ブリ王
ゆたんぽ買わないと、などと思い立って家を出たオレの目の前に大きな魚が転がっていた。
ふと周囲を見渡してみるが、穴の開いた冷凍車どころか、ウロウロと地面を見ながら何やら探し回っている魚屋の姿すらない。どんな経緯なのか知らないが、誰かの落し物というワケではないのかもしれない。
とはいえ、道の真ん中にこんな大きな魚が転がっていたら、通りかかった人間の120パーセントくらいは気になって立ち止まってしまうだろう。それにしてもこの魚は何だろうか。形からイメージできそうな魚は、オレの数少ない知識を探る限り、カツオくらいしか思い浮かばないが。
「やぁ、ぼくハマチ、将来の夢はブリ王になることさ」
うーんと凝視しながら唸っていたところへ、妙に爽やかな挨拶が思考を遮ってくる。慌てて再度周囲を見渡してみるが、人影などどこにも見られない。というか、その声は明らかに下から聞こえてきた。
「え、なに、今しゃべった?」
「当然だよ。ハマチなんだから」
地面に横たわったまま、若干苦しそうにエラをピクピクと動かしながらも、彼(?)はそんな台詞を口にする。いやまぁ、ハマチが地面に転がっている時点で思考が驚きの臨界点を軽く突破しているため、ハマチがしゃべるというトリビアに対する驚きはさほどなかった。
「実はね、ぼくは冷静に見えるかもしれないけど、現在道に迷っていてとても困っているんだよ」
「えと、まぁ、そうだろうね……」
困っているだろうとは思うが、それが道に迷ってのことなのかは甚だ疑問である。そもそも海から出てこないで欲しい。
「おっと、迷子と言っても、別にボクはコンビニやホームセンターを探しているワケじゃない。ボクが探しているのは、ブリへと至る道、そう言うなればボクは人生の――もとい魚生の迷い子なのさ」
うざい。とりあえず海に帰れ。
「しかし困ったな。まさか新世界が移動すら困難な場所だったなんて。このままではブリ王になるなんて夢のまた夢」
何コレ、どこのワン○ース?
そもそもコイツ、海のない埼○県までどうやって来たんだろうか。いや、考えると頭痛がしそうだから、とりあえず忘れることにしよう。
「それにしても息苦しいな、新世界は」
そりゃ陸の上だからね。
それにしても何だろう、この構図。道端で立ち止まって落ちている魚と話をしているというのは、世間的に見てどんな風に映るものなのだろうか。いや、もしかしたらオレが知らないってだけで、世間の連中は魚と会話することが日常茶飯事になっているのかもしれない。この半年あまり、まともな外出なんて滅多にしなくなったから、世間の常識に疎くなっているという自覚はあった。
「えっとさ」
世間に置いていかれるのがちょっと怖いオレは、乗りかかった船ということもあり、思い切って口火を切ることにする。
「ブリになりたいんだったら、海に戻って泳いでいた方が良いんじゃないかと思うんだけど……」
というか、成長すれば勝手にブリになるものだと思っていたのだが、魚の世界も色々とあるのかもしれない。
「いやいやいやっ」
ハマチがビチビチと跳ねる。
「ブリ王だよ。ただのブリじゃないんだよ。ブリの中のブリなんだよ!」
「えっと、それはその……海の中にいたらなれないものなの?」
「……ゴメン。言ってることの意味がわからない」
お前には言われたくねぇよ!
「まぁとにかくさ、近くに海とかないかな。とりあえず水たまりだったら何でもいいんだけど」
「知ら――」
知らねぇよと言いかけて、ふとある施設の存在を思い出す。埼○に唯一存在する水族館、淡水魚の楽園ことさ○たま水族館のことを。いや、正直言って近所の魚屋に届けても良いんだけど、さすがにそれは可哀想というか、寝覚めが悪い。
「ちょっと待ってろ」
オレは早速とばかりに携帯を取り出し検索をかけ、ホームページで電話番号を見付けると連絡を入れた。しゃべるハマチなんだから引き取ってくれるだろうと軽く考えていたが、向こうの返事は「海の魚はちょっと専門外なもので」という歯切れの悪いものだった。
それでもまぁ、同じ魚には違いないんだし、とりあえず回収して海まで連れて行ってくれるらしい。単に面倒事を避けたのではなく、それなりにプライドを持ってやっているのだろう。こんなご時世に感心なことである。
手配された業者は一時間も待つことなく現れ、大きな水槽にハマチが放り込まれる。海ほど広くはないが、とりあえず息苦しさからは開放されたのか、彼の尾ひれに切れが戻っていた。
「いや、ありがとう。これでブリ王の夢に一歩近付いた気がするよ」
気がするだけである。
「まぁ良かったな。海へ戻って達者に暮らせよ」
「いずれブリ王になったら、また来るゼ」
いや、来なくていいから。
道端でビチビチ跳ねられても対処に困るから。
ともかくこうして、オレとハマチとの出会いは終わりを告げた。ちなみにゆたんぽは買えなかった。
あれから五年、相変わらず出歩く機会は多くなっていないが、道端で魚に出くわすことも、魚が突然話しかけてくることもなかった。別に淋しくはない。ただ――
「あいつ、今頃ブリ王になってるのかなぁ」
刺身を食べると決まって、そんなことを思う。
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