第39話報い

「………奴は未だ見付からないか!」


 どん、と叩き付けた握り拳を、ダニアンは他人事のように冷めた目で眺めた。

 目の前では、部下が縮み上がっている。帝国の崩壊からその再興を誓った、表の意味でも裏の意味でも部下と呼べる数少ない男だ。

 俯く彼に、ダニアンは申し訳無い気持ちになる。全く実に理不尽な話だと思っている。


 あの後結局、


 何せ異能の炎だ、骨まで熔けたのかも知れなかったし、そしてもしかしたら、そう思わせて脱出したのかも知れなかった。

 使われた道具が不明であれば、出来上がるものが何か解るわけが無い。

 日が暮れて既に二時間、部下たちは居ると確信しきれない相手をひたすらに追い続けている。


 もう死んでいるのではないか。ダニアンはそう思っていたし、部下とて薄々は感じているだろう。

 だが――


 死んだという確証が無ければ、生きているかもと思い続けることになる。

 単なる罪人としてではない、半ば伝説として、イヴ・スレイマンの名前は語り継がれて行くだろう。それは困る。

 秘密を葬る何よりのコツは、民衆に忘れてもらうことだ。憎まれても、崇められてもいけない。

 イヴ・スレイマンは処刑された、事件は終わり。そうなって初めて、ダニアンたちは枕を高くして眠れるというものだ。


 とは言うものの、根を詰めすぎても成果は上がらない事くらいダニアンにも解っている。士気が下がり、効率が下がり、下手をすれば貴重な痕跡を見逃すかもしれない。

 こうしてわざわざ自宅に来てまで報告してくれる部下は貴重だ。信用を失うような真似は避けなければならない。

 潮時だろう。今日のところは、だが。


「………一先ず、今晩は良い。明日また捜索するぞ。処刑台付近には一応見張りを立てておけ」

「はっ!!」


 敬礼して部屋を出ていく部下を見送り、ダニアンは大きなため息を吐いた。


 彼と入れ替わるように部屋のドアが開き、メイドが姿を見せた。


 深緑色のスカートの裾を摘まみ上げて一礼する小柄なメイドを一瞥し、ダニアンは小さく舌打ちをした。

 入ってくるよう合図をして、椅子に深く腰掛ける。

 倦怠感がひどい。再びため息を吐いて、ダニアンは机に近付いてきたメイドを


「………











 躊躇いの無い口調と見上げる視線の鋭さに、コーデリアは肩を落とした。


「変装したつもりだったんですけれど………どうしてバレたんですか?」

「解らんのか。………入るときには先ずノックだ。それが礼節というものだ」


 内心で舌打ちする。

 いつもしないから、うっかり忘れていた。所長室に入るときにノックするのは、イヴからも所長からもさんざん言われたのに。


「解っていて、何故入れてくれたのですか?」

「騒がれても面倒だからだ」

「………それ以上な事になるとは思いませんか?」


 ダニアンはリラックスした様子で、体重を背もたれに預ける。下から見上げるその視線の内に、軽蔑の色が交ざっていることは明白だ。

 お前は脅威ではない。言外に断じられ、コーデリアはぎゅっと唇を噛む。


「………ここを探り当てた事、そして、ここまで潜入した手際は誉めてやる。探偵としてのお前の有能さは、しっかりと理解した。だが、


 実のところ、コーデリアが自室にまで現れた事は有能どころの話ではないのだが、敢えてダニアンは、そんなものは全然問題ではないかのように振る舞っていた。

 イヴの後輩として、名前だけは知っていたが――まさか、


 内心で舌を巻きつつも、ダニアンの表情には一切の動揺が無い。ただ、ここに来るのは予想通りだったとでも言いたげに、余裕を見せてコーデリアを威圧する。

 処世術と言うよりも、それは生存のための武器だ。自分の動揺を押し殺し、敵の動揺を誘い出せ。


「さて、最初の質問に戻るぞ。、コーデリア・グレイス」

「………」

?」


 ひゅっという音が、コーデリアの喉からこぼれた。その反応だけで、ダニアンには事足りる。やはりそうかと、頷いた。


 イヴ・スレイマンの仇討ち、それはダニアンにとっては、2つの意味を持つ。『不可能』という意味と、もう1つ。

 


 未だ行方の解らないイヴだが、少なくともコーデリアと連絡を取ってはいないらしい。これはますます、死亡説が存在感を増してきた。


「………不可能だと、思うのですか」

「む?」


 なぜだか固いコーデリアの声に顔を上げれば、彼女はじっとダニアンを見下ろしている。

 その瞳は、凍えるほど冷たく、静かな決意に満ちている。内心の嵐を無理矢理に押し固めて凍りつかせた、偽りの静けさだ。


 何かあるのか?

 コーデリアは、ダニアンのような軍人でもなければ戦士でもない。実力の差は明白で、それを塗り替える材料は精神論を含めても有り得ない。

 それを超えるとしたら、実力を大きく底上げするような何かが必要になる――例えば、など。

 だが、潜入用のメイド服には、そんな大層なものを入れる場所は無い筈だが――、っ?!


「………武器、か。そうか、。………お前が持っていたか、コーデリア」


 1つだけある。

 現在世界には流通しておらず、常識を変えるほどの力を持ちながら、女性のハンドバッグにも入ってしまうほどの小さな武器。

 イヴ・スレイマンにダニアン自身が仕掛けた罠の最後の一欠片。


 それならば、確かに届く。

 殺せるかはさておき、戦いにはなるだろう。


 ダニアンはそっと魔力を巡らせる。いつでも解き放てるように、部屋中の空気に染み込ませた。

 あとは、タイミングだけだ。発射の時点で発動できたら、雷のごとき早さの銃であれ止められるだろう。


 準備は万端。さぁ、かかってこい。

 挑むように迎えるように、ダニアンの視線が鋭さを増していく。

 それを真正面から受け止めて、コーデリアはゆっくりと、その口を開いた。


「………

「………何?」


 部屋の空気が、停まった気がした。

 今、何を言ったのだ? 理解が追い付かないダニアンを、コーデリアは、冷えきった瞳のまま睨み付けた。


「殺しになんて、来ていないって言ったんです。ダニアンさん」

「………しかし、お前は私を恨んでいるのではないのか? イヴの復讐に来たんじゃあないのか?」

「恨んでますよ、憎んでますよ勿論!! 貴方が、イヴ先輩を裏切らなければ! 仲間じゃあなかったんですか、お友だちじゃあなかったんですか!」


 氷が溶け、激情が顔を出した。

 イヴの炎に勝らずとも劣らない熱量の感情が、瞳から光線のように放射されて、ダニアンの刺し貫いた。

 それは、所詮幻想の傷だ。そしてコーデリアは、その程度で満足する程度の憎しみでは無い筈だ。


 それでも、いいえノーとコーデリアは首を振った。


「では、何故だ? 何故殺そうとしない、何故その憎しみを俺にぶつけようとしない?」

「決まってるじゃないですか。………

 ヒトを、殺してはいけないと言われたからです。

 憎くとも、苦しくとも! どうか殺さないでくれと言われたからですよ!」


 あぁ、そうか。

 ダニアンはようやく、コーデリアの思いを理解した。そして同時に、イヴの思いも。


 復讐を選び、憎しみを肯定し、悪逆を振るいながら生きて死んだイヴは、だからこそ彼女の後に続く者がいないことを祈っていた。

 そんな意思を継ぎ、己の憎しみに蓋をして、それでも堪えきれずにコーデリアはここに来た。

 ――私はお前を許さない。

 そう、裏切者ダニアンに告げるために。


「………そうか」

「えぇ、そうです」

「解った。では、さっさと帰るが良い」

「………良いのですか? 私は………」

「………ヒトを、殺してはいけないのだろう? 今日はもうこれ以上、俺は悪人に成りたくないのだ」


 我ながら、甘いことだ。

 コーデリアは、ダニアンに牙を剥いた。その牙は幼いながら、喉元に届くことも証明した。

 それでも何故だか、殺すような気分にはなれなかった。


 出ていく前、コーデリアは律儀に一礼した。それに手を振って追い払うと、ダニアンは脱力したように椅子に身を沈めた。

 何故だか妙に、彼女に会いたかった。

 だからだろうか、殆ど死んでいることが予見されるというのに、ポツリと、言葉が唇からこぼれ落ちた。


「………何処へ行った、イヴ・スレイマン」


 その呟きが、聞こえた訳でもあるまいが。


?」


 聞き慣れた声が、静かな部屋に響き渡った。











 腰まで掛かる長い金髪に、スレンダーな身体つき。茶色を基調とした三つ揃いスリーピースのスーツは、女性にしては珍しく、しかしらしいパンツスーツだ。

 装飾品の類いが殆ど無いが、端整な顔立ちや陶器を思わせる真っ白い肌は、均整の取れた長身もあってまるでモデルのような存在感である。

 編み上げブーツで絨毯を踏み荒らしながら、ニヤニヤと嘲るように笑うその姿を見て、ダニアンはどうにか言葉を絞り出した。


「………馬鹿な」

「おや、それはまたおかしな反応だな。私を探していたのでは無かったかね?」


 見慣れた顔から発せられる嘲るようなその声も、ダニアンは聞き覚えがあるものだった。

 確かに、その通り。ダニアンは、今日一日ずっとを探していた。

 だというのに――いざ目の前に現れたに言えるのは、ただ一言だけだった。


 馬鹿な。有り得ない。信じられない。

 困惑が、危機感を塗り潰した。予想もしていない猛獣の襲来は、ヒトを驚かせはするが危険とは思わせないものである。

 ましてや――


「貴様は、死んだはずだ! 焼け死んだはずだろう! そうだろう、!!」


 ダニアンの叫び声を、うっとりと軽く目を閉じて、まるで歌劇オペラのように聞き惚れる

 その姿は、正に

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る