第40話そして旅立ち

「そう驚くような事かね、ダニアン。ある程度、予見していた事態でもあるのだろう?」


 片手を口に当ててクスクスと笑うイヴの笑い方は慎ましいが、しかしその瞳や吊り上がった唇からは、底無しの悪意が感じられる。

 それに、ダニアンは違和感を覚える。

 イヴはそんな、他人に悪意を見せ付けるような人物だったか?


 ごく僅かな差異だ、元来のイヴはこうした性格で、あの劇場でいつも会っていた彼女の気だるさは、所詮なかっただけかもしれないが。

 しかし――ダニアンの記憶に最後に刻まれていたのは、人殺しを、詰まりは己の半生を悪と断じて否定したあの気高さだ。こんなではなかった筈だ。


「貴様は………?」幾分か落ち着きを取り戻して、ダニアンは問い掛けた。

「見て解らないか?」【イヴ】は楽しくて堪らないと言うように、密やかに笑う。


「寂しい話じゃあないか、えぇ、ダニアン? 互いに目的の為とはいえ手を取り合い、持ちつ持たれつギブアンドテイクやってきたというのに、もう私の顔を忘れたのかね?」

「忘れていないさ、顔も声も、調。そんな紳士ぶった口調じゃなかったろう、イヴ・スレイマンは」

「………ふふ」


 肯定も、そして否定もしない曖昧な態度。それが逆に、ダニアンに確信を持たせる。

 

 どうやったか等解らないし、どうでも良い。とにかくこれは、ダニアンが知っていて、探していたイヴ・スレイマンではけしてない。


「まあ、強ち間違いではないがね。しかし違和感とは、未だのかな」

「幻惑術か? 魔女王の国キルシュガンドではそうした技もあると聞くが。そうか、あの時のヴェルネ・カーペンターとかいう司祭は彼の国のスパイか?」

「おお、はは、偶然とは恐ろしいな! これ程鮮やかに筋だけは通る話が作れてしまうとは、奴の神とやらも中々手際ゲームメイクが良いというものだ。………しかし」

「っ!?」


 楽しそうに笑っていた【イヴ】が、ふと表情を変えた。

 それだけで、


 、部屋に敵意が満ちていた。

 それは針のようにダニアンの全身を刺し、ドロリと濁った泥のようにまとわりついてくる。

 本能が警鐘を鳴らす。圧迫感に息が出来ない。


?」

「ぐっ………!!」


 のし掛かる威圧感をはね除け、ダニアンは勢い良く立ち上がる。

 ほう、と感心するような素振りを見せる【イヴ】に、ダニアンは立て掛けていた剣を抜いた。


「貴様は………危険だ、俺にとっては、それで充分だ!」


 抜刀と同時に魔力を巡らせる。部屋の空気に干渉、漂う水分を掌握し、魔術攻撃の準備を一瞬で済ませる。

 もう1節呪文を口ずさめば、それで発動する。余りにも鮮やかな魔術行使に【イヴ】が出来たのは軽く肩をすくめる事くらいで、


「無作法だな」


 


 ダニアンの準備を一瞬とするのなら、【イヴ】のそれはまさに一刹那。

 ただそれだけで、ダニアンが掌握していた水分は、


「中々、と言うよりは相当優秀らしいな。その年齢で、ヒトとしての限界に人差し指位は掛かっているようだ。見事だよ、尊敬に値する。

 こと魔力の扱いに関して、人間おまえ悪魔わたしに敵う訳があるまい?

 ………さて。児戯とはいえ剣を抜いた者に、私も応じてやらねばそれこそ紳士らしからぬ無作法だな。宜しい、始めよう」


 長々と、立板に水の舌捌きで宣言すると、【イヴ】はそっと右手を持ち上げる。

 手を差し伸べる――握手を求めるようなその姿勢に、ダニアンの背がぞっと粟立った。


 咄嗟に全身を魔力で覆ったのは、見事な腕だと誇れるだろう。だが――それは結局、苦痛を長引かせるだけの行為だった。


 差し伸べられた右手が、。それは瞬く間に膨れ上がり、巨大な竜となってダニアンに襲い掛かったのだ。


「っ、ぐおおおおおっ!?」

「おっと、失礼?」


 捕らえたダニアンに、【イヴ】が微笑む。

 噛み付かれた全身の内、両足があらぬ方向へ曲がっていた――折れている。


「やれやれ、力を抜いたつもりだったがね。よ」


 まるで、己はその枠組みから外れているかのように言いながら、そっと唇を舐める。

 ゾッとするほど艶かしい所作ではあるが、彼女に手を伸ばす男は居ないだろうとダニアンは思った。

 あれは、蛇の所作だ。迂闊に近付けば、巻き付かれて丸呑みだろう。


「とは言え、はは、都合良く行ったのじゃあないかな? ほら、覚えているだろう? 

「………それは………、貴様のではない………!」

「確かにあの時はね。。そして、次は腕だな?」


 絶叫。そして、ごとりという重い落下音。


 両腕は直ぐ様炎に包まれ、燃え尽きた。


「がはっ、ぐ、うぐ、ぐぅ………」


 呻きながら、ダニアンは絶望――避けようのない死の運命に気が付いていた。

 

 全身に食らいつく黒炎の竜。その牙に触れた身体から、魔力が見る見る内に吸われていくのだ。


 魔力は、根本的には生命力と同じだ。それが流れ出る虚脱感は、貧血と同じような症状を起こす。

 但し、それより遥かに致命的だが。


「………復讐を」

「ん?」

「復讐を果たすか、イヴ・スレイマン………」


 死を悟ったせいか、ダニアンの心は晴れやかだった。

 恐らくわざとだろうが、口元が空いていたお陰で言葉を残せる。


「私が、貴様の誰より重い復讐相手だ。貴様の復讐は死でさえ停まらなかったようだが――それでも、一応の目処というわけだ。

 おめでとう、イヴ・スレイマン。私は貴様がかつてその名で呼ばれていたモノとは認めないが、最早そう呼ぶしかあるまい。

 気分はどうかな? 為し得た復讐は、貴様の安らぎになったか?」


 死に瀕した男の、最後の口上。

 それを聞き終えて、【イヴ】は――

 最初こそに、しかし徐々に、堪えきれないとばかりに大きくなるその声に、ダニアンは首を傾げた。


「………なにが、おかしい?」

「なにが? ははは、おいおい全く、そんなことも解らないのかね? 決まっているだろう、お前の言葉が余りにもだったからさ!」

「………なに?」


 あっさりと。

 なんてことの無いような気軽さで、【イヴ】は言い切った。まるで、『コーヒー等は紳士の飲み物ではない』と言うように、 傲慢に、横柄に。


「大体言っていただろう、覚えているだろう、ダニアン。? 、何故続けると思う?」

「だが………では………はなんだ?」

「簡単だ、ダニアン。何故そんなことも解らないのかと不思議に思うくらいにな。

 イヴ・スレイマンは人殺しを悪だと言った。己の所業を肯定し、それでも悪だと断じて死んだのだ。私は、それを勿論尊重するとも。そしてだからこそ。これは復讐などではけしてないとも。

 そもそも。この私は卑しくも読書家でね。駄作を何より嫌っている。下らない終わりなど、焼き捨ててやった方が本のためだと思うほどさ。

 だから、許すわけが無いだろう。

 イヴ・スレイマンの復讐譚のラストを飾る一文に、貴様のごとき愚物の死なんて、インクの染みより汚ならしい。

 ――これは、。ただの食事、意味なんて無い、お前の崇高な目的とやらも、野心も。関係の無いただの偶発的な死だよ」


 それは、何という悪夢だろうか。

 ダニアンの心が、絶望で染まる。――俺は誰かの恨みでも憎しみでもなく、ただ


「元来、死に意味など無いがね。お前たちはどうも、それが無ければ生きていけないようだが、私にとっては無意味で無価値だ。だからこそ、平等足り得る――神のように」

「馬鹿な………、それでは、俺は、俺は何のために………?」

「全て無駄だよ、ダニアン。お前の野心は、目指した世界とやらは灰となって風に散って、やがて誰もが忘れるだろう。

 お前はただ、家畜のごとく死ぬが良い。あぁそうそう、世界に散らばったお前の仲間とやらも、ついでに私が食い散らかしてやるからあしからずな」


 言葉の終わりに応じて、竜が口を閉じていく。骨という骨が軋み、それでも抵抗なく、牙が肉を引き裂いていく。

 何も残らない絶望が、未来も刈り取るという宣告が、彼の魂を殺していく。


「………め」


 ――最期に。ダニアンは今夜唯一正しい事を叫んだ。


「【悪魔トイフェル】めぇぇぇぇぇ!!」


 その絶叫すら味わうように、【イヴ】は大きな声を上げて、笑い続けた。

 いつまでも――夜が明けるまで。











「………」


 新聞を手に、コーデリアはのろのろと階段を上る。

 いつもなら若さ故のはつらつさで駆け上るそれを、苦行そのもののようにゆっくりと。


 足が重い、心が重いから。

 身体がダルい、心が死にそうだから。


 しかしやらねばならない事だ。

 コーデリアはポケットに手を突っ込むと、とうとう使うことの無かった道具を取り出した。

 所長はこれを、どんな期待を込めて託してきたのか。そして、自分はそれに答えられたのか。


「………はあ」


 答えは、きっと

 地方紙の一面、大見出し。

『巡視隊隊長の実家、不審火で全焼。生存は絶望的か』という、記事の中に………。











「失礼します、所長………?!」


 きちんとノックをしてドアを開けたコーデリアは、驚愕にその身を固めた。

 そんな馬鹿な有り得ないと、思わず叫びたくなった。それほどまでに、目の前の光景は衝撃的だった。


 窓が見えた。

 


 あれほど散らばっていた床の塵も、積み重なっていた書類の束も、何もかも一切合切跡形もない。良く整頓された机と本棚があるだけだ。

 そして、


「………ふむ、全く、これ程広いとは意外だったな」

?!」


 窓から差し込む朝の日差しを背に受けて。

 イヴ・スレイマンは机に腰掛けていた。

 ………いや、………?


「所長………ですか?」

「その通りだとも、何を意外そうな声を出しているのかねリトルグレイ? ほら、この名札プレートを読んでみたまえ、所長マスターと書かれているだろう?

 やれやれ、いつもあんな、砂糖とカカオのごった煮のような飲み物を飲んでばかりいるからそうなるのだ。糖分は脳を活性化させるというが私は反対だな、砂糖漬けの脳みそなんぞ珍味にもならんだろう」

「………あぁ、すみません良く解りました」


 そうか、と頷く所長に、コーデリアはゆっくりと近付いた。

 こんな顔だったのか、確かに見たことは無かったけれど。声も………思い出そうとしても霧の中で、そうだったような違ったような、曖昧だった。

 しかし、わざわざ変装する必要は無いだろうから、きっとそうなのだろう。コーデリアは、無理矢理にそう納得した。


 所長の方はそんな部下の態度に気付いた様子もなく、名札プレートしか無くなった机をそっと撫でた。


こうしてやりたかったのだな、イヴは」

「………?」

「それより、何か用かね? 私としては話があるのだが」


 コーデリアの話は、新聞の内容の確認だ。

 最も探偵らしい一言で済む――犯人は貴女ですか、だ。

 だから後でもかまわない。そう言うと、所長は優雅に椅子に腰を下ろすと、コーデリアにも勧めた。


「では、話そうか。リトルグレイ、

「………は?」


 いきなり衝撃的な発言だった。

 目を丸くするコーデリアに、所長はやれやれと肩をすくめる。


「あぁ、すまない。いつも苛々とする話し方だからな、単刀直入に言ってみたが――やはりこれでは舌足らずだな。慣れない事はするべきではない。

 ………詰まりだな、私はここを閉めようと思うのだ」

「閉める………? そんな、いきなり」

「だがまあ仕方あるまい? リトルグレイ、君も解っているだろうが、ここは元々のだ。彼女の復讐のためにな。それが終わった以上、必要もなくなる」

「………終わった、ですか………?」


 イヴ・スレイマンは処刑場から消えてそれきり行方不明だ。

 死んだのかも知れないが――生きているかも知れないではないか。

 無言の非難に、所長は苦笑した。


「君のなつきは有り難いがね、リトルグレイ。イヴ・スレイマンは間違いなく死んだのだ。………?」

「………捧げた?」

「私の炎で焼いたものは、全て私のものになる」机の隅に手をかざすと、いきなりそこに炎が現れた。「イヴ・スレイマンは自らの全てを焼いた。だから、私になったのだよ」


 黒々とした掌大の炎は、机を焦がす事もなく燃え盛る。

 それを眺めながら、所長はくすりと笑った。


「上手くやったものだよ実際。あれは魂を捧げ、。あれの記憶も、感情も、全て私に交ざってもう区別が付かないよ」

「イヴ先輩は、所長になったのですか? それとも、逆ですか?」

「同じことだ。そしてだからこそ、ここにはもう用がない。

 ダニアンの仲間共め、中々どうしてらしい。世界の隅から隅まで、密やかに広まっているようだ。私は――それを狩りに行く」


 所長の苦笑は、見慣れた憧れの先輩に似ていた。


「イヴ・スレイマンの憎しみが、未だ未だ残っているようだよ。ちょうど良いから、旅のついでに済ませてこようと思ってね。

 ………さて、これを」


 どさり、と重い音を立てて、パンパンに膨らんだ旅行鞄が机に置かれた。

 コーデリアはその口を開けて、そして眉を寄せる。そこには、金貨や宝石がこれでもかと詰まっていたのだ。


「退職金だ。これならどうとでも暮らしていけよう」

「………」


 コーデリアは新聞を机に置いた。


「ダニアンさんの家が焼けて、と書かれていますが」

「そうか、それは怖いな。やはり財産は安心できる銀行に預けるに限るね、そうすれば燃えなかったろうに。

 ところでこれは、。だから心配いらんよ」

「………解りました」


 渋々ながら受け取ったコーデリアは、それをずずっと所長の方へと滑らせた。

 首を傾げる所長に、ニッコリと微笑む。そして、


「私は、、所長」

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