流浪ビニ

 えっちらおっちら歩いて、また止まる。

 本当にクソ重い。お母さんめ、自分が運ばないからって味噌や醤油を買い込ませやがって。というか、これなら自転車で行くんだった。早く済ませようとメモの中身を確認せずに制服のまま飛び出してきたのが、そもそもの失敗だ。

 というか、何で私歩きでスーパー行ったんだっけ?

 あぁそうだ。少しはダイエットになるかなとか思って散歩気取りで歩くことにしたんだっけ。

 三十分前の私を背中から蹴り飛ばしてやりたい気分だ。

「あぁダメだ」

 食い込むビニールに耐え切れず、荷物を歩道のアスファルトに下ろす。痛む右手を持ち上げると、酷使された跡がクッキリと見て取れた。もう何か、ダイエットどころの話じゃない。これは立派な重労働だ。この痛みに対する慰謝料も請求せねばなるまい。

「痛いでござる。痛いでござる」

 右手の悲鳴が聞こえる。

「重いでござる。重いでござるよ!」

 うん、確かに重かった。て、あれ? 私しゃべってないけど。

 不思議に思いつつ声の聞こえてきた方、すなわち下へと目を向ける。そこにあるのは当然ながら、つい今しがたスーパーで購入してきた荷物があるばかりだ。

「ひょっとして、何かしゃべる野菜とか買った?」

 まさかと思いつつしゃがみ込んでガサガサと中身を漁ってみる。

「いやいや、某それがしをそんな消費物と一緒にしないでくだされ」

「んー?」

 声に誘われるように自分の股を覗き込むと、今時珍しい無地の白いビニール袋を踏んでいるのが見えた。

「え、なに? アンタがしゃべった?」

「無論でござる。某以外にしゃべれるモノなど、ここにはござらんではないか」

「いや、ビニール袋がしゃべっている時点でおかしいと思うけど」

「はっはっは、某は世の中を飛び回り、見聞を広めた「びにーる」でござるからな。そんじょそこいらの買い物袋と一緒にされてはこまるでござるよ」

「そういうもんなんだ」

 納得はいかないが、理由を考えるのは面倒臭いので頷いておいた。

「それはそうと、そろそろ某の上から退いていただけるとありがたいのだが。なかなかの絶景ではあるのだが、そろそろ重みと痛みで0.05ミリのマイボディが限界突破しそうでござる」

 絶景?

「何見てんの!」

 このビニールからどう見えるのかを想像して、私は素早く飛び退いて立ち上がる。

「いやいや、別に見たくて見たのではござらん。そちらが不意に現れて某を踏んだのではござらんか。とんだ言いがかりというものでござる」

「うぐっ」

 まぁ確かに、そう言われればその通りだ。

「薄桃色とは、なかなか風情のあるおパンツでござった」

 コイツ、引き裂いてやろうか。

「で、アンタは何だってこんなところに居て、ペラペラとしゃべっているワケ?」

 左手でそれとなくパンチラガードしつつ地面に横たわる、と表現すべきかどうかわからないけど、とにかく白いビニール袋に問いかけてみる。

「……ふむ、それは難しい問題でござるな」

「とうしてよ?」

 ビニール袋が落ちていることに難しい事情もクソもないと思うが。

「実は某、旅の途中なのでござる」

「たび? どこ行くつもりなのよ?」

「風の向くまま気の向くまま、でござるよ」

「あぁ、うん」

 そりゃそうか。飛ばされないと移動できないもんね。

「というか、そもそもどうしてビニール袋がしゃべっているワケ? そっちの方が果てしなく問題なんだけど」

「いやいや、若者が人付き合いを避けるようなご時世でござるからな。ビニールだってしゃべるでござるよ」

「意味わかんない」

「強いて理由を挙げるなら、桃色のおパンツを履く理由に酷似しているとしか言えまい」

「どう考えてもおかしいでしょ。これは好きで履いてんの。アンタは好きでもしゃべれないでしょーに」

「そのような安物を好きで履いているとは、謙虚な御仁でござる」

「うっさいな。わかってるなら黙れ」

 特売品を仕方なく履いているのは事実だが、コイツがしゃべれる理由とは何の関係もない。

「まぁ本能でござるよ。気付いたら話せるようになっていたでござる。そのおパンツも気付いたら履いていたのでござろう?」

「どんな痴呆症だよ、私は」

 とりあえず、聞くだけ無駄というのはよくわかった。

「あるいは、お嬢さんにしか聞こえないのかもしれんがね」

「やめてっ。妄想癖とかないから!」

 確かに幕末の志士とかがタイムスリップして運命の出会いとかしたらいいのにとか痛い妄想をしたこともあるけど、優しく撫でてあげた猫が超絶イケメンに変化してプロポーズしてこないかなぁとか痛々しい願望を神社で祈願したこともあるけど、この出会いは断然チェンジでお願いします。

 やだ、私の運命、酷過ぎ。

「というか、どうしてアンタビニールなのよ?」

「どうしてといわれても、気付いたらこうだったとしか言えないでござる」

「こういうのってアレでしょ。擬人化が基本でしょーに」

「そうでござったか。手足が生えればいいでござるか?」

 なにそれキモい。

「そうじゃなくて、元が何であれ、人の姿になってから現れるのが礼儀ってものでしょ。じゃないと何も出来ないじゃない」

「ナニとは……ナニをするつもりでござるか?」

「いや、そういう如何わしい意味じゃなくて」

 それも多少は期待するけども。

「表面に顔を描いてくれれば「チッス」くらいは出来るでござるよ?」

「するかアホ!」

「やれやれ、最近の女子は無い物ねだりが得意でござるな」

「そういうアンタはいつの時代の生まれなのよ!」

「某が生まれたのはこの前の夏でござる」

 それって要するに三ヶ月くらい前ってこと?

「いやそうじゃなくて、アンタはそもそも何者かって話よ。人間だった頃の記憶とかないの?」

 そうじゃなきゃ、この変な「ござる」口調は何なのって話になるじゃない。幕末なのか戦国時代なのかってのは、結構重要な問題なのだ。それは一見似ているようでいて、決して相容れない。キノコタケノコに匹敵する重大問題なのである。

「某がそもそも何者なのか……そういえば朧げながら、かつての姿を憶えているような」

「よしよし、聞いてやろうじゃないか」

「確か、頭はもじゃもじゃしていて」

「ふむ……」

 ちょんまげじゃないということか。幕末が有力か。いや農民上がりなら戦国でも普通にちょんまげをしていないかもしれない。

「お腹はちょっと出ていたような」

「なるほど……」

 太めというのは趣味ではないけど、西郷さんとかならアリだろうか。いや家康というのも悪くはない。

「黒い服を着ていたような気が」

「ほうほう……」

 黒服とは渋いな。ひょっとして紋付袴のことか。やはり西郷さんなのかっ。

「背負ったリュックにポスターが二本刺さってたような」

「うん……え?」

 節子それ西郷やない、キモオタや。

「女の子がプリントされた紙袋も持ってたなぁ、デュフフ」

「デュフフ言うな」

「さぁ娘さん、某を自宅に持ち帰って旅人との行きずりの恋を堪能するが良いぞ?」

「……そうね」

 私はその白いビニール袋を、牛乳を拭いた雑巾を持ち上げようにして摘まみ上げると、路肩のブロックを跨いで車道に捨てた。

「なな、何をするでござるか?」

「あ、トラックが来たよ」

「えっ、ちょ、助けるでござる。はは、早くここからヘルプでござるよー!」

 迫るトラックは、単なるゴミと化したビニール袋など意に介する様子はない。時間に追われる大変な仕事なのだ。キモオタのゴミ(色々な意味で)など気にしていられるハズがない。

「ぎゃああぁぁぁぁああっ!」

 轢かれた。見事に轢かれた。

 そして追いかけるように吹いてきた一陣の風に煽られて、泡を吹きながら青い空へと舞い上がる。そのコントラストは、本来の気持ち悪さが三十分の一くらい軽減するくらいには美しいモノだ。

「さようなら、理不尽な出会い」

 空に手を振って、私はこの一連の出来事を生涯の出会いリストから抹消した。ビニールとの出会いなんてなかった。

 よくよく考えてみれば、道端にイイ男が落ちていたら苦労などないのだ。きっとこれは、そんな真実を私に教えてくれる粋な計らいだったに違いない。そうに決まっている。

「ちゃんとした彼氏、作らないとなぁ」

 決意を新たに、買い物袋を持って私はあるべき日常へと戻るのだった。


 しかしその一時間後、私は神を呪うことになる。

「やぁマドモアゼル、この出会いに祝福を」

 届いたアマゾンの段ボールが、そのニヤついた口で話し始めたからである。

 カムバック私の日常。

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