第38話処刑の朝

 ………そこはかつて、暗い部屋だった。

 この世の何よりも深い闇で覆われ、如何なる光も照らすには至らない。


 今なら解る。何故そこが暗かったのか、何故光を拒んでいたのか。


 それは、


「………答えは見付かった?」


 出会ったときより幾分かあどけなさの抜けた、けれども声音だけは幼い声で、少女が私に問い掛ける。

 その顔は陶器のように無表情だけれど、何となく、私は彼女の笑みに気が付いた。

 だから、私も笑う。


「えぇ。見付かったわ、それを待っていたのでしょう、?」











「………出ろ、イヴ・スレイマン。お前の最後の時だぞ」


 不躾な声に、イヴは目を開けた。

 途端、覗き込んでいたダニアンと目が合う。彼は、生真面目な顔を不機嫌に歪めた。


「眼の包帯を外して良いとは、言った覚えはないがな。全く、不出来な部下で困るよ」

「同情するわ、ダニアン。まるで気持ちは解らないけれどね」

「ふん」


 イヴには部下なんて居なかった。

 居たのは、――その事に長らく、目を瞑ってきたけれど。


「そういえば、ダニアン、一つ尋ねても良いかしら?」

「何かね、イヴ」包帯が無くとも力は使えない事を確かめて、ダニアンは頷いた。「時間を使わない質問を頼むよ」

「単純よ、それは勿論、相手を見て私も質問するわ」


 イヴの言葉に、ダニアンは苦笑した。

 嫌みの内容に対してなのか、それとも単に、3日間に渡る拘束を経てそれでも変化しない態度に対してなのか、イヴには判断が付かなかった。


 どちらでも構わない。そんなことはもう、どちらでも。


「貴方、友達は居るの?」

「………? いきなり妙な質問だな。お前が俺の内面に興味があるとは思わなかったが」

「少し、気になってね」


 ダニアンは、護送の準備を進めながら首を傾げた。


「居ないな。俺の友人は、その殆どが死に絶えたよ」

「戦争で?」

「あぁ。敵と戦って死んだやつもいれば、軍規を侵して処刑された奴も居た。………その中の何人かは、俺の手で処刑したよ」


 郷愁に浸るように遠くを見るダニアン。しかしその手は淀み無く動いていた。

 手慣れた様子でイヴの拘束を解き、手錠に切り替える。それを眺めながら、イヴは尋ねる。


「それでも、また戦争をしたいの?」

「あぁ。何しろ消化不良でね、内戦と革命で終わった戦争なんて、当事者にとっては横合いからの不意打ちだよ。戦力は残っている、兵器だってまだまだ有るんだ。

 ………世界には、俺たちみたいに燻っている奴等が多いのさ。俺はそれをまとめるつもりだ」


 そう、とイヴは頷いた。まだまだ、敵は多いらしい。

 きっと無限に生まれるのだろう。ヒトが居る限り、争いを求める心は消えないのだから。











 処刑は巡視隊の本部前、広場にて行われた。


 街中の人間が全て集まっているような、黒山の人だかり。

 その中央に設けられた処刑台の上で、イヴは彼らをゆっくりと睥睨した。


 右目は魂を見る。彼らの魂は一塊の赤に過ぎず、個人の区別が感じられない。

 彼らは同じ方ばかり向いている。周りを気にして、事を恐れているのだろう。その結果、悪魔にとっては彼らは単なる群衆という名でしかなく、個体としての差異を持てなくなっていた。


 左目で見た視界では、彼らは皆違う顔をしていた。

 この中の何人が、イヴ・スレイマンを知っているのだろうか。毎朝使うカフェスタンドの店員は、果たして混ざっているだろうか。

 それが解らない悲しさを、イヴは今更になって理解した。


 彼らはどうだろうか。

 周りを見て、何人を知っているのだろうか。

 同じ街に住む仲間を、どの程度の関心をもって見詰めているのだろうか。


「………」


 黒い仮面を着けた処刑人が、イヴを促した。

 その立ち居振舞いはラジアル家で出くわした仮面男と同じであり――良く見れば、ダニアンのものと同じであった。

 良く見ていれば、気が付けたのに。


 イヴは苦笑しつつ、素直に従った。

 跪いてから首と両手を前に突き出す。古びた木製の板に乗せると、ダニアンは上から板を填め込み、固定した。

 快適な姿勢ではないが、長くは続かないだろう。


 あとは処刑人がロープを切るだけだ。そうすると頭上から分厚い刃が滑り落ちて、途中のイヴの首と両手を切り飛ばす。

 筋肉質の男性などは、これで一発では決まらず、半分食い込んで止まってしまう事もあるそうだが――イヴの細い首なら、その心配は要らないだろう。


「………何か、言い残す事はあるか」


 仮面越しの声は、ダニアンのものとは咄嗟には判別できない。

 処刑人は名前も顔も知られてはならないというのは、かつての帝国の流儀だ。今後その慣習がどうなるか、生まれたての王国の今後に期待というところだろう。

 復讐されないように、恨まれないように、処刑人はプライバシーを隠しているのだ。


 何か言うか、何を言うか。

 悩みながらぼんやりとさ迷わせた視線が、見知った顔を見付けた。

 内2つが、刺すような敵意をダニアンに向けている事に気が付いて、イヴは決意した。


「………あるわ、構わない?」

「好きにしろ。………使?」

「えぇ」


 いざとなれば、ダニアンは話の途中でも縄を切る。

 イヴが不都合な話をするようなら、躊躇わずに話の腰を折るだろう。そして、2度と喋れない。

 構わない。そんな不都合な話をするつもりはない。ダニアンの社会的地位を脅かす必要なんて、イヴにはもう無いのだから。


「ねぇ、ダニアン」

「名前を呼ばないでくれ、仮面の意味がない」











「どうも、お集まり有り難う」


 イヴの声は、騒ぐ群衆にあっても良く響いた。

 その静かな、悪く言えば横柄な物腰に、群衆は聞くに耐えない怒声を上げる。

 彼らの誰も、イヴが掛けられた容疑で被害を受けてもいなければ、受けた人間を知りもしないのに。


 人殺し、恥知らず、悪魔め、被害者の痛みを知れ………。

 ありとあらゆる敵意の刃が、イヴの全身に突き刺さる。群衆は、敵意をぶつける権利を得たと思っているのだろう。自分達は被害者で、加害者には罰を与えるべきだと信じている。

 本当は誰にも、石を投げる権利なんて無いのに。


 それを言われもないとも過剰だとも、イヴは思えなかった。何故なら。


!」


 何故なら、それは事実だから。

 ラジアル家の話ではない、惨殺された使用人たちの事でもない。

 彼らの死に遠因があるとは思うが、しかし。


 


「私は………。その事に対して、私は長いことこう考えてきた――


 怒号は勢いを増す。

 構わない。群衆の中でただ2人へと、自分の言葉は届けば良い。


「復讐だった。私は、私にされた全ての痛みを、した連中にやり返してやるつもりだった。それが正しいと信じていたし、そもそもろくに考えもしなかった。

 何故なら、それは復讐だったから。先に始めたのは奴等であって、私は反撃するだけ、それは当然の権利であると、私は思っていた」


 けれど、とイヴは言った。

 自分の人生を、否定するように。


「けれどもそれは、違った。

 正しいとか間違っているとか、そういう次元の話じゃあない。考えることを放棄して、私は怠惰に快楽を貪っていた。

 ………そう、快楽。

 私はいつからか、復讐に愉悦を感じていた。それは――


 しん、といつの間にか群衆は静まり返っていた。

 投げる語彙が尽きたのか、それともイヴの言葉に、聞く価値があると感じ始めたのか。


「間違いだったとは思わない。私は私がされたこと、友達や家族がされたことをけして忘れない。赦す気も無いし、嘘でもそんなことは言えない。奴等を殺した今でさえ、その魂が永遠に苦しめば良いと思ってる。奴等がもう一度目の前に現れたら、私はもう一度焼くでしょう。

 あの日から何度やり直すとしても、私は必ず同じことをするわ。地獄の釜に奴等を放り込む。泣き叫ぶ奴等の顔を見て、歓喜に打ち震えるわ。

 それは変わらない。変わらないけれど、だからこそ、私はここで、言わないといけない。

 ――私は、


 それはかつて投げ掛けられた質問に対して、イヴが答えた言葉。

 あの質問には、実は意味など無かったけれど。

 単なる拷問の1つでしかなかったけれど。

 それでも――漸く答えられた。


「どんな理由があって、何のためでも、誰のせいでも。………ヒトを殺すのは、いけないことなのよ。けして、けして、赦されることではないのよ。

 ………私は間違っていない。だけど、私の復讐は罪だった。だから、罰を受けなくちゃいけないのよ。

 人殺しを誇らないで。そうするしかない事もあるって解ってる、その気持ちも理解できる。だけど、。いずれ罰せられる。

 私もそう。私は私が復讐した相手から、復讐

 !!」


 瞬間、イヴの両手が燃え上がった。

 自然界には有り得ない、黒々とした炎。それは瞬く間に処刑台を、そしてイヴ自身を包み込んだ。


「見て! これが、これこそが、罪人の姿よ! ヒトを焼いた私は、こうして地獄の業火に焼かれるのよ!!」


 悲鳴が上がる。

 罪人の長口上に困惑していた群衆に、驚愕と畏怖とが襲い掛かる。


 巡視官たちが慌てて彼等を制御しようとするが、何しろ街の住人大半が集まっているのだ。

 街一つを相手にするには、彼らは少々数が足りない。


 群衆は暴徒と化して、悲鳴を上げて出口へと殺到する。巡視隊はそれと揉み合いになる。

 誰の視線も向けられない中、この世ならざる炎の焼け跡を見下ろして、ダニアンは仮面を投げ捨てた。


 そこには、骨の欠片さえ残っては居なかった。











「長くかかったわね」


 闇の小部屋は、黒炎に包まれていた。

 燃え盛るその只中で、照らし出された少女に、私は苦笑した。


「仕方がないわ。………


 気が付いてみれば、答えは解りきっていた――当たり前だ、ここは私の心の中で、だったら、支配者も私自身に決まっている。

 声だって、聞き覚えが曖昧な訳である。自分の声なんて、そうそう思い当たらない。

 幼い頃の私の姿。スレイマンでない場合イヴは唇だけで微笑んで見せた。


「では、彼等も解るかしら?」

「勿論」


【イヴ】が指し示すのは、天井から吊るされた黒焦げの死体たち。

 その身に巻き付いた鎖を痛ましく眺めながら、私は答えを口にする。


「ごめんね、待たせちゃったね。………


 死体が、微かに微笑んだ。


「復讐とは、そういうものだわ。自分自身の【大切】を肥溜めに放り込んで、腐らせて咲く仇花よ。幾ら綺麗でも、貴女の大切な思い出はあっという間に腐敗してしまう」

「………私は、皆を薪にしていたのね」


 復讐心を、私は常に燃え上がらせていた。

 過去の痛みを、家族の苦しみを糧にして、私は炎を焚いてきた。

 皆は、ずっと苦しんできた。私の心の中で、私の憎しみを消さないために、何度も何度も燃やされてきたのだ。


「それも、もう終わるのかしら。皆は、自由になるの?」

「いいえ。ここは貴女の記憶で、彼女たちは貴女の思い出に過ぎない。貴女が燃やしてしまった以上、皆永遠に燃え続ける」

「………そう」

「だけど。きっと良かったわ、だって、ようやく思い出せたのだもの」


 ふと気が付くと、イヴの身体は燃えていた。そして、私の身体も。

 どちらからともなく、私たちは抱き合った。

 身体を、そして世界を焼く黒い炎は、不思議と穏やかな暖かさに満ちていた。

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