お父さんはスナイパー
俺はスナイパーだ。愛用のライフルを抱えて誰かを殺す、そういう仕事をしている。金さえもらえば誰だって殺してきた。役人政治家ヤクザに研究家に学者、善人も悪人も居た。刈り取った魂の数は手足全ての指を使っても足りないほどだ。
だが勘違いはしないでもらいたい。俺は別に金が欲しいから殺しをしているのではない。確かに金は必要だが、それはあくまで生活を――アイツとの平和な毎日を謳歌するための金でしかないのだ。むろん、俺個人はともかく愛娘にちょっかいをかけようとするような輩はターゲットだろうが依頼人だろうが潰す。それが俺の生き様であり人生なのだ。
まぁとにかく、俺と娘の円満な生活のために、今日も誰かに死んでいただこうと、そういうワケだ。
「風が凪いできたな。そろそろか」
ターゲットの泊まるホテルまでは八百メートル、フロントに現れたらケータイにメールが入る手筈となっているが、早めに準備を始めておいて損はないだろう。撃つ時は手早く、逃げる時は迅速に、待つ時はじっくりと。それが俺のモットーだ。
一度だけ周囲を見回して居るハズのない人影を確認してから愛用のギターケースを引き寄せ、目の前に寝かせる。コイツが俺の相棒だ。
懐、左の内ポケットから小さな鍵を取り出し、いつものように鍵穴に……あれ?
もう何度となく繰り返した所作が不意に阻まれて、俺は無意識に視線を落とす。すると右手の先、陽光を浴びて白銀に輝く小さな鍵の先端が、何かによって行く手を遮られている。そこは確かに鍵穴のハズなのに、薄い皮膜が邪魔をしていた。
この皮膜、世間ではシールと呼ばれる代物だ。
「しかもこれプリ○ュアじゃねーかっ!」
お父さんが大事に机の引き出し(鍵付き)に仕舞っておいたというのに、どうしてここにキュアダイヤモンドちゃんがいるんだYо。しかもおい、二つある鍵のどっちもキュアダイヤって狙いすぎだろ。せめてどっちかはソードかハートにしてくれYо。
というかだな、自分の仮面ライダーシールの方を使えよっ。ウィザードとかビーストとか貼れよっ。
「いやいや、待て。とりあえず落ち着こう」
これが嫌がらせとは限らない。というか、あの愛しいマイエンジェルがそんなことをするワケないじゃないか。これはきっとアレだ。パパにはいつも好きなものと一緒にいて欲しいな(ハート)というような健気な心遣いに違いない。
よし待ってろよスィートハート、ターゲットなんか瞬殺してすぐに帰りまちゅからねー。
そのためにもまずはケースを開ける必要があるワケだが、俺は仕方なくキュアダイヤにゴメンナサイしてからなるべく傷付けないようにシールをはがす(片方は生還)と、改めて鍵を挿入して怖々と捻りを加える。幸い詰め物まではしていなかったようで、ロックは易々と解除された。
「……ふぅ」
額の汗を拭う。先代のケースは瞬間接着剤で固定されていたからな。さすがにあの時は叱ってやったからマイドーターも懲りたのだろう。シール程度なら可愛いものだ。
一山超えた俺は金具に両手を沿え、それを同時に外側へと――
「おぶごっ!」
まさしく不意打ちだった。
それまで貞淑な乙女のように表面上何事もなく佇んでいたギターケースの蓋が、まるで昇竜拳のようにオーラを纏って跳ね上がったのである。その木製の拳は俺の下顎チンを的確に捉え、標準的な男性の体躯を易々と空中へと持ち上げた。
視界が回り、逆海老反りの体勢のまま一回転した後、見事に顔面から落下(車田落ち)する。
「どぼがぁっ!」
受身を取らないのは一種の礼儀である。これも娘の為と思えば痛くなどない。
ゴメンうそ。痛い。死ぬほど痛い。
「というかだな……」
口元の血を拭いながら、生まれたばかりの小鹿のように立ち上がり、俺に昇竜拳を叩き込んだ猛者へと目を向ける。
開いたギターケースには、三つの大きなスプリングが埋まっていた。ボールペンの中に入っているバネ、程度の代物ではない。アレはどう見てもリビングのソファから引っこ抜いたとしか思えないレベルの凶悪なスプリングがこっちを睨んでいた。間違いない。その眼光は熊を撲殺してきた格闘家の眼差しだ。
あんなのにカチ上げられたら、そりゃ一回転くらいする。車田落ちだってする。むしろ死ななくてラッキーだったと思うべきだ。
「それにしても、よくケースを閉じられたな」
黒人のマッチョでも雇ったのだろうか。そうまでして邪魔をしようというのか。家にいる時は馬になったり犬になったりしているというのに、まだ遊び足りないというのか。我が娘ながら、その貪欲さが恐ろしい。
いや待て。妨害とは限らないのではないか?
例えばそう、開ける手間を省こうとしたという線もあるのではないだろうか。マイゴッデスが仕事の邪魔をするハズもない。きっと気遣いが少しだけ行き過ぎちゃっただけなんだな。
ふふ、愛いヤツめ。帰ったらもうちょっと小さなバネにした方がいいよと、それとなく助言してやることにしよう。
「そのためにも、さっさと片付けるか」
俺は改めてギターケースに歩み寄り、愛用のライフルを手に取る。
グリップを握りストックを肩口に押し当てると、自然に呼吸が整っていく。一連の動作を一つ一つ重ねていくことで常に仕事の安定性を確保するのが、この仕事のコツだ。少しばかりのアクシデントなど、トリガーに指をかける頃には忘れてしまうのがプロというものだ。
慣れすぎて、もはや懐かしいとすら表現できる感触に身を委ねながら、バレルに手を伸ばしてスライド部を前後させる。
シャコンシャコンシャコン。
「圧力オーケィ。行くぜ相棒!」
ブシュー!
水が出た。勢い良く出た。
いつもながら惚れ惚れする噴射性能だぜ。
「って、これ水鉄砲じゃねーか!」
相棒は相棒でも、風呂場の相棒だった。
さすがにこれでターゲットは殺せない。マイフェイバリットはそうまでして俺の殺しを邪魔したいということなのか。
いや待て。そうとは限らない。
これはアレだ。いわゆる一つのチャレンジだ。真のプロならどんな得物でも結果を出せと、そういうことだな。
「フッ、面白い」
確かに俺の手元にあるのは、なかなかの性能を誇るとは言っても所詮は水鉄砲だ。しかし、水鉄砲で殺しができないと、狙撃が不可能だと誰が決めた!
俺は、自分を、諦めないっ。
「うおおおおおおおっ」
スライド部を激しく往復させ、圧力をどんどん高めていく。足りない威力は気合と回数で補えばいい。限界まで圧力を高めれば、きっとターゲットのいるホテルにも届くハズだ。
俺はお前を信じるぜ、相棒。
とはいえ、いきなりぶっつけ本番というのはいささか不安だ。まずは隣のビル、窓のないスペースに向けて撃ってみることにしよう。
「圧力120パーセント、照準セットォ! 発射ぁあああぁぁあっ」」
俺はノリノリでトリガーを引く。
ぴゅー。
横風に吹かれた水の放物線が、途切れながらビルの谷間に消えていく。
どう見ても小便です。本当にありがとうございました。
「……ふむ」
俺はケータイを取り出し、メールを打った。もちろん作戦中止を知らせるものだ。こうして俺の戦歴にまた一つ、小さな傷ができてしまったことになる。
俺はスナイパーだ。
凄腕で売っているが、その成功率は七割といったところか。
ちなみに娘の妨害がなければ、その確率は十割である。
最近、組織が娘に興味を持ったようで、気が気ではない。
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