクターの職を解かれ、デスク業務に従事することになった。パソコンでお金の計算をし、伝票に判を押す日々。そういう業務も会社である以上は大切であり必要だ、と自分に言い聞かせていたが、なぜその役目が自分でなければならないのか、という点でどうしても納得がいかなかった。私は二十年近くディレクターという仕事しかしてこなかった男である。屈辱だった。
『こんな仕事をおれがやる必要があるのか。もっとおれには他にやるべき仕事があるんじゃないか』会社を辞めたい、という気持ちがいつしか強くなっていた。それでもかろうじて耐えていたのは、
『もう一度だけ世界遺産を撮りたい、このままで終わりたくない』という思いだけだった。敗北したまま去りたくはなかった。私は辞表をポケットに入れたまま毎日会社に出かけ、唇を噛みしめながら仕事を続けた。
いつしか一年がすぎ、その望みもあきらめかけていた頃、突然チャンスは巡ってきた。番組改編や人事異動によりディレクターの絶対数が足りなくなったのである。
デスク業務の傍ら、南米の自然遺産を三本撮るという無謀ともいえる計画を、私は当時の制作プロデューサーであるオオタに提案し続けていた。
それは、『どうせ自分がいくことはないのだから』という前提に立った、かなりやけっぱちなロケ計画だった。自然を相手にする撮影は時間がかかる。時間がかかれば費用もかかってくるのは自明の理で、通常のロケであれば文化遺産二つと自然遺産一つを撮って帰って来るというのがそれまでの世界遺産取材の常道だった。それぐらいの感じが予算のバランスとしては適当なのだ。
「これでほんとにやれるのか?」企画書を見てオオタがいった。プロデューサーが心配するのは結局、最後は金のことだ。私はオオタに念を押され、きっぱりと答えたのである。
「できますよ。南米は物価も安いし。ジャングルの中じゃ金の使いようもないから大丈夫ですよ」
表向きは平静、しかし内心は不安で一杯だった。東南アジア、ボルネオのジャングルは経験していたが、アマゾンは未経験、未知の世界だ。世界最大のジャングルとなれば話は別だろう。ぜんぜん予想がつかない。しかし、どうせリベンジ戦に臨むなら、何とかして南米の大地にもう一度立ちたいという気持ちは強かった。それさえできれば人生もう何もいらないような気がしていた。
「ふん。こんなバカな計画をたてて。自分の首を絞めることになるんじゃないか」ロケの計画書に再び見入って、私を一年間飼い殺しにしてきたプロデューサーは人をいかにもバカにするように顔をゆがめて笑った。それが彼の癖だった。他意はないというのだが、この癖は時としてひどく人を傷つける。
「たいへんなロケであることは充分自覚しています」プロデューサーの冷笑にくじけそうになったが、十分にはったりを効かせて私はいった。どうせだめでもともとなのだ。「でも、非常に面白いシリーズになると思います」
オオタは暫く私の顔をじっと見ていたが、やがて「そうか」と言って計画書を私の前に投げ返した。「そこまで覚悟ができているなら、好きにすればいいさ」
南米を扱う回は視聴率が低く、それほど番組全体の中で重要視されていなかったこともある。それにディレクター不足が加わって、その頃オオタはすこし投げやり気味になっていた。つまり、会社の上層部にいくら頼んでもディレクターを回してもらえなくてくさっていたのだ。番組は毎週オンエアがある。この番組のプロデューサーにとって、ストック不足が最大の心配の種である。なにしろ取材に一ヶ月から一ヶ月半、その先の仕上げは更に一ヶ月余りを要するのだ。その上、取材に出てみたが行ってみたらダメだったというサイトもある。放送一ヶ月分、つまり四〜五本の番組完パケのストックが常にないと、放送するものがないという事態が起こり得る。それは巨額の出資をしている番組スポンサーにとって、とうてい許すことのできない出来事だろう。私たちは、そういうプレッシャーの下で仕事をしていた。番組制作も、決して楽ではないのだ。
そして私はネグロ川の上にいる。
オオタが私に多くを期待してないことはその態度でわかった。私もこれが最後のロケになる可能性があるとは思っている。二度目の失敗はプロとして許されない。うまく撮ってくれば儲けもん、ぐらいの気持ちで私をブラジルに送り出したに違いなかった。
「まあそんなに深刻になることはないんじゃないですか」私の打ち明け話をじっと聞いていたマリオがポツンといった。「こうしてまたブラジルに来られたわけだし」
「そうだよな」
「何も心配する必要、ないですよ」とマリオがニカッと笑った。たしかに、この男にそう言われてみるとそんな気がしてくるから不思議だった。これがラテンの考え方だ。まだ起きてもいないことを心配してもしょうがない。
夕食のテーブルには、ミゲール船長が同席した。聞けば、毎夕のメニューを決めるのは齢八十にも届くかというこの老船長だという。料理が大好きで、それが生き甲斐なのだ。
その日のメインディッシュは、白身の魚のフライだった。かなり大きな切り身である。
「これは」顔を上げると、マリオと目が合った。
「先ほどマナウスの市場で見ましたよね。ピラルクーです」
ピラルクー。何億年も前からアマゾン川に生息している巨大な古代魚。大きいものは2メートルを超すというが、乱獲により近頃では禁漁になったと聞いている。エラで呼吸をせず、水面に浮き上がっては空気を吸うのでそこを漁師に狙われる。
「あれって、違法じゃないの?」念のため私が聞くと、
「養殖ものは食べていいことになってます」とマリオがいった。
このピラルクーが果たして養殖ものなのかそうではないのかは分からない。肉に印はついてないのだ。
「さ、いただきましょう」マリオは大皿に盛られたピラルクーを切り分け、私の皿にとってくれた。うまかった。脂が乗った銀鱈を、更に豊潤にしたような味がする。なにより、ぜんぜん泥臭くないのが驚きだ。
「これが養殖なのかなあ」思わず私が呟くと、
「もちろん、天然ものの方がおいしいことは当然です」とマリオがにやりと笑う。
ピラルクーに限らず、アマゾン川の魚の味は日本人が抱く淡水魚の味とイメージが全く違う。鯉や鮒と違って、泥臭くないのだ。そのほとんどが白身の、あっさりとした味。食べ飽きるということがない。
大きく開け放った船の食堂の窓から、網戸越しに気持ちいい夜風が忍び入ってくる。その風を感じながら食後のコーヒーを飲んだ。勿論ブラジル式の、小さいカップに入った甘ったるいコーヒーである。最初は抵抗があったが、これも毎日続くと癖になる。それは、奴隷時代の名残なのだ。黒人奴隷たちは、糖分をこの甘いコーヒーで補給し、疲労回復に役立てていたのだ。
船は闇の中を走り続けている。アマゾンの闇は、果てがないように深かった。
食事の後はシャワーである。船室のバスルームに備え付けられているのは、ブラジルでは一般的な、電気シャワー。電熱線の入ったブリキの小さなバケツのようなものからお湯が出る。感電しないかと不安になるが、マリオに聞くと「そんなことは今はめったにないですよ」と笑われた。「めったにない」とはたまにはあるということだ。「今は」ということは昔はよくあったということなのだろう。電気シャワーのヘッドには、いちおうお湯の温度調節陽のレバーがついている。しかし、それはかなりアバウトなものなので、神経質な人には向かないことだろう。それが機能している電気シャワーも見たことはない。シャワーヘッドから出てくるお湯は、褐色である。すなわちそれは、まぎれもないネグロ川の水なのだ。酸性が強いせいか、シャワーから出ると肌がつるつるする。
船は木造だ。スウィート・ルームとはいえあちこちに隙間がある。何かの拍子に、おそらく風の向きだろうが、エンジンの排気ガスの匂いが入り込んできた。しかし、そんなこともやがて気にならなくなっていった。ベッドに横たわったと思ったら、私は眠りに落ちていた。
目が覚めても、まだネグロ川の上にいる。そのことに、私は単純に感激した。マリオに尋ねると、船は夜通し川を遡ってきたという。マナウスを出航したのが夕方四時頃だったから、既に十六時間ほど船は走り続けていることになる。
デッキに出てみると、なぜネグロ川が文字通り「黒い川」と呼ばれているのかがようやく分かった。ネグロはブラジルポルトガル語で「黒」を意味する。確かに水面が黒い。しかしそれは、決して水が汚れているからではないのである。ジャングルの落ち葉からしみ出した成分が、紅茶のように川を赤く染める。それが太陽光の関係で、表面では黒く見えるのだ、というのが船長の説明だった。
船は大きなパラボラアンテナがある、木造の建物のはしけに向かっていた。
「今私たちはもう、ジャウー国立公園の入り口まで来ています。これから保護区に入るので、イバマのレンジャーと同行しなければなりません。彼をピックアップします」
いつの間にか私の隣に並んでいたマリオがいった。イバマ=IBAMAとは、ブラジルの国の機関である、環境保護天然資源院の略称だ。早い話が、環境の警察といったところ。
「いちおう、ブラジル全土の環境に目を光らせている、ということになってます」とマリオはいう。つまり、本当はそうではないということなのかもしれない。
はしけから、カーキ色のユニフォームを着た男が手を振っていた。マリオが軽く手を上げて応える。
「彼がこちらのイバマのレンジャー、マウリシオさんです」マリオが私にいう。
船がはしけに接岸すると、レンジャーが乗り込んできた。若い男だった。まだ、とても若い。見たところ三十そこそこだろう。その目がなぜか、真っ赤に充血していた。
「徹夜で麻雀でもしてたのかな、国立公園のレンジャーが。それとも朝までデートだったか」冗談めかして私がいうと、マリオはポルトガル語でマウリシオに話しかけた。
マウリシオが言い訳をするような仕草で二言三言、言葉を返した。それは思いがけない答えだった。
「はい。彼は昨夜、密漁の取り締まりをしていました。この辺を徹夜でパトロールしたということです」マリオがいった。
「オールナイトで?」
「そう。密猟者はたいてい夜の闇に紛れて来るのです」
「国立公園の中は、完全に禁漁です。獣はもちろん、魚も捕ってはいけない」
私は素直に驚いた。典型的なラテン系で、陽気な人たち、というイメージを抱いていたブラジル人に、まさかこれほど勤勉な人間がいるとは思ってもみなかった。
「大変だね、こんな広いところを見回るのは。何人でやってたの?ここのレンジャーは何人いる?」
私の質問をマリオがマウリシオに通訳した。
「レンジャーは、彼、たった一人です」私の顔をふり向いてマリオがいった。
「え?こんなだだっ広い国立公園を、たった一人で?」
マリオが確認すると、マウリシオは真っ赤な目を瞬せてうなずいた。
「そうです。交替のひとは一人いますが、今は用事があってマナウスに行ってます。今は彼、たった一人です」
「だってこの、ジャウー国立公園って、日本で言えば九州ぐらいの広さがあるんだろ。それをたった一人で?いくら何でも無理だろそれは」
私の言葉をマリオが通訳すると、マウリシオは真っ赤な目をしばたたせ、「しょうがないよ」という身振りを交えながらマリオに答えた。
「これでもましになったんだそうです。今は、各国立公園に一人は担当者がいる。それも、昔と違って、厳しい国家試験をクリアした優秀な連中です。あとは政府の予算が追加されるかどうか。でも、補充が来ないことには仕方がない。私はこの仕事が好きだし、自分ができることをするだけです」
マウリシオの言葉を通訳した後、マリオは私にそっと日本語で耳打ちした。「昔のイバマは、腐敗のシンボルといわれていました。レンジャーは密猟者と癒着し、ポケットマネーを増やしていたんです。今は、彼みたいなちゃんとした人間が増えてきて、すこし望みが出てきました。まだ間に合うかもしれない」
まだ間に合うかもしれない。つまり、この広大なブラジルの自然、「世界の肺」と呼ばれるアマゾンのジャングルを守り抜くという、人類にとっても重要なミッションに。このイバマの若いレンジャーは、そのミッションに灯る希望の明りなのだ。その明りは決して大きくないにしろ。まだ消えてはいないということである。
マウリシオがマリオの肩を叩いて、何事か耳打ちした。
「ああ、なるほど」とマリオが頷く。
「何だって、彼?」
「ちょっと、船のハンモックをお借りして、眠らせて貰っていいですか、ということです」
「もちろんだよ。お安いご用だ」
私はたった一人で広大な国立公園を守るレンジャー、マウリシオと握手を交わし、疲れ切った様子でハンモックに向かう彼の後ろ姿を見守った。
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