それだ
ルームシェアというお題目の同居人が居てくれたことが彼女にとって良かったのか悪かったのか、それは結局のところわからない。ただその日、起きるなり自己嫌悪から鬱状態へと移行していた彼女にとって、気軽に相談できる相手が身近に存在していたことは、間違いなく幸運であると言えた。
「ねぇさっちん」
「何だね、みったん?」
小さな溜め息と共に紡がれた呼び掛けに、ケータイを弄っている友人が手を止めることなく応じてくれる。
「私、合コン向いてないかも」
「一人で帰ってきたからもしやと思ったけど、昨日は上手くいかなかったみたいだね」
いつも冷静沈着なさっちんらしい言い分ではあるが、会話のテーマに関心を寄せたのだろう。ケータイを閉じて鏡のように澄んだ眼差しを向けてくる。それを受けて話を聞いてくれそうだと判断したのか、みったんは頬杖をついた気だるい姿勢のまま話し始めた。
「ちょっといいなーって人はいたんだけどさ。ドン引きされた気がするんだよねー」
「その原因に心当たりはないの?」
「んー……とりあえず思い当たらないかなぁ。でも、声掛けた時点から態度が少しおかしかったような気がするんだよねー」
「何て言って声掛けたの?」
「私とセッ○スしませんかって」
アウト過ぎである。
「アンタねぇ……そんなの駄目に決まってるじゃない。例え本心ではそう思っていたとしても、それをダイレクトに言われたんじゃ野獣が二足歩行しているような男でも引くでしょ」
「そうかなー。わかりやすくて良いと思ったんだけど」
「こういうのは第一印象が大事なんだから、もっと格調高く上品に行くべきね。みったんの台詞には、それが決定的に欠けてるのよ」
「じゃあさっちんなら何て言うの?」
「そうね」
長くサラサラのストレートヘアを梳きながら続ける。
「私と性交しませんか、これね」
いやいやいやいやっ。
「性交はセッ○スだけじゃなくサクセス、すなわち成功にも通じる縁起の良い言葉よ。二人の出会いを彩る最初の台詞として、これ以上のものはないんじゃないかしら?」
サイテーである。
「…………」
さすがのみったんも言葉が出ないのか、あんぐりと口を開けたまま友人の酷すぎる提言に反応できずにいるようだ。
「そ・れ・だ!」
みったん大絶賛。
「でしょ。今度からはそう声を掛けるのね」
「でもなー、最初の一言が失敗だったのは確かなんだけど、話している間も少しずつ好感度が下がっていったような気がするんだよね。少なくとも私の好感度レーダーはそれを察知してた」
「ふむ、つまりその後の対応にも何か問題があると思うのね?」
「だけど、心当たりはなくてさ」
「わかったわ。この際だから全部直しちゃいましょ。とはいえ、少しくらいキッカケみたいなものというか、これを境に、みたいなのはないワケ?」
「うーん……あ、お酒注いでから、ちょっと変だったかも」
「お酌に何か問題があったのかもね。ああいう作法って、うるさい輩はとことんこだわるから」
「そっかー。私そういうの疎いしなぁ」
出だしは酷かったものの、それなりに建設的な方向に軌道修正しているようである。
「じゃあ実際やってみる? こう見えて私、そういうの結構詳しいから」
「そうだね。ちょっと待ってて。冷蔵庫にみかんジュースが残ってたと思うから取ってくるよ」
「ついでにコップを二つ、ね」
「あい了解。よっこらセッ○ス」
「よし座れ」
「え?」
「いいから座りなさい」
「でもジュース……」
「その前に確認すべきことができたから」
不満顔をこしらえつつも、素直に元居た座布団に腰を戻す。
「で、何?」
「アンタ、自分が何を言ったのかわかってないようね?」
「えっと……冷蔵庫にみかんジュースが残ってたって――」
「その後よ、後」
「んー……コップ二つって、私のジュースなのにさっちんも飲む気なんだなぁ、とか?」
「そんなこと一言も聞いてないよっ」
「あ、やっぱり。心の声がうっかり口から漏れたのかと思って」
上の口も下の口も締りが足りないようである。
「まぁ心の声に関する是非は後で解決するとして、立ち上がる時に『よっこらセッ○ス』とか言ったでしょ」
「え、そんなこと言った?」
無意識に口走ってしまうとは、かなりの重症である。
「アンタ、合コンの会場でもうっかり口走ってたんじゃないの?」
「あー……確かにお酌する時、手近になかったから取りに行ったんだけど、その時言っちゃったかも」
「そりゃアンタ、さすがに幻滅するでしょ」
「やっぱマズいかなぁ?」
「悪い癖ね。立ち上がる時に掛け声とか、三十路以上限定のスキルだもの」
あれ、セッ○スはスルーですか。
「うーん、でも口癖だしなぁ」
「まぁいきなり無くせと言われて出来ることでもないでしょうしね。まずは年寄りっぽさを回避するという意味から『よっこら』という単語だけでも避けてみたら?」
それではただのセッ○スである。
「それならホラ、単なる自己主張に聞こえないこともないんじゃない?」
いやいやいやいやいやっ!
「…………」
さすがに友人も呆れているらしい。よっこらせに繋がるからこそセッ○スが出てきたんだから、セッ○スだけ口走ってたらただのおかしい人じゃないだろうか、そう考えているのは間違いない。
「そ☆れ☆だっ!」
違った。この二人はもう手遅れだったようだ。
「じゃあ改めてジュース持ってくる」
そう宣言するなりみったんは『セッ○ス』と口走って立ち上がり、『セッ○ス』と口走って冷蔵庫を開くと、『セッ○ス』と口走ってみかんジュースを引っこ抜き、『セッ○ス』と連呼しながら戻ってくると『セッ○ス』と一際高く叫びながら座った。
「よしよし、これで三十路からエロ狂いにランクアップしたね」
それはランクアップというよりジョブチェンジである。
「よーし、じゃあジュースを注ぎマース」
「はいよ、昨日と同じようにやってみせなさい」
コップを片手に差し出すさっちんに、笑顔のみったんがペットボトルを抱えて迫る。ここだけを切り取ったなら、それなりに微笑ましい日常の一コマかもこれない。
「はいどうぞー。今度は私のお小水も飲んで下さいねぇ」
「え?」
え?
「アンタ今、何て言った?」
「今度は私のお小水も飲んでねーって」
完全な変態発言である。
「その当時コップに入ってたのは?」
「ビールだけど」
アウト過ぎてフォローのしようがないレベルである。
「アンタねぇ……」
さすがのさっちんも呆れ顔を隠せない。無理もないだろう。そんなことを言われて引かない男の方がどうかしているというものである。
「あ、やっぱマズい?」
「当たり前でしょ。今度はって何よ。今すぐ飲ませなさいよ」
えー。
「大体、ビールなんて黄金水の代わりに飲むものでしょーが。そんなこと言われて口にしたのがビールだったら、がっかり過ぎて卒倒するところよ、私なら」
誰か、この場にお医者様はいませんかっ?
「…………」
そうだね。ドン引きだね。親友と思っていた人がこんなだったなんて、人生最大の衝撃だよね。
「そ♂れ♀だっ!」
後日彼女達が友人から合コン禁止勧告を受けたのは、極々当然の結末である。
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