ゴミ箱にゴミを捨てる話

 起きて、朝飯にパンを頬張り、インスタントコーヒーを片手に郵便受けから紙切れを取り出す。

「電気代、高くなったなぁ」

 独り暮らしを始めて一年と少し、寮で暮らしていた頃はプライベートタイムを侵害されて早く出たいとばかり考えていたけれど、会社と部屋を往復するだけの日常が淡々と過ぎていく現実に飽き飽きした現状では、退屈を満喫できなかった寮生活というのも味があって良かったのかもしれないと思えてくる。

 そもそもインドア派の俺にサプライズ的な郵便物など届こうハズもないことは俺自身がよく知っている。郵便受けに入っているのは、領収書とお呼びでない勧誘広告ばかりだ。

 俺はいつものように見終わった電気代の領収書をテレビ横の小さなスペースに置こうとして、どうせ取っておいても使い道などないと考え直してくしゃりと潰すと、そのまま部屋の隅――黄色いゴミ箱に向けて放り投げた。

 丸めた領収書はゴミ箱の縁を掠め、その傍らに落ちる。

 外れた。

 まぁ、よくあることだ。感覚的には二回に一回くらいの確率だろう。

 大して驚きもなく丸めた領収書を拾い上げ、それをそのままゴミ箱へ入れようと近付け――思い直して持ったまま元の位置へと戻っていく。

 確かに感覚的には二回に一回程度の確率だ。だが、入れようと思って投じた場合はそんなに悪くもない。この程度のコントロールすら鈍っているほど、俺はまだ老いてはいないハズだ。

 正直、さっきは体勢が悪かった。こう、しっかりと正面を向いて投じれば大きく的を外すことなど考えられない。

「よし、第二投」

 バスケのように眼前で構えて、今度は狙いをつけて領収書を放つ。

 紙くずは綺麗な放物線を描き、ゴミ箱の縁に当たり、跳ねて後ろの壁に突撃すると、丁度隅にあったことが幸いして二度跳ね返って戻ってくるとそのままゴミ箱に収まった。

「……うーむ」

 気に入らない。実に気に入らない。

 今のは何だ?

 ホントは外れてたけど、もう一回拾いにくるのは面倒だろうから入れてやるよ、みたいな気配りは。これはアレか。接待ゴミ捨てか。俺は社長でご主人様かっ。

 というワケで、納得のいかない俺はゴミ箱から領収書を取り出し、また元の位置に戻った。

「第三投」

 先程の一投で距離感はバッチリ掴んでいる。力加減は完璧だ。

 俺は改めて狙いを定め、フリースローの体勢に入る。この一投で勝敗が決まる最後の一投、しかも固唾を呑んで見守る大観衆の中心に俺は立っている。何もかも、俺の人生すら賭けた一点になる。

 そんな光景を描きつつ、静かに右腕が伸びた。

 今度の一投に間違いはない。頭の中で描かれたその軌道は、ゴミ箱の中心を的確に射抜いている。俺は右手をそのまま握り締め、勝利の雄叫びを上げようと大きく息を吸い込んだ。

 そして、声を張り上げる。

「はあああぁぁぁっ?」

 外れた。急にクニャリと右に曲がって落ちた。全盛期の高津のシンカーくらい落ちた。

 何だよあの動きはあり得ないだろ!

 もう何と言うか、霊的な何かのイタズラで叩き落されましたと言われたら納得するほどの見事な軌道とタイミングである。いやむしろそうに違いない。そうであるべき。

 俺はゴミ箱に近付いて領収書を拾い上げ、もちろんそのまま捨てたりなどするハズもなく手に持ったままタンスに向かうと、小さな引き出しからガムテープを取り出した。

 もちろんそれで、領収書をぐるぐる巻きにする。これでもう、あんなふざけた霊現象、もとい変化球にはならないハズだ。

 だが、果たしてこれだけで良いものか。

 たかがゴミ捨てと侮って、すでに五投目となる。人として、もう失敗は許されない。次の一投は万全を期する必要があるだろう。コレは何と言うか、一人の人間としての尊厳がかかった戦いなのだ。

 というワケで俺は、大掃除と模様替えをすることにした。

 足場である床の状態はもちろん、視界のレイアウトも重要だ。それに埃が多ければそれだけ抵抗になる可能性もある。ゴミ箱の位置はずらせないから、何かしら妨げになりそうな周囲の物体は根こそぎ動かさなければならない。

 全てはそう、約束された成功の為に。

 完璧な掃除と模様替えを終え、一時間念入りに風呂に入って垢を落とし、申し分のない夕食を食べて柔軟体操とウォーミングアップを済ませた俺は、用意しておいたBGМを背に構える。

 そして渾身の、最後の一投を完璧な呼吸で完遂した。

「ゴオオオオォォォォォオオルッ!」

 ふと時計を見ると午後十時、俺は気持ち良く眠ることにした。


「よう、昨日の休み何してた?」

「ゴミ捨ててた」

 どういうワケか、変な顔をされた。

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